オランダの首都であるアムステルダムは、経済の中心となっている商業都市であり、観光地としての見どころも多い。また、市民の声に耳を傾け、進歩的な社会政策やカルチャーの面でも注目されている。
そんなアムステルダムが、さらに世界でのポジションを確かなものにするために、ある政策を始めた。それが『I amsterdam』である。アムステルダムが未だ認知されていない、新たな魅力を発信するため、このコンセプト・フレーズのキャンペーンとアムステルダム・パートナーズの設立を始めた。このマーケティング政策の第一の目的は市民と都市アムステルダムを結びつけることである。このキャンペーンは世界120カ国に届き、現在でもさまざまな都市計画が進行中である。都市に対する人々の自負や愛着は、何よりも強い力である。市民と都市の相互関係を築き、都市に対する自覚と責任を行政が市民と確認しあう事が重要だ。
私は、アムステルダムのマーケティングについて、とても興味深いなと感じた。なぜなら、このマーケティング戦略を沖縄にも用いる事ができるのではないかと思ったからだ。このアムステルダムの話では、その都市と市民との関係性について何度も強調している。観光客ではなく、その都市について何度も強調している。観光客ではなく、その都市に住んでいる人に目を向けるというのは面白いなと思った。沖縄もアムステルダムと同じように独自の文化や魅力がある。沖縄は日本の中でも観光客の割合が高く、すでに魅力で溢れている。この点でもアムステルダムと似ていると言える。そのため、アムステルダムのように、もう一度沖縄を足元から捉え直し、老若男女問わず沖縄の魅力を語れる人が増えたらいいなと思った。
ドイツ最大の都市ハンブルクでは、ハーフェンシティというヨーロッパ最大規模の都市再生プロジェクトが行われている。ハーフェンシティは元々港の賑わいの舞台だったが、新たに開発された運河により、市街地と港湾地区の分離が起こってしまった。しかし、1960年台後半のコンテナ時代により、港湾地区の構造改変が起きた。それによって、このエリアを市街地に再生させようとした事で、ハーフェンシティ開発が始まった。この事業運営の特徴的なところは、開発関連業務だけでなく、コミュニケーション領域の業務まで幅広く行なっているところである。ハーフェンシティの開発には、市民と関係を構築することを意図しているものが多い。例えば、建造物の建設より先に広場などのオープンスペースの整備や、現場を展望できるタワーの設置などが挙げられる。開発前からも計画の全貌を市民に開示するインフォセンターにより、世界各地から人が集まり世界中から投資を募るためのメディアとして機能している。
ハンブルグでのハーフェンシティ開発のアイディアは面白く、なるほどなと思えるものばかりだった。外部に向けてではなく、市民にまず知ってもらうという事が大事なのだなと思った。まず一番その都市に近い存在である市民を虜にし、そこから世界へ広げていく。このまちとそこに住む人々を一体にして考える事が観光発展のために大事なのではないかと思った。その地域の人々に新しい発見や魅力を与え、さらにその地域を好きになっていく。これを言うことは簡単だけど、それを様々なアプローチで実践し、成功させたのは本当に凄いことだなと思った。自分もこのような人のため、地元地域のために貢献できるような人になりたいと思う。
ブリストルは、イギリス南西部地域の経済・産業をリードする中心都市であったが、他の都市と比べるとイメージは弱く、分かりにくい都市であった。しかし、1990年代に自動車道路の縮小と広場の整備が行われたことにより、自動車中心のまちから歩いて楽しめるまちになった。その中で、『分かりやすい都市』を目指そうと、ブリストル・レジブル・シティというプロジェクトが生まれた。街におけるさまざまなプロジェクトをつなぎ合わせる接着剤を作り出す試みである。大規模工業事業都市で起こる開発や活動の断片をつなぎ合わせ、都市全体を統合することによって、人々の都市体験そのものが都市の情報になる。市民に身近な公共空間に小規模なデザインを効果的に導入しながら、都市全体を統合再編していく。これは市民勢力が強いブリストルに受け入れられやすいものだった。このプロジェクトはまだまだ挑戦過程にあり、これからはブリストル・ブリッジ・シティ時代が人を育て、街の連結とアイデンティティを強化していくと考えられている。
都市と人との関係を強くすることで都市の発展を促すことは、大規模の公共事業より難しいことではないかと思った。市民全員の意見を取り入れることは不可能だし、それに取り組むのはとても大変だっただろうなと素人ながらに思った。分かりやすい都市にするためにあえて情報を少なくするというのは、斬新なアイディアだなと思った。このことから、その観光地をアピールすることだけでなく、いかに無駄な情報を省くかという引き算が観光地として栄えるために大切なことなのかなと思う。このような小規模のデザインをする都市もあれば、アムステルダムのようにキャッチコピーや大規模な都市計画を立ててアピールする都市がある。その地域の実情によって観光地としての開発が180度変わるということを知り、とても勉強になった。
ワインで世界的に有名なボルドーは、フランスの中で観光地として目立った存在であったが、大掛かりな改革になかなか踏み切れなかった。そんな中、ボルドーの市長になったアラン・ジュペが、公共交通再編とそれと連動した公共空間整備を進めた。「市民に開かれた公共空間」を整備することで、市民と都市の距離を縮め、都市再生の主役が市民であることを示そうとしたのである。また、ガロンヌ川の公共空間制作の進捗状況やボルドーの変貌の過程を市民に公開することで、自分達の街に興味が持てるようになり、その変化が自分と関わりがあるものとして受け止められる。そして、物理的な空間整備ではなく、ガロンヌ川を心生活の舞台にする試みとして、さまざまなフェスティバルが行われ、これらを通じて公共空間は市民の誇りとなっていく。2007年には、歴史地区全体がユネスコの世界遺産に登録認定された。一人の市長による改革が、公共空間の姿を変えた。誰もが体験できる公共空間が人々の心を揺さぶり、それぞれの誇りを形成していく。ボルドーは今、その変化の真っ只中にいる。
今回のボルドーの事例で、都市の発展には、従来の歴史的文化や観光地と現代的な視点を組み合わせることが必要だと学んだ。市民一人ひとりが都市の魅力に気づいてくれることが都市を広める1番のきっかけなんだなとも思った。すでに観光地として完成されている場所をより良いものにするという試みは1から観光地をるくるのとは違う難しさがあるだろうなと感じ、アイデアが重要だなと思った。自分は、この事例を通して初めてこのボルドーという都市を知ったのだが、この政策の過程を見て一度旅行などで行ってみたいと思った。一人の市長の発案によるものが世界遺産に認定されるまでのものになれるという事例は、多くの都市開発を進めている人にとって勇気づけられるものであると思う。自分もいつか沖縄も観光について詳しく調べ、貢献できるようになりたいと思うようになった。
まちの仕掛けに直接デザイナーが参画するという考えから、富山でのLRT化のトータルデザインが始まった。このデザインのコンセプトは、通常の業務だけでなく、地域にグラフィックデザインをデリバリーすることで、市民参加を促し、自分達のまちに誇りを持ってもらえるようになるというものである。まず路線の基本コンセプトを「TOYAMAクリエイティブプラン」とし、その中にどのような市民参加があり、地元企業の参画が考えられるかの検討を行った。地元企業には独自の新たな広告手法に協力してもらい、ハード面もソフト面も都市の環境デザインとなるように、富山ならではのトータルデザインの計画が練られた。また、2014年には「AMAZING TOYAMA」のキャンペーンをスタートし、バス事業にチャレンジした。このようにして現在では、行政支援の切り口と民間企業のサポートで、新たなデザイン戦略に取り組んでいるところである。この事例のように、まちへの参加を呼びかけることが現代のまちづくりに最も必要なことである。
通常のデザイン業務から一歩踏み出して新しいまちづくりを始めるというのはとても画期的な方法だなと思った。富山でのトータルデザイン都市を発展させるのには、このようにして既存の方法だけでなく、新しい手法を試みることで、これまでにない新しい魅力をアピールできるきっかけになるのかなと思った。現在でも新しい取り組みを続けていることも知り、常に新しいことに挑戦し続ける姿勢はとても大事だし、すごいことだなと思う。また、これまでの海外問わず様々な都市開発についての事例を見てきて、どれも市民参加がキーワードになっているなと思った。市民と都市の距離をどれだけ近づけるかということが都市の観光発展につながってくると思う。