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憲法9条フォーラム推進委員会ニュース No.4 2005年6月10日発行

憲法-私の言いたいこと(2) 憲法・沖縄・JSA

亀山 統一(沖縄支部)

集中する軍事基地群
 沖縄の米軍は、日本の中で突出した実に特異な存在です。面積で全国の0.3%、人口で1%足らずの沖縄島(と周辺離島)で、土地の19%が米軍基地に取られ、2万5千の大兵力が市街地の中心に駐留し、それを通信・医療・補給といった兵站施設や、陸海空の総合的な演習場がとりかこんでいます。構成部隊も、第3海兵遠征軍の司令部・主力部隊、空軍第18航空団、4軍の特殊部隊などと、この上なく攻撃的、侵略的な布陣です。それが、アジアの平和を、住民の人間らしい暮らしを、琉球列島の貴重な自然環境の保全を、阻害しています。

本土との違いは? 憲法をもてなかったこと
 このような世界屈指の高密度な複合基地群のそもそもの由来は、1944年に行われた日本軍の基地建設です。翌45年春の地上戦で米軍はこれらの基地を奪って拡大し、それらは九州の空襲、長崎への原爆投下などにも使われました。基地は戦後も返還されず、1950年には「太平洋の要石」と位置づけての軍事要塞化が始まり、「銃剣とブルドーザー」による基地拡張が行われます。
 沖縄の人びとは日本国憲法を求めて、1972年についに自らその下に「復帰」しました。基地の抜本的縮小こそ実現しませんでしたが、復帰後には部隊や施設の再編はあっても、一つの米軍基地も新設されていません。「基地オキナワ」の姿は、1944-72年、侵略戦争とそれに続く国家も憲法もない米軍の暗黒支配の時期の産物なのです。そこに、地理的重要性とか沖縄差別といった要因以上に、日本国憲法を持てなかった沖縄の本土との違いをこそ見ないわけにはいきません。すなわち、9条をはじめとする日本国憲法が、政府・与党に一貫して敵視されながらも、いかに強力に機能してきたかを証明するものが、沖縄と本土の軍事基地の違いだと言えるでしょう。

いま憲法のある沖縄で
 県民の積年の怒りは、翌95年夏の少女に対する海兵隊員の暴行事件を機に爆発しました。それに対して、もっとも危険な基地と日米両政府が公言する普天間基地に換えて、こともあろうに県内への新基地建設が日米で合意され、97年1月には辺野古の海が名指しされました。そこから始まったたたかいは8年をこえ、当初計画ではすでに海上基地が運用されているはずの今も、予定地には海底調査の足場は立っていますが、杭1本打たせてはいません。この世論と運動が依拠しているものこそ、やはり9条をはじめとする日本国憲法にほかなりません。
 このように、この60余年間の沖縄ほど、憲法というものを身近に切実に意識させる社会はないでしょう。
 有事法制が着々と「整備」され、世界規模で共同行動するための在日米軍・自衛隊の再編が全国ですすんでいます。昨年は、大学に軍用機が墜落し、米軍に構内が占領されるという事件さえ起こりました。それでも私たちは憲法を武器にたたかうことができます。しかし、9条をはじめ日本国憲法が改変されてしまったら、私たちは何に依拠できるというのでしょうか。JSA沖縄支部は米軍統治下の1969年に設立され、戦後60年の今年、36年目を歩んでいます。9条をまもる、憲法をまもる取り組みには、私たちの歴史と将来に向けた存在意義とがかかっており、いまこそ正念場にいるのだと感じています。行動が必要です。