沖縄復帰30年と基地の役割
亀山 統一(JSA平和問題研究委員会・沖縄支部)


1. 復帰後も続く「基地オキナワ」
 沖縄県には25市町村に在日米軍施設が38施設238km2(専用施設は37施設234km2)があり、県土の1割を占める。加えて、訓練空域が20空域95千km2、訓練水域が29水域55千km2、常設されている。一方、138万の米軍兵力(2000.9)のうち、海外には26万が駐留している。沖縄の兵力(25〜27千)は、在日米軍の半数・全海外兵力の1割に及び、特に海兵隊と空軍に集中して配置されている。
 沖縄には、空軍、海兵隊、特殊部隊などの機動性の高い部隊群が多数・高密度で陸・水・空域を占有して活動している。これが慢性的な「基地問題」をつくり出す基本構造である。このような基地の集中を可能にしたのは、沖縄戦以降、27年間にわたる米軍の直接統治である。住民が国家も憲法ももたないもとでこそ、米国は沖縄に自在に基地を維持し拡張整備することができた。この基地の集中は復帰後も、冷戦体制のもとで日本政府によって維持された。いま、冷戦後の米国の対アジア・太平洋戦略の新たな拠点化が狙われている。

2. 安保再定義と沖縄基地再編の狙い
 1995年夏の海兵隊員による女子児童暴行事件は、基地撤去の巨大な運動を沖縄に呼び起こし、全国でも日米安保条約支持の世論が半数を割り込んだ。日米両政府は、その対策を最優先課題にしつつ、日米安保再定義を進めた。沖縄問題の対応のために、SACO(沖縄に関する特別行動委員会)が設けられ、1996年末に最終報告が発表された。翌97年には、日米安保の範囲が地球規模に拡大し、米国の戦争への日本の参戦を意図する新ガイドラインが発表された。
 SACO最終報告では、海兵隊施設を中心に12施設の移設・一部返還が合意された。これは、新世界戦略のもとで機動性の強化を進めるために、海兵隊航空基地と大規模軍港の新設を核として、沖縄基地の新鋭化と配置の最適化を狙ったものといえた。さらに、沖縄の負担を軽減するとして、米軍の訓練等が本土に移転・拡大され、自衛隊との共同も急速に強化された。
 沖縄県民は名護市住民投票などでこれを拒否するが、政府・与党は、国政のすべてを安保・基地の負担とリンクさせ、基地と引き換えの利益誘導・地域振興策を公然と明言して推進するという手法を編み出した。一方で、あらゆる手段を用いて、各個撃破的に首長選挙にてこ入れして勝利し、態勢を整えた。ところが、保守首長が「現実的」政策として公約した、基地の使用期限、基地使用協定の締結などの新基地受け入れの条件は、実際には実現不可能であった。また、自然環境の保全の観点から日本科学者会議をはじめ、環境団体・学術団体が続々と新基地建設中止を求めるなど、予期せぬ障害が生じ、7年以内の完工という当初計画は破綻した。
3. 在沖米軍再編に影響を及ぼす3要因

 (1) 東アジアでの柔軟な駐留態勢(機動性の強化) 2000年10月に「米国と日本−成熟したパートナーシップに向けて」(いわゆるアーミテージ報告)が発表された。同報告では、日本に集団的自衛権の行使までも迫って、より「対等」な軍事同盟関係、つまり、米国の戦争に全面参戦する体制づくりを求めた。また、米軍駐留の見直しを進め、米軍の任務遂行能力を維持しつつ基地負担を軽減するよう提言している。沖縄基地は、過度な集中が訓練の制約ももたらしているとして、海兵隊の展開や訓練のアジア・太平洋地域への分散を求めている。これは、SACOの発想をアジア・太平洋全域に拡大したものといえる。米国は在韓米軍についても、SACOと全く同じ手法で再編強化を図りはじめた。基地を持たないフィリピン、タイ、オーストラリアなどとも合同演習を強化し、米軍の柔軟な配備態勢を整えている。同時テロ後も、アフガン攻撃にこそ在沖縄部隊は参加しなかったが、対テロ攻撃の矛先が拡大するもとで、フィリピンを中心に在沖縄米軍の東アジア諸国への機動的に展開は、強化されている。

 (2) 「能力に基づく」軍事体系の採用(兵器のハイテク化) ブッシュ政権は、これまで米国がとっていた「ソ連やイラクなどの『脅威』があるのでその対応に必要十分な軍事体系を取る」という建前を転換し、敵に関係なく、超大国たる米国の国力や科学・技術など自らの『能力』に応じて強化し続ける軍事体系を採用した。新軍事体系の核心は超ハイテク兵器体系の導入であり、軍事予算を劇的に増額して、ミサイル防衛、次世代戦闘機などの開発・生産・配備を進めている。ハイテク兵器は高価だが、大兵力の投入を要さず、自国兵士の犠牲を最小にできるので、素早く攻撃を開始し、しかも国内の反戦運動を避けるのに有利である。戦場で最後に必要なのはマンパワーだとする制服組の強い抵抗もあり、QDR(「4年ごとの国防計画の見直し」)では兵力重視の方針も捨てられていないが、ハイテク兵器への傾斜は決定的に見える。

 (3) 中国脅威論の台頭 米国は経済大国への道を歩む中国をすでに脅威とみなし、情報収集艦の頻繁な派遣や電子偵察機不時着事件(2001.4)などを起こしている。日米新安保において中台問題を周辺事態に含めるのかという問題などを焦点として、日米と中国の関係は著しい悪化を見せたが、同時テロ後にやや沈静化するなど複雑な国際情勢を反映して揺れている。米政府に近いシンクタンクのランド研究所の報告(2001.5)は、近い将来、中台衝突が起こって米国が参戦する事態を想定して、沖縄南部に米軍前線基地を設置するよう提言している。それには宮古の下地島空港が有望視され、補助的に那覇空港、普天間基地、伊江島飛行場の使用可能性も指摘している。それに呼応して、沖縄県内の民間空港への米軍機の着陸回数は、2001年には前年の6倍に増加し、下地島空港25回・波照間空港13回と先島地方を集中的に海兵隊が利用する状況となった。冷戦を支えた「太平洋の要石」沖縄は、今度は対中国の軍事拠点として認識されて再編されていく可能性がある。経済的基盤では弱小に過ぎない「ならず者」と異なり、中国を仮想敵とすると、日米軍事同盟は、21世紀の長期にわたる存在理由を手にすることになる。中国と日米の軍事力格差は今でこそ大きいが、中国が核兵器保有国である現実と、その経済的技術的潜在力を考慮すれば、容易に日米安保の重要な存在理由とされうる存在である。中国脅威論は沖縄基地の新たな強化・固定化をもたらす論理として看過できない。

4. 「対テロ戦争」開始後の新局面
 同時テロ後、日本が米国の武力報復路線に協力するなかで、修学旅行を中心に沖縄への観光客は激減し、地域経済は大打撃を受けた。主要な在沖部隊はアフガニスタンへは派遣されなかったが、対テロ戦争に海兵隊や特殊部隊などが参加し、原潜寄港も倍増した。一方、米軍関係者による事件・事故も多発し続けている。有事法制化で沖縄は逃げ場なく軍事協力を強要されることが容易に想像され、地元の反対が強いなかで、来沖した日米の首脳は有事法制定への強い意欲を相次いで表明した。
 こうした状況下で、2002年7月に、政府は代替施設協議会において沖縄県・名護市に、辺野古沖のリーフ上に2500×730m規模の埋立工法による基地建設案を発表した。これは、1997年案を大幅に上回る規模で、辺野古沖の最も生物相の豊かなリーフ上に、完全に海を破壊する埋立工法で基地を建設するという点で、米軍の運用性のみを考慮した最悪の選択といえる。地元自治体が要求していた15年使用期限、使用協定締結などは先送りされた。この航空基地の完成は早くても2015年である。したがって、1996年海上基地案当時の「ならず者国家」への対応から、現時点では、中長期ヴィジョンにみられる中国脅威論のようなより強大な「敵」を見据えた軍事拠点へと、沖縄米軍基地再編の根拠がシフトしていることに注意する必要がある。
 ところで、沖縄本島では、このような安保政策の文脈のなかで、「基地と引き換えの」大規模公共事業が展開されてもいる。自然環境という基盤や地場産業発展の可能性を掘り崩し、軍事に支配され続ける路線は、必ず克服されなければならない誤った政策である。


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