2. 自民党文教部会案の検討

2-1. 自民党文教部会案のポイント

 自由民主党文教部会・文教制度調査会は、5月9日、「提言 これからの国立大学の在り方について」(以下「提言」とする)を公表した。提言は、「はじめに、1.今後の高等教育政策の在り方、2. 国立大学の運営の見直し、3. 国立大学の組織編成の見直し、4. 国立大学の独立行政法人化、5. 高等教育・学術研究への公的投資の拡充、6.今後引き続き検討が必要な重要課題 」で構成されている。

 「提言」は、「はじめに」で、「これからの国立大学の在り方について」の議論の仕方について、「『高等教育行政』について論ずる前に、まず、国としての『高等教育政策』のあり方について論ずるべきである」と述べ、これを受けて、「1.今後の高等教育政策の在り方」では、「高等教育政策」の「3つの方向(@国際的競争力の強化と世界水準の教育研究、A大学の個性化・多様化、B教育機能の強化)」と「3つの方針(@競争的な環境の整備、A規制緩和、B高等教育等への公的投資)」を掲げる。「3つの方向」は「提言」のいう「高等教育政策」の目的であり、「3つの方針」がそれを実現する手段の関係にある。そして、「2. 国立大学の運営の見直し」以下で、「3つの方向」と「3つの方針」を念頭に置いた具体的推進策を論じている。「はじめに」と「1.今後の高等教育政策の在り方」は、「提言」の総論部分にあたり、「2. 国立大学の運営の見直し」以下が「提言」の各論部分にあたるといってもよいであろう。
 「提言」の総論部分のポイントは、「提言」のいう高等教育政策を強調することによって、教育行政の在り方を定めた教育基本法10条やその上位規範である憲法23条・26条の議論を回避し、
高等教育の内容への国の介入を正当化するところにある。すなわち、憲法23条・26条さらには教育基本法からすると、国はそもそも教育条件については積極的に関与し、教育内容については可能な限り謙抑主義を守ることが要請されてくるのだが(注1)、「提言」では競争原理の導入と称して、教育条件に対する国の関与や規制については緩和し、教育内容に対しては積極的な関与を行うという誤った規制緩和論を主張しているのである。
 「提言」の各論部分のポイントは、「提言」は調整法又は特例法によって大学の特性を踏まえるとしているが、実際には、「提言」自体が述べるように「調整法(又は特例法)」自体が「通則法の基本的な枠組みをふまえ」たものであって、いわゆる通則法下の国立大学の独立行政法人化で提起された諸問題を克服したものではないということである。以下、「提言」の問題点を検討してみよう。


(注1)
憲法第23条〔学問の自由〕
 学問の自由は、これを保障する。
憲法第26条〔教育を受ける権利、教育を受けさせる義務、義務教育の無償〕
 すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。
(2)すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。義務教育は、これを無償とする。
教育基本法第10条(教育行政)
 教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負つて行われるべきものである。
(2)教育行政は、この自覚のもとに、教育の目的を遂行するに必要な諸条件の整備確立を目標として行われなければならない。

2-2. 教育研究機関たる大学に及ぼす影響
(1) 学問研究の自由と大学の自治をめぐって


 独立行政法人制度は、すでに論じてきたように政府の行財政改革の要請から設計された制度である。すなわち、まず、行政機能を、「企画立案部門」と「実施部門」を分離する。次に、後者を外部化(=権利義務の主体化)し、そこに「市場原理」を導入して「実施部門」の業務の効率化および減量化をはかる。しかも、「企画立案部門」による「実施部門」に対する様々な関与の仕組みが用意されていている(「企画立案部門」は、人体でいえば「頭」に相当し、「実施部門」は「手足」に相当する)。
 このような仕組みに対して、小早川光郎東京大学教授(行政法)は、次のように述べる。「通則法の定める種々の仕組み、たとえば主務大臣による法人役員の任命(20条)や、主務大臣による中期目標の指示、法人の中期計画の作成と主務大臣による認可、主務省評価委員会による業務実績評価等々の、法人業務運営に対するコントロール(27〜35条)の仕組みが、大学自治の原則および通則法自身の掲げる“法人の業務運営の自主性への配慮”の要請(3条3項)にもかかわらず、大学の教育内容に対する政府統制の強化をもたらすおそれが強いという点にある」。

 このような独立行政法人制度のもつ問題点に対し、「提言」は、教育研究機関としての大学の特殊性をふまえた調整法又は特例法を設けることによって通則法に修正を加えようとする。「提言」でいう「調整法(又は特例法)」とは、「通則法の基本的な枠組みをふまえつつ」、大学の特性を踏まえた措置をするものとされ、その中でも、@基本組織、A目標・計画、B評価、C学長人事、D名称、の5点については、現在の大学改革の推進と国と大学との関わりという観点から、「法律上明確に規定する」ことをさして、「調整法(又は特例法)」と言っているのである。しかし、それは、以下に述べるように独立行政法人制度のもつ本質的な問題点を解決したものとはなっていない。

【基本組織】についてであるが、「提言」は、学長の権限を強化し、教授会の「自治」を見直すことも念頭においており、大学の自治という点から到底認められる内容のものではない。

【目標・計画】通則法は3〜5年という短期間で評価を確定する仕組みを採用しているが、短期的かつ効率的な研究が優先して行われ、基礎研究を含む学問研究全体の健全な発展に重大な影響を及ぼすという批判を考慮してか、「提言」は各大学の主体性を尊重し、大臣が計画を認定する際には「専門の学識経験者の意見を聴く」としている。しかし、中期目標の策定や中期計画の認可の主体はあくまでも主務大臣にあり、大学側の主体性の「尊重」や「専門の学識経験者の意見」の反映が最終的に保障される制度設計とはなっていない。

【評価】「提言」は、第三者評価機関の評価結果を尊重すべきとしているが、通則法の評価組織機構自体はそのまま受け入れている。通則法は、国立大学が独立行政法人化された場合には、評価機関として、文部科学省と総務省による評価を予定していている。これらの評価機関が、それぞれいかなる基準で独立行政法人の業務を評価するのか、とりわけ、行政改革を推進する立場にある総務省による評価が高等教育の評価に馴染むのか疑問のあるところである

【学長人事】通則法では「法人の長=主務大臣によって任命された者」となっていたものを、「法人の長=学長」としていることは、一般論としては肯定的評価をしてもよいであろう。しかし、「提言」は、学長選挙のあり方について「学外の関係者と学内の代表者(評議員)からなる推選委員会を設けた上で、これに『タックス・ペイヤー』たる者を参加させるなど」の選考方法の適正化を図るべきである、という。これは、大学の自治論とは異質な制度の導入であることから、慎重な対応が必要となろう。また、もともと通則法の前提としている独立行政法人は、国から「独立」した一種の経営体となることを前提としてるので、現在進められている国立大学の法人化は、経営面での強化を伴い、ひいては学長には経営感覚のすくれた人が選ばれる仕組みが採用されたり、あるいは事実上そのようになる恐れもある。「提言」の中では、なお書きという形式ではあるが、経営面での体制を強化するため、経営担当の「副学長」や「学長補佐機関」の新設を提案していて、かかる提案と学長選挙の在り方次第では、教育研究のための組織である学部を基礎にしてできた従来型の国立大学の管理運営システムに対して経営面からの見直しのが一挙に促進されると思われる(注2)。


(注2) その結果、国立大学の法人化は、従来のシステムに加え、もっぱら経営にあたる部局組織を新たに設置するなどの対応が求められることになる恐れがある。この点につき、小早川教授は、次のような危惧をかくさない。
「独立行政法人という方式が、国立大学全体について、教育研究のための大学の組織と、法的にはその設置者となる法人の経営機構とを分離し、前者を後者に従属させるものであるとすれば、それは、学問の自由な展開を支えるべきものとして形作られてきた現在の制度の趣旨を大きく歪める結果となろう。」



【名称】「提言」では「国立大学法人」にするとしている。しかし、これは、単に名称が「独立行政法人」から「国立大学法人」に変わるだけであり、名称の変更によって通則法の仕組みそのものが修正されるわけではない。
 以上、「調整法(又は特例法)」によっては、独立行政法人制度のもつ本質的な問題点を解決しえないのである。

 ところで、「提言」は、「わが国の大学教員の関心は、ともすれば研究に偏り、教育面がおろそかになる面があった」と指摘している。つまり、「教育と研究の統一」という観点はない。また、研究面に限定しても、「提言」のいう「高等教育政策」なるものを前提として、それに貢献するかぎりにおいては研究の価値を承認する、とでもいうべき方向性を「提言」が色濃くもっているのである。その結果、"教育研究政策に忠実である限りにおいて、その研究は公共的な性格を有するといえ、従ってそこに国家の「資源」を「重点配分」する”という論理が導かれる。このような論理が貫徹されるならば、もはや学問の自由というものはなく、「国家あって大学(学問の自由)なし」という状況が生まれるだけである。このような状況はまた、任期制度の全面適用によってさらに促進されよう。結局、「提言」のいう「高等教育政策」に忠実に従事する教職員は生き残っても、自然科学であれ、人文社会科学であれ、学問に必須の批判的精神をもった研究者は、育たないであろう。


(2) 教育機関たる大学


 国民の教育権という点からも問題がある。国立大学の独立行政法人化は、民営化も視野に入れつつ、市場原理や受益者負担論を高等教育の現場に導入するものであり、その結果、
学費の値上げなどが行われ、教育の機会均等(国民の教育権の保障)を脅かす恐れがある。
 また、琉球大学は、日本復帰以前には、県民によって支援され、またその期待に応えて、沖縄の必要とする人材を育成し、学問研究を通して地域文化の向上に寄与することによって、地域の新興・発展に多大の貢献をなしてきた。日本復帰後も、離島県であり、また所得水準の低さという事情は変わらず、琉球大学に対する県民の期待は以前にも比して増し、地域におけるその役割、地域への貢献も増大してきた。この歴史的経緯を踏まえると、
琉球大学の研究・教育機関としての規模、機能は減ぜられてはならず、したがって、それを減ずる可能性のある独立行政法人には反対である。


引用資料:小早川光郎「国立大学法人化問題に寄せて」書斎の窓1999年11月号18頁以下


2-3. 独立行政法人化が教育・研究に与える影響


 研究教育制度の抜本的改善のための制度改革を行うならば、独立行政法人の枠組みを排除し、研究基盤の底上げ的改善と安定した研究環境の保障に基づく制度改革が必要である。通則法を基底とする限り、教育研究水準の向上はかえって阻害される。

(1) 学術の基本的性格との矛盾


 そもそも、教育・研究は市場原理に基づく競争になじまない。研究の場において、科学者は、自然、人文、社会科学を問わず、自らの分野で常に切磋琢磨しており、その意味では厳しい競争的環境にある。教育においても、自らの分野の次世代育成は、自らの研究活動にも、専門分野の発展のためにも欠かせない課題である。また、大学教員の多くは、少ない経費と限られた時間をやりくりして、教育それ自体を重視して傾注してきた。しかし、
大学における研究教育活動やその成果は、3〜5年で目標達成を客観的指標をもって評価できる性格のものではない。しかも、その主たる評価軸は、配分された予算に対する効率性や社会(=産業)への短期的な成果移転にあるのであって、大学や大学教員は、教育研究に本質的になじまない物差しによって、その命運を左右されることになる。
 このような歪みは、「評価に基づく予算の重点的配分」や企業型の会計制度などの財政制度によって助長される。また、学長人事が自主的に行えなくなれば、大学の執行部ははっきりと管理機関となり、私たちの研究教育の守り手ではなくなることになる。

(2) 研究資金の重点配分による歪み

 独法化は、政府の行財政改革の一環として実施されようとしているものであり、教育・研究への財政支出の抜本的な見直しを前提としている。自民党の文教部会案の答申でも、
基盤的経費の保障はされていない。学術の底上げではなく、目に見えやすい短期的成果に資金が集中しがちとなる。
 この矛盾は、1997年度の科学技術白書(第一部第二節 P.21,23)において、科学技術庁の委託により、政策科学研究所が国立試験研究期間の中核的研究者を対象に行った調査の結果に如実に現れている。
 重点配分主義のプロジェクト研究においても、研究の最大の成果は、自由なテーマ設定(P1〜3)など自分の関心に沿った研究活動の保障された場合であることがわかる。他方、阻害因子の4番にあるように、研究組織評価(M4)は研究をむしろ阻害している。これに予算申請のための書類、内部の審査委員の選出と決定プロセス、一年もない予算消化期間(M2)の後に成果報告書を書かせる「雑務」の増加により、研究に注力できる生活(P6)は破壊される。
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 この結果に明らかなように、均等に配分される基盤的経費の保障こそが、最大成果を上げているのであって、国や研究所内での重点的配分や共同研究などは、一般に配分額が大きいにも関わらず、基盤的経費以下の効果しか持っていないのである。本調査は、研究所を対象としているものである。より基礎的で多様な研究分野をもち、また教育機関でもある大学では、基盤的経費(校費)の重みはさらに大きいのが実態であろう。
 しかし、すでに文部省は本年度から教官当・学生当の積算校費単価制度を廃止し、大学に配分される基盤的経費は、従来の非実験系修士講座のレベルに激減させ、重点配分に大きなウエイトを置くことに変更された。本年度のみは各大学に対して従来なみの配分を行うと説明されたが、「厳しい財政状況の中、限られた財源の中で経費の一層の合理化・効率化・重点化を徹底することとして、各種の経費を節減した」配分が行われた。その結果、予算科目「校費」の当初配分額は下表のように変化した。

(平成11年度)      (平成12年度)
・千葉大学 6,529百万円   6,442百万円
・新潟大学 5,812百万円   5,652百万円

 このように、教育研究特別経費の廃止で光熱水費は全て校費から支出することになった上に、その校費配分額も、1億円前後も削減されているのである。政府・文部省のいう財政的保障とは、このようなものであることがわかる。

(3) 若手研究者・次世代の青年への悪影響


 独法化では、学術・研究の中心的な担い手である若手研究者にとって、地位や雇用の不安定が加速することが予測される。大学院定員の大幅拡大にも関わらず、若手研究者が容易に研究職、教育職となれない現実がある。独法化によって任期制が積極的に導入されたり、成果によって機関や個人が評価を受けることになれば、若手研究者の研究基盤は非常に不安定化するとともに、若手は短期的成果の上がる分野に集中して、そこでの研究に全力を注がざるを得ず、教育に注ぐエネルギーは劇的に低下するであろう。
 しかも、次世代の担い手である、学生、院生のおかれた劣悪な教育研究条件については放置され、独法化によって、学費等の経済的負担の増大さえ現実のものとなるのである。
 長期的に見て、我が国の研究教育水準、国民の知的水準を著しく低下させるであろう。とくに、沖縄にあっては、琉球大学が旧帝大なみの扱いを受け続けることにでもならない限り、現状の研究教育体制を存続させることも困難である。他に国立大のないこの地域に、著しい不利益をもたらすことが懸念される。


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