3. 独立行政法人化のねらい

3-1. 初等中等教育における教育改革


(1) 現在進行中の教育改革の背景・経緯


 現在、わが国の教育をめぐっては、小学校から大学・大学院に至る全教育体系において、現行教育制度の根幹を定めた憲法・教育基本法の基本原理・原則を覆すような制度改革が急ピッチで進んでいる。この「教育改革」は、橋本元内閣で提起された「行政改革」「金融改革」「経済構造改革」「財政構造改革」「社会保障改革」といった「六大改革」の一環であり、現在まで基本的な性格の変更はなく、引き継がれていると言ってよい。
 今、政府主導によって進められている教育改革の中心は、教育基本法の見直しと義務教育や大学教育への市場原理の導入、といった点にある。事実、森首相の私的諮問機関である「教育改革会議」(座長:江崎玲於奈氏)においても、これらは重要な検討事項に位置づけられている。最近、「教育改革会議」から、「公立小・中学校、高校の民営化(独立行政法人化)」構想が打ち出されてきたことには、特に注意しなければならないであろう(『日本教育新聞』2000年6月9日)。
 以上のことからすると、現在の教育制度改革は、いじめ、不登校、学級崩壊等々に見られるような教育の深刻な現状解決を、その主要な内容としたものではないことがわかる。つまり、現在進行中の教育改革は、政治、経済、財政、金融等、今日の国家あるいは体制の課題解決のための重要な一環として、位置づけられていると言える。教育改革が、教育固有の問題解決の論理からではなく、国家・体制の課題解決のそれから捉えられているのである。
 現在進行中の教育制度改革は、政府と財界主導で動いているとみることができる。これは少なくとも、1980年代半ばに設置された「臨時教育審議会」の議論以降、一貫した動きである。このような教育制度改革を支える基本原理は、「教育の自由化」論、つまり「規制緩和」と呼ばれるものである。そして、もう一つの基底となる原理は、「市場原理」(=競争原理)である。この二つの原理は、「規制緩和」により「市場原理」を促進し、また、「市場原理」の拡大のために「規制緩和」を行なう、といった相互連関を有するものである。こうした思想の背景には、今まさに突入段階にあるグロ−バルな経済競争に備えるため、創造力のあるハイ・エリ−トの育成を教育政策に求めるといった要請がある。これを目的として、現実には例えば、義務教育段階における「通学区域制度の弾力化」、公立の6年制中等教育学校の制度化、飛び入学制度の導入、大学3年で大学院進学等々、といった一部の「学力エリ−ト」のみを対象とした教育政策が、次々に遂行されてきている。
 このように、現在の教育制度改革は教育固有の課題解決の論理からではなく、国家・体制の課題解決のそれから進められ、しかも、小学校から大学・大学院に至る全教育体系で進行しているところに、その特徴があると言える。戦後の教育の歴史の中で、以上のような全教育システムに亘って、同時に教育制度改革が実施に移されているということは、なかったのではないかと思われる。

(2) 公立の小・中学校で進行中の「通学区域制度の弾力化」政策の検討


 「通学区域制度の弾力化」構想はもともと、教育改革の論理からではなく、行(財)政改革のそれから登場してきたことは明らかである。それは、行政改革委員会が1996年12月、「規制緩和の推進に関する意見(第二次)−創意で造る新たな日本」の中で提言したことを起点としている。これを受け、文部省から1997年1月24日に発表された「教育改革プログラム」の「1.(2)教育制度の弾力化」の中で、初めて盛り込まれた。3日後の1月27日に文部省初中局長通知により、通学区域の弾力的運用が各都道府県の教育委員会に通知された。そして、翌年9月21日に出された中央教育審議会答申「今後の地方教育行政の在り方について」を受け、義務教育段階の公立の小・中学校においては、「通学区域制度」の弾力化政策が、2000年4月から、東京都などで実施に移されている。また、こうした教育制度改革の思想は、1980年代半ばの臨時教育審議会の提言に、そのル−ツがあると考えられる。
 ところで、現行制度では、義務教育諸学校については、学校教育法は市町村に対し学校設置義務(第29条、40条)を課し、設置する学校が2校以上ある場合、子どもが就学すべき学校を指定しなければならない(学校教育法施行令第5条)。ただし、この指定校制度に対して、保護者が申し立てを行ない、それが相当とされる場合、学校指定の変更(学校教育法施行令第8条)や区域外就学(同令第9条)が認められている。
 確かに、「通学区域制度」は、学校選択の自由を部分的に制約する教育制度であると言える。それでは、こうした教育制度が何故、存在するのであろうか。
 現行教育制度の根幹を定めた教育立法は、憲法・教育基本法である。「通学区域制度」は、憲法第26条の「〔子どもの〕教育を受ける権利」を積極的に保障し、教育の普及を促すために設定されたものであると考えられる。また、この教育制度は、教育基本法第3条に規定されている「教育の機会均等」原理の実質的保障を実現する制度であると言うことができる。こうした点から考えると、現在進められている「通学区域制度の弾力化」政策は、現行教育法制の根幹を定めた憲法・教育基本法制を、根底から揺るがす危険性を有するものであると言える。
 「通学区域制度」の弾力化政策は、行政改革における規制緩和の流れを受け、競争原理の導入で「学校の個性化」を目指す議論から登場した。しかし、「学校」の「個性」は、こうした原理からしか出せないのであろうか。
 この政策は、すでにグロ−バルな観点から問題視され、UNESCO子供の権利委員会から改善の勧告すら行なわれている、わが国の「高度に競争的な教育制度」を是正するものではない。むしろ、進学競争を中心にした「競争」を、公立の義務教育段階の学校間にもたらすことを、制度上、容認したものである。また、この教育制度は、地方自治体の「行革」との関連では、学校統廃合の合理的な根拠に利用されるといった側面を持つ。さらに、下位の通知により、上位法である憲法・教育基本法制をなし崩しにしていくといった危険性も持つことは、特に強調されねばならないであろう。

(3) 「通学区域制度の弾力化」政策を支える教育制度の登場


 しかし、この「競争」を支えるための学校内外の制度が、整えられつつある。それが、教職員の業績を人事異動や給与などの処遇面に活用する「教員の人事考課制度」(=教員評価制度)と呼ばれる制度や、学校評議員制度等である。
 「教員の人事考課制度」は、本年4月から東京都で実施されている制度である。この制度の仕組みは、東京都教育庁の最終報告書によると、各学校の教頭が一次評価し、校長が二次評価を行なう。評価項目は「学習指導」「生活指導・進路指導」などの四つで、各項目についてそれぞれ、「能力」「情意(意欲など)」「実績」を五段階で絶対評価し、さらに総合評価を五段階で実施する。各教育委員会はこれらを基に全教員を相対評価し、人事異動や昇給の判断材料にするとされている。このような教育制度改革で教師の資質が向上し、教育をめぐる問題状況の改善につながるとは、到底、考えられない。
 「学校評議員制度」は、地域に開かれた学校づくりの推進を目的として、学校外の地域住民らを学校運営に参画させ、学校に保護者らの意向を反映させるために設けられた。学校評議員は、校長の求めに応じて、教育活動の実施など、校長の行なう学校経営に関して、意見を述べ、助言を行なうことができるとされている(学校教育法施行規則第23条の3)。この制度は、しかしながら、運用の仕方次第では、教育基本法第10条に規定されている「不当な支配」に当たることが予想される。また、教員の人事考課制度と連動した場合、その危険性はさらに、増すであろう。
 以上のようにして、個々の学校は「通学区域制度の弾力化」政策を基底としながら子ども獲得の「競争」に駆り立てられ、学校内部では「教員評価制度」に基づき、教員同士の教育実践の成果の「競争」が強いられることが予想される。その結果、「良い」学校(あるいは、「良い」教師)は生き残り、いわゆる「悪い」学校(あるいは、「悪い」教師)は自然淘汰されることになり、学校の統廃合(=リストラ)が自然に達成されることになる。こうした教育制度改革は、学校を利潤追求を主要な目的とする企業等と同質に見做し、「学校の経営」を効率・能率といった点から測ろうとすることを目的とするものだと言える。学校における教育活動が、このような効率性・能率性のみを基準として評価されることには、「教育」の特質といった点からすると問題があると言える。さらに、「特色ある学校づくり」を目的として、民間人から校長を任用する制度の導入(学校教育法施行規則第8条)も、同様なコンテキストの中で登場してきたものだと考えられる。
 こうした教育改革は、義務教育段階の公立の小・中学校だけで進行しているのではない。以上に述べてきた教育改革の構図は、基本的には、国立大学の「独立行政法人化」構想にも当てはまるものであると考えられる。


3-2. 行政改革の一環としての組織改革


 (1)で検討してきたように、義務教育段階の公立の小・中学校で進行している 教育制度改革は、「通学区域制度の弾力化」政策を基底にしている。そして、この教育政策はもともと、行政改革委員会の「規制緩和の推進に関する意見(第二次)−創意で造る新たな日本−」(1996年12月)の中にそのアイディアが見られ、行政改革の一環であることは明白である。
 それでは、国立大学の「独立行政法人化」構想は、どのような論理で登場してきたのだろうか。国立大学の「独立行政法人化」構想は、中央省庁等再編をはじめ国家公務員の削減といった動きと密接に連動し、登場してきた。国立大学の独立行政法人化問題が再浮上したのは、1999年6月頃からである。この構想再登場の直接の契機になったのは、2001年から10年間で独立行政法人化を含め国家公務員25%削減という、中央省庁等改革推進本部の方針である。
 国立大学独立行政法人化への、より一層の推進役を果たしたのは、経団連などの財界であろう。経団連の松永恵一産業部長は、中央省庁等改革関連法案が国会に上程された際にすでに、「行政のスリム化については、90の機関・業務が独立行政法人に移行するとともに、それも含めて10年間で国家公務員の25%が削減されることになった」とトップ・シ−クレットを把握していたこと、また、今井経団連会長が行革推進本部顧問会議の座長を務めていることなどから、財界が中央省庁等再編をはじめ国家公務員の削減を主導していることは明白であろう。一方で、首相直属の諮問機関である経済戦略会議も、国立大学の独立行政法人化に関しては、民営化へのステップとし、できる限り早い時期に達成されるべきことを主張していた。
 このように、国立大学の独立行政法人化構想は行(財)政改革の要請と連動し、財界や経済戦略会議といった機関の主導により登場してきた。国立大学の独立行政法人化構想は、大学や大学教育をどのように整備、発展させていくのか、また、教育や研究をどう国家の責任で保障していくのかといった、学術研究の在り方から議論され、出されたものであるとは、全く言えないのである。


まとめ


 現在提起されている独法化構想は、わが国の国立大学と教育研究の発展を阻害するものであり、それは、独立行政法人通則法に基づく国立大の法人化をめざす限り、いかなる特例法を設けようとも解消し得ない。従って、特例法の検討等、何らかの条件が付されるかどうかによらず、この独法化構想に対しては反対の意思を貫くことが、大学人の責務であると考えられる。国民・県民の期待に応えうる大学改革をすすめるためには、市場原理や規制緩和論の導入ではなく、「教育研究はいかにあるべきで、国はその発展をいかにして保障するか」との観点から、検討を再出発させるべきである。


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