沖縄米軍基地問題の現在

2002.8.1  原水爆禁止世界大会・科学者集会(要旨)   亀山統一(JSA平和問題研究委員・沖縄支部)


1. 在沖縄米軍の概要


 在日米軍は、全国で134施設1,010km2(専用施設は89施設313km2)を使用している。このうち、沖縄県には25市町村に38施設238km2(専用施設は37施設234km2)があり、県土の1割を占める。加えて、訓練空域が20空域95千km2、訓練水域が29水域55千km2、常設されている。
 一方、138万の米軍兵力(2000.9)のうち、海外には26万が駐留している。東アジア・太平洋10万の兵力は、もっぱら日本(陸上40千)、韓国(同37千)、洋上(第7艦隊:23千)に配置されている。その他の国の駐留米軍人数は0〜数百であり、在日米軍が東アジアの安全保障に及ぼす影響の大きさが理解される。沖縄の兵力(25〜27千)は、在日米軍の半数・全海外兵力の1割に及び、特に海兵隊と空軍に集中して配置されている。
 海兵隊は、唯一の前進配備の部隊として第3遠征軍の司令部を沖縄に置いている。一部の部隊はハワイと岩国にあるが、運用の実態上、事実上沖縄に一個遠征軍があるといってよい。海兵隊こそ在沖米軍の最大の特色であり、必然的に基地問題の中心でもある。
 空軍の嘉手納基地は、兵員数(空軍7千)と配備機数(74)で海外最大の基地である。航空宇宙遠征軍、アジア太平洋唯一の空中給油部隊、海外に2ヶ所しかない空中管制(AWACS)部隊、特殊作戦群、スパイ・情報部隊などの特異で強力な作戦部隊と、空軍最大の弾薬庫・弾薬部隊をはじめとする、米軍最大規模の後方支援部隊が特徴である。嘉手納の第18航空団は、作戦、兵たん、支援、工兵、医療の五群からなる。2002年8月には、遠征能力の向上を意図して、兵たん群、支援群を再編して、任務支援群と整備群がつくられる。
 情報・通信、医療、輸送、補給、整備などの後方支援機能も、4軍を通じて高度に整備されており、これが太平洋の要石たる沖縄の基地の最大の特徴のひとつである。
 沖縄には、陸軍(グリーン・ベレー)、空軍(レッド・ベレー)、海兵隊(31MEU)の特殊作戦部隊が常駐している。海軍特殊部隊(シールズ)も、頻繁に沖縄で活動している。これらは、冷戦後に、より重視されてきている部隊である。
 このように、空軍、海兵隊、特殊部隊などの機動性の高い部隊群が多数・高密度で陸・水・空域を占有して活動していることが、慢性的な「基地問題」をつくり出す基本構造である。このような基地の集中を可能にしたのは、沖縄戦以降、27年間にわたって米軍の直接統治がなされたためである。住民が国家も憲法ももたないもとでの米軍の長期の独裁政治によってこそ、沖縄に自在に基地を維持し拡張整備することができたのである。このことは、有事法制化、改憲が必然的にもたらす方向を示すものとして、いま特に注目する必要がある。
 この基地の集中は復帰後も、冷戦体制のもとで日本政府によって維持された。いま、冷戦後の米国の対アジア・太平洋戦略の新たな拠点化が狙われている。

2. 安保再定義と沖縄基地再編の狙い
 1995年夏の海兵隊員による女子児童暴行事件は、基地撤去の巨大な運動を沖縄に呼び起こし、全国でも日米安保条約支持の世論が半数を割り込んだ。日米両政府は、その対策を最優先課題にしつつ、日米安保再定義を進めた。沖縄問題の対応のために、SACO(沖縄に関する特別行動委員会)が設けられ、1996年末に最終報告が発表された。翌97年には、日米安保の範囲が地球規模に拡大し、米国の戦争への日本の参戦を意図する新ガイドラインが発表された。
 SACO最終報告では、海兵隊施設を中心に12施設の移設・一部返還が合意された。これは、新世界戦略のもとで機動性の強化を進めるために、海兵隊航空基地と大規模軍港の新設を核として、沖縄基地の新鋭化と配置の最適化を狙ったものといえた。さらに、沖縄の負担を軽減するとして、米軍の訓練等が本土に移転・拡大され、自衛隊との共同も急速に強化された。しかも、これらに要する経費は日本の負担とされた。
 沖縄県民は名護市住民投票などでこれを拒否するが、政府・与党は、国政のすべてを安保・基地の負担とリンクさせ、基地と引き換えの利益誘導・地域振興策を公然と明言して推進するという手法を編み出した。一方で、あらゆる手段を用いて、各個撃破的に首長選挙にてこ入れして勝利し、態勢を整えた。
 ところが、保守首長が「現実的」政策として公約した、基地の使用期限、基地使用協定の締結などの新基地受け入れの条件は、実際には実現不可能であった。また、自然環境の保全の観点から日本科学者会議をはじめ、環境団体・学術団体が続々と新基地建設中止を求めるなど、予期せぬ障害が生じている。今後、海兵隊航空基地の位置や工法が発表されれば、生態系保全や防災の観点から、より具体的な批判や疑問の集中砲火を受けるのは必至である。さらに、「沖縄振興策」に伴う事業の中には、泡瀬干潟埋立のような採算の見込みもないリゾート開発など、無法な大規模公共事業もあり、これらが厳しい批判を受け始めるようにもなっている。結局、新基地建設に向けた妥協の余地を見いだすことができず、SACOの設定した期限の迫った現在、日米両政府の作業は完全に停滞してしまった。

3. 在沖米軍再編に影響を及ぼす3要因
(1) 東アジアでの柔軟な駐留態勢(機動性の強化)
 2000年10月に「米国と日本−成熟したパートナーシップに向けて」(いわゆるアーミテージ報告)が発表された。同報告では、日本に集団的自衛権の行使までも迫って、より「対等」な軍事同盟関係、つまり、米国の戦争に全面参戦する体制づくりを求めた。また、米軍駐留の見直しを進め、米軍の任務遂行能力を維持しつつ基地負担を軽減するよう提言している。沖縄の基地については、過度な集中が訓練の制約ももたらしていることから、海兵隊の展開や訓練のアジア・太平洋地域への分散を求めている。これは、SACOの発想をアジア・太平洋全域に拡大したものといえる。
 米国は在韓米軍についても、SACOと全く同じ手法で再編強化を図りはじめた。基地を持たないフィリピン、タイ、オーストラリアなどとも合同演習を強化し、米軍の柔軟な配備態勢を整えている。同時テロ後も、アフガン攻撃にこそ在沖縄部隊は参加しなかったが、対テロ攻撃の矛先が拡大するもとで、フィリピンを中心に在沖縄米軍の東アジア諸国への機動的に展開は、強化されている。

(2) 「能力に基づく」軍事体系の採用(兵器のハイテク化)
 ブッシュ政権は、これまで米国がとっていた「ソ連やイラクなどの『脅威』があるのでその対応に必要十分な軍事体系を取る」という建前を転換し、敵に関係なく、超大国たる米国の国力や科学・技術など自らの『能力』に応じて強化し続ける軍事体系を採用した。新軍事体系の核心は超ハイテク兵器体系の導入であり、軍事予算を劇的に増額して、ミサイル防衛、次世代戦闘機などの開発・生産・配備を進めている。ハイテク兵器は高価だが、大兵力の投入を要さず、自国兵士の犠牲を最小にできるので、素早く攻撃を開始し、しかも国内の反戦運動を避けるのに有利である。戦場で最後に必要なのはマンパワーだとする制服組の強い抵抗もあり、QDR(「4年ごとの国防計画の見直し」)では兵力重視の方針も捨てられていないが、ハイテク兵器への傾斜は決定的であるように見える。

(3) 中国脅威論の台頭
 米国は経済大国への道を歩む中国をすでに脅威とみなし、情報収集艦の頻繁な派遣や電子偵察機不時着事件(2001.4)などを起こしている。日米新安保において中台問題を周辺事態に含めるのかという問題などを焦点として、日米と中国の関係は著しい悪化を見せたが、同時テロ後にやや沈静化するなど複雑な国際情勢を反映して揺れている。
 米政府に近いシンクタンクのランド研究所の報告(2001.5)は、近い将来、中台衝突が起こって米国が参戦する事態を想定して、沖縄南部に米軍前線基地を設置するよう提言している。それには宮古の下地島空港が有望視され、補助的に那覇空港、普天間基地、伊江島飛行場の使用可能性も指摘している。それに呼応して、沖縄県内の民間空港への米軍機の着陸回数は、2001年には前年の6倍に増加し、下地島空港25回・波照間空港13回と先島地方を集中的に海兵隊が利用する状況となった。
 冷戦を支えた「太平洋の要石」沖縄は、今度は対中国の軍事拠点として認識されて再編されていく可能性がある。経済的基盤では弱小に過ぎない「ならず者」と異なり、中国を仮想敵とすると、日米軍事同盟は、二一世紀の長期にわたる存在理由を手にすることになる。中国と日米の軍事力格差は今でこそ大きいが、中国が核兵器保有国である現実と、その経済的技術的潜在力を考慮すれば、容易に日米安保の重要な存在理由とされうる存在である。中国脅威論は沖縄基地の新たな強化・固定化をもたらす論理として看過できない。

 ところで、国防総省の「核態勢見直し(NPR)」報告(2002.1)は、核兵器の実戦使用をかつてなく指向し、さらに、核攻撃能力の前提とすべき「即時の非常事態」としてイラク、北朝鮮、(中台の)軍事対決を挙げた。これは、上述のいずれの要因が重視されても、在日米軍の再編方向が、アジアでの核兵器使用と不可分であることを意味している。

4. 「対テロ戦争」開始後の閉塞状況
 同時テロ後、沖縄では米軍が最高度の基地防護態勢を敷いた。政府は全国から警官を沖縄に派遣し、ほかでもない基地ゲートの警備に就かせた。沖縄県も原潜寄港情報の公開中止に同意するなどした。このように米国の武力報復路線に協力したところ、修学旅行生を中心に観光客が激減し、地域経済は大打撃を受けた。有事における基地の危険性を、人々は当然に思い起こしたのであった。国と県は「大丈夫さあ、沖縄。いこうよ、おいでよ沖縄」というキャンペーンを急きょ始めたが、「大丈夫」といえる根拠も政策もなく、国民・県民の不安を払拭する責任をなんら果たさなかった。
 長期を要するという対テロ戦争に、沖縄からは海兵隊や特殊部隊などが参加し、ホワイトビーチへの原潜寄港は、2002年1〜6月に12回と倍増した。
 一方、米軍関係者による事件・事故も多発し続けており、嘉手納基地に隣接する「安保の見える丘」ではじめて、基地周辺自治体の議員や首長が集まって抗議集会も開かれた。6月には、那覇市内の飲食店に客として来店した米兵が窃盗容疑で緊急逮捕されたが、日米地位協定に関する合意で身柄を拘束されない「急使」の身分証明書を持っていたため、釈放されるという事件が起こった。このように「公務」の際限ない拡大解釈もおこっているもとで、米軍に特権を保障している理不尽な日米地位協定の抜本改定の要求は、深く浸透してきている。
 さらに、有事法制化で沖縄は逃げ場なく軍事協力を強要されることが容易に想像されるもとで、6月には5,500名が参加して有事法阻止の県民大会が開催され、県や市町村議会でも相次いで慎重審議を求める意見書が可決された。ところが、5月の復帰30周年記念式典でベーカー駐日米国大使はが在沖米軍受け入れを県民に感謝する発言をしたのに続いて、小泉首相も、6月の沖縄全戦没者追悼式で「在沖米軍はアジア・太平洋の平和と安定に貢献している」と発言、さらに有事法制定への強い意欲を敢えて表明した。
 このような事態は、普天間基地撤去などSACO事案の停滞と合わせて、基地問題解決について閉塞感を県民にもたらし、日米政府の沖縄との「温度差」を強く感じさせている。「沖縄振興特別措置法」が施行され、それに基づく新たな「沖縄振興計画」がスタートするとはいえ、政府の「振興」策と引き換えに、平和と自然を守りたいという沖縄県民の本来の願いを封じ込められるものではない。民意にあまりに無頓着な現在の日米の軍事強化路線は、必ず厳しい抵抗に直面することになろう。
 ところで、沖縄本島では、このような安保政策の文脈のなかで大規模公共事業が展開されている。那覇空港の滑走路新設計画と辺野古「軍民共用」空港が同時推進され、嘉手納と合わせて、成田と羽田の規模をしのぐ5本の長大滑走路を持つ計画である。浦添新軍港計画とともに民間港湾の大型化大深度化も進んでいる。沖縄の経済規模から見て明らかに過剰なこれらの施設は、完成すれば軍に供用されるほかに「有効」活用の見通しは暗い。自然環境という基盤や地場産業発展の可能性を掘り崩し、軍事に支配され続ける路線は、必ず克服されなければならない誤った政策である。

 沖縄の基地問題の根本は、国際的に孤立した米国に巻き込まれて、日本が軍事に依存した20世紀型の「力の政治」を進め続けることに、いったい何の展望があるのかという問いに集約されよう。

参考文献
浅井基文(2001)集団的自衛権と日本国憲法、集英社新書
亀山統一(2002)変貌する米国の軍事戦略と沖縄基地、前衛,751
NHK沖縄放送局番組「隣人の素顔」(NHKホームページ)
平和と核の科学編集委員会(2002)平和と核の科学
毎日新聞(2002)特集 巨龍その実像
沖縄県基地対策室(2002)沖縄の米軍基地(沖縄県ホームページ)
米国防総省(2001)Defense Almanac(Defenselink)
平和新聞、沖縄タイムス、琉球新報、Pacific Stars and Stripes、しんぶん赤旗 の各記事


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