「国立」琉球大学から琉大「コーポレーション」へ !? 激変する研究・教育・労働条件
みんなで考えましょう琉大の未来 − 将来構想シンポにあたって
2002年12月24日 日本科学者会議琉球大学分会 臨時ニュース


 琉球大学将来構想委員会は、12月19日までに、「将来構想委員会各部会の検討状況報告」(以下、報告書という)を公表しました。この資料に基づいて琉球大学将来構想シンポジウムが24日午後開催されます。
 大学法人化問題が重大な展開を見せているこの時期に、琉球大学が将来構想の検討過程で教職員の意見を広く聴取し反映しようとしていることは、高く評価されます。琉球大学の未来を左右する将来構想の策定に当たっては、各部局において十分な検討のための時間と情報が保障され、それが的確に委員会に反映されることが是非必要なことです。このシンポジウムがそのための第一歩となり、これから全学の知恵を結集して改革を実現していくことが、強く期待されます。
 シンポジウムをより充実したものとするために、また各学部・学科等での検討が実り多きものになるよう、分会会員から寄せられた声をまとめ、報告書についての議論のたたき台を提供いたします。 (事務局)

「琉球大学21世紀のグランドデザイン」について
◎教育・研究の原点から出発しませんか?
 冒頭に、「グローバル化」「構造変化に呼応した改革」の波に覆われる中で「大学が旧態依然のままで停滞を続けることはもはや許されない」(報告書P.3)ことが、改革の原動力であることが示されています。本当に大学の教育・研究活動は「停滞」しているのでしょうか? 科学的な現状分析が必要です。また、琉球大学の基本理念は、アメリカ軍政府の設立時の趣旨が紹介された上で、主として「真・公・和」をキーワードとしてまとめられています。歴史的に見てもまず掲げるべき琉球大学の存在意義とは、戦火で灰じんに帰せられた沖縄の知の復興を担い、琉球列島における唯一の総合大学すなわち総合的な高等教育・研究機関でありつづけたことではないでしょうか?
◎憲法・教育基本法の教育・学問観にまず依拠すべきではないでしょうか?
 教育基本法は、教育が「人格の完成をめざし、平和的な国家及び社会の形成者として、真理と正義を愛し、個人の価値をたつとび、勤労と責任を重んじ、自主的精神に充ちた心身ともに健康な国民の育成を期して行われ」るものであることを規定しています(第1条)。初等教育から高等教育に至るまで、様々な制約による限界はありつつも、戦後一貫してこうした教育の理念が実現されるよう努力がなされてきました。
 復帰によって国立大学として再出発をした琉球大学は、沖縄県民が獲得した日本国憲法や教育基本法のもとで、県民が学問の自由や教育権を行使するために国によって保障された、高等教育・研究の「灯台」たる存在であったといっても過言ではありません。国内のいかなる地域にあっても、総合的な学問分野にわたって高等教育を受ける権利を保障することが新制大学設置の最も重要な目的の1つですが、琉球大学ほどその役割の重さを誇れる大学はないといえるでしょう。
 このように、憲法・教育基本法の理念こそ、国立の総合大学としての琉球大学が果たしてきたかけがえのない役割を最も的確に示してくれます。この誇るべき原点に依拠して、今後の大学の発展方向を考えてみてはいかがでしょうか。

教育について
◎学生を経営資源や消費者と見てしまっていませんか?
 報告書で用いられている「人材」(P.8など)という語は、学生を物的資源、教育をサービス産業と見なしているかのような誤解を生まないでしょうか。「高度の外国語運用能力」「情報処理能力」などの実務能力養成や就職指導を強調しすぎれば、大学を専門学校・就職予備校に化するおそれはないでしょうか。やはり、「21世紀の主権者にふさわしい科学的精神と倫理観を備えた個人の育成」というような教育目標を第一に掲げてこそ、大学の存在意義を明確にできるのではないでしょうか?
◎教育現場の実状と向き合うことから始めませんか?
 ますます高度な知的・倫理的能力をもつ学生の育成が期待される一方で、いわゆる「教育困難」は大学にも広がっており、専門分野の補習にとどまらず、高等学校レベルの知識の再教育、日本語表現の指導などにまで大学教育の範囲は拡大しています。
 このような状況と向き合うたスめに、大学のカリキュラムの根本的な検討や、初等・中等教育との連携を進めることが、大きな課題ではないでしょうか。それを抜きに、英語による授業の実施や、優秀な学生の獲得を掲げても、実現できるでしょうか。

研究について
◎研究の価値って何でしょうか?
 人類の知的営為の普遍的形態である学術研究について「『その研究がどのように社会に役立つか』という説明責任」(P.13)が求められているというのは本当でしょうか。「科学技術は産業、経済を発展させる基盤」「人文・社会科学は精神活動や教育、社会活動など、人間としての活動基盤を築くもの」(P.60)という科学観は、あまりに実用や応用科学・技術開発に偏重しており、科学それ自身の価値、とくに地味で時間のかかる基礎的な研究活動の価値を軽視してはいないでしょうか。
 地方大学では、研究施設・組織・費用を駆使した研究こそ困難ですが、私たちが創意工夫して時間ヤと労力も注いだ基礎研究の活動の蓄積が実を結んでいます。それを誇るべきではないでしょうか。
◎悲観的すぎませんか?
 琉大は「現状において明らかに『教育型大学』であって、学術研究の将来展望は極めて厳しい」(P.62)が、亜熱帯・島嶼などの地域特性に基づく「『沖縄学』ともいうべきオリジナルな研究テーマは他府県の追随を許さないほど豊富で魅力ある研究課題」(P.63)なので、これに特化してアピールしなければならない。加えて、独法化後は研究課題の「重点的推進と地域社会との連携なしには、その将来展望さえ見いだし得ない」(P.63)……というのが、報告書の基本認識のようです。しかし、琉球大学は琉球列島における総合的な学術研究の核として、地域の文化を支えてきました。地域社会や市民への責任を自覚しつつ、地域の信頼に依拠して本来の学術研究に邁進すべきではないでしょうか。
◎特化プロジェクトで、研究環境はよくなるでしょうか?
 今後、もし国が総合的研究機関たる琉球大学の火を消すなら沖縄県民は黙っていないでしょう。地域の期待に応えて、沖縄の知・文化の拠点たる大学の役割を発揮させる戦略こそ、琉球大学における学術研究の維持発展を保障するのではないでしょうか。
 教育と研究の分離、特化されたテーマへの重点化を安易に受け入れたらどうなるでしょう。「教育型大学」への運営費交付金は、現在の基盤的経費を大幅に下回っていくでしょう。重点分野で、研究インフラや人員ではるかに優位な「研究型大学」や国研と予算獲得を競い、その勝利に大学運営の財政基盤を託すことになります。自ら進んで、学術研究をじり貧に追い込むのではないでしょうか。
◎「産学連携×外部資金獲得=地場産業軽視」につながりませんか?
 研究面で期待される外部資金の獲得。特に、産学連携による民間資金の獲得が期待されています。しかし、沖縄の地元企業は、ごく一部を除いて経営規模が極めて零細で、財務基盤も脆弱です。既存の地場産業の振興に協力しても大学財政は豊かになりません。外部資金ばかりを当てにした産学連携策は、地元企業との協力を弱めるものにはなりませんか?

組織・人事などについて
◎強いリーダーシップが必要なら、強いチェック機能を
 「学術研究は、これに携わる研究者の独創的な発想の下に、普遍的な真理を追求する知的創造活動」(P.60)であり、教育・研究は「特定の価値基準や特定の階層の要請によって変わるものであってはならない」(P.6)。このような教育・研究の本質は、強力なリーダーが教育研究活動の方向を規定するような運営方法とはなじみません。
 また、強いリーダーシップはときに暴走を生みます。今年、雪印、日本ハム、東京電力などの日本を代表する企業で信頼を失墜させる事件が相次ぎました。いずれも、トップの判断を現場の社員がチェックする仕組みがあれば免れた不祥事ではなかったでしょうか。
 国立大学法人化の法律次第では、学長の権限強化を余儀なくされることもあるでしょう。そうなっても、教員や研究・教育組織の自主的な研究教育のあり方を保障すること、A学内総意を反映した学長選考とリコールなどチェック制度をつくることが、欠かせない課題ではないでしょうか。
◎法人化後には労使対等の労働契約でものごとが決まります
 法令で規定される国立学校の人事制度と異なり、法人化後には労働契約が人事の基本になります。当事者の同意なしには任期もつけられません。ですから、琉球大学の教職員が喜んで同意できるよう、オープンで公正な、研究教育機関にふさわしい制度設計を、みんなで考えていきましょう。

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