琉球大学教授職員会ニュース 第103号

200411月26日 琉球大学教授職員会 (内線 2023)

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「法人化」で一気に進む「大学」の「会社化」!!!

 国立大学法人法は、独立法人法とは別のものとして作成されました。言い換えれば、独立法人とは異なる性格の法人であるということで、附帯決議まで付けられて、国立大学法人法は国会を通過したということです。その違いをひと言で言えば、これまでの大学自治の伝統を踏襲すべしということです。国立大学の法人化は様々な矛盾を内包しているので、教授職員会として反対の立場をとってきました。そして、「大学」の「会社化」による学問研究の衰退を危惧してきました。「会社化」を学問研究の衰退に結びつけることは、創造的な会社運営をしている経営者の方々には失礼な言い方であることは承知しお詫びしますが、いま本学で進められようとしている「会社化」は、創造的な活動を担保するものには到底思えません。具体的には、琉球大学全学教員人事委員会規程(案)と学長選考会議の学長選出方法論議の内容の問題の重大性を指摘せざるを得ません。

 

琉球大学全学教員人事委員会規程(案)の問題性!!!

 はじめに「全学教員人事委員会」をわざわざ設置する必要のないこと、次に設置することの問題性について指摘します。ここで使用する資料は「琉球大学全学教員人事委員会規程(案)」(以下「規程(案)」と省略)ですが、二種類あります。一つは、11月に教授会審議のために農学部や工学部で配布されているもので、11月案と呼ぶことにします。もう一つは、時系列的に言えば11月案の元になったと思われるもので、こちらの方を6月案と呼ぶことにします。6月案は、教育学部で配布されました。

 6月案によれば、「審議事項」は次のとおりとなっていました。

 (1) 本学の中期目標・中期計画を達成するために必要な教員配置に関する事項

 (2) 各部局等の教員の補充に関する基本方針

 (3) 共通教育等の担当教員の補充に関する基本方針及び調整

 (4) その他、本学の教員人事に関する重要事項

 (1)(2)、および(4)は、考えてみれば教育研究評議会自体ですべきことであります。(教育研究評議会規程第4条第4号参照)その「審議」を学長が指名する議長に丸投げしてしまうことを、規程(案)は意味しています。これでは、教育研究評議会の形骸化をもたらすことになります。作業部会が必要なら、その都度課題ごとに作ればよいのであって、その場合、「審議」までもが委ねられるということにはなりません。残りの(3)については、すでに現行でも調整機関はあり、この委員会をわざわざ設置する必要はありません。教育研究評議会の議論の6月案から11月案への変更は、必要のない委員会を設置することが所詮無理であったということだと思います。その11月案には、この委員会が不要だということでは済まない問題点があります。

 要点を三つあげます。第一に、設置趣旨について第一条で、「具体的な教員採用及び昇任に関し」と6月案より11月案の方が踏み込んだ表現になっています。各学部の主体性の確保が曖昧のまま「具体的な」関与が行われることは何を意味するのでしょう。各学部の人事が適切に行われることを担保する機関として教育研究機関が機能することを目的にするなら、このような表現にはならないでしょう。ちなみに、第三条第二項は、11月案では「各学部の教員の定員の管理及び教員人事の調整に関する事項」と変更されています。その上で、第四条を改めてみると、学長指名の議長によって、しかも学部長以外はすべて学長指名の委員によって組織される委員会に、教育研究評議会で行われるべき「審議」が実態として移されるということになります。これが第二の問題点です。第三に、6月案にはなかった第八条が、すなわち「この規程の改廃は教育研究評議会の議を経て学長が行う」が付け加えられています。これは単なる規程上の整備とだけ理解することは、学長選考会議委員の発言等の状況からは難しい。都合よく「規程」を学長が変えやすくなっているように思います。

 学長に代表される大学当局の大学運営能力・経営能力は、大学全体の設計において担保されるべきものです。この立場から、全学教員人事委員会の設置を白紙に戻し、教育研究評議会が十分に機能するように提案し、学長、役員、および教育研究評議会に求めます。(ニュース101号参照)教育学部教授会はじめ、その他の学部でも同様な問題点指摘や同委員会設置に向けての否定的な意見、あるいは項目の削除や訂正などの慎重な対応を求める意見が多く出されていると聞いています。それらの各学部教授会の意見が大学運営に十分に反映されることがなければ、意思決定に参加する学長はじめ担当役員・委員の責任は免れないし、それこそ学長・当局の大学経営力量が問われることになるでしょう。

 

学長選考会議の問題性!!!

 そもそも学長選考会議は、どのような権限が与えられ、どのような役割を果たすことが期待されているかという点を確認する必要があります。(ニュース102号参照)法人化で、大学運営に関してこれまで育まれてきた伝統が無視されていいということではありません。それは、冒頭で述べた法人法の成立経過によるだけでなく、学長にリーダーシップが求められているからこそ、学長選考会議がこれまでの選出方法を否定して学内合意が得られない学長を選出することは学長選考会議の機能と責任を果たさないということです。

 学長選考会議が設置された理由は、学長にリーダーシップを担保することにあったはずです。学長のリーダーシップは、全教職員の一丸となった協力をどれだけ取り付けられるかに依存します。この点は、学長の代表正当性がどのように確保されるかに依存します。すなわち、選考会議が単に決定したというだけでは、その正当性は確保されないということです。第二回学長選考会議議事要旨(案)を見ると、学長選考会議が「学内意向投票」の結果に関係なく学長を選ぶことが会議の果たす役割であるかのような発言が繰り返し行われていますが、同会議の役割は、自主的・民主的な選考過程により代表正当性を確保し、それにより学長職を権威付けることこそにあると確認すべきでしょう。これまでの学長選挙方式を否定する主張は、その根拠を法人化されたことに求め、これからは経営が大切だとも強調しています。しかし、その「経営に秀でた」能力とはいったい何を意味しているのでしょうか。独裁的に大学を運営する豪腕を指すのでしょうか。それによって「大学」を廃業し、「知識きり売り」会社、あるいは「学識経験者派遣」会社を興そうというのでしょうか。あるいは、「運営費交付金」が毎年縮減されていく中で、民間から資金調達する手腕を指すのでしょうか。

 選挙によって選ばれた学長は教員の顔色をうかがって必要な改革ができないので、学長選挙はすべきでないという発言もあります。そうだとすると、現学長は私たちの顔色ばかりうかがって必要な改革を進められないでいるということになってしまいますが、果たしてそうでしょうか。現行の学長選出方法に非の打ちどころがないとは言いませんが、現行の選挙方式に即することを選出方法の議論の出発点とすることで、学長を支える体制が担保できるのです。そういう発言も繰り返しされているので、選考会議がその役割を果たしてくれるものと期待しているわけですが、「学長選挙」を「意向調査」に言い換えることを執拗に主張し、第三回学長選考会議では言い換えてしまっているところを見ると(第三回議事録要旨)、外部からの別の圧力があるのではないかと疑ってしまいます。

 大学内では、学長選出の方法として、これまでどおりの学長選挙方式を指示する声が大勢のようです。例えば、1110日の教育学部教授会や1124日の理学部教授会は、その意思を学長選考会議に反映するように学部長に強く求めるものになったと聞いています。教授職員会もこの立場を支持します。(ニュース102号参照)

 

 教育研究評議会および学長選考会議の論議の結果は、その後に大きな責任が伴うものです。そのような責任を負っている学長はじめ理事、委員の先生方には敬意を払うものであります。そして、その責任の遂行は、「要旨」ではなく、具体的な内容が記録された「議事録」を作成することを前提にしています。当然、重要事項の議決は記名投票で行われ、その結果は議事録に残され、公開されるべきものです。