読書の記録1999.09
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■読書記録: 30日『消費者教育の現代的課題』 27日『心理学者のための科学入門』 25日『オキナワの少年』 24日『すべては心の中に』 22日『認知研究の技法』 21日『カウンセリングと共感体験』 19日『認知心理学から理科学習への提言』 17日『わたしたちと裁判』 15日『ポパー』 12日『ことばと学び』 9日『理想の教育を求めて』

 

今月の一冊教育関係者、思考・認知・教育心理学関係者にお勧め
『認知心理学から理科学習への提言 −開かれた学びをめざして』(湯沢正通編著)


10.『消費者教育の現代的課題 −原理と実践の諸問題』(宮坂広作 1995 たいせい 消費者教育読本シリーズNo.2 \873)

 教育社会学者で消費者教育に造詣の深い宮坂氏の講演2本に、本人による補足説明が1章ついたブックレット。講演対象は、家庭科担当教員など、非(半)専門家らしく、非常に読みやすい。

 これによると、平成3年度に学習指導要領で消費者関連事項が大きく取り上げられて、教科書でも消費者問題がらみのことが重視されるようになったので、「消費者教育元年」などと言われているらしい。

 興味深かったのは、彼の考えは、消費者教育を歴史的事実や現状に基づいて正確に教え、消費生活問題について考える「歴史的・重層的」教育である、という点。それによると、戦後の消費者教育には4段階あるのだそうだ。

段階時期問題教育
高度経済成長の前の時期。戦後まもなくの粗悪商品も問題や、高度成長初期の欠陥商品の問題「より正確な商品知識」を身につけ、正当な値段で正当な商品を買うための備えをする、という教育
高度経済成長がかなり進行した段階。安全性の問題消費者団体が消費者の権利を主張し、商品の安全性について戦う
消費者の権利意識が弱いため、被害を受けても救済を求めず、経済システムも対処をおろそかにする権利意識の確立
これから環境問題公的市民として自覚し、消費行動の公共性を意識し、賢い、自立した消費者になる

 「重層的」とは、過去の問題が全部解決しないうちに次の問題があらわれる、ということ。

 その他、引用を。

 消費者教育は、単なる思考教育ではなく、行動が重要、ということか。(1999/09/30 : 木)


9.『心理学者のための科学入門』(中丸 茂 1999 北大路書房 \1400)

 帯を見ると「科学を知ると、もっと、心理学が楽しくなる!!」「サイエンチスト・ゲームではなく、サイエンス・ゲームをやろう」とあり、これが本書の基本的な主張。心理学者は、科学を学ぶ機会がないので、科学を知らない。科学を知らなければ、科学ができるわけない、という科学論の本。このあたりの主張は、(一部言い過ぎと感じる部分もあるが)おおむね賛成である。

 ところが、本書の中身がいけない。「科学の目的と方法」(1章)、「予測と制御」(3章)、「各パラダイムの科学的考察」(5章)など、一見よさそう章が並ぶが、そこに書かれていることは、定義や分類の単なる羅列が主である。それらを知ることが、どのように「心理学が楽しくなる」ことにつながるのか、まったく示されていない。本書の目的にあったストーリー性が欠如している、と表現してもいいかもしれない。

 羅列といえば、圧巻は1章1節「高校までで学ぶ科学」。このタイトルの元、足掛け7ページにも渡って、「中学および高校で、私たちが、さまざまな科目名のもとで、自然科学、社会科学、人文科学とともに、その基本的な法則や方法論・技術を学び、その基本となっている科学原則の一部を学」(p.19)んでいるかが「羅列」される。果たしてこれは「科学を知ると心理学が楽しくなる」ことと、どう結びつくのであろうか。長々とした羅列よりも、そのつながりのほうを示してほしかった。

 もう一つ本書の問題点として、引用の記述がほとんどない点が挙げられる。引用・参考文献名は巻末に3ページに渡って挙げられているが、本文中の記述(特に定義や分類)が、これらの文献のどこにどう出てくるのかが分からない。これでは本書の記述が、単なる筆者の考えなのか、誰かの記述に基づいてなされたものかが全く判断できない。たとえば1章に関して言うと、巻末には11の引用・参考文献が挙げられているが、本文中で出展が明らかになっているのは、科学の定義に関する『広辞苑』の記述のみである(そして広辞苑は、巻末のリストには載っていない)。どうやら著者は、科学論や心理学のパラダイムに関して、かなり豊富な知識を持っているようではあるが、その知識や記述の信頼性が何の形でも保証されていないと、本書の内容をこちらが引用しにくい。せっかく豊富な情報量を持っていそうな本なだけに、誠に残念である。

 著者も出版社も、どういう読者を想定し、どういうつもりでこの本を出したのかが全く分からない、謎の書である。(1999/09/27 : 月)


8.5 『オキナワの少年』(東 峰夫 1971 文芸春秋社)
 週末に遊びに行ったペンション「ファームハウス」(今帰仁村)にて読。芥川賞受賞作。終戦直後の、日本じゃないオキナワの風景。僕の知らない沖縄がほとんど(方言も含めて)だが、今も名残を感じさせる部分もあるような気がする。
 僕たちは、そういう部分とは関係なく、おいしい野草料理、薬草酒、そば、ぜんざい、ステーキを食べたり、海水浴したりして楽しく過ごしたけど。(1999/09/25 : 土)

8.『すべては心の中に −ファーナム博士の心理学講座』(A.ファーナム 1999 北大路書房 \2600)

 一般の読者が、伝統的で科学的な心理学と「大衆的な」心理学のギャップを埋めたり、心理学が扱うおよその範囲を知る、という目的の本。「心理学に対する常識的な見方と間違った考え」(1章)から始まり、「心理学は科学か」(3章)、「職場の心理学」(5章)、「近年の心理学論争」(6章)などの話題が続く。

 正直言って、期待したほど面白いものではなかった。一部には面白い話題(心理学論争など)もあったが、それ以外がどうもつまらない。それは本書の基本思想にある。たとえば7章では、「心理学常識クイズ」と銘打って、日常生活における心理学の知識が多肢選択方式で問われる(20ページ以上にも渡って!)。たとえば次のような問題である。

男性と女性双方に同じ課題を与え、どちらも同じ程度に成功した場合、
  1. 男女とも同様に評価される
  2. 女性のほうがより好意的に評価される
  3. 成功した女性は幸運とみなされる
  4. 成功した男性は幸運とみなされる
筆者によれば、正解は「3」である。正解が与えられ、一部のものについては多少詳しい説明が加えられる(上記の問題に対しては説明はなし)。これが本書の基本スタイルだが、ここに違和感がある。

 というのは、ここでは研究方法/過程(ある知見がどのような方法で見出されたか)よりも、結論(こういう場合に人はどう行動するのか)に重点がおかれているようである。もちろん、方法まで詳細に記述された研究もあるが、何十ページにも渡って出された「心理学常識クイズ」のすべてがそのような形で説明されているわけではない。これでは、読者が得るのは、絶対的に正しいものであるかのように提示された、マニュアル的な結論だけである。その結論の適用限界については何の注釈もつけられていない。
 上記の問いを常識的に考えても、誰が成功者を評価するか(男性・女性、内・外集団メンバー)によっても、その他さまざまな要因(たとえば、どんな過程を経て、どんな成功をおさめたのか、など)によっても、評価は当然変わってくるはずなのに。

 この本は、そのようなダイナミックな過程としての人間関係や心理学研究を伝えない、という意味で、「一般の読者の大衆的な心理学理解」を強めこそすれ、科学的な心理学観へとは導かない可能性があるのではないだろうか。(1999/09/24 : 金)


7.『認知研究の技法』(海保博之・加藤 隆編著 1999 福村出版 シリーズ・心理学の技法 \2400)

 久々の台風休暇なので一冊追加。

 25の認知心理学の諸技法を、それぞれ4〜6ページ読みきりで解説した本。いざというときに具体的に役に立ちそう。技法の分類がまた面白い。「認知のアーキテクチャからの分類」とあるが、車のエンジン系の働きにたとえると、以下のようになるのだそうだ。

分類該当する技法例車にたとえると
内容と構造課題分析や連想法ハードウェア
性能検査法や再生・再認変換効率
過程行動観察や反応時間やプロトコル分析エンジンから車輪へ
方略評定法や2重課題操作系
文脈エスノメソドロジーや相互作用分析車が走る場所
認知の周辺SD法や認知・感情研究

 この分類を念頭に置くと、どんな研究が足りない/可能かを考えるヒントになりそう。

 この他に、第敬瑤任蓮崘知研究の諸問題」と題して、技法選択問題、被験者選択問題、実験意図の察知問題など、認知研究を行う上で発生する諸問題を簡潔にネーミングしつつ、具体的なガイドラインやノウハウが提案されている。

 これまでにあまりなかったタイプの本で、シリーズの他の本(全部で6冊あるよう)も期待が持てそう。(1999/09/22 : 水)


6.『カウンセリングと共感体験 −共感できない体験をどうとらえ直すか』(角田 豊 1998 福村出版 \2600)

 主にカウンセリングにおける共感の意味や役割について書かれた書。理論的な記述(1・2・9章)に関しては、「何でも受容するのが共感ではない」など、目新しいと思える主張もあり、面白かった。事例の部分(3〜5章)は、なれていないせいかやはり読みにくい。

 理論の部分も、知りたかったこと(どうしたら共感的に理解できるのか)が十分に分かったとは言えないが、カウンセリングにおける共感の意味みたいなことが少し分かったので、まあよしとしよう。

 各ページとも、上の余白にポイントが学習参考書のようにまとめてあり、門外漢にはありがたい。以下はそこからの抜粋。(1999/09/21 : 火)


5.『認知心理学から理科学習への提言 −開かれた学びをめざして』(湯沢正通編著 1998 北大路書房 \2500)

 良書。(従来)学校の理科の授業で教えられていることは、学校の理科固有の思考方法(=学校知)であり、そこで学習されたことは、日常生活の問題解決には役に立たない、というのが本書を貫く基本的な考え。このような「学校知」と「日常知」の隔たりの問題が認知心理学の立場から記述され(第1部)、変革の視点や方法について論じられ(第2部)、小中高校の実践が報告され(第3部)、その実践に対する議論がなされている(第4部)

 従来的な、行動主義や認知主義からの視点ではなく、構成主義や状況主義から学校知を問い直し、日常知へとつなぐ提言がなされている点は、理科教育に限らず、学校教育全般、特に考え方を学ぶような教育を行う上でも有益な示唆になるものと思われる。(1999/09/19 : 日)


4.『わたしたちと裁判』(後藤 昭 1997 岩波ジュニア新書288 \640)

 法学部教授が中高生向けに、裁判について分かりやすく書いた本。2〜4章はそれぞれ、裁判、裁判所、法曹関係者についての、一種教科書的な説明だが、1章(髪型の自由を訴えた子どもたちの裁判例)と5章(法律と裁判の関係についての著者の見解)が面白い。

 裁判(当事者以外の誰かに判断してもらって、当事者はそれに従うという解決の方法)の歴史を大まかに言うと、神様にお願い(湯起請)⇒偉い人に決めてもらう(領主や村長など)という、基準があいまいな時代を経て、「なにかの基準に照らして、自分の判断が正しいことを示す」方法に変わっていったそうだ。
 その場合の基準になりうるものとしては、宗教の教典、先例、法律があり、現在では後者2つ(日本では主に法律)が使われている。

 しかし法律といっても、機械的に適用できるような明確なものではないので、実際には裁判によって法律の解釈が示され、それが広まっていったり、時代に応じて変化していったり、というダイナミックな過程を経ているようだ。
 この点に関しては、最後のほうに出てくる、「裁判所≠鉄筋コンクリートの建物、裁判所=大木」というアナロジーが秀逸。(1999/09/17 : 金)


3.『ポパー −批判的合理主義』(小河原 誠 1997 講談社 現代思想の冒険者たち第14巻 \2621)

 ポパーの思想だけでなく成育史も含めて述べられたポパー入門書。ややむずかし目だが、ポパーについては、もう少し深めなければ、と思う。

 ポパーの博士論文が心理学(『思考心理学の方法と問題』)というのはオドロキ。ポパーといえば反証主義だが、反証主義は1章のみで、それ以外の話題が多いのもオドロキ。音楽と科学の関わり、政治哲学、三世界論(心身2元論)、進化論的認識論、倫理の問題など、幅広く活躍していたことが分かる。しかもその根本を反証主義(つまるところは悪の排除)が貫いているのだからおもしろい。(1999/09/15 : 水)


2.『ことばと学び −響きあい、通いあう中で』(内田伸子 1996 金子書房 子どもの発達と教育第1巻 \1600)

 言語発達心理学が専門の著者が、学校のあり方、教育のあり方、子どもの学びを見直すために、ことばの育ちを中心にすえて論じた著。「学ぶ」「話す」「読み書きする」などの章立てで平易に語る。

 印象的だったのは、幼児期の文字習得の違いは、小学校入学後1学期程度で差がなくなってしまうこと。幼児期に文字習得が遅い子どもは、たまたま文字よりも他の活動に熱中した結果、たまたま読み書きが他児より遅れたに過ぎないのかもしれない。

 それだけではない。場合によっては、早い時期に文字を習得しないことが将来好影響を及ぼす場合がありうる。というのは、上記のような子は、幼児期の貴重な時間に、文字習得以外のものに熱中して自分を磨いている可能性があるからだ。

 大事なのは「表面的な学力ではなく内面の充実」ということのようだ。(1999/09/12 : 日)


1.『理想の教育を求めて』(ニューズウィーク日本版1999.9.8 SPECIAL REPORT)

 本誌の表紙には「21世紀の学校教育 どうすれば育つ 考える力 アジアは脱「丸暗記」をめざしアメリカはテスト偏重に傾斜」とある。アジア(脱暗記)とアメリカ(テスト重視)の対比はおもしろいが、アジアに関しては「どうすれば育つ」についてあまり触れられていないのが物足りない。また、思考力、創造性、批判的(思考)の区別が明確になされていないのも残念。どうやらこの中では、(アジアで望まれている)思考力=創造性のよう。(1999/09/09 : 木)

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