読書と日々の記録2002.06上
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■読書記録: 12日『アフォーダンスと行為』 8日『学生参加型の大学授業』 4日『学ぶ意欲を育てる』
■日々記録: 13日保育参加 9日胼胝じゃなくてイボだった 6日チャウチャウと言う娘(1歳9ヵ月) 3日クイズを出す娘(3歳11ヵ月)

■保育参加
2002/06/13(木)

 午前中,「保育参加」に,夫婦で行ってきた。参観ではなく参加,いわば参与観察である。1年ぶりだ。私は最初に,上の娘(4歳)のいるクラスに参加した。最初は自由遊びだったのだが,すぐに子どもたちがワラワラと寄ってきて,膝に座ったりよじ登ったり。まあうちでもよくある光景なのだが,人数が違う。ちょっとしたガリバー気分だった。女の子が多かったので,モテモテ気分だったともいえる。

 続いて朝のご挨拶。そのあとはもう順序は覚えていないのだが,お歌,ミニリトミック,絵本の読み聞かせ,「こうぎだい」なるものを使った運動,などがあった。こうぎだいは,どういう字を書くのかわからなかったのだが,平均台みたいなヤツや滑り台みたいなヤツになるセットである(妻に聞いたら,「巧技台」だそうである。巧みな技を見せる台,か)。

 昨年と比べると,段違いと言ってもいいくらい子ども同士の相互交流が増えている。結果的にケンカになったりもするのだが。大人にも平気で寄ってくるし。そういう年齢なのだろう。年齢といえば,給食は自分で自分の分が取りに行けるようになっているし,食べ終わったら誰に言われるでもなく,かたづけて歯磨きしてお着替えするし,昨年からすると,すごい進歩である。というか,うちでの様子からは,ここまでできるとは思っていなかった。コイツ,うちでは隠してやがったな。なんて思ったりして。

 あと,昨年と比べて,ますます「学校」っぽくなっていると思った。といっても,昨年のことはあまり詳しく覚えてはいないのだけれど。でも,先生の号令の下,みんなで何かするとか。順序を守らせるとか。してはいけないことのルールが明確になっており,先生も単に注意をするだけでなく,皆に向かって「こういうこと,してもいいのかな?」みたいな問いかけをすることで,ルールの再確認をするとか。遊びを通してさりげなく子どもを静かにさせるとか。まあ集団生活をする上では,必要なことなのだろうけれども。

 一方,下の娘(1歳9ヵ月)は,ウィルスにやられたらしく,ずっと吐いていたらしい。結局妻が病院に連れて行き,午後は休ませることにした。薬が効いたせいか,午後はすっかりよくなっていたのだけれど。おかげで私は,下の娘が保育園でどんな様子なのか見ることができなかった(妻はその逆)。それがちょっと残念である。

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■『アフォーダンスと行為−シリーズ身体とシステム−』(佐々木正人・三嶋博之編 2001 金子書房 ISBN: 4760895116 \2,000)
2002/06/12(水)
〜無意識の意識化〜

 生態心理学関連書はけっこう読んでいると思うのだが,なかなかわかった気にならない。しかし本書は,読みやすさという点では悪くなかった気がする。もちろん私自身にとってだが。

 本書は,行為の本性に少しでも触れたいという動機から行なわれた五つの試みの中間報告(p.2)である。扱われている「行為」は,障害者の靴下はき,コーヒーを入れる場面でのマイクロスリップ,視覚障害者の歩行,ひもの知覚,打検士による缶詰検査の5つである。「中間報告」ということは,方法論や理論にこだわらず,自由に観察し自由に考察している,ということではないかと思う。とくに方法に関しては,たいした先行文献も,方法もなしに観察しつづけた(p.2)そうである。そういう点が,「中間報告」を自称するゆえんであろう。そういう,適度にデータによりつつも観察を基本として論じられている点が,実証科学の世界に身をおきつつもそれに不満を感じている私にとっては,適度に面白く感じられたのではないかと思う。

 とはいえ,半分以上の論者が,観察を数量化してグラフに表したりするなど,客観性を持たせる努力をしていたように思う。しかし私個人にとっては,そういう報告よりも,インタビューなどを中心に論じられていた「視覚障害者の歩行」と「打検士」が興味深かった。

 興味を引いたくだりとしては,視覚障害者の歩行訓練の話があげられる。訓練は,最初は建物内で,それから次第に外へと行動範囲を広げて行くという。歩行訓練士がつきそって訓練するのであるが,壁の切れ目を見つけて止まるという課題をやるとき,訓練士は毎回,なぜ止まれたのかを聞くという。会話の中で明らかになるのは,障害者が意識せずにほんの微細な音を手がかりとして使っているという事実である。そこで訓練士が言う。

ほんの微細な音でも,壁から出たとき結構聞こえる。意識するかしないうちにあれっていう感じでつかまえることができる。さっき右曲がったときに何でかわからないって言ったじゃない。知らないうちにほかの情報を使ってるわけなんだ。そういうのを自分で意識しながら使ってみると周りが何かね,すぐにね,見つけられる可能性がある(p.88)
自分がやっていることを意識することで,よりうまくできるようになるという話である。これは,以前に考えた心理療法や思考における意識化や言語化の効用と関係するような気がする。まだよくはわからないが。そういえば,本書で行なわれていることも,結局はこれと同じということが可能であろう。つまり,人が無意識的に行なっている,合理的な行動の意味を意識的に見つける,という。もちろん,訓練士に言われて盲人が意識化できることがら以上のことを,研究者は意識化しているわけだが。

 それにしても,こういうことを考えながら読むことができるという点が,私にとって生態心理学の本が興味深い理由だろうと思う。もちろんそれだけでなく,新たな知覚観,新たな人間観,新たな研究観も,わからないながらも十分に魅力的なのだけれど。

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■胼胝じゃなくてイボだった
2002/06/09(日)

 足にたこみたいなものができた。左足のかかとにである。直径2cm,厚さ6mmの大物。いつできたのか,もう覚えていないのだが,半年ぐらい前ではないかと思う。とくに痛くもないため,ずっとほったらかしていたのだが,最近大きくなったのか,すぐに靴下に穴が開いてしまう。それで,今日,皮膚科に行ってきた。行く前に,ちょっとインターネットで調べたりして。たこは正式には,胼胝(べんち)と言うらしい。

 ところが,医者は一目見るなり,「これはたこではありません。イボです。ウィルス性です」と言う。ガーン,削ったりして今日一日で終わりだと思っていたのに。どうやら違うらしい。しかもウィルス性なので,子どもなんかにうつったりするという。

 治療は,液体窒素を吹き付けて凍結させる方法である。はじめは良かったが,そのうち冷たくて痛くなってきた。ちょっと痛いというと,その日の処置は終わった。これを週に1回,1〜2ヵ月続けると,いぼの方に血が行かなくなって,ポロッと取れるんだそうだ。にかげつー? ちょっと憂鬱。もうちょっと小さいうちに来たらよかったんだそうだ。

 で,うちに帰って改めて調べてみた。小さな傷からイボのウィルスが入ったらしい。ウォーキングを始めた初期(昨年夏),靴ずれを起こしたりしていたので,そのときの傷から入ったのだろう。しかも,さらに憂鬱な記述が見つかる。液体窒素治療を35回やってもまだ取れないとか大きくなったとか。かかとなど皮膚が厚い場所は治りにくいとか。多い時は80回以上かかることもあるとか。3年(!)かかった人もいるとか。

 それにしても,処置してもらっている時は,液体窒素をちょっと吹き付けたくらいでどれくらい効果があるのか,毎日行ったりとか,うちで氷か何かで冷やしたりしたらいいのではないか,などと思っていた。しかし皮膚科のWebページを見ると,どうやらそうではないらしい。液体窒素の効果は1週間ぐらい持続するという。なるほどそれなら,週1がいいわけか。こういう知識は,治療意欲を大きく左右するな。そういうことを,医者も教えてくれたらよかったのに。それにしても早く治ってくれないと,穴あき靴下ばかりになりそう。

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■『学生参加型の大学授業−協同学習への実践ガイド−』(デイヴィッド・W.ジョンソンほか 1991/2001 玉川大学出版部 ISBN: 4472402564 \3,500)
2002/06/08(土)
〜部分導入から始めよう〜

 これまで何冊か,学生が能動的に関わるタイプの授業に関する本を読んできた。が,なかなかピンと来るものがなかった。あるものは,自分の授業用にアレンジしないといけない。別のものは,細かい具体的なやり方がわからない。また別のものは,やってもうまくいきそうな気がしない。という具合であった。そういうものに比べると,本書に書かれている学生参加型授業のなかの一部は,明日からでも自分の授業に導入できそうに思えた。そういう意味では良書である。ただし,翻訳書であるせいか,今ひとつよくわからない点もあり,手放しでお勧めできるわけではない。あくまでも,私にとってはこれまで読んだ本の中ではよかった,というレベルの話である。

 本書の筆者たちは,ミネソタ大学の教員で,1960年代から協同学習の研究や実践を行っている。いわば筋金入りの協同学習の研究者である。その筆者らによると,講義は現在,初等中等学校と同様に大学においても最も一般的な教員の活動(p.115)だという。大学はさておき,小中学校も講義が一般的だというのは,佐藤学氏の著書から得られる情報とは違っている。どちらが正しいのか気になるところである。

 それはさておき,筆者らは講義を「セイレンの呼び声」になぞらえている。偶像のように動かない聴衆に知識を披露し,彼らが教わったように教えるという魅惑的で人の心をそそる歌声によって,教員は講義することに魅せられ,彼らの授業を岩にぶつけている(p.113)というわけである。学生の注意力は長く持つわけではないし,教師が知識を授ける権威者になってしまうし,思考を助長はしないし,学生の知識差などの個人差が考慮されない,という多くの問題点を講義法は持っている。その状況を変える新しいパラダイムが「学生参加型授業」というわけだ。

 筆者らは,学生参加型授業として,4つのものをあげている。フォーマルグループは,グループで探究し課題を解決するグループである。おそらくこれが,学生参加型授業という言葉で通常イメージされるものだろう。それ以外に,講義の最初や最後,最中に学生に短時間参加させるやり方として,インフォーマルグループがあげられている。それは,2人1組のペアで,4〜5分話し合わせるというやり方である(p.123)。そのために教師は,質問,感想や意見,内容の関連づけなどの課題を出すのである。問題を出して考えさせてもいいし,「いままで何をノートしたか?」「3つのポイントって何?」「最も驚いたことは何?」「疑問に感じたことは?」みたいな問いでもいいし,文章を読んで要点を確認させてもいい。これは10分から15分の講義のあとに行うといいらしい。インフォーマルグループでの話し合いのあと,2〜3人の学生を指名し,30秒程度で討議をまとめてもらう。つまり,15分から20分で「討議−話し合い−指名」というサイクルを構成するのである。90分授業であればこれを3サイクル程度用意することになるのであろう。これが,私が感じた「明日からできそうな学生参加型授業」である。一見単純なことのように見えるが,「教授のノートから学生のノートにどちらの心も通さずに情報が伝達される」という講義法の主要な弊害を打破(p.196)するためには,有効な方法のひとつであるように思われる。

 残りの学生参加型授業は,1学期なり4年間を固定グループで助け合うベースグループと,討論グループである。これらについては説明は省く。筆者らは,長年協同学習の研究と実践を行っているだけあって,学生を単にグループに分けて協同学習するように指示しても,協同学習にはならないことをよく心得ている。著者らによれば,協同学習が成立するためには,5つの要素があるという。それは,互恵的な相互依存性,励ましあい,個人のアカウンタビリティ,社会的技能,協同活動評価である。

 たしかにこういう部分いかんによって,きちんとした協同学習になったり集団手抜きになったりするのだろう。そういう意味では,ここが協同学習の一番のポイントともいえるのではないかと思う。しかしこの点に関しては,それほど詳しく具体的でわかりやすい説明があるわけではない。そのほかにも,本だけで彼らが推進している協同学習のイメージをもつためには,理論やマニュアル的な部分だけではなく,もっと生き生きとした情報が必要であるように思う。本書でもシラバスや授業スケジュールが載せられており,その点は類書よりもましに感じたが,できればこれに加えて,学生の生の声や実際の授業の様子もあるとよかったように思う。その点が私にとっては残念であった。

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■チャウチャウと言う娘(1歳9ヵ月)
2002/06/06(木)

 最近,下の娘(1歳9ヶ月)が妙に人間っぽい。変な表現だけど。

 私の顔を見ると「パパー」と言ってくれる。「はーい」と返事すると,また「パパー」である。これをひとしきり繰り返す。今度はこちらから「しーちゃん(仮名)」というと「はい」と返事してくれる。

 他にも,自分の意に沿わないことがあると,手を左右に振りながら「チャウチャウ」(違う違う)と言ったり。それに,こちらの言葉の真似をするのが上手になっている。まだ自在に言葉を操るという感じではないが,発音はかなり自在になっているし,自発的に,言葉の一歩手前みたいな音を,いっぱい発している。もう今にもしゃべりだしそうである。

 ただ,早くしゃべってほしいかと言うと,微妙である。こういう赤ちゃんぽさというか,「言葉の前の言葉」を楽しみたい気もする。もう少ししたら,いやでも,うるさいくらいに話し始めるだろうし,

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■『学ぶ意欲を育てる−子どもが生きる学校づくり−』(奈須正裕 1996 金子書房 ISBN: 4760892346 \1,600)
2002/06/04(火)
〜「ゆさぶり」よりも「自己決定」を〜

 動機づけの研究者による,一般向けの啓蒙書。サブタイトルどおり「学校づくり」が中心となっているので,教師向けということだろうか。説明が平易で,また学校における具体的な例もあり,興味深く読めた。というか勉強になった。

 筆者が理想とする学校とは,内発的意欲に支えられて学ぶ学校である。それは次のように表現されている。

自分が興味を持ったものを,自分らしいやり方とペースで学び,その決着は自分の納得を基準として,自分自身でつける。(p.14)

 そのためには,子どもを取り囲む学びの環境が変わらねばならないという。そして筆者の考える,内発的意欲を支える学習環境は,第一に,自己決定の機会を保障することがあげられている。デシのいう「自律性」と同じようなことであろう。

 伝統的な学校では,学ぶ内容も,学び方も,学ぶ場所も,学ぶ時間もすべてが決められてしまっている。これでは内発的な意欲が出てくるはずがない。そうではなく,たとえば「課題選択学習」という形で,どのような方法で学ぶかを自己決定させたり,「課題設定学習」や「自由研究学習」という形で,何を学ぶかを自己決定させることで,子どものの学習は格段に変化するという。あるいは,学習の手引き(指導案のようなもの)を子どもに渡してしまうことで,自分のスタイルやペースやこだわりにもとづいて各自で学習を進める,というアイディアも紹介されている(p.175-)。これはメタ認知を育てることにもつながる。

 筆者によると,内発的意欲は,好奇心,興味・関心,こだわりという3つの心の働きからなっているという。適度なズレのある対象によって「好奇心」が喚起され,そこから何を追及するかが「興味・関心」に従って選択される。そしてそれをどのように追求するかを決めるのが,「こだわり」なのである(p.51)。そして,これらが存分に発揮できるようにするためには,自己決定が必要なのである。そして,各自の興味・関心やこだわりに応じて学習ができるようにするためには,豊富な学習材のおかれた豊かな教室環境が必要となってくる。そのほかにも,監視的な「べきである」評価ではなく,子どもの事実をあるがままに見取る「である」評価することも,内発的意欲を支える学習環境としてあげられている。。

 なお,学生の好奇心を喚起する方法として,よく「ゆさぶり」という手法が用いられる。既有の知識では取り込めないような事実を提示することで,葛藤を起こさせる手法である。私もよく使っている。筆者によると,それは「ツボにはまると絶大な効果を発揮する」が,「そういつもうまくいくものではない」という(p.104)。それに,「教師によって一方的にゆさぶられる」ということは,あくまでも受身であり,自律性には乏しい。本書はそうではなく,選択や決定の余地を増やすことで,自己決定的で豊かさと多様さのある学習環境をつくることを提唱している。

 すぐにできるかどうかはわからないが,自分の授業を見直すきっかけになりそうな本である。

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■クイズを出す娘(3歳11ヵ月)
2002/06/03(月)

 なんだか普通の日記(日々記録)を書く気がしないので,当面,子ども観察日記(というかオヤバカ日記)に特化してみようかと思っている。まあこれもいつまで続くかはわからないが。

 上の娘(3歳11ヵ月)は最近,クイズに凝っている。「赤くて緑のもの,なーに」みたいなヤツだ。こちらが「うーん」と考えていると,「それはトがついてマがついてトがつきます」とかヒントを言ってくる。それじゃあヒントじゃなくて答えそのものだ。

 週末も,パソコンショップに向かった車の中で,ずっと言っていた。「赤くて緑のもの,なーに」と言ったので「トマト」と答えると,「ブッブー。はずれでーす」だって。今度は「ニがついてジがつくもの」らしい。

 まったくこんなこと,どこで覚えてきたのやら。それにしても,娘が「クイズ」なるものを理解し,問題を(まがりなりにも)自作し,ヒントさえも出せるというのは,ちょっと驚きだった。表面的には変わっていないようにみえるが,3歳児はしらないところで日々成長しているようである。

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