30日短評10冊 28日『検証・「雪印」崩壊』 24日『ありのままを生きる』 20日『心理臨床の発想と実践』 16日『子どもの世界をどうみるか』 | |
| 22日妻のいない22時間 17日いまどきの2歳児 |
今月は論文書きに専念していたので,本もあまり読めなかった。・・・かと思っていたが,2回の旅行(帰省,学会)の最中で稼いだせいか,それほど冊数は少なくなっていない。ただし日々の記録を書く時間はとれなかった。
今月よかったのは,『心理臨床の発想と実践』と『からくり民主主義』か。『マルチメディアと教育』も,バトル部分は面白かった。
学会で本を9冊買ってきたので,来月は心理学関係書月間になる予定。続けて読む気はないけれども。とはいえ,昨年はやっぱり10冊ぐらい買ってきながら,完読したのは半分ぐらいではないかと思う。途中で読むのをやめたりして。いろんな理由で。一応読みそうな本を選んで買ってはいるものの,今回はどうなることやら。
雪印乳業の食中毒事件に端を発し,雪印食品による牛肉偽装事件を経てグループ解体(雪印食品解散。他は縮小再編)にいたった雪印について書かれた本。北海道新聞社の記者たちが書いたのだが,本書に出て来る人たちも含め,北海道の人は雪印に特別な思いがあることが分かる。そうだからこそ,いったい雪印の中で何が起こり,北海道経済や,日本人の精神はどうなるのか,ということを明らかにするために書かれたようだ。
失敗学的な興味で読んだのだが,その経緯には,他の失敗学的事件とよく似た事情が多数みられる。食中毒事件だけでいうと,まず,数件のクレームならたいしたことないと,ことを小さく見積もろうとしたことから始まり,事実を小出しにしたりウソをついたりして傷口を広げている。その分野の基礎的な知識(毒素のこととか)さえも学ばれていなかったり重視されていなかったり。市場における安売り競争のせいで,ついつい品質よりもコストが重視されるようになったり。
監督官庁が「そもそも脱脂粉乳に毒素が混入するなんてことは,想定していません」(p.96)という発言は,『あの日、東海村でなにが起こったか』に出てくる「想定不適当事故」という考えと同じである。「機械化されていく中で,食品の安全性に対する意識が鈍ったとしか考えられない」(p.97)という専門家の発言は,『原発事故はなぜくりかえすのか』の著者の技術観というか警告と同じである。
また,(停電で作られてしまった)「大量の汚染粉乳を捨てることになれば,上司にしかられ,責任を問われる」(p.156)という工場長や製造課長の姿勢も,失敗学的事件ではありがちな,内向きの姿勢ともいえるし,ある意味,責任感に満ち溢れた言葉とも言える。もちろん悪い意味で。いや,会社の中にあって,視線を外に向けるというのは難しいことなのだろうけれども。
それに対して,後書きにあった森永の,ヒ素ミルク事件の教訓を生かした話は興味深かった。「社長が年に3回,すべての工場を回り,徹底的にチェックする」という。他にも本書には,目薬に異物を混入したという脅迫を受けた参天製薬がすぐに製品を回収したケースとか,米コカ・コーラなどが社会的な不祥事を起こした後に,すばやい対応でブランドイメージ失墜を防いだケースが書かれている。ただ残念なことにどちらも,ほんの数行の紹介なのだ。こういう企業は,どうやって企業にありがちなはずの内向きの姿勢を排除したのかを知りたいものである。失敗だけでなく,成功学や克服学つきの失敗学(的なルポルタージュ)があるとよさそうだ。
2人の障害児・者の日常や生い立ちを通して,「ありのままを生きる」ことについて考えた本。非常に読みやすく,すぐに読める。エッセイ風の本である。
しかし基本的な考えは深い,と私は感じた。それは,よく言われるように障害を「個性」などとして捉えるのではなく,「文化」として捉えるのである。つまり健常者と障害者の出会いは,異文化接触ということになる。それは,
たがいの違いを前提に,それぞれが対等な異文化を生きるものとして出発し,違いを違いとして認めて行き合うなかで,やがてそこから人どうしとして,あるいは生き物どうしとして,たがいの同じさに気づいていく(p.39)
という生き方である。異文化として捉えてはじめて,対等性が無理なく出てくる。なるほど,と思った。この場合の「文化」は,通常の意味と違って,集団性や社会的継承という意味はない。そうではなく,「生きるかたち」をありのままに認めようという,まあ一種のレトリックなのだろうが,筆者の立場をよく表していると思う。この観点からすると,障害をもっているとはいってもそれは一つの生きるかたちなわけだし,「障害は生きるかたちを制約する一つの条件にすぎ」(p.57)ないことになる。そういう制約は,いわゆる障害者ではなくても,私たちもそれぞれになんらかのかたちでもっているものである。
あるいは同じ障害でも,たとえば視覚障害であれば,それに合わせた道具や社会の対応が用意されている。白杖とか点字ブロックとか点訳制度のようなものである。筆者は,「そうしてありのままで生きやすさを求めるのと同様の手立てが,自閉症の子供たちにも望まれていると言っていいのではないでしょうか」(p.97)と考察している。自閉症だけでなく,訓練などを行って,周りではなく「本人」に手立てを第一に求めてしまうケース全般に当てはまる話だろう。
ただ,この考えを推し進めていくと,ふつうの「学校」とか「教育」とか「育児」の意味も変わってくるかもしれない(子どもには子どもの,生徒には生徒の文化があるだろうから)。その点を意識しているかどうかは分からないが,筆者は1箇所で「できるのは,せいぜいたがいに折り合うことくらいでしょう」(p.144)と述べている。折り合う場所としての学校というものが成り立つのかどうかは分からないが。ただ筆者も「彼らなりの理由があり,論理があるとみることによってはじめて,私たちと彼らが互いに生き合うかたちを見つけることができるのではないでしょうか」(p.201-202)と述べているように,まずすべきことは,理解することなのだろうが。
なお2人目は,たしか『「私」というもののなりたち』にも出てきた人なので,新鮮味はなかったが,こちらがもっぱら,障害=私受容の話として読んだのに対して,今回は「異文化」の話として,多少違う読み方ができたのでよかった。
数日前,妻が隣の県に結婚式に出かけた。妻の実家だったので,私ひとりではなかったが,子どもが生まれてはじめて,ほぼ丸一日妻と子供が離れてすごした。上の娘(4歳3ヵ月)も下の娘(2歳0ヵ月)も,仕事などで妻がいないと,すぐに「ママがいいー」と号泣して抱っこするのもままならないほどなので,かなり恐れていたのだが,思っていたよりも順調に推移した。備忘録代わりにその日のことを。
妻が出たのが,昼の12時。それからご飯を食べ,庭にワンワンを見に行く。下の娘が少し不安そうな感じだったが,適度に気をそらしつつすごす。途中眠いせいか,号泣したが,すぐに祖母の腕の中で眠ってしまう。上の娘も2時から4時までお昼寝。
第一の恐怖が,寝起きの悪い娘たち。号泣しながら起きてきて,妻でないとなだまらないことも多数あった。ところが今回は,二人ともしごく機嫌よく起きてきた。起きてからも,私と一緒に絵本を読んだり,2階の祖父のところにいって一緒に相撲を見たり。とても機嫌がよかった。
第二の恐怖が夕食。妻がいても遊んでばかりでろくに食べないのである。ところがこの日は,割とよく食べてくれた。しばらくしたらやはり遊び始めたりはしたのだけれども。食後も,家の中をぐるぐる走り回って遊んだり。しめしめ,これで夜はぐっすり寝てくれるはずだ,とほくそえんだ。ことは予想以上に最良のシナリオで進んでいる。
次の恐怖は,寝る前の時間。寝つきが悪かったり,「ママがいい」といって泣いたりするのだ。こちらはさすがに「ところが」というわけにはいかなかった。上の娘は,夜10時までは本当に機嫌よくすごしていたのだが,10時にぽつりと「ママがいないとさむしい」(寂しい)と言い出した。でもそのときは,祖母と折り紙する!といってしばらく遊んでいた。「じゃあ折り紙してお風呂に入ってからママに電話しようか」と言ったら素直にうなずいていた。で風呂に入ると,昼間にちょっと転んで作った擦り傷が痛かったのか,泣き出して,「ママがいいー」と泣き始めた。それが10時半。
それからは,妻に電話したもののなだまらず,電話口でもずーっと「ママがいい」を繰り返していた。それで上の娘が寝たのが11時半。寝るまでずーっと「ママ,ママ」と言っていた。私が「お休み,まーちゃん(仮名)」と言っても,返ってくる返事は「お休み,ママ」だったり。最後には,「ママは遠くにいるけど,おやすみママ!」と叫んだり。
下の娘は,ママを恋しがるわけでもなく,祖母と寝ていたが,明け方4時ごろ起きて,「パパがいい」と言ったそうで,私のところに。しばらくは寝ようともせず,牛乳を飲んだり,私と遊んだり。で,ようやく5時ごろ寝てくれた。
恐怖の寝起きも,二人ともそれほど悪くなく,「ママが帰ってきたら,『遅いぞ,プン!』といおうね」などと言いながら待ち,ようやく10時半に再会した。
振り返ってみると,ダダをこねることもケンカをすることもほとんどなく,怖いくらい順調にすぎた22時間だった。寝る前に上の娘が泣くのと,夜中に下の娘が起きるのは,間違いなくあるだろうと覚悟していたことだったし。まあ予定通り,仕事はまったくできなかったけれども。でもこういう体験も,たまには悪くないかもしれない。1年後ぐらいだったら,またやってもいいかも。
自然科学を超えた新たな臨床心理学のパラダイムを創造する,という認識で編まれた3巻本の1冊目。興味深い本だった。筆者は心理学を「実証性を条件とする学問」と規定し,そのなかに臨床心理学を位置づける。とはいっても,科学的心理学のような自然科学的な実証性ではない。「具体的なデータに基づく推論」(p.42)を行うといった,広い意味での実証性なのである。そして,本書が考える臨床心理学のパラダイムとは,次のようなものであるらしい。
自然科学は,主観と客観の分離を原理とし,「数量化」を方法の基礎におきます。それに対して心理臨床は,関係性を原理とし,「物語性」を方法の基礎とします。(p.v)
ここでいう「関係性」とは,「研究者が対象者との間で人間関係を形成すること」(p.47)である。物語性とはおそらく,「事例の当事者(関係者)と臨床心理士との間の話し合いを積み重ね,共同して問題が形成されたストーリーを読み解き,問題解決の方向を探っていく」(p.5)というあたりであろうか。明確には書いていないので自信を持ってはいえないのだけれども。
「自然科学を超える」というぐらいだから,自然科学の方法論に匹敵する部分も明確にされている。たとえば,「臨床心理士は,自他の区別を維持するために,具体的なデータに基づき,自己の想いとは別に存在する事例の事実をきちんと把握する実証的態度を,専門的技能としてまず身につけなければなりません」(p.30)という(一種の)客観性の基準だったり,「来談者が納得できる<読み>であって始めて臨床的に妥当性の認められる仮説になる」(p.81)という妥当性の基準であったり。そして物語のストーリーを読むために,来談者の話を共感的に理解するために<聴く>ことをしたり,わからないことを<訊く>(調べる,確かめる,直面させる質問)ことをしたり。こういう技法を身につけるために,ロールプレイから始まって,試行カウンセリング,事例検討というステップがあったり。
こういう関係性を経て,「語り手は,<語りとしての物語>を通して現実をさまざまな意味をもつ豊かなものとして経験できるように」(p.98)なるという。
このように,現実を「現実的」なものとして,柔軟に豊かに主体的に新たな視点で経験しなおすことが,カウンセリングの一つのゴールらしい。適切な理解なのかどうかはわからないが,こういうふうに位置づけられた心理臨床を見ると,心理臨床とは,批判的思考者であるカウンセラーと共同作業することで,クライエント自身が批判的思考者になる過程であるように思えた。
今月は,論文書き追い込み月間で,それを中心に生活が回っている。かろうじて読書&読書記録の時間は取れているものの,日々の記録も含め,それ以外のことはなかなか手が回らない。が,今日はちょっと時間的&精神的余裕ができたので,断片的ながら,日記書きなどを。
下の娘も今月で2歳になった。生まれた直後から夜泣きがひどかったが,それは基本的に変わっておらず,今でも夜中から明け方に1回は泣いて起きる。そういうときの顔を見ていると,生まれたときから変わらないなあと思う。
過去の日記を見ていて思ったのは,上の娘が満2歳のときとはやっぱり様子が違うなあということ。上の娘は2歳のころ,すぐに「イヤーオ」と言って逃げ回っていた。下の娘は同じような状況で,「イヤ!」というよりも,ツンとそっぽ向くか,ヘラヘラ笑っているような気がする。当然のことではあるが,個人差ってけっこう大きい。
最近は言葉らしきものも出てきて,いっそうかわいくなった。ひとりで遊びながら「ゴニョゴニョ」言っていることも多いし。ものを指差して「キエ?」(これ?)とか「キア?」(これは何?)と言ったり。何か見てほしいことがあったときは「パパ,ィテ,パパ,ィテ」(パパ,見て)といったり。「アカナアカナアカナ〜♪」(さかなさかなさかな〜♪)と歌ったり。上の娘が何かおもしろそうなことをしていると,「チーモタイ,チーモタイ」(チー(仮名)もしたい)と言ったり。上の娘に何か意に添わないことをされたりすると,「ネーネーガッタ」(姉がした)と訴えたり。私が仕事をしていると「パパ,アッテニョ?」(パパ,何してんの?)と聞いたり。
過去のデジカメの写真を見ていると,上の娘も,2歳2ヶ月ごろまでは赤ちゃんくさいのだが,それをすぎると急に「幼児」っぽくなっている。こういう時期も,本当にあと少しかと思うと,名残惜しいような気持ち半分,成長が楽しみ半分で毎日を過ごしている。
『保育者の地平』の筆者が,ちょうどこの本の10年前に書いた本。おそらく基本的なテーマ(「行為の意味を発見し,それを子どもとの間で創造的に形成すること」(p.217))は一緒なのだろう。どちらも津守節とでもいうべき共通したものを感じさせる本であった(まあ平たく言うと似ているというか)。
本書はタイトルどおり「子どもの世界はどのようにして理解されるのか」を課題としており,また「子どもの世界はどのようにして育つのか」について論じられている(p.10)。論じられているといっても,前半は主に筆者の子どもが描いた絵を通して,後半は愛育養護学校での日々を通して語られている。というよりもそれらの描写がほとんどで,合間合間に筆者の考えが語られる。もちろんその描写も筆者独特のもので,それらに触れつつ,ときどき筆者の考えを聞くと言う格好になっている。さながら,筆者の育児・保育実践に参与するというか徒弟制的に弟子入りして参加しながら学んでいるような,そんな感じである。
本書の課題の一つ目である「子ども理解」に関しては,客観的・科学的理解から,人間学的理解へと転回したそのきっかけが3つ挙げられていた。それは,「行為を内的世界の表現と見るようになった」「子どもの世界を発見することは,自分が変化することでもある」「子どもは多様で,ひとりひとり私とは異質な存在」(p.110-111)ということに対する気づきのようである。
もちろんそうは考えていても,すぐには理解できないことも多い。そういうときでも,理解できない状態に耐えながらも,それは必ず子どもの世界の表現だと考えて,大人の常識的な言葉による理解を取り除いて,あるがままに見ることのようである。そのことについて,筆者は次のように述べている。
(大人が子どもの行為が理解できず,子どもの行動も混乱している場合,)そのような状態にある子どもとつき合うのには,長い期間にわたって理解できないままにもちこたえねばならないので,おとなの精神的負担は大きい。子どもを育てることには,かならずといってよいくらい,こうした時期がある。そのときにも子どもの行為を何か分からないけれども意味あるものとして,肯定的に受けとることが,おとなにも子どもにも,状況を展開させる。(p.145)
この後半にある「肯定的に受けとめることが状況を展開させる」というのが,本書の課題の二つ目である「子どもが育つ」ことであろう。したがって最も重要なのは,意味を見出すこととなる。そうするためのマニュアルはもちろんない。筆者がヒントとしてあげているのは,「小さな大切なことを見逃さない」(p.181)とか「省察によって,子どもの理解は深められる」(p.186)ということあたりである。難しそうではあるが,必要なことだろう。
それにしてもそういう指摘にせよ理解の指摘にせよ,きわめて臨床心理学的であるように感じた。