読書と日々の記録2002.11上

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■読書記録: 12日『サヨナラ、学校化社会』 8日『カルトか宗教か』 4日『人についての思い込み I・II』
■日々記録: 15日妊婦ごっこする娘 10日「パパこれは?」というゲーム

■妊婦ごっこする娘

2002/11/15(金)

 最近上の娘(4歳5ヵ月)は,ひとりでこっそり遊んでいることがある。ベッドの部屋とかで。こっそりのぞくと怒られたりして。

 どうやらおなかにお人形さんをいれて,ベッドにゴロンしていたりするようである。妊婦ごっこだと思うのだが,怒られるのではっきりさせることができない。妻の話だと,そういうとき,ひとりでブツブツいっていたり,なにやら顔が上気したりしているらしい。

 そもそも,妊婦ごっこのきっかけをつくったのは私である。ちょっと前に買ったDVDレコーダで,以前とったHi8のビデオ映像をDVD-RAMに保存している。そのなかに,妊婦時代の妻や,出産シーンが入っていた。娘もそれを一緒に見たのだ。出産シーンは,近所の奥さんに「絶対感動するから」と言われて,一応撮っておいたものだ。こうやってちゃんと見たのは,私たちも初めてではないかと思う。

 それを見てからしばらく,上の娘は私と出産ごっこをしていた。お腹に人形を入れて,「ウッ」といって産み,おっぱいをあげるみたいな。その遊びはしばらく続いたのだが,いつのころからか,上の娘は私といっしょに妊婦ごっこするのをいやがるようになった。逆に,私の下着のシャツの中に自分が頭を突っ込み,私が「ウッ」というと出てきてオギャーオギャーいって遊ぶ,という遊びになったりしたのだが,それも途絶えてしまった。

 現在彼女が一人でやっているのが妊婦ごっこなのかどうかはわからないし,そうだとしてもなぜ親に隠れてやっているのかもわからない。しかし,出産シーンをビデオで見たことが何らかのインパクトを彼女に与え,親の見えないところで一人で何かを空想して遊ぶ,みたいな遊びを生み出したことは確かなようである。また一歩,彼女なりに成長したということなのだろうか。親としてはちょっとさびしいのだけれど。

■『サヨナラ、学校化社会』(上野千鶴子 2002 太郎二郎社 ISBN: 4811806662 \1,750)

2002/11/12(火)
〜芸事としての学問〜

 メッセージはシンプル,話題は豊富,話は巧みで,要するにおもしろい。メッセージは,次のように表現されている。

偏差値の呪縛から自分を解放し,自分が気持ちいいと思えることを自分で探りあてながら,将来のためではなく現在をせいいっぱい楽しく生きる。私からのメッセージはこれにつきるでしょう。(p.168)

 このことは別の箇所でも,「人生を多角的に,多面的に,生きればよいと思います」(p.189)と表現されている。

 「偏差値の呪縛」は,学校の中だけにあるのではない。自分のものではない価値で一元的なにすべてが評価され,皆がそれを目標にすることである。そのような考えは,就職にも,子育てにも,人生設計にも影響を与えている。この「偏差値一元主義」と「未来志向+ガンバリズム」(明日のために今日をがまんすること)をさして筆者は「学校的価値」と読んでいる。タイトルにある「学校化社会」とは,「その学校的価値が学校空間からあふれ出し,にじみ出し,それ以外の社会にも浸透」(p.50)し,「その結果,この一元尺度による偏差値身分制とでもいうものが出現」(p.51)している社会である。現在の社会の状況がそのようであることを,筆者は,東大生や若者の実態,女性一般や母親の現状などを通して論じている。まあ論じているという堅いものではなく,もっとゆるいものなのだが(表面的には)。

 しかしそういう近代的価値は,現在急速に崩れつつある。だから,楽しみを先延ばしするのではなく,「自分が気持ちいいことをして現在を楽しく生きよう」ということになるわけだ。学校教師として筆者は,学校もそういうものを提供すべきだと語る。それは,現在楽しくないことをガマンしてがんばって将来の報酬を得る「生産財としての教育」ではなく,教育を受けること自体が目的で,いま・ここで報酬を得る「消費財としての教育」である(p.102)。それは,なんの役にも立たないけれども触れること自体が楽しいという意味で,芸能・芸事と同じなのである。そして筆者は,「学問というか学芸も,あまたある芸能・芸事のひとつだと思えば,これがなかなか置くが深くて楽しみが多い」(p.110)と述べる。

 そのような教育として筆者の場合は,学生が自分で問いを立て,調査をし,データを読み解いて発見する,というワークショップ型授業を行っている。そこには,研究と同じように「最後のピースがスパッとはまって「そうだったのか!」というような,すごい快感」(p.142)があるのである。それが筆者のいう「自分が気持ちいいと思えること」をして「楽しく生きる」こととして,学校が提供できるものである。

 ちなみに筆者は,理論研究をする中で,「理論のおもしろさ,カテゴリーの力というものにハマ」(p.151)ったという。確かに本書を読んでも,カテゴリーを使って(作って)社会を読み解いて行くウマさが筆者にはある。しかし一方で,気になる点もあった。それは,モノによっては,理解があまりに図式的に過ぎており,きれいな物語にはなっているけれどもそこからこぼれ落ちている現実もあるのではないか,と思える部分がある点である。行動主義に関する記述(p.39あたり)とか,虐待母,不登校,摂食障害などの病理に関する記述(3章あたり)に特にそういうものを感じた。

■「パパこれは?」というゲーム

2002/11/10(日)

 最近またサボっていたので,うちの2歳2ヵ月児の最近の様子などを。

 彼女は,なぜか異様にクマとゾウが好きである。いつもクマかゾウのぬいぐるみ(あるいは両方)を抱っこしているし,動物の絵が描かれたオムツを常用しているのだが,オムツにも,クマやゾウが描かれていると,大喜びする。前にも書いたように,クマさんのついたパジャマを着ると,クマさんの踊りを踊るし。「アサン」(くまさん)と言いながら。何がいいんだろうね。

 最近よく言うのは,「パパ,キア?」である。何かを指さしながら。「これは(なに)?」というわけである。たいてい私のベッドで。当然指すものは限られており,毎回,かべ,ふとん,ベッド,タンス,などと答えてやることになる。まあこうやって,世界を言葉で分節して理解するやり方をおぼえていくのだろう。

 最近はどうも,答が分かった上で聞いているようで,私が違うことをいうと,自分で正解をいう。これはもはや「尋ねて」いるのではなく,ゲームかなにかになっているような気がする。あるいは,やりとりそのものを楽しむというか,期待通りのことをいわせることを楽しむというか。ちょっとおもしろい。

■『カルトか宗教か』(竹下節子 1999 文春新書 ISBN: 4166600737 \660)

2002/11/08(金)
〜属人主義のカルト性〜

 カルトに関して,「カルト・ムーブメントの全体を概括しながら,個々のケースを具体的にどう考えていけばよいのかの指針をフランスの例を紹介しながら提供しようとする」(p.8)本。おもしろかった。それはカルトだけでなく,宗教についても,カルト対策先進国フランスについても知ることができたからであるが,それだけでなく,さらにカルト類似のことがら(と私が思うもの)についても考えることができたからである。

 本書で言うカルトとは,「ある特殊な人間や考え方を排他的に信奉する動き」(p.16)のことである。カルトであるかどうかは,教義そのもので知ることはできない。勧誘方法や編成方法などにあるのである。特に,すべてのカルトに共通するリスクとして,「自由と自由意志と批判精神を侵すリスク」(p.25)があるのである。なかでも,内部批判を許すか絶対忠誠か,というポイントは重要のようである。もっとも,批判が可か不可かという基準を適用すると,『無責任の構造』でいう,属人主義的,権威主義的意志決定を迫る組織は「カルト的」ということになりそうだけど。いや,そういう要素はあると考えたほうがいいのだろうと思う。

 ただ教義に関しては,平均的には違いが見られる点もある。現代のカルトには,天啓による個人救済思想的な傾向を強く持っているものが多い。それは,選ばれたものが救われると言う自力宗教である。それに対して伝統宗教の多くは,大衆を対象としているので,「自力」とか「選民」とかではなく,「絶対他者である救済者を「信じる」ことによって救われる」(p.52)という他力宗教の形をとっている。それは宗教が大衆化することによって,宗教の位置づけが「救済者と普通の信者とのコミュニケートを助ける一種のサービス業」(p.52)になっている,ということのようである。そこにおいて信者は一種の「消費者」なのであり,生活すべてを宗教に支配される,ということはないのである。なるほど,伝統宗教はサービス業ね。わかるなあ。

 近親者をカルトから救い出すための筆者の考えも興味深かった。「対話の姿勢を保ちながら関係を保全する」「カルトに入った理由を理解しようと努める」「その人をカルトに入っているというシチュエーションのままで受容する」(p.108より)ということで,受容し理解し対話する,ということのようだ。特効薬はない,理屈で説得しようとあせってはならない,とも書かれている。その前提としては,「このようなグループから離脱することは,全世界を失うに等しい」とか,「自分の頭で考えて吟味し,自分で責任を持って選択する,という考えは,カルトによって脆弱にされた自我には厳しすぎる」(p.110)という考えがあるようだ。もっとも,カルト信者をそう理解したときに,だから奪回させるためには強引に引き離すとか,逆洗脳まがいのことをするようなことを思い浮かべがちであるが,筆者の態度はそうではなく,むしろ心理臨床的である。

 ちなみに,上で述べた属人主義的判断をしていた人を,属事主義的に変えるというのも,「カルトによって自我を脆弱にされたものを帰還させる」ことと似ているかも知れない。それまで,「人」に頼って判断していたものを,自分で考え判断し選択するように変えるためには,それなりのステップを踏むことが必要だろう。これは,教師の言うことを権威的に受け入れていた児童生徒学生に,自分で判断するようにする場合も同じなのではないかと思う。

■『人についての思い込み I─悪役の人は悪人?─』(吉田寿夫 2002 北大路書房 ISBN: 4762822825 \1200)
『ヒトについての思い込み II─A型の人は神経質?─』(吉田寿夫 2002 北大路書房 ISBN: 4762822833 \1200)

2002/11/04(月)
〜「でも」「だけど」の重要性と危険性〜

 中学生向けに書かれた,心理学入門シリーズの2冊。薄い本なので,2冊まとめて読書記録である。内容は,主に社会心理学的クリシン(批判的思考)。2冊とも『クリティカル進化論』に言及されており,うれしはずかしである。レベル的には,中学生にはちょっと難しいような気がしないでもなかったが。私にとっては,いくつかのよかった点と疑問点があった。

 本書でよかった点その1。特にIIの方で,クリシン的話題をするのにうまい心理学研究が使われており,参考になった。その2。筆者のクリシン観がわかった。以前私は,批判的思考の定義について悩んでいたときに,吉田先生に学会会場ですれ違ったときか何かに,先生はクリシンをどう定義しているのか,と伺ったことがある。そのときは確か,答えてもらえなかったはずである。定義にはあまり興味がない,とか,それが批判的思考かどうかは問題ではない,みたいなことをいわれて(うろ覚えなのだが)。しかし本書で,筆者の考えがわかったような気がする。そういう事柄が現れていそうな文言を抜きだしてみる。

 なるほど。これからすると,筆者が考える批判的思考とは,常識的,自動的,決めつけ的判断に流されずに,他の可能性を考えてみること,といえそうだ。

 一方,疑問点について。ここでは2つ指摘しておこう。一つは,アイヒマン実験についてである。本書(I)では心理学者の父親が,娘にこの実験について語って聞かせるという形をとっている。その後で父親が,次のように語っている。

ミルグラムの実験を知って,夏子は,ナチスの人間がユダヤ人にあんな残酷なことをしたのは必ずしも彼らが異常な人間だからじゃなくて,同じような状況に置かれたらだれでも同じことをしてしまいそうだって,思ったよね。(I,p.65)

 中学生向きの導入的な本なので,どこまで書くかの判断はまた別にあるのだろうが,この記述は誤解を招きやすいのではないかと思う。アイヒマン実験は,(ナチスのユダヤ人局局長だった)アドルフ・アイヒマンその人が,なぜ「あんな残酷なことをした」のかという問いに対する答えは出していない。というか,心理学実験では答は出せない。心理学実験で言えるのは,筆者が後ろの方でも書いているように,「あくまで「人間にはこういう癖がある」とか「私たちは,こんなふうに考えたり,行動したりしやすい」というような,「傾向」について」(I,p.95)だけなのである。アイヒマン実験の結果をもって,特定の個人の特定の行動の原因を推測するのは「過度の一般化」になってしまうだろう。本書の後半でこういう話を書くのであれば,アイヒマン実験の解釈についても一言あっていいのではないかと思った。

 もう一つの疑問点は,クリティカルシンキングそのものについてである。本書では先に述べたように,決めつけず,あるいは結論をはっきりとは出さずに,他の可能性を考えてみることを推奨している。しかし世の中,結論が必要なことも,結論があったほうがいいことも少なからずあるはずである。そもそも,「でも」や「だけど」は,あらゆることにいつまでもどこまでも問うことができる。それをいつどのように打ち切って結論を出すのかは,本書では明確には述べられていなかった。それがないと,クリティカルシンキングのことを「判断を下さないこと」や「批判だけをすること」と誤解されてしまうのではないだろうか。

 まあこの問題は,複雑にならず的確にわかりやすく論じるのは,なかなか難しいことなのだろうけれども(私は自信がない)。


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