15日『ライフ・ヒストリーを学ぶ人のために』 10日『子どもの瞳が輝く発見のある授業』 5日『「わからない」という方法』 | |
| 13日氏姓雑話 6日別世界ビーチ 1日避難訓練する2歳児と5歳児 |
ライフ・ヒストリーに関する、わが国初の教科書らしい。この手の本にありがちな構成で、最初が総論(理論編)、残りが、実際例を通した各論や方法論になっている。
ライフ・ヒストリーって、なんだかわかるようなわからないようなイメージがあったが、この本である程度のことがわかった。まず「ライフ・ヒストリー」(生活史)とは、「個人の一生の記録、あるいは、個人の生活の過去から現在に至る記録」(p.4)のことであり、採取する方法としては、口述史の聞き取り、自伝、伝記、日記などがある。このようなライフ・ヒストリーを用いた研究法が「ライフ・ヒストリー法」であり、ライフ・ヒストリーを用いた研究が、「ライフ・ヒストリー研究」である。
では、ライフ・ヒストリーを採取することで、どのような研究が行えるのか。編者によれば、異文化理解を行うに際して、仮説を策出したり、類型を構成するときに威力を発揮する方法である。まあ一般に質的研究はそのように表現されることが多いのだが、とくにライフ・ヒストリー法は、そうすることで、対象をスタティックにではなく「ダイナミックな生の全体性」(p.131)を理解できるのである。
本書の各論で扱われている異文化には、沖縄出稼ぎ者、在韓日本人妻、戦後の中国留用体験者、日雇い労働者、文化住宅の住人、企業家、在日コリアン、ICUに入った患者の家族などである。どのケースも興味深いのだが、特に最後のケースは興味深く、身内がICUに入れられて高度医療を受けることを、家族がどのように体験するか、そしてそこから、システムや制度の問題点が浮き彫りにされる。そのような、医療者側が思っても見なかったような問題を浮き彫りにするのにも、ライフ・ヒストリー法は威力を発揮するようである。本書で扱われているような、異文化といえば誰でもすぐに納得するような例ばかりではなく、身近な世界にいる人たち(家族とか職場の同僚とか友人なども含めて)を「異文化として」理解する上で、ライフ・ヒストリー法は威力を発揮しそうに思った。今私がやりたいと思っていることはこれだ、とも思った。大学生という「異文化」を対象として。
とまあ本書は私にとって、ライフ・ヒストリーを理解し、いくつかの研究例や方法論を知ることができたという意味で、とても有益なものであった。ただし、読みながら、ちょっと疑問に思った点もある。たとえば、「ひとりひとりの内面生活はみな異なり、まったく同一のライフ・ヒストリーというものは存在せずに、百人百様だ」(p.32)と書かれているにもかかわらず、最終的に描かれる世界が、「一様で平板」にみえるものであったりすることがある。その多様性はどこにいったんだろう、と疑問に思うものがときどきあった。
また、それと近いような話であるが、ある集団に属する人のライフ・ヒストリーを通して、その人たちが、他の集団の人たちとどのような相互交渉を行っているかが浮き彫りにされることがある。それは問題ないのだが、そこで得られたものは、「その集団の人」から見た相互交渉であり、その集団の人にとっての他集団の人の行動の「意味づけ」であるはずだと思う。それなのに、その語りを通して、あたかも客観的にその2集団の人たちの相互交渉のありようがわかったかのように描かれていることもある。しかしこの場合、第二の集団の人に話を聞いたら、また違う観点の相互交渉の様子が語られる可能性があるのではないだろうか。それを聞かずに、事実としての交渉のあり方を記述するのはいかがなものかと思う。なお、この私の考えは、ここで考えたことに近いものである。
もう少し、この世界のことについて学んでみたいものである。
私の苗字は「道田」という。ありそうであまりない名前である。ということで、名前に関する話を少々。
あまりない名前なので、私は親戚以外の「道田さん」に会ったことはない。もっとも、私の生まれ故郷の熊本には、何軒かある(確か数十年前に電話帳を見た記憶では、市内に10軒ぐらい載っていたのではないかと思う)。うちの妻が結婚前に勤めていた職場には、道田さんがおられたそうだ。残念ながら会う機会はなかったのだが。
ちなみに現在住んでいる沖縄には、道田姓を名乗る人間は、我が家の一家4人しかいないのではないかと思う。電話帳をざっと見たかぎりでは。もっとも、なぜかうちの近所には「道田橋」という橋がある。
名前が少ないことで困るのは、印鑑がほしいとき。以前は既製品は確実に置いていなかった。沖縄には今でもない。しかし最近、熊本の百円ショップにいくと、たいてい置いてあることに気づいた。それで、帰省のたびに1本買って帰っている。
この名前、読み方は難しくはないので間違って呼ばれることはまずないが、逆は大変なことが多い。たとえば電話口で「お名前は?」と聞かれて「ミチタです」といっても、たいがい1回で聞き取ってもらえることはない。「ミツタさん?」とか「マチダさん?」「ミギタさん?」などと言われてしまう。ゆっくりはっきり言ってもなかなかわかってもらえないのは、聞きなれない名前だから、ということだろうと思う。そういうわけで、初対面の人に、字を見せることなしに名前を名乗るときは、ちょっとユウウツになる。
電話などで漢字を伝えるとき、私の親は昔から「道路のミチに田んぼのタ」と言っていた。私も基本的にはこれに倣っていたのだが、あるとき人に、「道路の「道」も「路」もミチと読むのでどっちかわからん」、と言われた。「ミチ」と言われて「路」を考える人もそうはいないだろうと思うのだが、一応それ以来、「道路のドウに田んぼのタ」と言うようにしている。ただ、「道路のドウ」は聞きようによっては「道路のロー」に聞こえるかもしれないという心配はあるのだが。
私の場合、道田は「ミチタ」と読む。確かうちの親がそう言っていたのだ。と思っていたのだが、数年前に父親の名刺を見たところ、裏に英語表記で「MICHIDA」と書かれていた。え?ミチダだったの?とびっくりした。ちなみにインターネットで調べてみると、MICHITAよりもMICHIDAの方がヒット数が多い。
・・・と思っていたら、父のメールアドレスはmitita(ミチタ)だった。いったいドッチやねん。まあ40年もこれで通してきて、今さらミチダと名乗るのも、自分自身言い慣れてなくてヘンな感じがするので、ミチタのままでいいんだけど。それとも、ときどき気分で変えてみるかな。
「東京・神奈川の約648万人の名字」をもとに作られたデータベース(こちら)によると、ミチダは12677位(7人)で累積人数比率は95.7%、ミチタは15529位(5人)で累積人数比率96.8%だった。うーんこれじゃあ印鑑がないわけだ。というか、ダイソーは商売になっているんだろうか?
#ちなみにこの文章、こちらのミチダさんの文章を参考にしながら書いてみました。
#はせぴい先生から「ATOKで「みちた」を変換しても「道太」や「満ちた」しかでない。「みちだ」とすると「道田」が候補にあがるようだ」というコメントをいただく。MSIMEでもそうだった。うーんちっとも気づかなかった。
「対話と討論、発見のある学習」(p.iii)を行っている小学校教師の本。この人の本は『どの子も発言したくなる授業』についで2冊目だ。筆者は「間違うことを保証する」授業を行う、ということだったが、前著では「具体的な方策があまり明確ではない」点が不満だった。しかし本書で、その不満は多少解消された。
本書にはいくつかの授業実践報告(ただしエッセイ風)が載っていたが、それを見るかぎり、まず筆者は、教材選びが適切なようである。子どもの興味を惹く教材ということだ。それに加えて、教材の提示の仕方や、発問も巧みであるように見えた。「発見のある授業」を仕組むような発問ということである。
しかし筆者のうまさは、そのような技術面だけではない。筆者にとって授業とは、「偶然を通して本質的なものをとらえていく営み」(p.50)だそうである。それゆえ筆者は、偶然やもめごとを歓迎している。「ジグザグな過程を通れば通るほど、深い学習ができる」(p.50)とも述べられている。揉め事や疑問や間違いを積極的に取り上げ、皆で討論することを通して、授業を深めているのである。この辺は、佐藤学氏のいう「反省的授業」であるように見えた。
さらにそれだけではない。筆者の授業を修士論文に取り上げた大学院生の評であるが、筆者は、「子どものどんな発言も本当にていねいに受けとめ」(p.201)ている。受けとめるだけではなく、「今しっかり読めたのは〜君が間違えたからこそだね」(p.201)というように、間違いを高く評価さえしているのである。その上、筆者の授業には「強制や脅しが一切ない」(p.203)、「手をあげるまでささないので、じっくり考えられる」(p.206)、「一度もどなったこともなかったし、いらいらしているような顔を見せなかった」(p.211)という。あるいは子どもが問題を起こしたときでも、教師が「自分の思いをストレートに子どもたちに「指導」しようとすること自体が、そもそもおかしいことなんだと考える」(p.213)のだという。厳しい指導をするのではなく、対話、共感、納得、合意を大事にするのだそうだ。
このように筆者の「間違いを保障する授業」は、確かな技術と適切な教育観と確固たる態度とに支えられていることが本書でわかった。こういう授業を私も一度(受けて/やって)みたいものである。
1年前のこの時期には、近所の芋の子洗い的不透明ビーチに行っていたが、昨日は、米軍基地で働いている知人の招待で、基地内のビーチに行ってきた。
妻に言わせると、「そこは別世界」だった。海はきれいだし、人はそんなに多くないし、いるのはほとんどが外国人だし。
遊泳時間の制限もないので、ゆったり遊べたし、シャワーも全然混んでいなかったので、とても快適だった。すぐ近くに公園もあるので、子どもは水着を着たままブランコに乗ったり滑り台を滑ったりできるし。あずま屋(有料)があるので、大人は日差しをさけておしゃべりもできるし。もっとも私は、もっぱら海で子どもたちの相手をしていたのだけれど。
まあでも一番よかったのは、海がきれいだったことか。今回はあまり海につかるつもりはなかったので、物心ともにあまり準備をしておらず、腰ぐらいまでしかつからなかったのだけれど、見える範囲でも、ナマコがいたりして、透明度も悪くなかった。次に行く機会があれば、シュノーケルを持っていくと楽しいかもしれない。子どもたちが私をほったらかしてくれればの話だけど。
著者の思考や執筆の方法論を論じた本。方法論といっても、次のことに尽きるようである。
「「便利な正解の時代」が終わってしまったら、「わからない」という前提に立って自分なりの方法を模索するしかない」(p.226)
基本的な主張はまったくそのとおりだと思うが、「自分なりの方法を模索する」というのが難しいんだろうと思う。本書はそこのところを、「私は「わからない」ときに、このような方法を模索し、実践した」という話にしている。具体的には、私はいかにして「セーターの本」を書き、何にも知らないエコール・ド・パリのドラマ脚本を書き、枕草子を桃尻語で翻訳したか、ということの紹介が中心になっている。半分以上は、回顧録的エッセーみたいなものである。各事例の面白さはまあそれなりか。
まあそれでも、さすがわ橋本治的な発想も所々に見られる。たとえば、「作家とは「定年」と「再就職」を頻繁に繰り返さざるをえない生き物」(p.30)という表現はなるほどと思った。作家とは作品を書いている最中だけの呼称だからである(書き終えたら「あの作品の作者」という過去の人)。この指摘は、研究者も同じだな。
批判的思考的な部分としては、筆者は自分を「へんな人間」と規定したうえで、「「へん」は中立の指標」と位置づける。「へん」と「へんじゃない」は意味的にはイーヴンなのだが、多数派が「へんじゃない」、少数派が「へん」になるのである。そして両者の関係を、「「へんじゃない」は批判の拒否で、「へん」とは、これに対する批判票」(p.58)と表現しているのである。これもなかなかうまい表現である。ただし論の進め方はけっこう適当だと思うのだが。
これに関しては他にも、「「へん」とは「他人の目」であり、「へんじゃない」とは「自分の目である」(p.61)とか、「「へん」という立場に拠れば、「へんじゃない」を批評的に見ることができる」「「へん」の立場には、「へんじゃない」をひっくり返す力が宿るのである」(p.65)なんていう記述もある。ちょっとオッと思わせる表現である。まあ基本はあくまでもエッセイなんだけど。
最近、うちの娘たち(2歳9ヶ月と5歳0ヶ月)は、うちで「避難訓練」をするようになった。いや正確には、避難訓練「ごっこ」か。
我が家で使っているやかん(笛吹きケトル)で、お湯が沸いて笛がピーッとなると、娘たちが台所にやってきて、二人並んで、いわゆる体育座りをしているのである。何をしているのかと思ったら、上の娘が「かじです。かじです」などとつぶやいている。それで避難訓練だとわかった。幼稚園あたりでやっているのだろう。心もち前かがみというか、背中を丸めて小さく座っていて、なんだかかわいい。でも真剣な面持ちで、「ごっこ」というよりは「訓練」をしている、といいたくなってしまう。
それにしても、火事のときって、「座る」のが正解なんだろうか? さっさと逃げないといけないと思うのだけれど。妻にそういうと、「座るのは、お部屋から外へ逃げてから、外で並ぶときのかっこじゃないかな」といわれた。でも、娘たちが座るのは、ピーッと鳴ってすぐなので、違うんじゃないかなあ。「逃げてから座る」のであれば、ピーッとなってからまずする行動は「逃げる」になるはずだし。ということで、この謎は後日に持越しである。
#上の娘に「どこで座るの?」と聞いたら、「木の下」と答えた。どうやらこの勝負、つまの勝ちのようだ。