読書と日々の記録2003.09上

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■読書記録:  10日『戦場の村』 5日『フィールドワークの技法』
■日々記録:  11日腰痛のリハビリ 6日3歳児のおしゃべりとパズル 2日もう一回読むべき本

■腰痛のリハビリ

2003/09/11(木)

 7月ごろから腰がずっと痛かった。最近は,足を伸ばして仰向けに寝るのがきつくなったり,座った姿勢から立ち上がったときになかなか腰が伸びなくて,けっこうつらくなってきた。自宅でやるストレッチも,ホットパックもあまり効果がない。それで,数日前に病院にいった。やっぱり理学療法は偉大である。おかげで少し腰が軽いような気がする。しばらくはリハビリに通おうと思っている。

 まずリハビリを受ける前に、整形外科医の診察を受ける。それが終わってリハビリ室送りになり、今度は理学療法士さんが身体を見てくれる。その両者の身体の見方の違いには、興味深いものがあった(もっともこれは、私が見てもらった医者やPTの話で、一般的にどうかはわからない)。

 これはあくまでも私の印象なのだが、医者は、データを見、「病気」を見ているような気がする。たとえば、医者が診断を下したのは、基本的にレントゲン写真だけを見ての判断であった。それだけで終わりそうになったので、「身体が曲がっているんですけど」というようなことを言って、見てもらった。前々からそうなのだが、身体が正面から見て「く」の字に曲がっているのだ。なぜそうなのか、問題はないのか、どうしたらいいのか、などを知りたかったのだ。

 医者は、それを聞いて、「おや、そうですか」みたいな反応をし、私をベッドに寝かせていろいろと調べてくれた。そして「側湾症ではなさそうだ」という診断だった。私が知りたかったことに対する答えはなく、「病気かどうか」の診断だけがなされたという感じだった。

 それに対して理学療法士。私と一緒に診察台に向かいながら、私が何か言う前に、「身体が曲がっていますね」と指摘した。私の歩く姿や立位を見たのだろう。その後の診断では、私を立たせて前屈後屈側屈左右ひねりなどをさせ、どのぐらい曲がるか、どこが痛いかを調べた。次は座ったり仰向けやうつ伏せで、身体を押したり曲げたり引っ張ったりして、念入りに調べてくれる。そしてそれを通して、私の状態は基本的に把握されたようだ。医者がレントゲン写真で知るような事柄を、患者全体を丹念に見ることで、同程度(あるいはそれ以上)に把握しているように感じた。患者としては、とても安心のできる対処だったように思う。

 医者はデータを見、理学療法士は身体を見る。前者はポイントを見、後者は多面的に見ているともいえるかもしれない。この対比は、心理学などの研究にもあるような気がする。

 以下は,備忘録代わりの自分用メモ。

■『戦場の村』(本多勝一 1968/1981 朝日文庫 ISBN: 4022608013 ¥563)

2003/09/10(水)
〜戦争を全体として描く〜

 『ルポルタージュの方法』を読んで、本多氏のルポを読んでみたいと思った。それで買った本。面白かった。

 『ルポルタージュの方法』によると、彼がベトナム戦争を手がけたときには、外野からは、「彼はやはり秘境記者だよ。戦争は無理だ」というような声があったそうだが、本書を読んだら、「そういう感想が出るのももっともかも」と思った。というのは、ベトナム戦争が本書のテーマなのだが、戦地や戦争関係者だけを取材しているわけではないのである。サイゴンの一般市民、山岳民族、農民、漁民も綿密に取材されている。そういう部分だけを見れば、「秘境モノ」と呼んでもおかしくないような内容なのである。

 たとえば「サイゴンは、時にはアメリカ兵に対する手榴弾などのテロはあっても、大部分の庶民にとっては平和な首都だ」(p.17)そうである。あるいは、山岳民族の暮らしとか、有力者のコネを利用して徴兵逃れをして釣りをしている漁民とか。しかし、前線ではなくても、あるいは戦争関係者ではなくても、みなそれぞれの土地で、それぞれの形でどこかしら戦争とかかわっている。そういう姿がよく見えるルポであった。それは、戦闘行為やその周辺だけを取り出して戦争を描くのではなく、非戦闘地域も日常も含め、戦争を全体として描くというやり方である。

 戦争というと、第二次世界大戦時の話は昔からよく耳にする機会は(平均的な日本人同様)あったのだが、ひとつ私は不満に思っていたことがあった。それは、そういう話では、空襲などのときの戦争の悲惨さや大変さが主に語られるため、そういう状況のことはよくわかるのだが、たとえば空襲がないときの庶民の暮らしや考え方は、そういう話ではよく見えなかった。

 それが本書では、さまざまな場所に行き、筆者自身も体験しつつ、いろんな立場の人々の話を聞いたりほかの人からウラを取ったりしたものを通して描かれているため、戦闘が行われているとき以外も含め、その土地で人々が戦争をどのように体験しているかが、私自身その土地に行ったかのように体験できる。そういう点がとても面白い本であった。もちろん従軍もしているのであるが、それも米軍だけでなく韓国軍にも従軍している。また、解放軍にも密着取材しているのである。文字通り「全体」が描かれている。そう思わせられるような本であった。

■3歳児のおしゃべりとパズル

2003/09/06(土)

 下の娘が3歳になった。

 1年前、2歳になったばかりの頃は、「言葉らしきものも出てきた」時期だったが、今は、そんな時期もあったのかーと感慨にふけるぐらいによくしゃべる。さっきも、ケーキを見ながら「わーいわーい、おたんじょうびだー」と叫んでいた。「パパ、まーちゃん(姉。仮名)がこんなした。あぶないよね」とも言っていたし。

 ただ、「とうもろこし→とうもコロし」といった転音はある。それに、長い文章や難しい言葉を喋ろうとすると、よくとちゅうで詰まって「んー、なんだっけ?」と言ったりする。また、サ行がシャ行になるので、雰囲気はとても赤ちゃんぽい。ごちそうさま→ごちショうシャま、カルピス→カルピシュ、せんせい→シェんシェい、あ、そうだ→あ、ショーだ、みたいなやつである。ほかにも,ツがチュになったりする(9がつ→9がチュ)。だからといって、「まだ赤ちゃんだねえ」と言いながら抱っこしたりすると、「赤ちゃんジャナイ!」といって怒られるのだが。

 彼女の最近のブームはパズルである。8ピースぐらいのパズルだったら、一人でできる。ひらがなパズル(46ピース)は、字を読んだりはできないが、順番が崩れていなければ、一人でできることもあるので、よくやりたがる。あと、大きな動物のジグゾーパズル(30ピース)もよくやっている。これは、うまくいけば一人で完成できることもある。こういうのをやりたがる時期というのがあるんだろうか。

 あとは、なんだか最近、ワンピースのヒラヒラした服を着たがる。それを着て、くるりと回ってスカートがヒラリンと開くのが面白いらしいのだ。こういうのも、ちょっと前まではなに着てもかまわないみたいだったのに、着るものへの意識が出てきたようで面白い。本当に「赤ちゃん」と「児童」の過渡期という感じで面白い。

■『フィールドワークの技法─問いを育てる、仮説をきたえる─』(佐藤郁哉 2002 新曜社 ISBN: 4788507889 2,900円)

2003/09/05(金)
〜体験談から学ぶ〜

 タイトルどおり、フィールドワークのHOWについて書かれた本。内容的には、『フィールドワークの経験』『マルチメディアでフィールドワーク』で筆者自身が書いていることと重複する部分もあった。

 ただ本書は、筆者自身のフィールドワーク経験を通して語られている部分が多く、興味深い。特に失敗談やつらかったこと、試行錯誤のプロセスなどは。たとえば、筆者の博士論文である暴走族研究で言うと、暴走族グループになかなか接触することができず、とてもつらかったとか、その間を無為に過ごしていつも自責の念にかられていたとか、3年で終えるつもりのフィールドワークが終わらず「敗因分析レポート」を書いていたとか(結局8年かかったそうである)。こういう話は、とても役に立つような気がする(現在私がフィールドワークをしているわけではないのだが)。

 本書で改めて認識したこととしては、フィールドワークの中には、「「適切な問い」を探し当てていく作業としての性格をもって」(p.126)いる部分がある、という話がある。これと基本的に同じことをあらわしているのであろうが、「リサーチクェスチョンが最も明確なものになるのは、実際に調査を行っている最中というよりは、むしろフィールドワークの作業をあらかた終えて報告書として民族誌を書いているときのことの方が多い」(p.106)ので、早めに章立てや中間報告書を書いておいたほうがいい、という話もあった。もっともこれは、よっぽど明確な仮説検証研究でかつ仮説どおりの結果が出たのでなければ(あるいは明確な結果の決定実験でなければ)、研究一般に当てはまることだろうけれども。

 これもフィールドワークに限った話ではないが、研究を始めるに当たっては、読むべき文献のリストを、古典、総論、各論、技法などにわけて作成し、読みながらそれを改定して充実させることで、その分野の見取り図を作ることが重要であることが述べられていた(p.100)。こういうことって、重要だけどつい行き当たりばったりでやってしまうんだよなあ。きちんとすべきなんだよなあ、と再確認した。こうやってみてみると、本書は、フィールドワークだけに限らず、研究全般についてのヒントがいくつも含まれている本だといえる。

 そのほかには、フィールドワークとルポルタージュの違いとして、「ルポルタージュは記述が中心になりがちであり、理論的分析が弱くなる傾向がある」(p.338)と筆者は述べていたが、これも、最近私がちょっと気になっていた点なので、なるほどであった。

■もう一回読んだほうがよさそうな,印象的な本

2003/09/02(火)

 私のこの1年のMIB(Most Impressive Books & っかい読みたいックス)である。過去のものはこちら昨年から,選定基準を,「印象的」から「もう一回読みたい」に重点を移しているのだが,この1年間で再読し,もう1回読んでよかったと思えたのは,『批判と挑戦』,『哲学的思考』,『誤りから学ぶ教育に向けて』,『対話の技』の4冊であった。

 それ以外の本は,1年前に読んだときとあまり印象が変わっていない。中には,「小難しさばかりが目に付いた再読で,あまり得るところはなかった」と書いたものもある。MIBは再読するので,「難しかったけど何かありそうだ」を主に選んだのだが,どうもそれだけではうまくいかなそうだ。「難しさ」よりも「何かありそう」「もう一回読んだほうがよさそう」感を中心に選ぶべきなのかもしれない。

 ということで,この1年の12冊は以下の通り。


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