読書と日々の記録2003.10下

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■読書記録: 31日短評8冊 25日『ポパーの科学論と社会論』 20日『「心」はあるのか』
■日々記録:

■10月の読書生活

2003/10/31(金)

 昨年も書いたのだが,10月はなんだか軽い多忙感があるな。ということで後半は日々の記録が書けていない。実際やったのは,授業のほかは,気軽な論文書きと,前に書き上げた論文の残務整理的なこと,次の研究の準備ぐらいなのだが(あと,公立小の総合学習の発表会(6年)を2時間見た)。後期授業が始まるというのは案外大きいのかもしれない。

 そういえば,8月ごろから胃腸の調子がおかしかったので,以前は毎日飲んでいたコーヒーをほとんど飲まなかった。最近は調子が戻ってきたので,週に3回ほど飲むのだが,なんだかカフェインの効果が以前よりも大きい気がする。そういえば,コーヒーは習慣的に飲むと効果が落ちると『記憶力を強くする』にあったような気がするが,まさにその逆の体験であった。

 今月よかった本は,『職業欄はエスパー』(人間の見えるルポだった)かな。強いてあげるなら『死ぬ瞬間』(そういう研究だったのかあ)と『ポパーの科学論と社会論』(知識の整理になった)もまあまあだった。全体的には不作気味。

『言論の不自由?!』(鈴木邦夫 1990/2000 ちくま文庫 ISBN: 4480035850 640円)

 旧題『天皇制の論じ方』で、そういう内容の本。主張の一部は『がんばれ!!新左翼 part 3(望郷篇)』と重なっていた。ただ、話題は天皇制に限定されている点が異なる。天皇制のような、右も左も集団として命を懸けて賛成/反対するようなテーマを、いかにそういう形ではなく個人として「言論」としてやるかが論じられている。その主張は当然だと思われるが、こういうテーマになるとそういう当然が当然でなくなるのもまた事実だろう。そしてそれは、「天皇制」だけに限らず、いろいろな事柄にあてはまるものだと思われる。

『誰も書かなかった量産工場の技能論─技能を知らずして技術を語るな!』(福山弘 1998 日本プラントメインテナンス協会 ISBN: 4889561528 1,500円)

 「「量産の工程には熟練技能はいらない」とすることへの問題提起」(p.1)の本。それは、量産の工程であっても人間が関わる部分にはさまざまなコツや工夫が必要であり、「作業者はそのときそのときの状況に応じて、自らの行動を微調整している」(p.244)からである。筆者は、長年、工場で歯車加工に携わった人。この分野の専門的な用語などがあまり説明なく用いられているし、最初の問題提起とは別の問題も後半では扱われているようで、読みにくい部分も多かったが、基本的な問題提起は分かったように思う。現場でのこのような実態は、「行為はプランでコントロールされているわけではない」と主張する状況論者が喜びそうなものである。

『沖縄文化論─忘れられた日本─』(岡本太郎 1972/1996 中公文庫 ISBN: 4122026202 686円)

 岡本太郎が、復帰前の沖縄に訪れ、根源的な日本を見出した、という本。それは、霊御殿や壷屋の焼き物などのような有形の文化ではなく、何もない聖域や踊りなど、無形の文化からであった。知らなかったのだが、岡本太郎は民俗学を学んでいるのだそうで、そういう目は随所に見られる。あと面白かったのは、当時(1960年代)の沖縄では、泡盛はあまり飲まれていなかったという話。へぇ。

『頭を鍛えるディベート入門―発想と表現の技法─』(松本茂 1996 講談社ブルーバックス ISBN: 4062571129 ¥860)

 タイトルどおり、ディベートの入門書。比較的オーソドックスな内容かと思われる。実際のディベートを再録し筆者が講評をつけている部分はよかった。なるほどと思った記述に、「ディベートで取り扱う論題では賛否の両方をサポートする議論がほぼおなじくらい存在」(p.58)するというものがある。これは、ひとつの論題に同じ人間が肯定・否定のどちらの立場にも立つことに対する批判への反論として述べられたものである。確かにディベートの論題は誰かが熟考の上選択するもので、それに対して日常的な感覚で批判するのは不適切かもしれない。

『大人にならずに成熟する法』(白幡洋三郎監 2003 中央公論新社 ISBN: 4120033775 2,000円)

 5人の論者が関わっているので、人それぞれ考え方は違うのだが、基本的には、現代社会は未熟な人でも生きていける成熟社会、という認識の下に、現代社会のありようを読み解き、これからの生き方を提言した本か。面白いところも面白くないところもあったのだが、最近の私の考えの志向性からいうと、次のくだりはまったくもっともだと思った。「本当の意味の他人の理解、あるいは他の文化の理解というのは、「やっぱり違うんだな」「分からない部分があるな」というふうに、「違いが分かる」こと、違いというか「超えられない隔たり」ということをしみじみ思い知るというのが本当に相手を理解するということなんじゃないかなと思います。」(p.211) 実際は本書は、あまりそういう部分は見られず、「今の若者がみんなこうなのは、こういう理由だからだ」というように、超えられないはずの隔たりを安易に解釈しているように見える部分が多かったのだけれど。まあこれだけの分量の本で扱うには大きすぎる問題(&人数)だったのではないかと思う。

『イエスに邂った女たち』(遠藤周作 1983/1990 講談社文庫 ISBN: 4061848151 495円)

 聖書には、イエス以外の人物はあまり詳しく書かれていないそうで、登場人物の中で、女性に焦点を当てて、作家としての感性を働かせながら、その人となりやイエスとの関係、イエスの思想などを浮かび上がらせた本。マグダラのマリア、サロメ、聖母マリアなどが取り上げられている。それらの女性たちに(女性たちを通して)イエスは、「(-)を(+)に転化せよ」(p.29)と教えているようである。なるほどと思ったのは、イエスの有名なセリフ「あなたがたのうち、罪のないものがまずこの女に石を投げればいいではないか」についての遠藤氏の考え。これは「問題のすり替え」と論じたうえで、しかし「社会的な道徳でいう罪と宗教的な罪は違う」(p.77)ということをイエスは言っているのだと遠藤氏は言う。なるほどであった。

『教育のエスノグラフィー─学校現場のいま─』(志水宏吉編 1998 嵯峨野書院 ISBN: 4782302584 \2,700)

 再読。初読のときは「エスノグラフィーの本は,理念的な話の部分では,「おお,なかなかよさそうだ」と思うものの,実際の研究例をみると,ちょっと肩透かしをくわせられたような気がすることが多い」書いたが、今回は、「理論はもういい、はやく実践が読みたい」と思ったし、実践のほうは、それなりに興味深かった。それだけ私が、この1年でエスノグラフィーの理論に(ある程度)親しんできたからだろうか。そして意外なことに、実践は案外面白かった。中でも、今の私の問題意識に近い筆者がいたので、その人の他の研究が読みたいと思ったのだが、見当たらなかった。まあ次は本書を手がかりに実践の本を探してみるか。

『セクシィ・ギャルの大研究―女の読み方・読まれ方・読ませ方―』(上野千鶴子 1982 カッパサイエンス ISBN: 4334060072 \748)

 ふーむ、これは、私が「自爆本」と呼んでいる類の本だな。本のテーマは、「広告というもっともポピュラーな媒体に搭乗する、女たちの「らしさ」のカタログであり、その隠されたメッセージを読み解く手引き」(p.16)ということのようだが、その読み解き方が、あまりにも強引で恣意的に見える。本書の中で、「体格の大きさが性的ポテンシャリティと比例している」という(男性に都合のいい)仮説を取り上げ、「喜ぶのはちと早いのでは。あくまでも仮説なんだから」(p.26)と筆者は諭しているが、この言葉は、本書のほとんど全体にいえることだと思う。そのほかにも、膨らんだ胸や肉づきのいいおしりを指して、「女は誰でも性的メッセージを発信している」(p.50)と書いているのに、別の箇所では「裸、即性的メッセージ、という図式は短絡的だ。それなら、裸で暮らす民族やヌーディストは、いつでも性的な反応をしていなければならなくなる」(p.100)と、正反対のことが書かれている。

■『ポパーの科学論と社会論』(関雅美 1990 勁草書房 ISBN: 4326152389 2,600円)

2003/10/25(土)
〜P1→TT→EE→P2〜

 タイトルどおり、ポパーの科学論と社会論を概説した本。前半が科学論、後半が社会論である。科学論については、知っていることが多かったのだが、本書で知ったこともいくつかあった。たとえば、ポパーにおける批判と合理性の関係。本書によると、「批判的合理主義によれば、正当化ではなく批判することこそが、合理性の追求なのである。〔中略〕合理性とは批判性であり、批判性とは成長性・改善性を追求することなのである。」(p.38-9)ということであった。すっきりとよくわかる。

 また、前から疑問に思っていたのだが、ポパーは科学と非科学の境界設定として「反証可能性」をあげた。これは科学を特徴づけることとしてはよくわかる。しかし、実証性を備えていないために「科学」の範疇には入らないが「学問」としては成立しているものはどういう位置づけなのだろう、と思っていた。たとえば「哲学」なんてのはまさにそうである。本書によると「ポパーにとっては、哲学は非科学つまり反証不能なものの方に分類される」(p.78)が、しかし「哲学理論であっても、「問題に対する答」としてなら、その妥当性優劣などを批判的に討議することができる」(p.78-9)。つまり、「哲学が解こうとしている問題」が明確であれば、「解くことが可能か」(=批判可能性)、そして「他の理論よりもうまく解決できているものなのか」を検討すること(=批判的討議)が可能ということなのである。なるほど。そのほかにも、科学論に関しては、ポパーとクーンがいかに近いかが書かれていたりして、理解の助けになった。

 一方、ポパーの社会論についてはあまり知らなかったのだが、本書でも半分ぐらいしか理解できていないと思う。分かった範囲で書くならば、ポパーは民主主義を「主権論」としてではなく「権力制御論」として理解していること、社会変革のためにポパーが提案するのは、革命などの全体論的な方向性ではなく、「不幸を地道に除去していく」(p.198)という「漸次的社会工学」を提唱していることがわかった。不幸を地道に除去するというのは、科学において誤りを除去する(問題1→試行理論→誤りの排除→問題2という図式で表される)のと同根の考えである。これは、まあまあなるほどであったけれども、それを実現するのは結構難しいような気がした(無知のベールみたいな道具立てが必要?)。

 などと思っていたら、最後の「あとがき」で、これに関して得心の行く記述があった。ポパーの漸次的社会工学には、多くの人々が問題を指摘しているのだそうである。それは、「体制を根本的に改革しなければならない時には、この方法は細か過ぎて役に立たない」(p.299-300)という批判である。これを見て、「体制を根本的に改革」するというのは、要するにクーンのいうパラダイム革命だと思った。そういえばポパーも、科学の進歩は単なる「誤りの除去」ではなく、「大胆な推測」とその厳密なテストと言っているはずである。しかし漸次的社会工学にはこの「大胆な推測」(=試行理論)の部分がない。それでは細かすぎる過程にしかならないはずだ。

 まあ、科学論は、各人が好きな理論を立てていい。それはその後、厳密にテストされるからだ。しかし社会論というか政治に関しては、各人が好きにしていいというわけには行かない。その地域で採用される政治方法は1種類しかありえないので。そういうことで「漸進的変化」のみを基本原理としたのだろうか。その理解でいいのかどうかは分からないのだけれど。

■『「心」はあるのか―シリーズ・人間学〈1〉』(橋爪大三郎 2003 ちくま新書 ISBN: 4480059911 ¥680)

2003/10/20(月)
〜心は言葉のなかで作られる〜

 思想講座「人間学アカデミー」での講義録が元になっているらしく、すぐに読める本。心に対する筆者の基本的な考えは、心は実体として存在するのではなく、媒介変数のようなもので、ほかの事柄に還元できるものである、というものである。もう少し具体的には、次のように表現されている。

 まあこんなところだろうか。これらの考えの根底にあるのは、ヴィトゲンシュタインの「言語ゲーム」という考えである。心は、人間が行うある種の言語ゲームにおける重要な道具立て、あるいは「言語ゲームから二次的、三次的に生み出されていくもの」(p.129。ただしここでは「霊魂」の説明として)という考えである。この考えは、ヴィトゲンシュタイン派エスノメソドロジスト(『心と行為』など)が「言語」や「相互行為」を分析する根拠になるものであり、まあよくわかる。

 このような考えは、基本的にはそうだと思うが、本書では、言語その他の人間行動における「身体」の重要性についてはほとんど触れられていなかったのが私としては不満だった。そのほかにも、講演録であるせいか、正確さや深さよりも、分かりやすさを優先して、ストーリーが単純化されているような感じを受けた。

 たとえば、「心」という語は、本書中いろいろな意味で使われているように見える。あるいは、最初の章では、「心の存在を自明視していない学問」として、心理学の行動主義のことが出てくる。しかし後ろのほうでは、ヴィトゲンシュタインの行動主義を指して、「彼の行動主義は心理学とは反対に、「「痛い」と言うから痛いのだ」という立場です」(p.135)と表現している。「反対」ということは、心理学の行動主義は「痛いと感じるから痛いと言う」と、内面(=心)に原因を求めている言い方になる。この2箇所では言っていることに整合性がないように見えるし、後者の理解は適切なのかちょっと分からない。そういう浅さを感じさせる点はいくつかあるが、ヴィトゲンシュタイン的な心の理解の導入としては、まあ悪くない本かもしれない。


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