読書と日々の記録2004.5上

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■読書記録: 15日『公認「地震予知」を疑う』 10日『「提案する社会科」の授業2』 5日『超MBA式ロジカル問題解決』
■日々記録:

■『公認「地震予知」を疑う』(島村英紀 2004 柏書房 ISBN: 4760124888 1,400円)

2004/05/15(土)
〜地震予知に振り回されぬよう〜

 地球物理学・地震学を専門とする筆者による本。これまでにこの筆者の本は5冊読んでいる(『地震は妖怪 騙された学者たち』『地震学がよくわかる』など)。それらは、地震や地球、地震研究、筆者が研究のために行った土地(アイスランドや南極)のことが、分かりやすく興味深く書かれた本だった。しかし本書は、それらの本とは趣を異にしている。

 本書に書かれているは、「政府やがやっている地震対策に対しての辛口の批判」(p.234)である。そこで言おうとしていると思われることを私なりにまとめるならば、「政府公認の地震予知情報に振り回されることなく、自分でできる範囲で地震に備えよう」となる(あくまでも「私なり」のまとめである)。もっとも、「振り回されるな」に関わる話が全体の9割を占めているのだが。

 政府公認の地震予知情報に振り回されないようにした方がいいのは、私の理解では、第一に、地震予知がとても難しいことだからであり、第二に、政府が流す情報があまり適切なものとはいえないからである。

 第一点に関しては、他国も含め、これまでに地震の前兆現象らしきものが報告されたことは何度かある。しかしその現象には、再現性も普遍性もなく、その出方も定量的ではないことが現在までに分かっている。そもそも、地震は「破壊現象」という物理学が本質的に扱えない現象だから、気象予報をやるようなやり方で予報(予知)することは不可能なのである。しかも、予測のための観測器も、地震が起きる深い場所には置くことはできず、ごく浅いところの変動を測定しているに過ぎない。

 それだけではない。地震に強いと言われていた高速道路や新幹線の高架橋が、阪神大震災で何箇所も崩壊している。そのようなことが、原子力発電所に起きる危険性を筆者は心配している。原子力発電所は岩盤の上に設置してあるから、地震の揺れが小さく、どんな地震の揺れにも耐えられる、と政府は説明しているらしい。しかし2000年に起きた鳥取県西部地震では、岩盤上の加速度が予想以上に大きかったところがあったそうで、この政府の説明は否定されつつあるのだそうだ(p.175)。つまり、地震に関しては、分かっていないことがまだまだ多いのである。

 これは、上記2番目の、「政府の説明の不適切さ」と関わる部分であるが、その不適切さは、これだけにとどまらず、地震予知そのものにも現れている。地震予知には、大雑把には、長期予測と短期予知がある。地震の長期予測は、断層調査して過去にどのくらいの間隔で地震があったかに基づいて推定されているそうだが、「阪神淡路大震災が起きる直前に、この地震(兵庫県南部地震)を起こした野島断層で地震が起きる確率がどのくらいだったかを見ると、空恐ろしくなる。評価時から30年以内に地震が起きる確率は、0.4〜0.8%にしかすぎなかったからである」(p.128)という。そもそも、2000年前後の周期で起きる内陸直下型地震に対して、30年という期間で区切って予測することには、ほとんど意味はない(のではないかと思われる)。1%以下ということは、安心していいということを意味してはいないのだ。

 短期予測(予知)に関しても同じである。現在、プレスリップと呼ばれる「前兆的なすべり現象」を捉まえ、大地震を予知するため、体積歪計という観測器が設置されているそうである。しかし、観測値に変化が表れたからといって、それがプレスリップかどうかは明確ではない(判定会を招集する基準は作られているようだが)。そもそも、体積歪計が「地震予知や噴火予知に直接貢献したことはない」(p.151)し、「大地震の前にプレスリップが実際に観測されたことは、まだない」(p.142)のだそうである。地殻は一枚岩ではないしひび割れもあるし、地下水や雨による変化もある。実際、判定会招集基準に当たる異常レベルを超える地面の膨張が観測されたこともあるらしい。しかしそのときは、地震が起こることもなく、10日ほどで変化が収まったという。筆者は次のように言う。

プレスリップを前兆として捉えて地震予知が成功する場合にも、もっとも短ければ2、3時間さえも判断の余裕がないかも知れない。それなのに、数日間様子を見ないと本当のデータかどうか分からないという、この種の事件が続発しているのである。(p.166)

 つまり、長期予知にしても短期予知も、確率が低いとか警報が出されていないということは、安全であることを意味しないのである。そこで筆者は、「政府の政策に頼るばかりではなくて、個人や家庭や、組織や地域でも、それぞれの対応を考えておくことが必要であろう」(p.207)という。対応といっても、連絡をどうするか、職場からどうやって歩いて帰れるか、を考えておくことであり、ラジオや懐中電灯、水や食料を用意しておくことであり、家具の配置を考えることである。それはどこかで聞いたことがあるような、ごく常識的な対策なのだろうが、しかし、なまじ予知情報があり、それが出されてないなどのために、かえって油断してしまうことがありうる。そうならないように筆者は注意を喚起しているのである。そのことを肝に銘じるために、筆者の提供する、地震関連の諸知識は、とても有用であると感じた。

■『「提案する社会科」の授業2─これが出力型の"舞台装置"だ─』(小西正雄編著 1994 明治図書 ISBN: 4184436056 2,000円)

2004/05/10(月)
〜要するに会議型授業〜

 出力型で行われる社会科授業についての本。出力型授業については、私は『消える授業残る授業』で読んだことがあったが、そのときは今ひとつピンと来なかった。それが本書では、もう少し分かったように思う。

 本書は、理論編と実践編に分かれており、理論と実践例が分かるようになっている。理論編で分かったのは、出力型の授業の学習目標が、理解にも追究にもないということである。出力型は、「いかにすれば子どもたちが手持ちの材料を出力してくれるか」(p.13)という「活用目標」を学習課題としているという点である。このことは、「知識を有効に投資してほしい」(p.13)とも述べられている。使うことが目的なので、「「提案する社会科」の場合、学習課題の答えは絶対に存在してはならない」(p.14)とも書かれている。まあ活用目標とはいっても、一つの授業でどれかひとつということにはならないと思うが、出力型では、出力することで知識を活用することを中心的に目指している、ということのようである。知識を活用するために設定される課題としては、「ふるさと宅配便に詰める最もふさわしい農産物を3つ選ぼう」(p.14)という「未確定」の課題であったり、「日本は開国すべきだったかどうか」(p.15)という反事実的あるいは事実保留的場面設定が行われる。

 本書の実践編には9つの実践が載っており、出力型授業のイメージがよくわかる。中でも、単に出力型の授業が紹介されているわけではなく、現場の教員が、「今までだったら(あるいは一般的にこの単元は)こういう授業をするのだけれど、出力型で、このような授業を行い、このような反応があった」というような記述があった点はよかった。おかげで、従来の授業の比べて出力型のよさがどこにあるのかが、現場の教師に近い観点から分かったように思う。

 実践編で面白かったのは、小学校5年生の宅配便の授業で、「もし全国へ翌日配達しようとするとベースはどんなところにあるといいだろうか」(p.102)と、自分の県(この場合は広島)での集配基地の位置を予想させるという授業。この場合は正解が存在する。先に述べたように、「学習課題の答は絶対に存在してはならない」とあるので、この学習は、この原則からははずれているようだが、しかし、正解があることの利点が、この学習にはあるように思える。この点は今後の検討課題として、もう少し出力型授業について調べてみたい気がした。

 とまあ感心していてばかりいてもナニなので、少し気になった点を。理論編では、出力型授業のよさが述べられている。たとえば、出力型の授業では、子どもの主体性(=指導の間接性)が確保される。個人個人の価値観のすり合わせが中心となるため、子どもたち同士の学びあいが行われる。他人を理解し、理解され、説得するという、子供同士の間での切実性が生まれる。提案の磨きあいの中で、不合理な提案が淘汰され、より説明力の高い提案へと修正されていく。その過程で、必要な知識が基礎・基本として習得されていく。などなど。

 まあこれらは、うまくいけばそうだろうと思う。しかし、出力型、提案型の授業とは、要するに、職場などで行われる会議にとても近いと思う。上に挙げた、宅配便に何を入れるかは、郵便局の会議で論じされそうな内容だし、開国すべきだったかという判断は、未来形に変えるならば、その職場なり団体の今後の方針を決める、という会議に他ならない。そして日常の会議で経験されているように、会議は必ずしも、前の段落に書いたような形で、理想的に進むわけではない(たとえば「不合理な提案」が淘汰されるとは限らない、など)。出力型の授業が、そういう下手な会議風になりはしないか、というのはちょっと気になる点である。そのことを具体的に考えるためには、自分で実際に体験してみれば一番いいのだろうけれども。

■『超MBA式ロジカル問題解決』(津田久資 2003 PHP研究所 ISBN: 4569628133 1,500円)

2004/05/05(水)
〜チェックリストとしてのMECE〜

 ビジネス系の思考・問題解決本。これまでに、ロジカル何とかとか、何とかシンキングみたいな本は何冊か読んできたが、なかなかいいものはなかった。単なる論理学だったり、一般論の自己啓発だったり、論理というよりも作文教育だったり、論理的というよりも筆者の考えの披露だったり。そんな中で本書は、まあ悪くないと思える本であった。タイトルはまあちょっとアレだし、引き込まれるように読む、というタイプの本ではなかったのだが。

 本書が悪くなかったのは、論理的思考の説明が中心ではあるものの、その最終目標を、(スピーディで具体的で最も良いといえる「すじみち」のある)問題解決を明示し、そのことを意識して論理的思考が説明されている点である。そのため、単なる論理の説明にはなっていない点が悪くない。

 また筆者は、「論理的思考という言葉はビジネスマンの中で今や常識的になっている」(p.18)にも関わらず、「論理的思考のカリキュラムを組んでも、成果がなかなか上がらない」(p.18)ことを認識しており、その問題の所在を明らかにしている。それは、「論理的思考について語るビジネス書の多くは、ツリーやMECEなど、個々の"パーツ"については詳しいものの、それらが体系的にどう結びつくのかについてきちんと説明していない」(p.21)からのようである。あるいは上記のように、論理的思考を行うこと(あるいはツリーを書くこと)が自己目的化してしまい、何のためにそうするのかが明確でないこともあるようである。そして本書ではそうならないよう、全体像を示そうとしていおり、その点も悪くない。

 本書で主に扱われているのは、問題の原因を明らかにする方策と、問題の解決策を明らかにする方策である(p.87、第7章、第8章など)。ここから、ビジネスにおける主な問題は、原因と解決策であることがわかる。当たり前のようだが、おかげでちょっとすっきりした。

 本書にも出てくるMECE(Mutually Exclusive Collectively Exhaustive:ダブりなくモレなく)は、以前読んだ『ロジカル・シンキング』(売れている本らしい)にも出てきたが、本書では、もれなく網羅するための具体的な方策として、対立概念を使う、軸を明確にする、といった方策が紹介されており、実用的で悪くない。また、MECEで作られる「ツリーというのは、いくらうまく作れたとしても、所詮チェックリストとしての機能しか持たない」(p.251)という指摘も悪くない。

 そのほかにも、論理的思考力を鍛えるには、(類書で扱われているような)「部品を組み上げる力」だけではなく、「部品を作り上げる力」も必要で、そのためには、情報が多少足りないように思えても、手持ちの情報を使ったりオープンでない質問を上手に使うことで、とりあえず結論を得るという「結論志向」が重要である点が強調されており、これも悪くない。ちなみに筆者は、「具体的な目安としては、五年以上同じ職種についていたら、結論志向を実行して欲しい」(p.65)と基準を示している。具体的な基準で、なかなか悪くない。オープンではない質問とは、『聞きとりの作法』にもあった「二分法を重ねる」というヤツだな。

 また本書の最後では、架空の問題を対象に、ビジネス問題解決ストーリーがシナリオ風に語られており、本書で学んだことがケースを通してうまく復習&補足されており、これも悪くない。読んでいる最中はそれほどとは思わなかったが、読み終わって全体を考えてみると、まあ悪くない本だった。


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