31日短評6冊 30日『ステレオタイプの社会心理学』 25日『知事』 20日『学生の学びを支援する大学教育』 | |
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今月は、中旬に認定講習があり、ちっとも夏休みにならなかった。終わったら終わった出、9月にある別の行事の準備に取り掛からなくちゃいけなかったし。
今月よかった本は、あんまりないなあ。しいて言えば、『知事』かなあ。ということで、今月は今ひとつの月だったかもしれない(泣)。まあしいて言えば、多少は冊数読めた点がよかった点かな。
私たちがなぜステレオタイプや偏見を抱いてしまうのかについて,社会心理学で提出されたさまざまな知見を紹介した本。
本書を書く上で留意されている点として,次の3点があるらしい。1.ステレオタイプや偏見は,誰もが必然的にもってしまうもの,2.ステレオタイプや偏見は一度作られると,変えたり消したりするにはかなりの努力が必要,3.偏見やステレオタイプを解消するためにどのような道が考えられるかも提示する。なかなか魅力的な留意点である。このような基本方針があるせいで、単なる概説には終わっておらず、私にとっては興味深く読めた。
留意点の1(ステレオタイプの必然性)に関しては,たとえば「内集団と外集団に分けることは,人間の基本的な傾向」(p.41)なんてことが書かれている(もちろんこれだけではない)。3(偏見の解消)については,「後から形成された平等主義的な個人的信念にもとづき,時間や努力を要すれば意識的にステレオタイプ化を回避できる」(p.66)とか,「協同作業をとおして接触経験をし,その中で成功感を感じ,相互作用に自信をもつことが偏見の解消には重要」(p.158)などと論じられている。もっとも前者の「意識的努力」に関しては,落とし穴もあり、偏見の低減が一筋縄ではないことがわかる。
偏見の変容に関しては1章が設けられており、なかなか興味深い研究が紹介されている。以下、メモ書き代わりの要約抜書き。
本書は,ステレオタイプや偏見について知るにはとてもよい本だと思う。ただし,「誰でも必然的に持ってしまい,変えるにはかなりの努力が必要なもの」を修正・解消する部分については,もう少し詳しく知りたい気がした。どのような状況でどのように偏見が変化したりしなかったりするのかというのは、きわめて個人的な事柄であるように思えるし。ここから先は,平均値にもとづく量的研究ではなく,事例を分析するような質的研究が必要になってくるのではないかと思う。
今朝、新聞(琉球新報)で見つけたステキな言葉(4年連続200本安打達成のイチロー選手との一問一答)
ノーヒットは昨日だけだったが、やたら長く感じた。きょう出なかったら皆さん(報道陣)の集中砲火を浴びるところ。昨日は(質問に気持ちが)切れかけました。まあ、皆さんもまだ青いが、切れそうになる僕もまだ青いな、と(強調は引用者)
なかなかすごい一言。これ、前半だけでも後半だけでもダメで、両方そろっているところが大事なのだろうと私は思う。
どこかで使ってみたい一言である。
#今朝探した限りでは、インターネット上の新聞でこの一問一答を見つけることはできなかった。本当にイチローはこの通りに言ったのだろうか?
現職の高知県知事が書いた、知事職に関する本。筆者は現在、3期目だそうである。本書の内容は、知事の一日、知事の1年、予算編成、その他知事の仕事あれこれについてであり、知事職がどういうものかがわかる。本書は、インタビュー記録や講演原稿を元に再構成しているそうである。それに加えて筆者は、元NHK記者であり、とても読みやすい。
もちろん中身は、知事職の紹介だけではない。筆者の考えや、これまでにやってきたこともふんだんに盛り込まれている。筆者のような、職業政治家や元副知事や行政マン上がりではない人が、何期も再選されるような手腕を発揮する背後にあるものは、きわめてクリティカル・シンキング的なものであるように本書で思った。たとえば、次のくだりは、筆者がどうして知事になろうと思ったかについて書かれているのだが、これはまさにクリシンである。
これまでの行政手腕の枠から抜け出して、自分で課題を把握して解決方法を考え、既存の法律や条例、規則が少しおかしいならば変えていこうという発想を持てるかどうかが、これからの知事には期待されるものだと考えて、僕は知事に就任した。(p.16)
もちろん、新しいことをやろうとして成功したものは、後から振り返れば基本的にはクリシンということができるのだろうが。それにしても、たとえば予算の知事査定にしても、「以前は査定についてのシナリオが事前にできていて、知事はそれに乗っかっていればよかったという話だったが、今は説明を聞いて議論をして変えていくという作業をきちんと行っている」(p.66)というように、前例踏襲ではなく、「自分で課題を把握して解決方法を考え」るという姿勢を基本的に筆者は持っているように感じた。
このように、クリシン的と思える点は本書の中にたくさん見られたのだが、中でも私がとてもクリシン的だと思ったのは、事業評価システムのあり方である。筆者が導入した事業評価システムは、県民にきちんと説明できるかどうかに重きを置いた基準になっているのだそうで、具体的には、次のような説明が求められるのだそうである。
なぜこの事業が必要か、他の代替案に比べてどういう特徴があってどのような効果が現れるとか、これによって目指すべき目標は何かなどを書いてもらって説明する。知事に説明をするのではなく、県民に説明することを意識して書くシートに記入を求めてみた。(p.82-83)
そのシートを元に、知事が評価するというシステムなのだそうで、この中で代替案との比較という視点は、本書の説明で見る限り、幅広く考えるクリティカル・シンキングであると思った。ただし、導入初年度は、代替案と比べるということがなかなかできなく、事業の必要性を訴える議論が多かったのだそうだ。
他にも、「さまざまなアイデアは県職員のものも県民一人一人のものも、上下関係なしに聞くようにしている」(p.103)というように対話重視である点もクリシン的であるし、「前例第一主義と公平平等の原則」に疑問を呈している点なども、クリティカル・シンキング的であるように思った。本書は、知事などの行政の長に限らず、どんな集団でも長として立つ場合には、考え方のヒントが含まれているのではないかと思う。
うちの下の娘(3歳11ヶ月)は、ときどき面白いことをいう。
私はあまり耳撃(「目」撃ではなく)したことがあるわけではないのだが、下の娘は、月を見ると「ママぁ、しーちゃん(仮名)お月しゃまとりたい」などと言うのだそうである。他にも、「お月しゃまでブランコしたい」とも言ったそうである。
妻の記録によると、3ヶ月前には、こんなことを言っている(ちゅ=つ、しゃ=さ、しゅ=す、と読み替えてください)。
まま、おちゅきしゃまたべたーい
なんかおいしそう
ひこうきでとんでいってから、いしゅにのればとれる
しーちゃんがぱたぱたってやってしゃあ。。。
おいしいあじ。ひとくちたべたらおいしいかんじ。
ぱぱにかたぐるましゅればとれるはじゅよ
まま、おちゅきしゃまたべたーい
うーん、詩人である。妻は、「よっぽどおなか空いてたんじゃないの」なんて詩情のないこと言うのだが。
きのうまでの4日間やった,認定講習会を振り返っておく。まず,1999年に初めて講師をしたときは,「講義の内容,進め方(具体例をあげて分かりやすい,時間配分),資料の準備など,どれもよかったと思います」という感想もあったものの,「今回の講座はなんだかはじめから終わりまでピンと張り詰めた空気が流れ(私だけかもしれないが……)ているような雰囲気で,もう少し肩の力を抜いて聞けるといいかなと思いました」「その時間の「めあて」と「まとめ」は板書してくれるといいかなと思う」などの意見があった。その他にも,早口,分かりにくいなどの意見もあり,「スムーズに理解できない部分もあったのですが,そういうときに,何とか理解してもらおうと,教える側にあまり力が入りすぎると,逆にうまく説明できないし,教える側の気負いに,教えられる側も,何となく引いてしまうので,一呼吸置いて(別の方法を考えるとか)取り組んだほうがいいのかなあと感じるところもありました」という改善案をもらったりしている。
今回は,そういう点にも留意しつつ臨んだわけだが,受講生はどのような感想を書いたのか,1割ほど抜粋してみる(強調は道田による。カッコ内は私のつぶやき)。
ということで,少なくとも5年前よりはマシになっているようであった。そういえば5年前は,『クリティカル進化論』をテキストにして,「教育心理学風クリティカル・シンキング入門」にしていたのだが,今回はテキストはなしにして,内容も「クリティカル・シンキングを隠し味にした教育心理学」にしてみた。5年前は,批判的に考えることについての拒否反応もちらほらみられたのだが,今回はほとんどなかった(しいて言うなら,「この4日間の講義で心理学的に人の発言・行動を考えている自分がいて,うれしい反面,そこまで深く考えなくてもいいんじゃないか,と自問自答していました」というのがあったが,これはクリシンそのものというよりも,心理学的な見方全般についての意見だ)。それに,『クリティカル進化論』を紹介したところ,ほしいとおっしゃる方が何人もおられた。ということで,この隠し味も,意外に利いていたようである。
京都大学で行われた、「学び支援プロジェクト」の理論的・実践的成果を報告した本。この授業に関しては、編者が次のように書いている。
筆者らが開発を目指した学び支援の教育プログラムは、学生たちが学業にうまく動機づけられない原因を学業の意味づけの仕方、すなわち学業の意味構造に求め、その変換や新たなる学業の意味構造の生成こそが彼らを大学での学業に真に動機づけると考える。(p.17)
実践的報告に関しては、筆者らがプロジェクトとして「学生支援教育」をデザインし、いくつかの道具立てを駆使しつつ、学生の様子を見ながらプログラムを変更したり、授業の中で書かれたものや授業中の様子、授業後のインタビューなどから、この授業における学生の様子が浮き彫りにされており、とても参考になった。
使われている道具立てとしては、問題解決学習、グループワーク・グループディスカッション、リフレクションシート、ポートフォリオ評価、KJ法、自由形式の討論、発表会などである。編者は、「このような学生主導型の授業づくりを考えるとき、筆者は主に小、中学校で実践がなされている総合的な学習での授業づくりが参考になる」(p.37)と述べている。もちろん内容的には総合学習的ではないが、方法的には、確かに総合学習的な部分がみられる。なおこの授業、次年度は、レポートのまとめが不十分だった点を反省し、授業中に行ってきた思考や作業を構造的にまとめさせるために、キーワード、タイトル、概要・目次を書かせる、という道具立てを用いており、とても質の高いレポートが出来上がっているようである。
また、学生による授業評価アンケートを取ることは、最近では一般化していると思われるが、この授業では、アンケートで「この授業に参加してよかったか?」という質問に「あまりよくなかった」「どちらもといえない」と回答した学生が2名いた。そしてこのプロジェクトでは、彼らがどうしてそう回答したのかを、授業後のインタビューで明らかにしている。こういう点はとても興味深かった。
本書に書かれているプロジェクトは、いろいろと学べる点が多かったのだが、しかし本書には、いくつか不満な点があった。一つは、編者の文章が読みにくかった。方法に関する説明なしに表が示されていたり。あるいは、同じような話が複数の章で出てきたり。あるいは、上記のように授業の様子や授業後のインタビューは丁寧に記述されているが、しかしそれだけといえばそれだけなのである。最初に引用した文では「彼らを大学での学業に真に動機づける」とあることからすると、その後の彼らの学業の様子まで見なければ、このプロジェクトの成否は語れないのではないかと思った。
あと一つ気づいたこと。7章の著者は「読む力の低下に見られる大学生の心の枯渇化現象」と題して1節を書いている。それは、「自分をとりまく社会や世界に幅広い関心をもって、自ら進んで本を読もうとする学生が激減」しており、それは「自分とじっくり相対して「思考力」を伸ばすような体験もしたこともないことになる」(p.159)と論じている。これは、大学生の思考力がどうかはさておき、本を読むことでしか思考力を伸ばせない、と筆者が考えている、ということでしかないだろうと思う。要するにこの筆者は、「教養主義者」ということなのだろう。しかし大学生は、読書以外のさまざまな事柄から、生きていく術を学んでいるように思う(たとえば本書の別の章には、「「学生文化」には大学での「学問文化」「サークル文化」、「友達文化」、「趣味文化」、「アルバイト文化」などの側面が見られる」(p.259)という記述がある)。そういう大学の内的世界を知らずして、教育者側の価値観だけで「学生の学びを支援」することは難しいのではないかと思う。
今日は2コマ講義して、午後からは、テスト(みたいなもの)。テストとはいっても、「教育心理学の授業内容と関連させながら,自分の教育実践を紹介してください」というものなので、資料を見ても、他の人(私を含む)と相談しても構わない、という形でやった。まだ読んでいないけれど、大学の講義で紹介できるような実践例があるといいなあと思っている。
1、2コマ目は、臨床心理学的な話。あまり得意な分野ではないので、以前学生が書いたレポート(私の教育相談体験)を紹介したり、ビデオを見せたり、認知療法で行われているような、認知の歪みを考える課題をやってもらったりした。2コマ目のほうは、必ずしもうまく出来たとはいえないが、受講生の方々は、それなりに理解して受け取ってくれていたようであった。
いずれにせよ、何とか終わった。研究室に戻ってからは、ちょっと疲れて寝てしまった。
3日目。ちょっと身体がへたってきたみたいで、おかげで少し力が抜けた授業ができたように思う。1時間目も2時間目も、普段、学部の教育心理学の授業でやっているネタだったし、ビデオ教材もはさみつつだったので、まあそれほどまでは苦労せずに済んだし。
2時間目に、Researcher-like acitivity(RLA)についてちょっと触れたのだが、そのときふと思いついて、この言葉を知っている人がいるかどうか聞いてみたところ、一人の方が挙手された。県の教育センターで研修を受けたときに聞いたのだそうである。それだけでなく、実際に自分でも2年前に実践されたことがあるという話だったので、急遽その方には、3時間目に話題提供してもらうことにし、10分ほど話をしてもらった。
その方がされたのは、小学校5年生の算数で、円の学習を早めに終わらせて、その発展学習として、楕円の面積の出し方を考えさせたのだという。このときは、習熟度別クラス編成になっていたときの上位クラスだったので、そのようなことが可能だったのだそうだ。
具体的には、5時間をその時間にあて、1時間目はRLAの概要についての説明、3時間がグループ活動、最後の時間がポスターセッションだったのだそうだ。県の教育センターでは指導主事の先生がRLAを紹介されているのだが、教育センターの研究要録を見る限り、県ではその時点で小学校でのRLAの実践は見当たらなかったのだそうだ。ということで、運良くとてもよい方に話を聞くことができた。
認定講習もあと1日(2コマの講義と1コマのテスト)。もうひと頑張りだ。
認定講習の2日目。昨日は腰が痛かったので、ホットパックしたり、腰湯をしたり、ストレッチを念入りにしたりして復調に努めたせいか、今朝はまあまあ復調していた。今日は、あまり立ち歩かず努めて座ることを念頭に講義を開始した(おかげで、総歩数は昨日の半分近くだった)。
今日は、2時間目に「オペラント条件付け」の話を、ビデオを駆使しながら行い、3時間目には、その応用として、シェイピング・ゲームをやってみた。講義の中でこれを行うのは、私は初めてだ。
あらかじめ、ゼミの学生2名に試行してみたのだが、これって、なかなか難しい。シェイピングって教科書的には、ちょっとずつやっていけばどんな行動でも簡単に出来そうに見えるのだが、実際は、なかなかターゲット行動に「近い」行動さえしてくれないし、「近いかな?どうかな?」と悩んでいると合図のホイッスルが吹けないし、あまりホイッスルを吹かないと強化が貰えず「動物役」の人は不安になるらしいし。
まあそれでも、今日は受講生の機転もあり、何回かはシェイピング(らしきもの)に成功していた。最初は私がトレーナー役、次は私が動物役をやり、あとは希望する受講生(なかなか出なかったのだが)にやってもらった。
やってもらってみてわかったのは、どうも受講生はシェイピングを十分には理解していなさそうだ、ということ。もっとも、数日前の私もそうだったので、あまり大きなことは言えないのだが。しかし、はたから見ていると、このタイミングで合図すればいいのに、というポイントがいくつもあった。
それを見て思ったのだが、授業で1〜2回のデモではなく、何回もシェイピング・ゲームをするときには、「シェイピング・ゲームをするためのシェイピング」が必要かもしれない、と思った。動物役を歩かせる、止める、向きを変えさせる、だんだん高く手を挙げさせる、線を書かせる、などのパーツをある程度練習した上で、もう少し複雑なターゲット行動に挑戦させるといいかもしれない。そういうことをするならば、これって、学部の授業でも使えそうだと思った。
今日から4日間、いわゆる「認定講習」の講師をしている。1日4コマの4日間なので、集中講義と同じである。この半月、どんな授業にしようか、ずっと案を練っていた。テーマは「教育心理学」なのだが、受講生は現職の教員(小中学校と養護学校)なので、同じ講義はできないだろうと思い、組み立てていたのだ。
認定講習の講師は、5年ぶり2回目である。5年前にやったときは、「伝えたいことがたくさんありすぎて(楽しく興味深く聞けたのですが),今の私には消化不良をおこしている状態です」「早口,分かっているつもりで話をどんどんん進めていく傾向が確かにあった」などと感想を書かれたので、今回は、少なめに用意したつもりだったのだが、しかしやはり、すべてをこなすことはできなかった。まあそれでも5年前と違うのは、用意したものをすべてこなそうとしなかったことか。
あと前回は、受講生をランダムに当てたところ、「いつ当てられるかドキドキし,子どもになったようで,子どもの気持ちがすごくよく分かりました」と書かれたので、今回は名簿順に当てることにした。そのせいか、今のところ前回のような感想はもらっていない(本日分の大福帳を見る限り)。
それにしても、1日4コマ講義をするのは疲れる。私はいつもどおりにやっているつもりだし、実際そうだと思うのだが、暇だったのでこっそり参加していたうちの妻に言わせると、「せっせと歩き回りながら大きな声でいっぱいしゃべっている姿は、普段の様子からは想像できない」と言われてしまった。1日終わったところで腰も痛くなったし、明日からは、座る時間を増やしたり、ビデオを見せる時間を(当初の予定よりも)長めにしようかと思っている。ビデオは今日は、NHKの「教育トゥデイ」のビデオを見せたのだが、この番組のその回をリアルタイムで見た人はいなかったし(受講生80名強)。
まあこういうところもそうなのだが、認定講習の講師をしていると、小中学校の先生のイメージが変わるなあ(ついでにいうと、3時間目に、仮説実験授業の「電気を通すもの通さないもの」をやったが、1問目の正解率は50%だった)。