読書と日々の記録2004.12下

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■読書記録: 31日短評9冊 25日『ルポ十四歳』 20日『納得の構造』
■日々記録: 30日この1年 27日パパへのクリスマスプレゼント 21日【授業】援助と傍観 20日クリスマス発表会

■今月の読書生活

2004/12/31(金)

 今月よかった本は,『納得の構造』ぐらいか。ノンフィクション2冊(『スカウト』『ルポ十四歳』)も,まあ悪くはなかったのだが。

 結局今年1年で読んだのは,再読も含めて合計144冊。昨年から1割減か。まあこれ以上少なくならなければいいんだけど。

『参加型ワークショップ入門』(ロバート・チェンバース 2002/2004 明石書店 ISBN: 4750319112 \2,940)

 「外部者が地域住民自身による調査、分析、計画、実施、モニタリングと評価をファシリテート」(p.23)するような際の、ワークショップに使えるネタを(おそらく)400ぐらい集めた本。大学の講義でも使えそうなアイディアもあるような気がする。評価するのに立つ位置で評価するとか、目の開閉で簡易投票するとか、参加者同士で学びあってもらうとか。中には『授業のワザ一挙公開』にもあるようなアイディアもあるのだが、なぜだか、本書の記述のほうが、授業への応用が考えやすい気がした。さまざまなタイプのアイディアが並べられているせいだろうか、あるいは、やり方だけでなく長短所や留意点が挙げられているせいだろうか。

『57人の死刑囚』(大塚公子 1995/1998 角川文庫 ISBN: 4041878039 \459)

 1995年当時に死刑が確定していた57人について、淡々と記録された本。本人の手紙などが手に入ればそれが掲載されているが、短い人では、2行程度の情報しかなかったりする。本書冒頭に書かれているように、死刑囚は外部との交通を事実上遮断されているためのようである。淡々と記録することを中心に書かれた本ではあるが、それを通して、死刑囚といってもさまざまな人がいるということがよくわかる。解説の中山千夏氏が書いているように、「五七人の死刑囚の存在を、生身の人間、つまり人権のある人間として読者に実感」(p.245)させられる本でった。なお本書は、『取調室の心理学』の読書記録を書いたときに、それを読んだ方に教えていただいたもの。57人の死刑囚中、17人が再審請求中か準備中であるという。それだけ、裁判に納得していないということのようである。それも含め、取調べや裁判や死刑制度や拘置所の問題について、考えさせられる本であった。

『おかねと社会─政府と民衆の歴史』(板倉聖宣 1982 仮説社 ISBN: 4773500360 \1,050)

 日本の歴史の中の「おかね」に関する問題が23問並んでおり、その解説を読むことで、おかねの歴史、経済法則、支配者と被支配者、日本の歴史の大きな流れ、などがわかるようになっている本。問題は、日本の中央政府がはじめて貨幣を作ったのは何時代か、というものから始まっている。落語などを聞いていて、例えば「小判」を単位なしに一枚二枚と勘定するところが出てきたりするのを不思議に思っていたのだが、その理由が本書で多少分かった。問題と解説が畳み掛けられるというのは仮説実験授業スタイルともクイズ番組形式ともいえる。私の本書の印象は後者なのだが、あとがきによると、単なる当てモノというよりも、「今の世の中を動かしている経済とか政治の法則について深く理解する上で有力な手がかりになる」(p.76)と書かれている。私に単なる当てモノ的に感じられたのは、たとえば8世紀に政府が新しいお金を作り、それを古いお金10枚分の価値があるものとして流通させた結果、物価が上昇したなんてことが書かれているのだが、こういう部分が実感として理解できるような話になっていないから、法則や大きな流れの理解につながらなかったのだろうと思う。

『地域通貨を知ろう』(西部忠 2002 岩波ブックレット ISBN: 4000092766 ¥504)

 地域通貨がどんなものか解説した本。要は、特定地域(バーチャルコミュニティも含む)のみで通用し、価値増殖機能のない(=利子がつかない、場合によっては時間とともに減っていく)通貨のようである。それにより、地域経済の自律的な成長を促すのはもちろん、使い方によっては、「社会や政治をも変える仕組みとして利用できますし、新しい生活・文化の拠点づくりにも役立つ」(p.56)らしい。というあたりは分かったのだが、具体的なイメージは今ひとつである。それは本書が、理念中心で、地域通貨が流通している世界の具体例というか、地域通貨のある暮らしが描かれていないからだろうと思う。地域通貨にはいくつかの形があるそうで、それらは列挙されていたのだが、そういうものではなく、特定の型だけでいいので、それがあることでどのような24時間365日がおくられるのかが、ドキュメンタリー風に知りたかった。それがなかったのがとても残念で、おそらく中途半端な理解に終わっていると思う。

『青い閃光─ドキュメント東海臨界事故』(読売新聞編集局 2000 読売新聞社 ISBN: 412002993X \1,700)

 1999年9月に起きた、JCO臨界事故についての本。この事故についての本は、『検証ドキュメント 臨界19時間の教訓』をはじめ何冊か読んでいる。本書の特徴は、新聞社が取材の過程で得た情報をもとに作った本ということだろう。そのときどきの人々の判断や、情報の錯綜具合など、なかなか興味深かった。本書で一番よかったのは、事故調査委員会の資料を元に作られた、「臨界事故にいたるまでの背景要因」の図(p.246-247)。この事件には少なくとも8つの背景があり(安全審査、施設流用、均一化工程の追加、想定外事故、注文の少ない特殊少量製品、経営の悪化、施設の位置、教育計画の問題)、そこから派生した27の要因から、事故が生じていることがよくわかる図になっている。また報告書には、「原因を除去する方法を考察する際にいくつかの矛盾、あるいいは二律背反に遭遇した」(p.248)ことが書かれていたそうだが、このことも本書ではじめて知った。二律背反とは、安全性vs作業効率、規制強化vs創意工夫、監視強化vs現場の士気、マニュアル化vs自主性、誤操作防止策vs技能、という二律背反である。この問題を考える基本としては、私は『原発事故はなぜくりかえすのか』にあったような、身体感覚から出発するしかないような気がするのだが。

『グラウンデッド・セオリー・アプローチの実践─質的研究への誘い』(木下康仁 2003 弘文堂 ISBN: 4335550898 2,000円)

 再読。うーん前回も思ったように、やっぱり具体例がほとんどない状態で「質的研究への誘い」をされてもつらいものがある。もっともこの1年の間に、私も多少はM-GTAを使った論文を読んだのだが、やはり何か物足りない思いが残った。元データを筆者がM-GTAで料理していく方法をライブで示しながら方法論を語ってくれると、私が感じた物足りなさも分かりにくさも、もっと解消するのではないかと思うんだけど。

『ロジカル・シンキング入門』(茂木秀昭 2004 日経文庫 ISBN: 4532110246 \871)

 ディベート的な観点からロジカル・シンキングについて論じた本。主に扱われているのは、問題解決と意思決定である。問題解決においては、「何事も鵜呑みにすることなく、客観的な材料や多様な視点でものを見て、自らの頭で合理的な判断を下す」(p.57)というクリティカル・シンキングが協調されている。意思決定においては、「両面から検証し、問題の本質をつかみ、より良い意思決定を行うために用いるのが、ディベート的発想に基づくロジカル・シンキング」(p.110)とある。偉そうに言うならば、ディベーターがロジカル・シンキングを論じる一つの典型だろうなと思う。本書の記述でなるほどと思ったのは、ロジカル・シンキングのスキルを学ぶための最大の壁が、「自分の意見とは異なる他人の立場に立って考えられるか、自分の意見に対しても反論ができるか」(p.25)といった客観性であることが指摘されている点であった。

『「関心・意欲・態度」を育てる算数科導入の基礎技術―実践事例からのキーワード』(小西豊文 1995 明治図書 ISBN: 4185547056 \1,682)

 古本屋にて購入。小学校の算数の単元を10個とりあげ、半分は1時間の授業の導入例、半分は単元全体の導入例を紹介している。凝った教育書ではないが、写真を使ったりゲームを使ったりと、ちょっと一工夫された導入が紹介されている。興味深かったのは、単元全体の導入に表を使うもの。それを教室に掲示しておき、学習が進むにつれて表を埋めていくことで、全体のつながりが見えたり、単元の進行状況(終わったものと残っているもの)が見えるようにしている例がいくつか紹介されていた。

14.『受験は要領─たとえば,数学は解かずに解答を暗記せよ』(和田秀樹  1987 ゴマブックス ISBN: 4341014153 \730)

 BOOK OFFで105円で出ていたので読んでみた。『学力危機』で市川氏と対談しているのを読んだりしたので。筆者の勉強に対する考え方は,「暗記」というと極端に聞こえるが,「暗記の軸を中心に理解を増す」みたいな言い方は,しごくまっとうな考え方だと思った。筆者が言うような「難しい問題の解き方を,最初から,頭にたたきこんでしまえば,解法のセンスが身につく」(p.89)というやり方は,受験に限らず,いろんなケースで応用できるような気がする。「難しい問題」として何を選ぶかは大事だとは思うが。あと,英語については筆者は,「英語の苦手な人は英語に接した量が少なすぎるのだ」(p.148)としてまず速読訓練を勧めているが,この考え方は基本的に,『どうして英語が使えない?』などの酒井氏の考えと同じである。その他にも,数学についての「計算力の有無が点数を左右する」(p.138)という考え方は,百マス計算の考え方と同じであろう。

この1年

2004/12/30(木)

 この1年がどんな1年だったかというと,あんまりはっきりしたキーワードがあるわけではないのだが,強いてあげれば「多忙」だろうか。読書冊数は,正確にはまだ数えていないが,おそらく激減しているだろうと思われる。他にも,前期は授業が増えたり,夏休みは例年やらないような仕事がいくつかあったり。

 「研究」はおととしからのキーワードだった。昨年の年末の記述を読み返してみると,なんだかそれなりに成果が挙がっていたようだが,今年はこれといった成果はないような気がする。まあそれなりに新しい仕事はしたし,来年はさらにそれをバージョンアップする必要性も,別の新しい仕事をする必要性も出てきてはいるのだが。

 こんな風に書くと,何もなかったようにもみえるが,しかし考えてみると,今年度新しく(というか久々に)はじめた授業で得た着想が,夏の仕事に活きてきたし,さらにそれが私の興味分野にも繋がっていきそうではある。そういう意味では,今年全体が「芽」の1年だったとはいうことはできるかもしれない。

パパへのクリスマスプレゼント

2004/12/27(月)

 もう2日も前のことなのだが。

 25日の朝,起きると,我が家のツリーの下に,クリスマス・プレゼントが置かれていた。もちろんサンタさんからで,4歳と6歳の娘への贈り物だ。それを見て私と妻は,「いーなー,パパにもママにもサンタさんからのプレゼントはないんだよ」とか,「そのDVDはパパとママへのプレゼントじゃない? まーちゃんとしーちゃん(仮名)には別のプレゼントもあるし」なんて言っていた。もちろん娘たちは「ちがうよー」と強く否定していたのだが。

 その日,私は仕事で職場に行っていたのだが,午後に帰ってみると,上の娘(6歳6ヶ月)が,私に手書きのカード(というか,A4の白紙を4つ折りにしたもの)をくれた。表を見ると,次のように書いてある。

うさちゃん
ぱぱへ
ぱぱに。
あけてみてね!
サンタクロースに,
プレゼントをもらってないから,
あげるね!
いろをぬっていいからね!
まーちゃんより

 4つ折された紙をあけると,中には「うさガールズと ガールズのいもうと(ハート)とおとうと(ほし)」と書かれている(ハートとほしは記号が書かれている)。その下には,擬人化されたウサギ3匹と,チューリップとひまわりの絵が描かれていた。

 なんともまあツボを押さえたクリスマス・プレゼントである。来年もまたくれるといいんだけど。

■『ルポ十四歳─消える少女たち』(井田真木子 1998/2002 講談社文庫 ISBN: 4062733692 \729)

2004/12/25(土)

 「十四歳で変わって、十五歳でこういう世界に飛び込んでくる」(p.187)少女たちのルポ。こういう世界というのは、新風俗店だったり、援助交際だったり。筆者は渋谷を中心に、そういう少女(本書では「ストリート・サヴァイバー」と呼ばれている)をフィールドワークしている。そういう少女のなかで、内省的な部分をもっている子に重点的に密着取材し、また、その子と一緒に、アメリカに取材旅行に行っている。本書は、日米のそれぞれにおけるこういう世界について知ることができ、また、こういう世界にいる子が考えていることについて知ることができ、また、こういう世界の周辺にいるさまざまな大人について知ることができる、なかなか分厚いルポルタージュであった。

 思考ということとの関連でいうと、ある店の店長が、次のように評している。「あの子たちの価値観、お金とブランドだけなんです。たとえばお客さんから二万円手にするでしょう。そしたら瞬間的に、まったく考えることなく、贋シャネル・ショップに行きますね、彼女たち。ためらうってこと知らないですね。ふと、立ち止まる子供っていないんですよね」(p.188) つまりこういう子たちは、さまざまな原因がもとで「思考停止」してしまった子たち、という理解である。

 しかしこういう記述だけ抜き出したら、とてもステレオタイプ的になってしまう。もちろんこの発言は、そういう子たちを知り尽くした人の発言なので、多分その通りなのだろう。だがそれだけではないことも、本書から読み取れる。たとえば本書には「この世界に入り込んだら、何がなんだかわからなくなっちゃった」(p.104)といいつつも、「自分が何しているのか知りたい」(p.105)という少女が出てくる。あるいは、「電車の中で着替える中高生」の思いが語られていたりする。それは簡単に言うと、学校では先生の受けがよければ規則違反も黙認されるようなことが繰り返される。そういう中で、「電車に乗ったときが初めて自分を取り戻せるときなんです。先生の目がなくなる」(p.264)というような語りである。本人には、「他人には、すごくへんに見えるだろうっていう気持ち」(p.264)はちゃんとあるらしい。これ一つを見ても、そんなに単純じゃない(部分もある)ことが分かる。

【授業】援助と傍観

2004/12/21(火)

 共通教育科目「人間関係論」。集団と個人というテーマの4回目。人が他人を援助したケースと傍観したケースを新聞や週刊誌の記事で見せ,なぜ助けた/助けなかったのか,と導入。続いて,キティ・ジェノヴィース事件を紹介して,ラタネの実験を4つ(フィールド実験,煙実験,けが実験,発作実験)を,学生に数値を予想させつつ紹介した。

 学生の質問書で,キティ・ジェノヴィース事件を「世界仰天ニュース」という番組で見たことがある,といっている学生がいた。この番組,きちんと見たことがなかったので,ちょっとチェックしてみようと思った。

 数値の予測に関しては,フィールドで養成する実験で学生が低めの数値を言っていた。どうやら都会人は,どんな要請にも冷淡に対応するというイメージを持っていたようで,それは多少修正できたのではないかと思う。最後に,全体をまとめたあとで,いじめを例に,個人個人の判断が集団としての傍観(や非傍観)になる,というマイクローマクロ関係の話を少しした(実際にいじめの仮想場面で自分がどう振舞うかを,10人にマグネットを渡し,黒板の該当箇所に貼り付けてもらって説明した)。また,これまでに扱った同調,服従,役割,傍観の関係を図示させてみたが,これはうまくできない学生が多かったようだ。これは毎時間ごとにしたほうがよかったかもしれない。

 ちょっと気になったのは,質問書に,「集団が強い日本」というような記述をしている学生が複数いたこと。確かにそういう部分はあるかもしれないが,しかしこの授業で紹介したのは,すべてアメリカの研究なのに。そう簡単に文化差の話にせずに,人間が普遍的に持つ傾向として理解してほしかったのだけれど。

■『納得の構造─日米初等教育に見る思考表現のスタイル』(渡辺雅子 2004 東洋館出版社 ISBN: 4491020213 \2,835)

2004/12/20(月)
〜とういよりは語りの構造〜

 非常に興味深い本だった。ひさびさに、ほとんどのページにマーカーを入れてしまうような。

 本書で扱われているテーマは、「私たちが話を聞いて心底から「納得した」と感じた時、その確かな感覚はどこからくるのだろうか」(p.i)というものであり、主に実験研究と小学校の授業観察から、社会学的に検討されている。そこから、「日本では時系列と共感が、アメリカでは因果律と分析力が学校生活のあらゆる場面で一貫して強調されていた」(p.202)ということが見出されている。

 具体的には、実験研究としては、4コマ漫画をもとに作文してもらうという実験から、日本の児童は、すべての出来事を起こった順番に「時系列」的に述べる(自由課題で9割以上)のに対して、アメリカの児童は、順序を変えたり要約をつけたりと、多様な構造の作文を書いており、なかでも「因果律」的な述べ方が、日本の児童よりたくさんみられている。授業観察によると、アメリカでは作文教育で複数の文章様式を書き分ける訓練をしているし、特にエッセイでは「トピックセンテンス」と「理由」という因果的な構造が強調されている。それに対して日本では、「技術的な指導は意図的に避けられ」(p.72)、「気持ちが伝わるように詳しく状況を書く」(p.78)という「気持ち表現」が重視されるため、結果的にどの作文も時系列中心で書かれ、多様性が現れにくくなっている。ここでいう多様性とは、第一には「作文構造の多様性」であるが、そこから「作文技術の習熟度の多様性」「内容の多様性」が生まれている(p.66-67)。

 同じような構造は、歴史の授業でも見られる。日本の歴史授業では、「教師が物語を物語るように出来事が起こった順番に過去を再現し〔中略〕ながら、歴史上の人物の気持ちを想像する」(p.151)という「時系列+共感」構造が見られる。それに対してアメリカの歴史授業では、時系列の確認は短時間で終え、あとは「特定の出来事を結果と定め、時間を遡ってその原因となる出来事を探す作業」(p.151)が、「なぜ」という問いの元に行われていた。この両国の歴史の授業の対比を筆者は、「アメリカがトピックセンテンスに導かれる波乱や驚きを排した直線的なエッセイに、日本は静かに始まり謎解きや意外な展開に満ちたミステリー小説に喩えられるのではないだろうか」(p.196)と、両国とも作文教育と歴史教育に通低する考えがみられることを指摘している。

 最初に述べたように、本書は基本的にとても興味深いものであったが、しかし、多少不十分に感じられる点もあった。たとえば、筆者も書いているように本書は、「日本とアメリカの教育の現場では、いかなる論理と認知の方法が反復して教えられるかを明らかにしようと試み」(p.220)てはいるけれども、本書のテーマである「納得という感覚の由来」は、実験でも授業観察でも直接に確かめられているわけではない(7章で、いつもと異なるスタイルで教育が行われたときに何がおきるかについて触れられている部分は直接的な検証に近いだろうが、ほかには見当たらない)。もちろん学校教育の中に、その国特有の納得の構造や源泉が現れている可能性は少なからずあるであろう。しかしひょっとしたら、そこに現れているものは、一般社会における一般人の納得の構造というよりも、単に「学校文化の中での語りの構造」にしかすぎないかもしれないのである。学校と一般社会をつないではじめて、本書で得られたデータが「納得の構造」を明らかにするものとして位置づきうるのではないか、と私は思った。

クリスマス発表会

2004/12/20(月)

 昨日はうちの娘たちの幼稚園のクリスマス発表会だった。ちょっと思ったことのメモ。

 最近買ったデジカメは,こういう日のために,という目的があったので,昨日がその目的での初使いだった。たくさん撮って家で見てみると,さすが手ブレ補正がついてたりレンズが大きいだけあって,手持ちフラッシュなしで離れて撮ったにもかかわらず,きれいにとれていたものがいくつかあった。しかしその一方で,やっぱりブレているものもあった。次は一脚を用意すべきか。

 あと,ついつい10倍以上の望遠で撮ってしまいがちになるのも,手ブレの一因かと思う。いくら大きく写しても,ブレていては意味がないので,次は中程度の望遠でぶれにくい写真を撮るべきだな。

 まあそれにしても,下の娘(4歳3ヶ月)は普段どおりにかわいらしく,上の娘(6歳6ヶ月)は普段は想像もできないようなおとなしく落ち着いた演技を見せてくれた(親バカ失礼)。ビデオを撮りつつ写真も撮っていると,ゆっくり落ち着いて見ることができないのが玉に瑕ではあるのだが。


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