読書と日々の記録2005.01下

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■読書記録: 31日短評7冊 30日『調べる、伝える、魅せる!』 25日『日本の論点2005』  20日『内部告発』
■日々記録: 30日6歳7ヶ月児に十余の質問 29日【授業】教育発達心理学特論(振り返り) 25日【授業】青年期(1)事例研究 24日秘密にできない幼児たち 18日【授業】乳児期の発達課題 17日小包を出す

■今月の読書生活

2005/01/31(月)

 今月良かったのは、『声の文化と文字の文化』(なるほど別文化か)と『日本の論点2005』(議論てんこ盛り)である。『証言 水俣病』も悪くなかった。『日本の論点』はさっそく、2年分を古本で購入し、毎日ちょっとずつ読んでいる。ホント、はまりそうである。

 今月は、例年通り正月太りしたが、今回はなんとか月末までに、年末の水準に戻すことができた。よかったよかった。

 昨日は、こちらのページをみて、ポリ袋と竹ひごでビニール凧を作った。うちの前の空間であげたところ、地形のせいかびっくりするほどよくあがった(びっくりするほど簡単に作れたのに)。今回は36cmの竹ひごをつかったので、ちょっと小さめの凧になった。次はもう少し長い竹ひごを使って、大きい凧を作ると面白いだろうなあと思った。季節的には、また来年かな。

『心理学研究法─心を見つめる科学のまなざし』(高野陽太郎・岡隆(編) 2004 有斐閣アルマ ISBN: 4641122148 \2,205)

 心理学の予備知識なしに読める、という謳い文句の心理学研究法の本。しかし実際は、ある程度心理学の研究についての知識なり経験がある人でないと理解しにくい内容ではないかと思った。内容自体はとても確かで、研究のロジックに焦点が当てられ、なぜ特定の手続きが必要なのかが、詳しく説明されている。そういう点からも、中級者向けの本だろうと私は思う。最後の方のコラムで、研究論文は推理小説に例えるなら、通常の推理小説というよりも、予め分かっている犯人を探偵が追い詰めていくようなものだ、と述べている。刑事コロンボスタイルの倒叙推理ということだろう。これはなるほどと思った。もちろんこれは「論文」の話で、研究のプロセスそのものは、最初は犯人が分からず、証拠を積み重ねながらだんだん犯人像が見えてくる、通常の本格推理なのだろうけれども。

『デジカメ写真は撮ったまま使うな!─ガバッと撮ってサクッと直す』(鐸木能光 2004 岩波アクティブ新書 ISBN: 4007001189 \987)

 年末、デジカメを買ったので、それを記念して(?)買ってみた本。デジカメの撮り方の本は前にも、『デジカメ時代の写真術』を買ったことがある(そういえばこれもデジカメ購入記念だったな)。これはこれで悪くなかったのだが、本書は「撮り方」だけでなく、撮った後の画像処理についても書いてあり、前の本とは違うよさがあった。しかもPhotoshopなどではなく、フリーソフトを用いた画像処理(修正・加工)が紹介されているのがうれしい。本書ではじめて知ったことはたくさんあるが、たとえば修正の手順は、トリミング、リサンプリング、明暗などの調節、アンシャープマスクで、この順番を間違えてはいけないのだそうである。書かれていることはひょっとしたら基本中の基本なのかもしれないが、私は我流でやっていたので、ちゃんとしたことを知ることができてよかった。

『宿命を超えて、自己を超えて』(V.E. フランクル 1997 春秋社 ISBN:4393364163 \1,785)

 フランクルの対談を中心とした本。フランクル関係の本は、『フランクル心理学入門』など3冊読んでいる。本書は対談や講演ということで、比較的分かりやすい(といっても、これまでに読んだ3冊も読みやすかったのだが)。本書を読んで一つ気がついたこと。フランクルは、「精神の抵抗力をもつためには、世界と自分自身とから距離を置くことができなければなりません」(p.21)という。距離をおいて客観化することが、精神の抵抗力(あるいは自由)を生み出すというのである。そのことは、強制収容所の体験からもよくわかる。しかし一方でフランクルは、自己超越(「自分を省みない」(p.106)こと)を薦めている。他にも、前反省的とか、脱反省という言葉もでてくる。こちらもこれだけみると理解できるような気はするのだが、しかし考えてみると、先にあげた「距離をおいて客観化」することとは、自分を省みること=反省の薦めのようにもとれる。フランクルの考えの中での反省と脱反省は、どのような位置づけになっているのだろう。それを考えながらどれかを読み返してみる必要があるかもしれない。

『小論文の書き方』(猪瀬直樹 2001 文春新書 ISBN: 4166601652 ¥924)

 BOOK OFFにて半額で入手。タイトルから想像されるのとは違い、筆者のコラムをテーマ別に並べた本である(最初と最後にちょっとだけ「小論文の書き方」的な解説がある)。本書の元になっているコラムの主題の一つは、「実際にいま起きている現象のよってきたるゆえんを解き明かす」(p.59)ことなのだそうで、そういうタイプのコラムは興味深かった。また、興味深いことばとしては、「実感できない世界を再構成する力を知性と呼ぶ。体験の範囲にとどまっているかぎりは平凡な感想文の域を出ない」(p.162)というものがあった。その平凡さを突き破るとは具体的にどういうことなのか、知りたいと思う。本書の最後のほうでは、少年犯罪や教育が論じられているが、このあたりにはいくつか、怪しげに見える議論が目についた。

『大学授業研究の構想─過去から未来へ』(京都大学高等教育教授システム開発センター 東信堂 ISBN: 4887134231 \2,520)

 『開かれた大学授業をめざして』と同じ京都大学高等教育教授システム開発センターによる本。前の本は象的な話が多く、私としては不満だったが、この本は「実験班」と呼ばれる実証研究者の集まりがもとでできた本で、大学授業改善の歴史と総括の章以外は、主に公開授業を対象としたデータに基づく議論がなされている。授業者のストレスを、授業のビデオを見ながら振り返るという研究も興味深かったし、リレー授業で対比的な二つの授業を「考える力の育成を目指した授業」という視点で、授業の構造分析やなんでも帳の記述分析をした研究も興味深かった。こちらはちょっと踏み込みは甘いような気はしたのだが。あと総括の章に出てきた、学生参加型授業の4類型もなるほどと思った。それにしてもこういうふうに、一つの授業をいろいろな角度から研究対象とできるというのはとても羨ましい気がする。

『ありがとう大五郎』(大谷英之・大谷淳子 1993/1997 新潮文庫 ISBN: 4101459118 \380)

 生後2日目の奇形猿を、家族の一員として育てた家族のフォト・ストーリー(実話)。育てたのは主に奥さんで、病弱でかつ子どもが3人いる中で、苦労して育てたようである。写真は旦那が、文章は主に奥さんが書いているが、ところどころに子どもたちの小文が挟まれている。次女は「私は辛いことがあった時大五郎を思い出す。そして強くなくてはいけないのだな、なにがあっても人は強く生きなければいけないのだと改めて思う」(p.74)と書いている。なんだかうまくはいえないが、ちょっと心に留まったので引用しておく。

『ジンメル・つながりの哲学』(菅野仁 2003 ISBN: 4140019689 970円)

 再読。前回ほどは集中して読めなかった。今回一つ目についたのは、他者認知についての話。「私たちは、他者に対する断片的な知識から「彼(女)に対する個人的な統一体」を作り上げている」(p.134)。つまりある面は勝手に理解してしまうということが他者認知の第一の前提だと筆者はいう。そのように、誤認知の問題をあらかじめ織り込むことは、対人認知を考える上で必要なことだろうと思う(単純に「ステレオタイプ視はいけない」というのではなく)。ではどうするかというと、筆者は「秘密を認め合うことで適度な距離感覚が生まれ、互いの関係が豊かになる」と考えているようである。私はそのロジックはまだよく理解できていないのだけれど。

6歳7ヶ月児に十余の質問

2005/01/30(日)

 1年前にやった,発達検査(日本版デンバー式発達スクリーニング検査)の質問を,上の娘(6歳7ヶ月)にやってみた。これも4年前から5回目である(カッコ内は1年前の答え。太字は両者の答えの違う部分)。

  1. お腹がすいたときはどうしますか?
    食べ物食べる (おうちに帰ってご飯食べる)
  2. 疲れたときは?
    休む (少し休んだほうがいい)
  3. 寒いときにはどうしたらいいですか?
    (間)ストーブで温まる (マフラーかけてセーター着て、セーターの帽子かぶってからおズボンはいてから靴はいてからお外に出る)
  4. ボールとはどんなものですか?
    遊ぶもの (んー、ぽんってなげるもの)
  5. 湖はどんなものですか?
    (間)白鳥とかいるところ (んー、白鳥がすんでいるところ)
  6. 机ってどんなものですか?
    (間)お食事したりするところ (コップとかお皿やいろんなもの置くところ)
  7. 家ってどんなものですか?
    (間)いえ? んー(間)むずかしい。〔後でまた質問したら〕遊んだりするところ (んー、みんなが住むところ)
  8. バナナってどんなものですか?
    食べるもの (皮むいて食べるもの)
  9. カーテンってどんなもの?
    閉めたり開けたりする (夜になったら閉めるもの)
  10. じゃ天井ってどんなものですか?
    (間)てんじょう? 上のこと (雨が降ったらおうちにこないようにあるの)
  11. 垣根ってどんなもの?
    わかんない (かきねってなに)
  12. 歩道ってどんなもの?
    横断歩道のこと? 渡ったりする (わかんないなあ)
  13. スプーンって何でできていますか?
    (間)わかんない (ガラスで出来ている)
  14. 靴って何でできていますか?
    (間)わかんない (靴ってブルーの? わかんない)
  15. ドアって何でできてる?
    (間)わかんない (石で出来ている。うーん、わかんないなあ)
  16. ぎゅうにゅうは何でできてる?
    牛。牛のオッパイの牛乳。 (牛のおっぱいでぎゅーってやってから飲むもの)

 素材の質問(13-16)は、昨年は「来年には答えられるようになっているんじゃないだろうか」と思ったのだが、今年もできていない。結構むずかしいんだなあ。というか2年連続で一つもできていないということは、発達検査の問題としては、感度が悪すぎるのではないだろうか。発達検査なのであれば、5歳児にはできなくて6歳児にはできるような問題であるべきだろうに。

 今回娘の回答を聞いていてとくに気になったのは、娘がなかなか答えなかったこと。多くの質問で、即答せずに結構、間をおいていた。去年まではそうでもなかったような気がするのだが。

 そういえば、うちの娘、そうとうの内弁慶である。うちではとても元気でやんちゃで声が大きい。しかし幼稚園でも、とても小さい声で、もじもじしながらしゃべっていることが多い。これって単に内弁慶なのだと思っていたが、しかし我が家でも、上記のような質問をすると、そういう反応を簡単に再現できることがわかった。これって、慣れているとか慣れていないというだけの問題ではないような気がする。学校的なものに対しては、同じように反応するというか。それだけ学校とかテストって、特殊な場面なのだろうと思う。

 #なお、「間がある」ことについて、うちの妻は「慎重に考えている。正解があると思っているからだろう」と考察していた。後から「こたえがあるんでしょう」といっていたらしいし。なるほどね。

 ##1年前、この検査をしたころ、上の娘は「6歳臼歯」ができていた。今、上の娘は、昨年の夏に歯が2本ほど抜けて、そこに永久歯が生えている。年々大人になっていくなあ。

■『調べる、伝える、魅せる!─新世代ルポルタ−ジュ指南』(武田徹 2004 中公新書ラクレ ISBN: 4121501306 \798)

2005/01/30(日)
〜ルポルタ−ジュ「授業」指南書〜

 いくつかの大学でメディア教育を行っている筆者が、大学の授業で行っていることを中心に書いた本。全体が大きく、調査、執筆、映像の章に分けられ、それらに関わる技や哲学などが語られている。筆者は、大学の授業で学生に課題ルポを課し、その報告書はWebで公開しているのだそうである(こちらこちら)。それはルポというものが「誰が読むかわからない。書かれたことで被害を被る人もいるかもしれないし、噛みついてくる人もいるかもしれない」(p.viii)という真剣勝負であることを実体験させるためだという。ルポ(調べ、伝え、魅せる)ことに対する筆者の姿勢が表れており、興味深い。

 本書で私が一番興味深かったのは、ところどころで紹介されている、筆者が大学の授業で行っているアドバイスや演習である(それほど詳しく紹介されているわけではないのだが)。例えば「調査」に関しては、ネット上の検索を巡る入り組んだ事情を理解するために「同姓同名探しゲーム」(p.48)を行わせたり、取材の練習として「地球最後の日に何が食べたいか、誰でもいいので聞き、短い記事を作る」(p.58)という課題を出して取材に慣れさせたり、取材における観察の可能性と限界を知るためには「第一印象ゲーム」(p.78)をやらせたりしている。

 「執筆」に関しては、悪文修正の練習として、(読みにくい)大江健三郎の文章を添削する課題(p.142)を出している。これもなるほどである。もっとも「執筆」部分に関しては、多くの部分がいくつかの文章読本がベースにしており、私としてはあまり食指をそそる内容ではなかった。

 「映像」に関しては、映像ドキュメンタリーの授業の授業概要が週ごとに(ごく簡単にだが)書かれており、授業の組み立てが見えて興味深かった。第一週には「個人制作課題企画案(10分程度のドキュメンタリー作品用)提出」(p.182)となっている。「提出」ということは、講義などに入る前に、とりあえず1時間目の授業中に企画を考えさせて出させてしまう、ということだろう。ちょっと乱暴なやり方にもみえるが、実際に制作準備に入るのは6週目からだし、並行して「1分間課題」の企画、制作、発表も行われているので、その間に不適切な企画は修正されるという考えなのだろう。これはなかなか悪くないやり方のように思った。

【授業】教育発達心理学特論(振り返り)

2005/01/29(土)

 木曜日に、大学院(教育学研究科)の必修科目「教育発達心理学特論」の、実質最終回だった。

 私が受け持ったのは7回で、1回目から5回目までは、1.人はスキーマを通して知覚する、2.人はスキーマを通して理解する、3.人はスキーマを通して学習する、4.オペラント条件づけによる学習、5.オペラント学習(2)、という流れだった。

 6回目は、当初の予定では動機づけの話をするつもりだったのだが、5回目の最後に、「学習の意味づけ」ということが話題になり、受講生である現職教員から、自分は意味づけを重視して授業をしている、というような話が出たので、次回(6回目)にそのことを、模擬授業を通して紹介してもらうことにした。模擬授業は5分以上80分以内でお願いしたのだが、結局50分以上話をされたのではないかと思う。

 大学院では、現職教員が1/3程度、残りが学部上がりの院生なので、その特性を生かした授業ができないかといつも思う。今回は、受講生の一人が立候補に近いことをしてくれたので、その方にお願いしたのだが、考えてみたら、こういうのはもっと早めに行うことができれば、もう何人かにお願いできたに違いない。その点は残念というか、次回に考慮しておくべき点だろうな。

 で先日の木曜日が7回目で、状況的学習論についての話をした。この話は、学部生対象の教育心理学でも認定講習でもしたことがないので、うまくできたかどうかはわからない。まあわかりにくいなかにも、何らかの理解をしてはもらえたのではないかと思うが。まあそれにしても、講義内容は、現時点での私の興味やいいたいことからすると、こんなもんだろうと思う。あとはいかに受講生の理解を促進するかだが、この半期にちょっと思いついたアイディアとしては、「プロダクトではなくプロセス」というものがある。詳細は書かないが。

【授業】青年期(1)事例研究

2005/01/25(火)

 共通教育科目「人間関係論」。前回は乳児期で今回は青年期。以前はその間に,幼児期の話もしていたのだが,なんだかうまい話ができる気がせず,やめてしまった。まあでも生涯発達の中の大事な2つの時期を押さえているので,これでいいかと思っている。

 授業はまず,「青年期とはいつからか?」「青年期の特徴は?」という問いをして受講生の答えを聞いた後,青年期の概略を話す。その後,青年期を模索する例を3つ挙げた。

 一つは立花隆の『青春漂流』に紹介されている空海の話で,ここで「謎の空白期間」と「船出」について説明。次に映画「ピーターパン」を15分ほどに縮めたものを見ながら,そこに出てくる「子ども」「大人」といったセリフに注目させ,ウェンディの変化に注目させる(というか,そういう箇所を中心に15分に編集したのだ)。15分の編集でもまだ無駄なところがあるのだが,編集に専念できる時間がないので,そのまま見せた。今日の授業中にふと思いついて,注目させたいところとあまり関係のないところでは,映像だけ流しながら,私が口頭で説明をはさむことにした。おかげでスムーズに見せながら解説できたのではないかと思う。その後,「死と再生」のことを少し述べる。

 最後に,NHK「わたしはあきらめない」でやっていた関根勤の回を見せる。彼はアマチュアからいきなりプロになったけれども芸が通用せず,悩んでいたときに,萩本欽一に「潜れ」というアドバイスを受け,ライブハウスでコントを1年間修行したという。そのような経験を通して彼自身が「生まれ変われた」と語っている。上の「謎の空白期間」と「船出」の話と実に呼応する話である。

 最後の最後に,「謎の空白期間は,大学生活でいうと2〜3年生の時期」という話をして締めくくる。この話,どこで読んだのかは忘れたのだが,臨床心理学関係の本で,学生相談の仕事をしている人が書いていたんだったと思う。

■『日本の論点2005』(文藝春秋 (編) 2004 文藝春秋 ISBN: 4165030406 ¥2,800)

2005/01/25(火)
〜めちゃめちゃ面白い〜

 毎年11月に出ている,「日本唯一の論争誌」といううたい文句の本。1992年から出ているようだが、私は今回初めて読んだ。結論からいうとめちゃめちゃ面白い本だった。800ページ以上ある分厚い本だが,11月ごろから毎日,昼休みなどに少しずつ読み進め,ようやく読み終わった。

 内容は,現代日本で議論になっている事柄を取り上げ(2005年版では84の論点が取り上げられている),それに対して,通常1〜2名の論者がその問題を,一人4ページで論じており,それに加えて,2ページの解説がある。例えば論点(1)は「日本は格差社会になるか」という論点で,それに対して,2名の論者が論じている。一人が「「努力が報われる社会」の正体は,弱者が命を危険にさらす究極の社会」と規制緩和反対を論じているのに対して,もう一人は「規制緩和が公平な社会をつくる」と,反対の立場から論じられている。

 このように,いくつかの論点では紙上論争が演出されている(すべてではない。半分弱か?)。これはとてもすばらしいことである。このような議論は、例えば本や新聞でも知ることができる。しかし本の場合は,著者が一人だと,主に議論の一面しか知ることができない。著者が反対論を紹介していたとしても,それは著者のフィルターを通った議論でしかない。私もこれまで、一冊の本を読んでそのテーマについて分かったつもりになったあとで、別の立場の人が同じテーマで書いた本を読んで、議論が一方の立場のフィルターを通ることの危険性についてはときどき感じていた。しかし本書では、少なくとも両論併記されている論点に関してはそういう問題はおきにくいだろう。こういう論争を知る手段としては本のほかに、新聞の解説記事などもあるが、しかしそれは中立を装っていたとしても、やはり書いた人の立場や知りうる情報によって意図的無意図的に歪んでいることは少なくないだろうし、そもそもよく知らない問題に関しては、歪んでいるかいないのかの判断さえ不可能である。

 その点本書は,両論併記されている論点に関しては,きちんと両方の立場を知ることができる。もちろん論者として誰を選ぶかの選択に、編集者のもつバイアスが入らないとは限らないが、しかし本書では、多くの論点が論争の当事者かそれに近い人によって書いているようで、その問題も少ないように見える。たとえば「首都大学東京」問題に関していうと、現都立大学学長と、首都大学東京の学長予定者がそれぞれ、この改革の是非について論じているのである。まさに真っ向からのガチンコ勝負が楽しめる。それに加えて中立的な立場からの解説がつけられ、公立大学改革問題全般が論じられているので、本当に幅広くそのテーマの問題点を知ることができるのである。両論併記された本としてはこれまでに私が読んだ本は,『論争・学力崩壊』ぐらいである。この本を読んだとき,「こういう本は,今後どんどん出してもらいたいものだ」と書いたが,本書はまさにそういう本だったのである。

 他にも本書のよさとして、一論者4ページとコンパクトに議論がまとまっている点、よく知らなかった論争について知ることができる点、各論者が推薦する参考文献が載せられている点が挙げられる(購入書リストとして活用しようと思っている)。さらには、年刊誌であるせいで、ちょっと前の本が非常に安く手に入る点もうれしい。アマゾンのマーケットプレイスで見ると、2年前のもので1/4以下、ものによっては1/10程度の値段で買えるものもある。ちなみに過去の論点は、Webページ日本の論点PLUSで知ることができる(タイトルのみ。金を払えば中身も読める)。面白そうな論点が載っているものを、ちょっとずつ買ってちょっとずつ読んでいこうと思っている。

 実は私はこの本、しょぼい内容の本だと思っていた。タイトルも微妙な感じだし(確か『日本人の大疑問』という本があるが,それを連想させるようなタイトルである。勝手な言い分だけど)。論争といっても,どうせ誰かの観点でまとめているんだろうし,と勝手に思いこんで,手にも取らずにいた。しかしこれは大間違いだった。いいわけめくが,そう思ったのは,一つには本書がよく年末に,『現代用語の基礎知識』などと一緒に並べられていることが多いので,同音異曲的な本だろうと思ったのだ。それに本書のオビには「小論文・面接対策に」などと書かれていることも誤解する一因だと思う。「小論文・面接対策の本」と銘打つには、あまりにももったいない本だと思う。

秘密にできない幼児たち

2005/01/24(月)

 今日は妻の誕生日。カードでも贈ろうと思い、土曜日に下の娘(4歳4ヶ月)と買いに行った。妻は上の娘(6歳7ヶ月)外出中だったので、下の娘に絵(妻の似顔絵と自画像)を描かせ、「ありがとう」の文字(らしきもの)を書かせた。誕生日当日まで内緒にしておきたいので、「ママには内緒だよ」と言っておいた。分かったか分からないのかは分からないのだが、その夜、妻が帰ってきても、下の娘は特に何も言わなかった。忘れていたのかもしれない。

 次の日、妻が昼寝をしている間に、上の娘にもカードに絵と字を書かせた。書き終わった頃妻が起きたので、上の娘にも「ママには内緒だよ」といっておいた。上の娘は、内緒にはしているものの、上の娘は妻の前で「シーだよ。あ、いや何でもない何でもない」なんて言っていた。そんなこと言ったらバレバレじゃないのかと思ったが、今日妻に聞いたら、全然気づいていなかったとのことでほっとした。

 下の娘は土曜も日曜も何も言わないので、本当に忘れたのかと思っていた。日曜の夜、妻がふと、「しーちゃん(仮名)、ママにハッピバースデーの絵を書いてくれる?」と言ったところ、下の娘が大きな声で「しーちゃんもう書いたよ」と言った。焦って私は話をそらしたが、もうバレたかと思った(今日妻に聞いたら、全然気づいていなかったとのことでほっとしたけど)。

 下の娘は、忘れてはいなかったし、秘密ということが分かっていたわけでもなさそうなのだが、たまたま言う機会がなかったから言わなかっただけのようだ。一方、上の娘は、秘密の意味もわかるし、秘密にはできるものの、秘密を持っていることがうれしいようで、それを態度に表してしまっているようだった。秘密を持ってそ知らぬふりをするのって、幼児には結構難しいことなんだな。数年後には当たり前のように秘密を持つんだろうけどね。

■『内部告発―権力者に弓を引いた三人の男たち』(今西憲之 2003 鹿砦社 ISBN: 4846304914 ¥1,680)

2005/01/20(木)
〜告発者の苦悩〜

 以前TVのドキュメンタリーで、雪印の牛肉偽装を内部告発した業者の話を見た。全然知らなかったのだが、その業者は内部告発のせいで業界で干され、廃業の目にあっているという。社長は大阪駅前の歩道橋で署名を募っており、本(本書)を売っているというので、夏の出張の折にいって買ってきた。

 本書はサブタイトルどおり、3人の内部告発者について書かれたノンフィクションである。3人とは、中坊公平を告発した男、雪印をつぶした男、三権の長に反逆した男である。本書では特に、内部告発者の「心」について焦点が当てられている。それはたとえば、次の記述に簡潔に示されている。

串岡が、内部告発で不当な扱いを受け巨額の金銭的損失を被った。水谷は電気代の支払いにすらこと欠き、益田が告発準備の上京に、節約のため夜行バスで大阪と東京を往復した。(p.235)

 本書で扱われている心とは、このような苦労をはじめとして、そのときの思いや逡巡、その後の状況を含めた心である。具体的には、ある人は告発の前日、「今だったら、まだ、撤回できる」と弱気になったり、「今ごろ、オレは何を言うてんねん」と思い返したりしている(p.8-9)。しかしそのような決死の告発でも、マスコミは思ったほど動かず、世論は動かなかったという。冒頭に触れた告発者が業界で干された背後には、本書によると政官財の癒着があったからのようである。3番目の告発者は、「会社を辞めなければ、組の若い者が交通事故を装ってひき殺す」(p.209)などといわれている。

 内部告発って、組織が自浄作用を持つためには当然存在すべきものだろうと漠然と思っていたのだが、告発前も告発後も、告発者にとってはとても大変なものであることが、本書でよくわかった。これは内部告発に限らず、組織を良くしようとする行為すべてにいえることだろうと思う。改善するとか、批判をするとか、待ったをかけるとか、考えるとか、前例踏襲しない、などいうことも含めて。しかしそのことを自覚することから、こういう行為をうまく行うことの第一歩が始まるのだろう。よくは知らないが。

 本書では、このような点については多少は分かった。しかし、著者の文体が私の肌にあわなかった点があり、ちょっと読みにくかった。そうはいっても、内部告発に対するまわりの反応、力をもつ被告発者の前では、いくら正しい告発であってもさほど大きな影響を示さないことがあるなど、内容には興味深い部分はあったのだが。

【授業】乳児期の発達課題

2005/01/18(火)

 共通教育科目「人間関係論」。前回までが社会心理学で,今回から発達心理学。つながりがプツッと切れるなあと1週間考えていたのだが,妙案が浮かばず。半ばあきらめかけていたところで,今日の午後,去年の講義ノートを見返しながら気づいた。先週の対人認知は個人と個人の関係。今週の乳児期は養育者と赤ちゃんという,やはり二者関係だ。ということで,そういう導入から入ったのだが,しかしきれいにつながってはいない。むしろ,発達心理学の最後にやる青年期が,臨床心理学とつながりやすいので,来年以降は,発達−人格・臨床−社会という並びで行うのがいいかもしれない,と思った。

 授業前半は,映画「スリーメン・アンド・ベビー」の中で,男たちが不器用に子育てをするシーンを見せながら,この赤ちゃんが何ヶ月かを考えさせたり,養育者がすべきことを考えさせる。その後,愛着,人見知り,基本的信頼感の話を導入た。

 後半はハーロウの代理母実験のビデオを見せる。ビデオとはいってもこれは,もともと白黒の16mmフィルムだったものをビデオに落としているせいか,コントラストが不明瞭で非常に見にくい。しかしそれなりに理解してくれたようであった。見せたのは12分ぶん。もう少し映りがいいなら全部見せたいところなのだが。授業最後は,河合隼雄の『大人になることの難しさ』から,乳児期以降の基本的信頼感について書かれた文章を紹介し,また,ハーロウたちは臨界期があると言ったけれども必ずしもそこで決まってしまうわけではない,という話を少しして終わりとなった。最後のこの話はいくつか心理学的な研究もあるはずなので,次はそこをもう少し増やすかな。

小包を出す

2005/01/17(月)

 使っていたMP3プレイヤの調子がおかしくなったので,メーカーに送ることにした。保障期間内なので修理費はいらないと思うのだが,通販で買ったので,販売店に預けるというわけにいかない(のだろうと思う)。それで,自分で発送した。

 送るに際しては,安全に,しかしできるだけ安く送りたい。せっかく通販で安く買ったのに,ここで高くついてしまっては意味がない(ような気がする)。で,郵便局に行って,どういう送り方をしたらどれぐらいかかるか,しつこく聞いてみた(普通に聞くと,「こういう場合はゆうパック」で終わりそうなので)。で,いくつかわかったことがあるのでメモ書きしておく。

 まず,送るときの形状としては,封書と箱がある。一応緩衝材入りの封書も用意していった。たとえばこれに「こわれもの」の表示をして送ったらどうなるか聞いてみたところ,「今は普通の郵便物でも投げたりするようなことはない。しかし「こわれもの」の表示があるときは,たとえばかごからかごに移し変えるときに,どさっと移すのではなく,別に取り扱うし,配送時にもそれなりに注意をする。しかし損害補償はつかないし,受け取りを確認することもなく郵便受けに入れるだけだ」という。

 なるほど,じゃあゆうパックだとどうなるかというと,30万円までの損害補償がつくし,配送記録は残るし,相手には手渡しをしてサインをもらうという。今回用意していった箱を東京まで送る場合,郵送料は1200円(1100円といわれたような気もするけど,もらったもらってきた料金表には1200円と書いてある)。ちょっと高い感じはするが,まあ記録を残してくれるのは大事なことなので,ゆうパックにするか,と思って宛先を用紙に書いた。

 でも書き終わって思ったのだが,「記録」とか「手渡し」「受け取りサイン」は,書留でも同じはずだ。じゃあ書留だったら保障はどうなっていて,いくらかかるんだろう,そう思って聞いてみた。すると,今回用意した箱の場合,書留だと保障が10万+αで送料810円,簡易書留だと保障が5万で送料740円だという。これらは当然配送状況が「書き留め」られるはずだし,相手にも手渡しされるはずである。送るものは2万前後のもの。ということで,結局簡易書留にした。

 思ったこと。郵便のシステムはわかりにくい。料金表を見ても,第一種郵便物,特殊取扱,ゆうぱっく(一般小包郵便物)が別々になっている。発送する側としては,「第一種郵便物で送りたい」などと思って送るわけではなく,今手元にあるコレを安全に安く送りたい,としか思っていない。しかし料金表を熟読しなければ,上記のようなことはまずわからない。まあこの種のわかりにくさは,ソフトのマニュアルなんかでもいつも体験していることなのだが,やり方の記述がユーザーサイドに立っておらず,製作者(あるいは制度側)の視点にしかなっていないなあ,と思う。

 もう一つ。最近ときどき通販を利用する。たいていゆうパックなどで送られてくるのだが,配送料は,1500円以上買ったら無料とか,1万円以上買ったら無料,などとなっている。指定額以下のときも,せいぜい500円しか取られない。でも実際は,普通にゆうパックを利用したら1000円以上必要なのである。これって,よほど大口利用者に対する値引きがすごいんだろうなと思う。500円の配送料で引き合うということは,1/3以下になってるんだろうなあ。それってどうなんだろう。


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