読書と日々の記録2005.04下

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■読書記録: 30日短評8冊 25日『やれば出来る!子どもによる授業』 20日『異文化の語り方』
■日々記録: 29日お見知り遠足ほか 25日【授業】スキーマ 25日授業見学ほか 21日【授業】古典的条件づけ 20日小2の国語を授業見学 19日授業でダイエット 18日【授業】教育心理学・初回 18日パラシュート作り,ほか

■今月の読書生活

2005/04/30(土)

 4月は中旬から一気に忙しくなる。連休でちょっと一息つけるけど。

 今月良かったのは、『ピアジェ理論の展開』(なるほど適応ね)、『キャンパスの生態誌』(なるほど異なる価値観のせめぎあいの場ね)、『異文化の語り方』(なるほど会話参加ね)である。まあ悪くないできか。

『国語教師の力量を高める―発問・評価・文章分析の基礎』(井上尚美 2005 明治図書 ISBN: 4185268149 \2300)

 国語科の指導技術の基礎・基本や理論を論じた本。著者様よりいただいた。著者は「国語教育界では、授業研究や指導技術の研究に関する限り「空白の二〇年」といっていい状況があります」(p.4)という。それは、教育界の現状が、「支援あって指導なし」「活動あって学習なし」「ハウツーあって理論なし」だからである、と著者は述べる。私はそこまで教育界の現状に詳しくないのでなんともいえないが、そういうことはあってもおかしくないかとは思う。そこで著者は、理解、表現、発問、事故学習力、目標分析と評価、文章分析について、丁寧に論じている。一番感心したのは終章で、「一人ひとりが哲学を持とう」と提言されている。哲学といっても「哲学学」ではなく、物事を「できるだけ広く、できるだけ深く」考えること、考え続け、研究し続けることのススメである。まったくそのとおりで、これはとても大事なことだと思う。

『ルポ解雇─この国でいま起きていること』(島本慈子 2003 岩波新書 ISBN: 4004308593 \735)

 労働基準法改正をめぐるドキュメント。解雇をめぐる現場を知るルポルタージュとしては、私としてはちょっと物足りなかった。が、本書で扱われてる問題は、非常に大きな問題だと感じた。要するに、解雇自由の社会が作られようとしているというのである。それは、労働の流動性を生み出すという点では悪くない部分もあるのかもしれない。オリックスのCEO氏がインタビューで述べていたように、「いったん雇用したが最後、会社にまったく利益をもたらさなくても定年までいる」(p.171)ような状況は確かに問題だろう。しかし、そういう人のみを解雇できるようにするための法制化ならまだしも、どういう相手だろうと解雇しやすくしようとしているのが、先の法改正のようなのである。その結果、たとえば、内部告発したら解雇される、組合を作ったら解雇される、というように、経営者にとって都合の悪い人間を排除するためのルールとして作用してしまう可能性があるのである。それでは経営者は、他者から批判されることなく他者を批判(=解雇)するという一方的な権力を持つことになり、とても危険である。筆者が言うには、メディアは労働問題にほとんど関心を持っていないという。恐ろしいことである。

『大学教育の可能性─教養教育・評価・実践』(寺崎昌男 2002 東信堂 ISBN: 4887134568 \2,625)

 この著者の大学論を読むのは『大学教育の創造』に次いで2冊目。本書は、前半は立教大学の一般教育改革の具体例などが載っており興味深かったが、後半は、大学文書館の話などが載っており、タイトル(大学教育)からズレているように感じた。立教大学の例は本当に興味深かった。たとえば複数教員担当の総合科目を立ち上げるために、非常勤講師手当てを引き換えにしたという話とか、教養教育のための組織は「堅固でなければいけない。委員会などというものは、一番いけない」(p.30)なんていう話とか。ちなみに立教では、「全学共通カリキュラム運営センター」という部局にしたのだそうだ。もう一つ興味深かったものとして、筆者が1980年に書いた文章がある。「今の学生たちの大部分が育ってきたのは1950年代末から60年代にかけてである。日本社会の高度成長とそれによる日本人のウェイ・オブ・ライフの激変の中で、彼等は、遊びの機会、兄弟げんかの場、労働の経験等を次々に奪われ、高度化する一方の学習内容を課され、クラブ活動の楽しみを禁欲して、育ってきた。」(p.293) まさに私の世代の話なのだが、しかし私たちは多分、そういう禁欲を感じてはいない。そして今の若い者に、同じことを言っているような気がする。要は単なる世代間ギャップということか。

『全員参加を保障する授業技術』(堀裕嗣・研究集団ことのは 2001 明治図書 ISBN: 4182562135 \2,625)

 中学校の国語教師による本。全員参加を保証する授業技術ってどんなものかと思ったら、次のような形を理想とするものらしい。まず導入では、一時間で学習する言語技術を明示し、選択肢を提示しながら発問し、答をまずはノートに書かせ、指名して答えさせ、意見分布を予想させ、その意見の当否を他の子に問い、発言していない子にも温かい視線を送り、1時間のまとめを1つだけ板書して整理する。これは大筋だけだし、他にも本書で提示されている技術はいくつかあるのだが、もっとも理想の形はこれだと筆者はいう。考え方の基本にあるのは、「活動あって指導なし」ではなく全員に技術を培い思考を促すことのようである。活動初期の法則化運動で提示された教育技術のような印象を受けた。それは決して悪い意味ではない。こういうことをきちんと論じることってやっぱり大事だよなあ、と思った。本書によると、中学校では講義形式の授業が多く、子どもは教師の番所をひたすらノートに写すだけであることも多いという。そうなのであれば、本書でいうようなことがきちんとなされ、力がついていくことはすごいことだろうと思う。

『医師としてできることできなかったこと─川の見える病院から』(細谷亮太 2003 講談社+α文庫 ISBN: 4062567474 \714)

 小児ガンの専門家によるエッセイ。外出時の時間つぶしにと思って携帯したのだが、一話目を読んでいる最中に、目頭が熱くなってきたので、これはマズいと思い、急遽自宅用に切り替えた。そういう本である。一つ面白かったのは、医者が泣くということに関して。筆者のかつての上司は、仕事とプライベートを分けるのがプロ、というようなことを言っていた。それで筆者も、診ていた子どもが亡くなっても、お葬式には行っていなかったが、あるとき、「こんなんじゃない」(p.180)と思うようになり、お葬式に出かけるようになったという。その席で時には涙を流すこともある。それは「プロとしては不覚」と思っていたが、あるとき牧師に、「プロというのは、そんな悲しみのあとでも、つぎの仕事のためにきちんとおいしく食事ができるような人を言う」(p.185)といわれたという。まあどれが正解というのはないのだろうが、いろいろな考え方や意味づけの仕方があるんだなあと思った。

『フランス革命─歴史における劇薬』(遅塚忠躬 1997 岩波ジュニア新書 ISBN: 4005002951 780円)

 再読。今月はちょっと気になる仕事がいくつかあるせいか、あんまり集中して読めなかった。せっかく興味深い本だったはずなのに。そんななかで今回興味を引いた記述は、「ブルジョワは、自由経済による資本主義の発展をめざして社会的デモクラシーを拒否し、大衆は、資本主義の発展をおしとどめるためにも社会的デモクラシーの実現をめざす、という根本的な利害の対立があった」(p.116)というくだり。『日本の論点 ('98)』に、民主主義と資本主義が両立するものなのか、という論点があり、両論とも納得してしまいそうな部分があったのだが、この記述を見る限り、両立は難しそうである。もっとも、資本主義や民主主義(特に後者)をどう定義するかによって、答えはまるで違ってくるのだろうけれども。

『愛の本─他者との〈つながり〉を持て余すあなたへ』(菅野仁 2004 PHP研究所 ISBN: 4569636705 \1,575)

 『はじめて考えるときのように』のようなつくりの本。内容は、おそらく筆者が『ジンメル・つながりの哲学』で主張しようとしていたことと同一だろうと思われる。具体的には、「人のつながりなんて言われるとちょっと疲れる、社会について考えようなんていわれてもいまひとつピンとこない、そういう君に向かって」(p.11)、筆者の青年期の想い出話なんかも交えながら書かれているのである。ワタシ的には、『ジンメル・つながりの哲学』のほうが興味深かった。本書も、断片的には悪くない言葉があったりしたのだけれど。

『内部告発マニュアル』(太田さとし 2002 ビジネス社 ISBN: 482841018X \1,365)

 フリージャーナリストが書いた内部告発の本。のっけから「なるべくなら内部告発などしないほうがいい」(p.1)なんて書かれていて、慎重にことを運ぶ必要があることが強調されている点は好感が持てたが、しかし後半はどちらかというと退屈だった。きっとマニュアルと銘打つあまり、マニュアル部分を重視しすぎたのだろう。私はもう少し、内部告発者の実態みたいな話が聞きたかった。もちろんこれから告発しようかと考えている人には、本書後半は有用な内容なのだろうが。ただし、告発者向けの記述ではあっても、(告発者が)「報復からわが身を守るためには、プロセスの正当性が重要となる」(p.239)なんていうのは興味をそそられるのだが。臨場感を感じさせる記述だからか。ということで、全体的には、読み物としては△評価というところか。

お見知り遠足ほか

2005/04/29(金)
2005/04/26(火)
ある授業の受講生が,高校時代に義父の授業を受けていたことが分かった。義父の日常をちょっと話したら,意外,なんて言っていた。
2005/04/27(水)
2時半から7時まで会議でぐったり。夕食後にゲームをするという上の娘(6歳10ヶ月)との約束を守るために帰宅し,食事,ゲーム。子どもの歯磨きが終わってから,とある宴会に参加(ただし車で行ったために酒は飲めず)。
2005/04/28(木)
共通教育科目「心の科学」でオペラント条件づけの話。使ったビデオがよかったので,学生の感想は悪くなかったが,ワタシ的には,ストーリー性が弱い話になってしまったと反省。
2005/04/29(金)
下の娘(4歳7ヶ月)の幼稚園のお見知り遠足。下の娘はしゃべり方のせいか、いつまでも赤ちゃんくさい印象を持っていたのだが、同級生の中で見ると、けっこうお姉さんに見えたのでちょっとびっくりした。今年は適度に曇っており、さほど暑い思いをしないですんだ。上の娘の幼稚園時代のお友達に、小学校の様子を聞いたりした。
 そういえば一つ面白かったこと。下の娘が間違えて、運動靴ではなく革靴を履いてきてしまった。現地でそれを母親に指摘されて、最初彼女は「くつをはきかえる〜」と泣いて叫んでいた。今さら帰るわけにも行かないので、とりあえず私がおんぶしてあげた。気持ちが落ち着くようにと思ってうろうろ歩いていたら、下の娘が「ほかにも革靴はいてるお友だちいたよ」といった。でもそれからは落ち着いたようで、素直に私の背中から降りたし、もうそのことは言わなかったし、遠足の行事を楽しんでいるように見えた。ここにはある種の自意識や恥ずかしさが見られるが、なんだか大人のものとは違うようだ(私ならずっと気にしてあんまり楽しめなかったかもしれない)。そういうところがちょっと面白かった。

【授業】スキーマ

2005/04/25(月)

 教職科目「教育心理学」2回目。初回に4〜6人グループを作ったものの,発表以外にどう活用したものか,と思っていたが,せっかくだから,授業中,ちょっとした話し合いなどをはさむことにして,毎回グループ毎に座ってもらうことにした。

 今日のテーマはスキーマ。昨年,教育心理学の全体を貫く縦糸はスキーマという進め方を行ったので,その点に言及してから授業。

 まずは,『クリティカル進化論』のスキーマの最初のトピックを配布し,読んでコンセプトマップ作りをさせてみた。基本は個人作成なのだが,隣と相談してもいいよ,ということにした。また,15分ぐらい経ったところで,グループの中で一番いいものを1枚選んでもらった。ここまでに30分ぐらいかけたが,できたところとできていないところがあった。次年度は,読み込み(5分)→キーワード探し(5分)→マップ作り(5分)→グループの一番決定(5分)→机間巡視しながら1番のものを回収(5分)→1番のものをプロジェクタで全体に提示(5分),という流れでやってはどうかと思っている。

 今回は,1番のものをプロジェクタで全体に提示する時間がなくなったので,私が用意してきたスキーマについての講義を30分ほど。内容は,『間違いだらけの学習論』にあった多義文,多義図形,一見分かりにくい主観的輪郭線図形(わからない→わかった!,という体験をしてもらうため),『じょうずな勉強法』にあった燃焼と重さの問題,不可能図形,『こうすればわかりやすい表現になる』にあった,怪獣が「情報」を摂取・消化する図,わかることと同化・調節,『こうすればわかりやすい表現になる』にあった,知っていることと学ぶものの関係図,『子どもなりの結論』,である。ちょっと詰め込みすぎかとも思ったが,みんな,最初にコンセプトマップを作りながらスキーマについて考えていたせいか,すんなりと理解しているように見えた。予定時間が少し余ったので,教科書の該当箇所を見る。また,先ほど書いてもらったグループ1番のコンセプトマップを順次提示してみた。いろいろなマップがあって興味深い。それらを見ることで,スキーマ(というか最初の文章)についての理解も,もう一段深まったのではないかと思う。次週には,このうち3つをセレクションして印刷して配布する予定である。

 残りの時間は実践事例を見る。今日は,NHK「教育トゥデイ」でやっていた,「名画のヒミツに迫る」という,小学校5年生対象の図工の授業。この授業は,(1)何もいわずに雪舟の水墨画を見せて感想を聞く。(2)視点を与えて見せる。(3)水墨画ならではの筆遣いを教え,水墨画を描かせる。(4)再び雪舟の水墨画を見て感想を聞く,という流れになっている。ビデオ中に出てくる「わかる/わからない」,「考える」という語に注目させながら見せた。終了後,少し説明を加え(前に見た国語の授業の紹介,『論争・学力崩壊』より納得型と暗記型),それでもちょっと時間があったので,ビデオや今日の授業全体について,隣同士で話合わせ,質問書に記入させて授業終了。隣同士での話し合いをもう少しうまく組み込むことが今後の課題か。

■『やれば出来る!子どもによる授業』(小幡肇 2003 明治図書 ISBN: 4182161114 \2,100)

2005/04/25(月)
〜発表→おたずね→調べなおし〜

 小学校において、「子どもによる授業」を行っている小学校の先生の本。授業の基本的な形は、「一人の子どもを発表者として立たせ、その子への「おたずね」と、その子が「話(応答)をする」場を創る」(p.18)ということのようである。教師の教卓は教室の後ろにあり、発表者の子どもは教室の前に置かれた「お立ち台」(小さな木箱)に立つようである(とはいっても教師は黒板で子どもたちの発言を記録しているようなのであるが)。それに対してフロアの子どもが質問をする。それが「おたずね」である。

 おたずねと応答も、最初は「〜ですか?」「はい、そうです」という一問一答のQ&Aだが、そのうちに誰かが「たぶん(こうじゃないかな?)」という言葉を使うと、先生は「おっ、『たぶん』、いい言葉を知っています。」(p.37)とほめ、推測する指導を行う。そのようにして、「もしかして」(想像の幅を広げる言葉)という語も導入していく。また、日記を書く際にも、「書き終わったときに、読み直して、どんな『おたずね』をされるかを考えてみると、日記も詳しく書けるようになるね」(p.43)と指導を行う。あるいは、おたずねという相互学習から得られた課題を「調べ直す」という、更なる学習に広げる指導を行ったり。この学校(奈良女子大学附属小学校)では、大正自由教育の時代から行われている、自律的学習法を育てていく取り組みが行われている。その基本的な考えは次のもののようである。

まず、それぞれの子どもが独自学習を行い、次いで、その独自学習を持ち寄った相互学習を行い、さらなる独自学習を創っていく(p.59)

 この先生の「発表→おたずね→調べなおし」というのは、それをこの先生なりに形にしたもののようである。この先生はこれ以外にも、インタビュー劇をしたり、「気になる木のはっぱ」なるものが使っていたりする。が、そのあたりは、私には本書だけでは充分に授業のイメージをつかむことはできなかった(したがって、タイトルにあるように「やれば出来る!」と思えるまでには至らなかった)。ちなみに、筆者の実践をナマでみた研究者も本書には寄稿しているが、「最初小幡さんの授業を見たとき、正直に言って小幡さんの「授業」の意図や子どもの活動の意味がよくわからなかった」(p.140)などと書かれている。見てわかりにくいものであれば、書物だけではなおさらわからないだろうとは思う。

 この実践のように子どもが授業の主体で、先生は記録に徹するところは、築地学級(『実践・個を育てる力』など参照)にも似ている気がした。特に、子どもに任せて「無言の時間を約二〇分以上も耐え」(p.16)させていたりするところなど。ちなみに築地氏は、このスタイルですべての学習を行っているのだと思うが、本実践の場合はどうなのかは、本書ではよくわからなかった。本書で扱われていた学習が、教科学習的な学習ではないものが多かったので。筆者の場合は、一日や一週間や一学期の流れの中でこのような学習がどの程度どのような形で行っているのだろうか。その辺がわからないと、筆者の授業スタイルのイメージもわきにくい。なお、本実践のことはある小学校の先生のWebページで知ったのだが、その先生は歴史学習をこの方式の応用でやるやり方が載せられており、それはよくわかった。

 あと、本書に収められている実践を読んで、一つ感じたことがある。子どもたちは、「おたずね」をし、それに対して推測も交えながら答え、またおたずねがでる、というやり取りをする。このやり取りに関しては、子どもたちが本当に「対話」をしているように感じた。一般には、教師主導や教師の抱く方向性が背後に隠されたような状態の中で、一見子どもの対話らしきものが見える、という程度のものが少なくないと思うのだが、本実践に関しては、もっと自然な対話が起きているように見えた。それもあくまでも、「〜ような気がする」というだけで、授業のイメージがちゃんともててはいないので、実際のところはどうかはわからない。その点がとても残念であった。

授業見学ほか

2005/04/25(月)
2005/04/22(金)
朝から,附属小学校で3時間授業見学。最初は4年生で,1時間目は授業ではなく,カブト作り(新1年生にあげるため)だった。私も進度の遅い子にアドバイスしたりした。単に授業を見学するよりも自然な入り方ができてよかったような気がする。2時間目は体育。3時間目は6年生の社会だった。4年生のクラスの先生は昨年6年生を持っており,6年生の先生は昨年4年生だった。昨年見ていたときは,両者のクラスの雰囲気の違いが先生によるものか学年(発達段階?)によるものか分からなかったが,今日見たおかげで,両者がそれなりにミックスされていることがわかった。なかなか興味深い体験だった。
2005/04/23(土)
ちょっと仕事があり、朝から夕方まで大学。考えてみればこの1週間で、3回、大学で夕食をとって遅くまで仕事をした。今日で何とか目途がつきそうなので良かったけど。日によっては朝8時半から夜9時半まで、13時間大学にいたりして。その間ずっとバリバリ仕事をしているわけではないが。それでもこういう仕事の仕方をしていると、夜に同じ時間睡眠をとっても、疲れが翌日に残るような気がする。うちに帰って子どもの世話をしたりするのも、いい気分転換になっていることが実感できた1週間であった。
2005/04/24(日)
昨日は新入生歓迎パーティ。今朝体重をはかったら、体重が減っていた。そういう会だった。

【授業】古典的条件づけ

2005/04/21(木)

 共通教育科目「心の科学」。今年はふと思いついて,「学習」から始めてみた。

 授業では,最初に「学習とは何か?」と聞いて数人の学生に当て,「心理学でいう学習はもう少し広い概念なんだよ」と話して,「どうぶつ奇想天外」から,「ムダ吠えする犬をしつける」ビデオを見せる。その後,テキストで学習の定義を確認し,もう一つの例として,「動物のお医者さん」のマンガをOHPで見せる。ここで行われている学習は,パブロフの条件反射だと言ってテキストの該当箇所を見せ,その原理をOHPで説明した。

 ここでふと思いついて,「動物のお医者さん」と「ムダ吠え」をこの図式に当てはめさせてみる。何人か当てたところ,皆できていなかったので,一人を前に出し,「行動がどんなふうに変化した?」「その行動は学習する前は何と結びついていた?」という問いを出しながら,黒板上で図式を完成させてもらった。こういうのって簡単かと思っていたけど,どうすればいいか迷っている人は少なくないようだ。でも簡単なヒントでできるようになることもわかった。こういうのって,面倒でも一々やらせてみたほうがよさそうだ。

 それから,アルバート坊やを例に「般化」と「消去」について説明し,人は学習することによって,「環境に適応」しているのだ,という,本講義の縦糸について軽く説明。いくつかの例を挙げた。

 最後に,高所恐怖症を行動療法(系統的脱感作)で変容させるビデオを見せた。視聴後,行動療法に関するテキストの記述を確認。弱いものから徐々にやっていくことの意味を,秋月りすの『OL進化論』の「パブロフの犬男」を例に説明した。あと,過去に出されたレポートを紹介し,講義を終了した。

 久しぶりの講義だったので,流れを忘れているところもあったけど,それなりに用意した教材のおかげで,学生は興味深く学んでくれたようだ。次年度は,もう少し教材の配列とストーリ展開をきちんと考えて臨むべきだな。

■『異文化の語り方─あるいは猫好きのための人類学入門』(中川敏 1992 世界思想社 ISBN: 4790704300 \1,712)

2005/04/20(水)
〜会話参加して異文化理解〜

 人類学の理論に関する入門書(のようなもの)。サブタイトルの「猫好き」とは、「理論構築を好む類の人類学者」(p.1)のことのようである(サブタイトルでの使われ方は正確には、「理論構築を好む類の人類学者」を好む読者、という意味であろう)。これまでに私が読んできた人類学入門書は、『異文化理解』『文化人類学入門 増補改訂版』『文化人類学への招待』である(入門書ではないが、『占いの謎』も人類学のようである)。この3冊は多分、犬(=事実)好きの人類学者(を好む読者のため)の本であり、人類学について理論的に語られた本は、本書が初めてであった。そのせいもあり、なかなか興味深い本だった。それは多分に、私が猫(=理論)好きなせいもあるんだろう。

 本書は、サブタイトルでは「入門」となっているが、実際には、筆者なりの新しい人類学を構築し、人類学はこうあるべきだ、と提唱している。こうあるべき、といっているということは、実際はそうはなっていない、ということである。筆者は、社会構造の分析、説明に対して、「人類学者はそんなことをしてはならない」(p.133)と述べていることからも、筆者の提唱する人類学が、現在あるものと異なっていることがわかる(「そのようなこと」が一般的には人類学の範疇にはいることは、たとえば『文化人類学入門 増補改訂版』をみてもわかる)。

 では筆者の考える(そして提唱する)人類学とはどういう学問か。とりあえず、そのことがみえそうな記述をいくつか引用してみる。

  1. 人類学とは、つぎの二つの問いを同時に問う学問である、と。すなわち、(1)「これこれの異文化をどのようにしてりかいすればよいのか」、そして(2)「人間とはなんなのか」という二つの問いです。(p.7)
  2. 翻訳の不可能性という考え方を軸に、新しい人類学の構築を試みたいのです。(p.37)
  3. あなたは、祇園祭を理解したと言いうるために、祇園祭に参加する必要はないのです。そうではなくて、祇園祭についての会話に参加できればいいのです。強調したいことは、異文化理解には会話参加で必要十分だ、ということなのです。(p.42)
  4. その文化にとって「妥当に語る」「語るに足る」ものはなにか、を示すのが人類学者の果たすべき役割なのです。(p.63)
  5. 異文化理解は異ゲーム理解だ(p.131)
  6. 言語システムを対象とする人類学のなすべきことは、まず第一に規約やコミュニカティブな意図にもとづく最も小さい記述を書き出すことでしょう。そして、会話の中で、関心につれてどのようにいくつかの言語システムが使われていくのか、それを分析していくことなのです。ある出来事は、いく通りにも記述できます。複数の記述の中に、私たちが「よい記述」あるいは「高いレベルの記述」とよんできたものがあります。しかし、それは会話の場によって揺れ動くのです。そういった人間的関心とともに言語システムを描写していくこと、それが人類学のやっていくべきことなのです。(p.196)

 これ以上のことは、私も整理して説明できるほどには理解してないので、これぐらいにとどめておくが、要するに、その文化における「常識」を、会話の分析を通して理解していく、ということだろうか。

 このような記述をみて思うことは、筆者の目指しているものは、社会学におけるウィトゲンシュタイン派エスノメソドロジストが、相互行為分析(会話分析,エスノメソドロジー)を用いて行おうとしていること(たとえば『語る身体・見る身体』)とほとんど同じではないか、ということである。扱われている対象(異文化か自文化か)や、分析の具体的な方法(マクロな分析かミクロな分析か)は違うようだが、しかし目指しているものは、とても似ているように思える。もっとも本書は理論が中心で、実際にある文化をどのように扱っているかはあまり紹介されていないので、このような理解であっているかどうかはわからない。本書の姉妹書として、同じ著者による「犬好きのための人類学」書があるので、そちらを読んできちんと確認する必要がある。

小2の国語を授業見学

2005/04/20(水)

 ちょっと機会があり、とある小学校(私立)の2年生の授業を2時間見せてもらった。

 この先生の授業は前にも見せてもらったのだが、柔らかな雰囲気の中にも締めるところはビシッと締めて、でも全体的には楽しげで、さすがという感じの授業だった。

 授業前、近くにいた子どもに「学校は楽しい?」と聞いた。「楽しい」と答えたので、「何が楽しい?」と聞くと、「オンドクカイ」といっていた。なんだそりゃ。

 と思っていたが、みせていただいた国語の時間が「音読会」だった。教科書の文章を、グループで割り振って読む、というものだ。とくに振りをつけたりはしないので、台本の読みあわせという感じだ。1グループが10人ぐらいいたし、練習も前日に20分ぐらいしかしなかったということだったが、前に立った子どもたちはなかなか頑張ってオンドクしていた。

 全グループの発表が終わると、「前に出て発表してどうだったか」「誰のどんなところがよかったか」を数人に聞き、それから各自に自分の考えを書かせていた。数人に当てて言わせるのは、要するにモデルを示しているということなのだろう。私も授業でよくやる手だ。でもここで違うのは、子どもが言ったことに対して先生がきちんとフィードバックしたりほめたりしている点だ。低学年だから特にそういうことは必要なのだろうけれども、ひょっとしたら大学生でも必要かもしれない。

 あと発言した子は、みんなちゃんと、「なぜかというと」とか「理由は……です」と主張の根拠を述べていた。まだ2年生になって2週間だから、あんまり授業をしていないのだろうけれども、短い期間でちゃんと子どもを鍛えているんだなあと思った。鍛えているといえば、授業前の朝の会もちょっと見たのだが、子どもが前に出て1分間スピーチしていたり、それに対してフロアの子どもたちが質問したりしていた。基本的な進行は子ども(学級委員?)に任せていたし、係りからの連絡も忘れ物チェックも、係りの子どもを中心に子どもだけでやっていたし、ほんとよく鍛えているようだった。これからも、附属小学校以外で、こういうのを見る機会をもっともてるといいなあ。

授業でダイエット

2005/04/19(火)

 朝起きて体重を計ったら,前日から1.0kg減で,年明けからどうしても切れなかったラインを切ることができた。恐るべし,講義のダイエット効果(って,体に無理が来ていなければいいのだけれど)。

【授業】教育心理学・初回

2005/04/18(月)

 初回。最初に登録調整を行うが,Web登録で間違ったクラスに登録した人が30人ほどいたのと,追加登録が20人ほどいたので,時間がかかった(18分ほど)。例年5分程度なので,かなり時間を食われてしまった。結局登録人数は90人前後か。久々の人数だ(昨年までは大体60人前後だった)。

 今年は,近畿大学の山口先生の授業にヒントを得て,学生(グループ)に,各回の授業に対応した教科書範囲をコンセプトマップにしてもらって,発表してもらうことにした。ということで,初回は,グループ作りをしたり,コンセプトマップの説明をしたり。およその進行は以下の通りであった。

 当初の予定では,これに加えて,グループ内で自己紹介しあったり,採用試験の過去問題を1問解いてもらったり,その問題に対応した答申を読んでもらったりしようと思っていたのだが,ぜんぜん時間が足りなかった。その理由の一つは,登録調整にいつも以上に時間がかかったせいだが,それにしても,グループ作業を入れると,けっこう時間を食われるのだろう。ということで,再来週(発表が始まる)から,期待半分,不安半分である。

 次年度に向けて改善案を挙げておくならば,自己紹介シートは使わずに,グループ内で自己紹介を口頭で簡単にしてもらう時間を取ったほうがいいかも。

パラシュート作り,ほか

2005/04/18(月)
2005/04/16(土)
子どもの絵本に「パラシュート」が出てきたので,パラシュートを作ってあげることにした。見たことないだろうし。作り方はインターネット上ですぐ見つかる。近くの公園に行き,私がジャングルジムの上から投げ上げ,子どもが受け取るという遊びをした。欲を出して大きく作りすぎたせいか,なかなかうまく開かない。そのうちコツらしきものが分かったけど。でも最後は,風に乗って飛びすぎ,デイゴの木のてっぺんにひっかかってしまった。以下,次に作るときのための覚え書き。傘に糸を通す部分をセロハンテープで補強したのはいいアイディアだった。糸が長かったり多かったりすると絡みやすい。長さを今回は,傘の直径の倍とったが,次回は1.0〜1.5倍ぐらいでいいかも。形を八角形ではなく六角形にすると糸の数も少なくて済む。傘の直径も小さくしたほうがよさそう。
2005/04/17(日)
文章を書くのに苦労している。いつもと勝手が違う部分があるので。とりあえず『「超」文章法』をパラパラとめくってみた。そうそう,テーマ設定が大事なんだよ,と気づいた。おかげで少し書けた。
2005/04/18(月)
今日は授業が5コマ。ハードな一日だった。授業の合間に,腰と足のストレッチをしてなんとか乗り切った。

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