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今月はあまり本を読めていない。月に10冊しか読めなかったのは、2004年6月以来、1年10ヶ月ぶりか。そこまで忙しいわけではなかったはずなのだが、いつもの読書時間である就寝1時間前は、読んでいるとなんだか眠くなって、1時間も読めないでいた。その分、朝早く目が覚めていたので、朝方読書に切り替えてみるかなあ。
今月よかったのは、『生き方の人類学』(なるほど多様な振る舞いね)。『インタビュー調査への招待』も、まねしたくなるような授業アイディアがあった点ではよかった。
(mixiより転載)
今日は朝から幼稚園のお見知り遠足。といっても雨だったので、体育館でレクリエーションでした。
終了後、昼前からは、上の娘(7歳10ヶ月)のお友だちの誕生会で、牧港のA&W(ファーストフード)に行きました。
食事後、子どもたちは外で遊んだのですが、ちょっと前まで雨が降っていたので、ブランコの下には水が溜まったりしています。はじめ、子どもたちはぬれないように工夫しながら遊んでいたのですが、一人の子が「靴下脱ぎたい」といいはじめ、うちの娘がそれなら、と靴も靴下も全部脱ぎ、水の中にジャブジャブと入ってしまいました。ほかの子は、えー?みたいな感じで見ていたのでうが、私がちょっとその場を離れてから戻ってみると、みんな、はだしで水の中に入っていました。泥を集めて水溜りの中に橋を作ったりしていました。とても楽しそうでした。
考えてみたら、うちの娘も、水溜りに入ってこんな風に遊んだことはないはずです。アスファルトで固められているところも多いし、親も許可しないし。でもこういう経験、必要なんだなあと思いました。何よりも楽しいし。
講談社ノンフィクション賞受賞作品。品切れだったので、例によってマケプレにて購入。第二次世界大戦時、枢軸国中、ドイツと日本は負けるまで戦ったが、イタリアは1943年に休戦した。そのときのいきさつを書いたノンフィクションである。
タイトルに「ムッソリーニを逮捕せよ」とあるが、実はムッソリーニ逮捕事態は、タイトルとは裏腹に、本書の大きな山というわけではなかった。というのは、この戦争は国民の同意を得ることなくムッソリーニが始めたものだし、もともと反ゲルマン的なイタリア人はドイツとの共同戦線に乗り気ではなく、「国民にも軍にも、非戦、反戦気運は大戦中を通じて高かった」(p.37)そうである。もちろんムッソリーニ逮捕は一種のクーデターで、危険はあるわけだが、当時のローマの情勢からすると、ドイツ軍さえ気をつければ、さほど大きな問題であるようには思えなかった。本書にも「ムッソリーニ逮捕が一瞬の出来事だったように、ファシズムとファシスト体制の崩壊もまことにあっけなかった」(p.114)とある。なお,ムッソリーニ逮捕劇を仕組んだのは、参謀本部長、参謀本部将軍、ムッソリーニの娘婿である外務大臣、国王である。このことからも、いかにムッソリーニが周りの人から離れたところにいたかがわかる。
また、ムッソリーニ逮捕の場面は、本書でも前半1/3のところにあり、その後の話のほうが長い。それは、いかに連合国とコンタクトをとって休戦協定を結ぶかという問題であり、また、休戦後のドイツ軍にどう対処するか、という問題である。実際、休戦に至るまでにもかなりのドラマがあるし、また、休戦後には、ドイツ軍がローマを含む北半分を占領し、ドイツ軍とイタリア人(初めて銃を発射するような市民兵を含む)の戦闘や、イタリア人のファシスト派と反ファシスト派の内戦が起きているのである。ということで、ムッソリーニ逮捕自体はさほどでもなくても、ドイツ軍がまだ戦っている最中の休戦なだけに、その後のことがむしろ大変であることが本書でわかった。
なお、ムッソリーニ逮捕で中心となって働いた参謀本部勤務の軍人(カステッラーノ)は、「参謀本部というものは、戦争遂行だけを考えるところではない。戦争をしなくてもすむ条件を作ること。停戦の時期を考えることも同程度に重要である」(p.117)という考え方の持ち主だったようだ。ちょうど私は、これを読むちょっと前に、日本の大本営参謀であった人についてのノンフィクション(『瀬島竜三』)を読んだところだったし、このような考えはまず日本の(第二次世界大戦当時の)参謀本部ではまずありえないだろうなと思いながら本書を読んだ。
このような姿勢について筆者は、イタリア人が多様性を重視することや、人間らしく、思考が柔軟であることからきている、と考えているようである。もっとも人間らしく思考が柔軟とは、「悪く言えば、情に溺れ易くまた首尾一貫しないことにも通じる」(p.338)と述べている。おそらくその通りなのだろうが、しかし、このようなタイプの人の存在も許容される文化というのはやはり重要なのだろうな、とは思った。
「極地方式」という名前は聞いたことがあったし、そこで開発された教授法についても、ちょっと目にしたことがあったのだが、その「教授法」と、「極地」という名前の関係性がどうしてもわからなかった。ということは、「極地法とは要するに何か」ということがわからずにいた。本書ははじめて読んだ極地法の本なのだが、そのあたりのことが、ようやくわかったように思う。とはいっても本書の冒頭に、「極地方式ってどんなものか、ひとくちで説明してくれませんか」と聞かれても「ひとくちでなどいえるものではない」(p.5)とあるように、この本ではひとくちでは語られていなかった。しかし、私なりに理解はできたと思うので、以下に整理しておく。
まず、「極地方式」とは、実践の内容的な特徴でつけられた名前ではない。それは、「実践の積み上げに関する新方式」(p.19)であり、「授業を、教材を、児童を、研究する方式」(p.33)なのである。そもそも極地方式とは、極地探検などの際に、大量に人材と物資を投入し、キャンプ地を作って次々に前進していく方式である(長尾『マッキンリーに死す』p.172)。それと同じように、「個々の教師の努力を、全体の統一計画の下に集団研究を行うことによって仮説的にまとめあげ、すべての教師が気軽に使えるテキストを作り上げることによって、よりすぐれた実践や、その実践の検証によるより高度の教育理論を、追求しよう」(p.166)というのが、教育における極地方式である。
しかし話はここでは終わらない。これだけであれば、こんなやり方で作られた実践はすべて極地方式と呼べそうだが、そうではないのである。筆者らは極地方式を、どんな「極地」にでも適用しようと考えているわけではない。筆者らが目指しているのは、「すべての子どもに、高いレベルの科学をやさしく教える」(p.8)ことであり、その目的を達成するための方法としてこの方式を用いているのである。すなわち、この特定の目的に到達するための特定の研究方式が、極地方式なのである。
では「高いレベルの科学」とは何か。これも、レベルが高そうであれば何でもよいわけではない。筆者らは、高いレベルの科学とは「広大で未知の大自然の中での、判断の土台となり、行動の基準となりうるもののこと」(p.50)と述べている。判断の土台となり、行動の基準となるものとは、簡単にいうと「ルール」である。たとえば「すべての主食にはでんぷんが含まれている」というような。そういうルールを身につけ、使うことで、より理解が深まると筆者らは、次のように考えている。
初めは、ほんのわずかな「事例」からでもよい、初めは、ほんの半わかりでよい、自分の考えを大胆に大自然に適用し、失敗しながらその「法則」を作りあげていくのだ、と私たちは、子どもについても、また教師自身についても、考えるのである。そしてこのような原理を、「生兵法実践主義」と名づけている。(p.70)
このように、ルール学習を目標として、教師集団の力で高みに到達しようというのが「極地方式」なのである。名前は「研究方式」でつけられているけれども、目標が限定されているので、結果として実践の内容についても、かなり明確な方向性をもっている。しかしその方向性には「極地」という言葉は何の関係も持っていないために、名前と内容が合致しないのであった。おかげですっきりした。
筆者らの到達した内容に関する知識には、非常に興味深いものが多い。「なぜ」と聞くより「その結果どうなるか」と聞くほうが有効、とか、半わかりとか本わかりとか。あるいは「教師が問い詰められて立往生したら、それは授業が生きている証拠」とか「討論で方言が飛び出すと、そこから本物の授業が始まっていく」(p.43)とか。その上、本書の最後には、第一次キャンプ的な内容の報告もある。それは、頂上アタックに成功した報告ではなく、教師なりに工夫して教材を提示したけれども、なかなか誤解や半わかりから先に進まない、でも生徒の考えについて多少の感触は得た、という段階の実践報告である。その先も知りたいところだが、しかし、こういう試行錯誤をやっているんだなあ、というのを目の当たりに知ることができた。懇談会の報告というのは、少なくとも出版物ではほとんど目にしないと思うが、教材を考えるための考え方を考える上では、ほかの人がこの段階でどういう工夫と失敗をしているかをしることは、かなり有益な情報になりうるのではないかと思った。
昨日の4・5時限目は教育心理学実験。最初,臨床心理の先生が,臨床心理学にとっての実験の意義について話をされたので,私の持ち時間は,4時限目が35分と5時限目90分。
4時限目は,「実験とは何か」をテーマとした。最初に,実験とは一言で言うと何かについて,学生に考えてもらった。A3の紙をとマジックを各テーブル(2〜3人がけ)に配り,そこに大書してもらった。書けたものは黒板に貼らせる。それらをぜんぶ見たあとで,「ここに書いたようなことをしているけども実験とは言えない例」を挙げ,さらに考えてもらう。といっても,すぐに答えは出ないだろうから,じゃあ実際の実験を体験してみよう,ということで,クレイク&ロックハート的な実験をその場で行う。結果を確認し,その内容を解説し,心理学の実験で一番重要な点を説明し,ここまでで4限目が終了。休み時間中に,自分の結果を黒板に書いてもらう。
5時間目は,レポートの基本構成要素の話(目的・方法・結果・考察)。概要をプリントで説明し,また,今回のレポート課題の受理の要件を示し,これがレポートを書く上で重要であることを理解させた。次に,心理学の教科書から,典型的な記述を3つ抜き出し,その記述を,目的・方法・結果・考察に切り分けてもらった。一つ目は私が例を示し,2つ目と3つ目は,学生に指名して。ここのところ,実は十分に分かっていなかったかもしれないので,もう少し時間をかけてもよかったかもしれない。配布プリントの記述を参考に,一つ目から考えてもらい,その場その場で誤解を解消していくとか,もう少し題材を増やすとか。
最後に,本当の論文に近いものを読む体験を,と思い,学会発表論文集から2つを抜粋して配布。好きなほうを選んで,400字で要約を作らせた。この作業は,『日本語練習帳』を参考に導入したもので,要約することが目的ではない。心理学のフォーマットに沿った論文を,じっくり読んでみることが目的である。みんなもくもくと作業していた。これは,数人にはコメントしたが,基本的には出させて終わりとした(ほとんどの人が,授業終了10分〜20分前には終わっていた)。でも見てみると,結果と考察の違いが分かりにくかったりしたようなので,次年度は,各パート1段落で明確に切り分けてもらい,混乱している場合はもう少し説明なり作業なりをしたほうがよさそうだ,と思った。
とまあいくつか問題点は残ったが,講義ではないスタイルで授業ができたので,私としては満足できる授業だった。
去年やった,コンセプトマップの発表を取り入れた授業が割とうまくいったので,今年は初回からそのつもりで授業をすることにした。授業前,液晶プロジェクタがつかなかったり,マイクが利かなかったりしてちょっとあせったのだけれど。
追加登録希望者がいたのだが,去年のこともあり,ここで時間をとられたらイヤだなあとおもったので,追加登録は授業最後に行うことにした。まず授業の概要を,昨年の授業を3分に編集したものを見せながら説明。この授業では「思考力,疑問力」を重視することを強調した。
それから早速グループに分かれてもらう。4〜6人グループとしたのだが,次年度は「4〜5(〜6)人」としたほうがよさそうだ。6人で座ると,グループの話し合いがしにくいので。グループ作りは,最初は手間取っているように見えたが,結局,講義開始20分でみんなグループに収まった(おそらく,この授業は大変そうだ,と思った人はここで抜けていったようだ)。グループができたところから,質問書を配布し,この授業に期待することを書いておいてもらう(グループ編成終了後,さらに5分ほど記入時間をとった)。
続いて,仮リーダー(今日の進行役)を決めてもらい,グループ内で自己紹介。それから,グループ編成表を完成してもらった(メンバー名の記入,グループ代表者の決定,希望発表題材)。黒板に発表テーマを板書し,「先着順」と言ったら,ドドッという感じでグループ代表の人が前に出てきたので,ちょっとびっくりした(あらかじめ書いておけばよかった)。続いて,授業日程について,ちょっと話し合ってもらった。
ここまでで,授業開始から55分だった。予想外に順調。そこで,この授業の根幹であるスキーマについての文章を配布し,読んで疑問をグループで話し合ってもらう。グループ内で解消されない疑問があれば全体で考えようと思ったのだが,疑問はすべてグループ内で解消されたよう(これもちょっと疑問。次年度は,理解を確認するための質問を用意しておいたほうがよさそう)。そこで,昨年の受講生が作ったコンセプトマップを3つ,私が説明しながら紹介し,どれがいいマップだと思うかを考えてもらった。3グループに当てたが,単純なマップを良いマップとみなしているようだった。この点も疑問だったが,特にコメントはしないでおいた。自分でもマップを作ってみたい人は作ってごらん,と任意課題にし,授業終了10分前に終了した。その間に追加登録をして,ちょうどいいぐらいに終わった。