読書と日々の記録2006.11上

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■読書記録: 15日『子どもが減って何が悪いか!』 10日『大本営参謀の情報戦記』 5日『霞が関が震えた日』
■日々記録: 当日ブリーフレポート(4) 7日当日ブリーフレポート(3) 2日今日から福岡

■『子どもが減って何が悪いか!』(赤川学 2004 ちくま新書 ISBN: 4480062114 \735)

2006/11/15(水)
〜リサーチリテラシー+αの本〜

 少子化を問題視する言説の問題を指摘した本。さまざまな角度から少子化問題言説を検討し、一言でいうと「子どもが減って何が悪いか」と結論づけている。筆者自身による本書の概要は次のとおり。

序章から第4章まで、男女共同参画が少子化対策として有効ではないことを明らかにし、男女共同参画は少子化対策であるべきではないとも主張してきた。第5章では、少子化がもたらすデメリットを、出生率回復で克服するのではなく、低出生率を前提とした制度設計によって、社会全体でその負担を引き受けるべきと主張した。第6章では、少子化は生活や豊かさに対する期待水準の向上によって不可避的に生じるから、それは食い止めようもないし、期待水準を上げるような少子化対策はかえって逆効果と論じてきた。第7章では、子育て支援は、育てられる子どもの生存権という観点からのみ正当化されるべきであり、養育者のライフスタイルとは中立な支援のあり方を考えねばならないと主張してきた。(p.188)

 以上のことを論じたるための筆者の武器は二つある。一つはリサーチ・リテラシー、すなわち、政策提言の根拠となっている実証データの問題を指摘することであり、もう一つは、その問題を理念的に検討することである。

 リサーチ・リテラシーに関しては、次のような具合である。少子化対策としては、女性が働きやすくなるような(すなわち男女共同参画的な)政策が推進されることが多いが、その根拠として、「女性の労働力率が高いほど合計特殊出生率も高い」というデータが引用される。しかしその根拠として一般的に使用されているのは、OECD加盟国のうちの一部の国のデータだけを(おそらく恣意的に)選んだ、作為性の高い(トンデモな)データなのである。そのことを示すために筆者は、入手可能なすべての加盟国のデータを用いて再分析する、という方法を用いている。実にまっとうな方法であり、リサーチ・リテラシーをとても具体的に学ぶことができる。

 理念的な検討の部分は、私にはなんともいえないのだが、筆者が基本的な評価軸としているのは、「してもしなくても、何の利益も不利益も受けない」(p.111)という「選択の自由」の保障であり、特定のライフスタイルのみを前提としない、ということである。それをもとに、ありうる諸政策を評価しているのである。この前提も、極めてまっとうに私には思えた。

 具体レベルの話でいうならば、少子化が引き起こす問題には、大きく分けて、「市場縮小・低成長」という問題と、「年金などの制度の破綻」の2つがある。筆者は、どちらの場合も、これらの問題に、子どもを増やすことで対処するのではなく、少子化を不可避と捉えてそれを前提とした制度設計をするしかない、と考えている。特に、筆者がより深刻で重要と考える年金問題については、それなりのスペースを割いて検討がされており、具体的な方策としてスウェーデン方式の年金制度が紹介されている。

 それに対して、市場縮小・低成長問題に対しては、筆者がより深刻ではないと考えているせいなのか、「市場縮小・低成長を与件とした政策、制度設計を考えるしかない」(p.126)という程度にしか論じられていない。これは私にはちょっと不満であった。それが具体的にどんな政策、制度設計(ひいては、そこから具体化される人々の日常生活)として可能なのかが知りたい。それだけでなく、本当に少子化の元で、市場が縮小し、低成長になるのかについても、検討してほしかったという気がする。というのは、たとえば『日本の論点2006』の中に収められている論考の一つで、金を持った団塊の世代が退職することで、むしろ日本の景気はよくなる、という議論をしている人がいるのだ。それが妥当かどうかは私には判断はつかないが、単に「より深刻で重要なのは年金問題」というだけではなく、なぜ市場問題がより深刻でないのか、巷にみられる説を筆者はどう評価するのか、知りたい気がした。それは、そういう問題も、筆者ならそれなりに納得の行く形で扱ってくれるのではないかという期待を本書が抱かせてくれたせいである。要するに、私にとっては本書はそういう本であった。

当日ブリーフレポート(4)

2006/11/14(火)

 前回に引き続き,(他人には面白くはないであろう)箇条書きメモ。

■『大本営参謀の情報戦記―情報なき国家の悲劇』(堀栄三 1996 文春文庫 ISBN: 4167274027 \539)

2006/11/10(金)
〜孤独のクリティカル・シンカー〜

 筆者は第二次世界大戦当時、大本営陸軍部の参謀として情報業務に携わっていた軍人である。本書では、戦争における情報の意味や位置づけがわかり、非常に興味深かった。

 情報業務は、「まず疑ってかからねば駄目」であり、「疑えばそれなりに真偽を見分ける篩(ふるい)を使うようになる」(p.53)。それは、情報を絶対視し、一方的な一本の線で見るのではなく、他の情報と関連を考え、「二線、三線の交叉点を求めようと努力」(p.51)することである。要するに情報を見る人間は、クリティカル・シンカーでなければならないということである。

 大本営というと、「大本営発表」が有名であるが、筆者はあるとき、航空戦の飛行機が帰還する鹿屋の海軍飛行場に行った。そこでは戻ってきたパイロットが、「○○機、空母アリゾナ型轟沈!」「○○機、エンタープライズ轟沈!」と報告していた。しかしそれを怪しいのではないかと思った筆者が、「どうして轟沈だとわかったか?」「どうしてアリゾナだとわかったか?」などと確認していくと、パイロットたちはあいまいな返事しかしない。しかも夜戦である。そこで筆者は、戦果は五分の一以下ではないかと考えた(実際には十分の一以下であった)。しかしパイロットたちの情報はチェックにかけられることなく鵜呑みにされ、「大本営発表」が作られていくのである。ちなみに筆者は電報を打つが、それは握りつぶされていたとのことであった。

 情報の仕事は、「疑う」だけではない。手に入る乏しい情報を元に、いかに敵情を探るか、ということも行っており、そこでも筆者はクリティカル・シンカーぶりを発揮している。手に入る情報を元に筆者は、敵軍が、いつ、どこに、どのように上陸してくるかを、情報を元に推理し、的中させるので、筆者は「マッカーサー参謀」という異名をもらっていたという。クリティカル・シンカーというか、シャーロック・ホームズである。

 しかし、日本軍では情報は、まったく重視されておらず、情報部が分析した情報は、作戦立案の際には、ほとんど考慮されていなかったようなのだ。筆者によると、作戦当事者の判断に感情や期待がはいって誤らないよう、「作戦と情報は、百年も前から別人でやるように制度が出来ていた」(p.166)というが、筆者が経験したことは、作戦と情報が別人でやるがゆえに、感情や期待をもった作戦立案者(いわゆる「弱い意味の批判的思考」者)が情報を考慮しない、という事態である。そんなことになるのであれば、作戦と情報を分ける意味はまったくない。というか、分けるだけでなく、両者の判断が関連づくようなもう一工夫が必要なのではないかと本書を読んで素人ながらに思った。

 先の航空戦戦果に対する疑義には後日談がある。その後、敵の戦艦に関して、偵察機から情報が入った。その情報は、敵がそれなりの被害を受けていると解釈できるもので、「君の戦果判断、あれは間違いだよ」(p.180)と皆に言われ、筆者は一同を納得させることができなかった(実は偵察機の情報が間違いだったのだが)。本書にはそういうくだりがいくつか出てくるし、精神論者が現実情報を「あまりに悲観的」とみなして情報を考慮しない、というくだりもみられる。そういうのをみるにつけ、ある人がクリティカルな判断をするということと、それを他の人に説明し納得させることは違うんだなあと思う。そういう、クリティカル・シンカーの悲哀のようなものまで描かれており、興味深い本だった。

当日ブリーフレポート(3)

2006/11/07(火)

 今日の授業でもやった。思ったことのメモ書き(なので、人が読んでも面白くはないかと...)

■『霞が関が震えた日』(塩田潮 1983/1993 講談社文庫 ISBN: 4061853325 \500)

2006/11/05(日)
〜失敗学の本〜

 1971年、ドルと金の固定比率での交換が停止された。ニクソン・ショックである。そのとき日本は、固定相場のままで市場を12日間に渡って開け続け、価値の下がったドルを買い続け、2200億円の損失を生んでいる。本書は、その間に何が起きていたのかを明らかにしたノンフィクションであり、講談社ノンフィクション大賞を受賞している。

 本書の内容は、経済と政治の間におきた出来事なわけで、私のもっとも苦手とする分野の話である。しかしこれは同時に、組織の意思決定の問題であり、失敗学ともいえる。ということで、細かいところはおそらく理解はできていないが、そんな私にとっても、なかなか興味深い内容だった(そんな私なので、以下の記述の中には不適切な理解が含まれているかもしれない)。

 筆者は、その12日間のことを次のように表現している。

日本は、ニクソンの奇襲攻撃によって通貨戦争に否応なく参戦させられた。その後、戦略なき戦いを強いられ、敗退に次ぐ敗退を重ねた。最後には無残な幸福を余儀なくされたのであった。(p.303)

 この記述があるからというのではないのだが、私は本書を読みながら、ここでおきていることは、ある面、第二次世界大戦での日本軍におきていることに、非常に似ているように思った。この記述のように、戦略なき戦いという点でもそうであるし、意思決定の理不尽さは、『組織の不条理』に描かれているような日本軍にあい通じる不条理さがある。

 といっても、愚行に全員一致で突っ走ったわけではなく、市場閉鎖論者と閉鎖反対論者の議論が起きている。閉鎖反対論者は、「貿易の大半をドル建てでやっている国では、市場を閉鎖すれば事実上、貿易がストップしてしまう」(p.96)といって反対し、市場は明け続けられることになる。しかし政府が市場を閉鎖しなくても、結果としては数日後には、「アメリカ向けの輸出の商談はほぼ全面的にストップした」(p.190)のだという。それでも市場をすぐに閉鎖はしていないのである(そこには諸般の事情もあったのかもしれないが)。素人目には、市場を開けておくメリットがないのであれば、市場を閉じればよさそうなのに、すぐにはそういう行動は取られないのである。読みながら、この点は実に不思議であった。

 不思議に思った点はほかにもある。市場を開けておいてもそこで売られるドルはせいぜい15億ドルだろう、ということも、市場閉鎖反対の理由となっていた。しかし実際には、そのラインは3日で突破し、1週間後には倍の30億ドルが売られた。それでも市場は閉鎖されず、市場が閉められた12日後には43億ドル弱が売られたのである。これだけ大幅に予想がはずれているにも関わらず、すぐに手が打たれないのも不思議である。予想がはずれたらどうするか、と複数の路線で考えていないのだろうと思う。このあたりも旧日本軍的である。

 旧日本軍的といえば、こういうのもある。このときの情勢を分析した発言として、次のものがある。「最初の二、三日は、市場を開けておいてもやむを得ない面もあった。それはいってみれば贖罪みたいなもんだ。だけど、これ以上、三六〇円レートを守ると言い続けるのは無理だよ」(p.219)。大東亜戦争に関しても同じで、『あの戦争は何だったのか』では著者は、あの戦争は不可避の戦争だった、しかしもっと早く手を打つことができたはずだ、と述べている。始めることは不可避的であっても、その後の戦略決定に、予想が外れたことに対する反省が適切に行われていない点は、実に旧日本軍的という感じがした。これが、戦争中の軍部だけでなく、戦後の行政でも起きたということは、日本軍の問題は日本軍だけの問題ではなく、またいつ起きてもおかしくないことだろう。そのときに備えて、本書のような内容を知り、そこから教訓を引き出すことは大事なことだろうと思う。

今日から福岡

2006/11/02(木)

 学会出席のため、今日から福岡に行きます。久々に、学会に全日程参加することになりそうです。

 この時期に内地に行くと、着るものを何にするかで悩みます。こっちの感覚で行くと絶対に寒いだろうし、だからといってあんまり厚着をすると、沖縄を離れるまでが暑いし、そもそも、どのぐらいの気候なのかが想像がつかないので、よく失敗するのです。あーめんどくさ。

 今回、日程を組むにあたって一つ失敗したのは、今日から行くと、上の娘の小学校の文化祭にいけなくなることです。この学校はいつも11月3日に文化祭をやっているのを、すっかり忘れていました。福岡便は多いので、3日の午前に文化祭に行って、午後に福岡入りすることも可能だったのに。

 そうしなかったのは、旅割してもホテルパックにしても、3日に出発するとかなり高くなってしまうからでした。同じお金を出して1日よけいに参加できるならその方がいいかなと思ったのです。学会に全日程参加できるのはもちろんいいのですが、こういうこともあるので、来年からは気をつけないと。


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