読書と日々の記録2007.07下

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■読書記録: 31日短評7冊 25日『「考える足場」をつくる算数科授業の創造』 20日『問題解決の心理学』
■日々記録: 28日ファイブミニで算数 22日夏休み気分 19日子どもなりの漢字理解

■今月の読書生活

2007/07/31(火)

 ここ最近は気分的にゆったり過ごしていたのだが、昨日の授業でデータを取ったら、なんだかいい感じのデータが取れたので、急に慌ただしくなった。補足的な面接調査を行ったり、今後の構想を練ってみたり。忙しいけれどもちょっと幸せでもある(今のところは)。

 今月よかった本は...ひっじょーに難しいなあ。しいて言うならば『学び合う教室』だろうか。あくまでも「しいて言うなら」だけど。

『すごい会議─短期間で会社が劇的に変わる!』(大橋禅太郎 2005 大和書房 ISBN: 9784479791188 \1,470)

 筆者がシリコンバレーで会社を立ち上げて行き詰まりかけたときに、マネジメントコーチに会議を主導してもらったおかげで結果が出た。その顛末が書かれている本である。本書の前半はその会社だけでなく、筆者の初就職からのさまざまな苦労が軽いエッセイ風に書かれており、それも面白い。会議に関しては、比較的軽い内容ながらも興味深いアイディアはいくつもある。なかでも「なぜ」ではなく「どのようにすれば」と問う、という部分が特に興味深かった。「なぜ売り上げが上がらないのか?」ではなく、「どのようにすれば、今月の売り上げを確実に上げることができるのだろうか?」という問いを立てれば、自然に前向きな解決策がいくつも出てくる、というのである。これはどこかで使えるかもしれない。

『ルネッサンス─再生への挑戦』(C.ゴーン 2001 ダイヤモンド社 ISBN: 4478321000 \1,932)

 カルロス・ゴーンの自伝。ゴーンのことは私は『ゴーンが挑む7つの病』で読み、面白いなあと思っていた。それと同時に、若いうちからブラジル・ミシュランを苦境から救い、ルノーを立て直し、日産を再生させた男というと、なんだかすごいというか、確立された方法論を持ち、余裕でこれだけの事業を成し遂げたかのように感じてしまうが、そうではないことが本書でわかる。簡単にいうと彼は、「試行錯誤し、多くの重要な決断を下すことによって」(p.4)学んできたようである。ただブラジル時代(1985年)から、現状を把握するために現場の人々と話し、あちこちを見て回り、そこから、クロス・ファンクショナル(部門横断的)に問題に取り組む姿勢の欠如は見て取っているようである。そこにメスを入れることは、人々の思考様式を変えることに繋がっているのである。

『知のツールボックス─新入生援助集』(専修大学出版企画委員会編 2006 専修大学出版局 ISBN: 4881251740 \630)

 専修大学の基礎ゼミのために作られた小冊子。最初に原型があり、3年かけて改定してこの形になっているようで、よく練られている。内容は、講義でのノートの取り方から始まり、資料の集め方、文章の読み方、人との議論の仕方、レポートの書き方、プレゼンテーションの仕方、などである。ノートに関しては、取り方の要領が説明された上で、「その講義をとっていない友だちを相手に、講義内容を再現してみよう」(p.27)なんて提案がされている。そうすれば理解できているかどうかや、ノートの取り方が適切かどうかがわかるからだ。こういう感じで、大学でうまくやっていくための、痒いところに手の届いた本になっている。値段も手ごろだし、悪くない。

『福祉・心理・看護のテキストマイニング入門』(藤井・小杉・李編 2005 中央法規 ISBN: 9784805826034 \2,625)

 テキストデータを、数量化III類を使ってそれなりに客観的に分析するやり方を書いた本。なかなかわかりやすく書かれている。内容的に、特に問題はないのだが、しいて言うならば、このような形で分析された結果が、元のテキストデータのどういう性質を縮約したものであるかについての説明があると、もう少し、この分析の意味なり意義を理解しやすかったろうと思う。ひょっとしたらそういうことは、実は本書の中にもそれなりに盛り込まれているのかもしれないが、統計学に詳しいとはいえない私にとっては、そういう部分がよく分からなかったのである。

『日本語のレッスン』(竹内敏晴 1998 講談社現代新書 ISBN: 406149399X \660)

 再読。前に読んだときはとても興味深かった記憶があるのだが、今回はさほどでもなかった。前の読書記録を見ながらその理由を考えるに、本書の中にある「考えること」にあまり注目できなかったせいかもしれない。それだけでなく、筆者が「ことば」になりにくい事柄を、ことばを通してかなり思弁的に論じていることが気になったせいかもしれない。ホントこういうのは、本を何回も読むよりも、筆者のワークショップを一度受けなければわからないことだろうなあと思う。よくも悪くも。

『私家版・ユダヤ文化論』(内田樹 2006 文春新書 ISBN: 9784166605194 \787)

 うーむ。読み終わってから、どうまとめようかと考えあぐね、ネットを検索してみたが、amazonの読者レビューにあった「本は全体では何を言いたいのかさっぱり解らないのですが、部分は非常に魅力的で有益なので、読んでみる価値有り」という書評が私の読中・読後感に一番近い。

『大学授業改善の手引き─双方向型授業への誘い』(木野茂 2005 ナカニシヤ出版 ISBN: 4888489424 2,730円)

 うーん、内容はどう考えても「手引き」じゃないなあ。前半は筆者の大学での改革の経緯やデータ。後半は筆者が試みた講義、集中講義、演習での双方向型授業の紹介で、どちらにしても筆者の「経験」が語られているのが中心であって、直接の「手引き」になっているとは私には思えなかった(読み手が努力すれば、手引き的な情報を本書から引き出すことも不可能ではないかもしれないが、直接明確に書かれていないことを本タイトルにするのはどうかと思う)。後半にしても、講義といっても6回はゲストが来る授業だし、多くの教育は一般教養科目で集中講義や演習をしょっちゅうもてるわけではないので、これまた私たちのふだんの授業に直接役立つ話ではなかった。残念ながら。

ファイブミニで算数

2007/07/28(土)

 今朝、算数の問題をやっていた上の娘が、わからないので教えて、という。見てみると、700mlをデシリットルに換算する問題だった。

 いまどきデシリットルなんて使わないのになあ、なんて思いながらも、こういうときは認知カウンセリング的に、と思って「教科書を見ようか」と見てみると、直接換算は書いていない(1リットル=100ml, 1リットル=10デシリットル、は書かれている)。

 それではと、★デシリットル=●ミリリットルというのを作ってみようか、と提案し、自力解決を促そうとあれこれやらせて見るが、なかなか難しいようである。たまに答えらしきものが出ても、自信がないようだし、根拠もあいまいだし、正しいことを言ったり間違ったことを言ったりしている。要するに混乱しているみたいである。一般論で言うならば、こういう問題を、イメージなしに「暗号解読」的に(ルールを機械的に適用して)解こうとすると、混乱してしまうのだと思う(そういう様子は小学1年生でも大学生でも同様に見られる)。

 混乱しているということは具体的イメージがもてていないんだろうなと思い、二人で「デシリットル」を探しに行くことにした。たぶん栄養ドリンクに100ml=1デシリットルのものがあるだろうと思い、近所の自動販売機を見るが、残念ながらない。車でコンビニに行くと、何種類かあった。その中で、一番安い(~_~;)ファイブミニを買い、飲む前にマジックで100mlのところに線を付け、家族で回し飲みし、空き瓶に「1デシリットル=100ml」と書いて教え、何回かやり取りしているうちに、デシリットルのイメージもできたようだ。ファイブミニのビンを傍らに置いておいたら、先の問題も残りの問題も、ほとんど混乱することなく全部解くことができた(一回、「3リットル」と出てくる問題で混乱しそうになったので、牛乳パックを見せたら混乱せずに済んだ)。せっかくなので、ファイブミニをデシリットル枡として使い、うちにあるコップの容量をいくつか計ってみたりした。

 上の娘はファイブミニ(と牛乳パック)のおかげで、デシリットルのイメージを持てたようである。私は私で上の娘のおかげで、「イメージがもてずに混乱していた子がイメージを持ったおかげで混乱しなくなった」様子についてのイメージをより明確に持つことができた。

■『「考える足場」をつくる算数科授業の創造』(石田淳一編 2006 明治図書 ISBN: 9784185697170 \2,268)

2007/07/25(水)

 小学校の算数において、「授業の導入時に、本時の指導目標を達成するために関連する既習事項(知識・技能・考え方)を確認する導入問題をクラス全体で解決する場面を設定する」(p.11)という学習を提唱している本。これが「考える足場」である。

 足場に続いて、主問題1を全体で(あるはペアで)解決する、主問題2を個人で解決する、発表と話し合い、まとめ、適用・発展問題、という形で授業は進められる。主問題1や2は、「足場」となる既習事項が考える手がかりになっている。これは、教えて考えさせる授業の一形態といえる(実際、教えて考えさせる授業に取り組んでいる横浜本町小学校では、このやり方を用いていると言っていた)。

 筆者がこのようなやり方を提唱するのは、現行の算数の授業には次の問題点があるからである。

(1)すべての児童が既習事項を想起できることを前提としていないか? (2)本時の指導目標に即した思考活動を促しているだろうか? (3)自力解決の時間を確保することで思考力を育てることができると考えていないか? (4)少ない問題数で本時の学習内容をまとめていないか? (5)定着をはかるために類題のみを適用題として与えていないか?(p.10)

 これらの疑問はもっともなものであり、本書を読む限り、「足場算数」がその一つの答えになりうると思った。もっともこういうやり方の算数では、授業に面白みやひねりを持たせることは難しいかもしれない(って私が勝手に思っているだけかもしれないけど)。

夏休み気分

2007/07/22(日)

 うちの娘たちは二人とも小学生で、先週から夏休みに入っている。

 おかげで我が家の中は夏休みの気分がしっかり漂っている。朝も早くからラジオ体操に行ったりするし、夜、宿題に追われることもなく、ゆったりと過ごしているし(外では、セミもしきりに鳴いているし)。

 おかげで私も、何だか夏休み気分になってしまう。実際にはまだ前期の講義は、試験期間も含めて3週間あるわけだが。

■『問題解決の心理学』(安西祐一郎 1985 中公新書 ISBN: 4121007573 660円)

2007/07/20(金)

 15年ぶり(たぶん)に再読してみた。本書の冒頭が小説に見られる問題解決シーンから始まっていることは忘れていた。3つの小説が紹介されており、それぞれ、男性的問題解決(目標に向かってまっしぐら)、女性的問題解決(つねにまわりの状況にあわせる形で問題解決)、協同的問題解決(まわりの人々との信頼関係と、それに基づいた役割分担の中で問題解決)の例として紹介されていた。これはとても興味深かった。

 ただ残念なことは、第二章以下は、第一章で紹介された3つの問題解決タイプとの関連があまり論じられていない。第二章以降の章立ては、記憶とイメージ、思考、問題の理解、という感じで、急に認知心理学の概論書風になっているのである。

 第一章の最後では、次のような問題が筆者によって設定されている。「これらの人々は、いったい何のためにそんなことをしたのだろう。どうして、そういうことができたのだろう。彼らのきわめて首尾一貫した問題解決の仕方─あのお夏でさえそうだ─はどこから来たのだろう」(p.40) しかし、私の見る限り、本書の残りの部分は、この問いに直接答えるものにはなっておらず、とても残念だった。

 もっとも、こういう問いに、そもそも(認知)心理学の研究は直接答えられるものではないかもしれない。心理学がやることはあくまでも一般論であり、人間の平均的な傾向であり、特定の状況と反応の関係だからである。それでは、「これらの人々」は何のためにそうしたのか、できたのか、それはどこから来たのかに答えることはできない。答えられるとしたら、ノンフィクション的事例研究でしかないのではないかと思う。そういう意味で、本書冒頭の問題提起や事例選択が興味深いだけに、その後の研究紹介とのギャップが残念だった。あくまでも「心理学」の本なので、しょうがないことなのかもしれないけれど。

子どもなりの漢字理解

2007/07/19(木)

 今朝,下の娘(6歳10ヶ月の1年生)と,同級生の名簿を見ていた。漢字で書かれているヤツである。

 私が「田畑」を指差し,「ひーちゃん(仮名)の苗字はタバタっていうんだね」というと,下の娘が,「ううん,ひーちゃんの名前の字はコレじゃないよ」という。

 あれ?田畑という字は誤植なのかな?と思っていると,下の娘が「タはこれ(田)だけどー,バはこれ(火)でー,タはこれ(田)だよ」と言う。2番目の「これ」のところでは,火曜日の「火」をゆび指しながら。

 なんじゃそりゃ,「火」は「バ」とは読まんだろう,と思っていたが,ほどなくわかった。なるほど,田火田ね。おもろいやっちゃなー(いやいや娘は真剣なんだろうけど)。


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