読書と日々の記録2007.12下

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■読書記録: 31日短評4冊 24日『学力を育てる』 18日『日本外交官、韓国奮闘記』
■日々記録: 21日【授業】社会と進化

■今月の読書生活

2007/12/31(月)

 今月良かった本は,『学力を育てる』。強いてもう一冊挙げるなら,『日本外交官、韓国奮闘記』か。

 今年1年で読んだ本は117冊。これまでの最低記録だった昨年から1割以上減っている。そういう時期(年齢?)だと思うので,まあいいんですけど。

『人はなぜ逃げおくれるのか─災害の心理学』(広瀬弘忠 2004 集英社新書 ISBN: 9784087202281 \735)

 災害時,人は逃げ遅れてしまうことがある。それはなぜか。ということを論じた本,というわけではない。そういうことも論じられてはいるのだが,それはごくごく一部で,あとは,災害に関する心理学的な知見が教科書的に並べられている本である。そういう意味では,あまり知的な興味を強く喚起する本ではなかった。いや,災害の事例など,挙げられているものは豊富だし興味深いものもあるのだが,全体的なトーンが教科書的というか,少なくとも私にとっては今ひとつだった。ちなみに人が逃げ遅れるのは,「ある範囲までの以上は,異常だと感じずに,正常の範囲内のものとして処理するようになっている」(p.12)と説明されている(正常性バイアス)。ということはつまり,なぜ逃げ遅れるかというと,異常事態だと感じないから,ということになる。この点について,たとえばもう少し突っ込んだ説明なり,実験なり調査なり事例なりを元に掘り下げたりできなかったのだろうか(ある範囲とはどういう範囲なのかとか,その範囲は状況などによって変化するのかとか,さらにその背後にあるメカニズムはとか,あるいは災害以外でも正常性バイアスが発揮されることはないのかとか)。

『教師になるということ』(池田修 2007 ひまわり社 ISBN: 9784902232417 \903)

 元中学校教師の本。教師を目指している高校生,大学生に向けて書かれているようである。全体的に軽めでさらっと読めるが,ところどころ,なるほどと思えるところがある。たとえば授業における指導の力について筆者は,「つまらないを,おもしろい! に/分からないを,分かった! に/できないを,できた! に/変える力」(p.110)述べている。あるいは,林竹二氏の言葉「分からないことがあったら,子どもに聞けば良い」(p.140)が紹介されており,「この言葉にずいぶん助けられました」(p.140)と筆者は述べている。分からないことを子どもに聞く。当たり前のようでいて,案外忘れられることなのだろう。

『5年生『インスタント食品とわたしたちの生活』の授業─ディベート・フリートークで展開する説明文の学習』((ISBN:9784491017983) \1,051)

 「インスタント食品とわたしたちの生活」という国語の説明文教材を,ディベートスタイルと,フリートークという形で成された実践を紹介した本。同一教材を異なるスタイルの授業で見せているという点では面白い企画ではある。ただし,90ページ弱の中にそれだけしか紹介されていないという薄さがちょっと残念かも。ちなみにディベートの方は「ありがち」としか思わなかった。フリートークのほうは,何冊か読んでいるが,悪くないなあと改めて思った。

『日本の教育と基礎学力―危機の構図と改革への展望』(21世紀COEプログラム東京大学大学院教育学研究科基礎学力研究開発センター編 2006 明石書店 ISBN: 9784750322735 \2,600)

 サブタイトルに書かれている2つのトピックを扱おうとした本だと思う。前者の「危機の構図」に関しては,最初の2章でよく分かった(この2章は秀逸な分析だと思った)。しかし,「改革への展望」については,よく分からなかった。一番知りたい点なだけに,残念だった。

■『学力を育てる』(志水宏吉 2005 岩波新書 ISBN: 9784004309789 \700)

2007/12/24(月)
〜「がんばっている学校」にならって〜

 学力をどのように向上させるかというのはなかなか難しい問題である。カリキュラムの問題も,教師の問題も,子どもの問題もあるだろうけれどもそれだけではない。教育社会学者が,家庭の社会経済的地位などのから来る教育格差問題を取り上げ,それは認知されるようになったが,しかしそれが分かったからと言って,容易に手を出せる領域ではない。ではどうすればよいのか。その一つの解答が本書にはあると思った。

 本書は,学力とは何であり,子どもたちの学力はどうなっており,学力を育てるために家庭,学校,地域に何ができるかを論じた本である。子どもたちの学力がどうなっているのかを筆者らは調査し,そのデータを分析する中で,筆者らは「がんばっている学校」を見つける。それは,家庭の文化的階層が高いとはいえないにも関わらず,子どもたちがきわめて高い基礎学力を示し,しかも点数のバラツキが小さな学校である。

 それはどのようにして可能になったのか。筆者はそのような学校を1年にわたってフィールドワークし,その秘訣を明らかにしている。その秘訣を筆者は,次の6つにまとめている。「わからない時にわからないと言える学習集団づくり」,「授業と家庭学習との有機的なリンク」,「弾力的な指導体制と多様な授業形態」,「学力実態の綿密な把握」,「学習内容の定着をはかる補充学習」,「動機づけをはかる総合学習の推進」(p.131-136)。

 これらは,なるほど確かにこのような取り組みをすれば学力は維持されるなと思わせるものである。と同時に,これだけのことをやるのは先生方大変だろうなという感じもある。といっても,すべての地域のすべての学校にこれらが必要というわけではないだろう。おそらくそれぞれの地域にあった処方箋があり,地域のどこかの学校ではそれを探り当てているのではないか。つまり,筆者がやったのと同じように,同じ文化階層環境の中でもがんばっている学校があれば,そこで行われていることに学ぶことが,学力向上の第一歩だろうと思うのである。いたずらに生活習慣だの文化階層だのに目を奪われることなく,あるいは他地域の派手な事例に振り回されるのではないく,身近な実践から学ぶ。本書を通して,そのような学力対策が浸透していくといいのに,と思った。

【授業】社会と進化

2007/12/21(金)

 共通教育科目「人間関係論」で,社会心理学的な進化心理学を扱った。自己評価としては,悪くない授業になったのではないかと思っている。

 過去4回,同調,傍観,権威への服従,役割の内面化を扱っている。どれも「集団」の負の側面についての話だ。受講生の反応としても,「人間の弱い面/悪い面を知った」みたいなものが少なからずある。

 そこでこの回では,まず,「感情は人間の判断を誤らせるものであるかのように思われているが,人間の心が発達した野生環境においては,適応的なものであったのだ」という戸田正直氏の説を紹介し,これと同じような意味で,「同調,傍観,権威への服従,役割の内面化のプラス面を考えよ」と課題を出した。それについて,5分間一人で考え,前後の人たち(3〜5人)で考え,5分で結論を結論を出させ,10人に当てて結論を板書させた(約10分)。それにコメントしつつ,進化心理学の考えを紹介した。

 さらに,「これは現代環境では不適合的な面もある。それを克服するにはどうしたらよいか」ということで,岡本浩一氏の考えを『無責任の構造』を元に紹介し(「認知的複雑性」を中心に),また,いじめ問題において傍観が起きる場合と起きない場合の話を,『社会的ジレンマ』(山岸俊男)にある「マイクロ−マクロ関係」の話を元に紹介した。

 後半の話はこれまでもしたことがあったのだが,進化心理学と関連させることで,うまく説明の流れが作れたようだ。今回は最後10分ほど余ったので,次は,もう少し話を工夫するなり,話し合いの時間を長く取るなりできそうだ。

■『日本外交官、韓国奮闘記』(道上尚史 2001 文春新書 ISBN: 9784166601622 \660)

2007/12/18(火)
〜指摘した上で改める〜

 筆者は,韓国の日本大使館で外交官をしたことのある人である。日本と韓国がなかなか理解し合えないのは,両国それぞれに盲点があるからであり,両国がまったく異質の国であるという発想を出発点として,自分の尺度や価値観を無理に当てはめるのではなく相手国を理解することが必要,という考えで本書は作られている。

 たとえば日本に対して誤解があれば,「韓国側に「もの申す」べきだ」(p.7)と筆者は述べる。これは一見当たり前のことであるが,筆者があえてそう述べるということは,現状はそうなっていないということである。そういうときに,「うつむいて黙る」か,「どうせあいつらには分からないと無視する」のどちらかの態度がとられることが少なくない。そうではなくて物申すべきという筆者の態度は,クリティカル・シンカー的な感じがした。

 筆者がそういう場面で行うのは,単に物申すだけではない。筆者は次のように述べている。

これまで何度か触れたように,日本側の問題,韓国側の問題の双方がある。私は,双方を指摘した上で,まず日本が改めることが,韓国の前向きな姿勢を引き出す早道と考えている。(p.95)

 日本側の問題にせよ,韓国側の問題にせよ,それは要するに,相手国に対して「弱い意味の批判的思考」を発揮しているという姿のようである。そこで第一に必要なのは,こちらの尺度を押しつけることなく相手を理解することであるが,しかしそれだけでは不十分だ。そうした上で,「まず日本が改める」というのは,双方の弱い意味の批判的思考を,当事者として克服する上で,大事な視点かもしれないと思った。


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