31日短評4冊 24日『学力を育てる』 18日『日本外交官、韓国奮闘記』 | |
| 21日【授業】社会と進化 |
今月良かった本は,『学力を育てる』。強いてもう一冊挙げるなら,『日本外交官、韓国奮闘記』か。
今年1年で読んだ本は117冊。これまでの最低記録だった昨年から1割以上減っている。そういう時期(年齢?)だと思うので,まあいいんですけど。
学力をどのように向上させるかというのはなかなか難しい問題である。カリキュラムの問題も,教師の問題も,子どもの問題もあるだろうけれどもそれだけではない。教育社会学者が,家庭の社会経済的地位などのから来る教育格差問題を取り上げ,それは認知されるようになったが,しかしそれが分かったからと言って,容易に手を出せる領域ではない。ではどうすればよいのか。その一つの解答が本書にはあると思った。
本書は,学力とは何であり,子どもたちの学力はどうなっており,学力を育てるために家庭,学校,地域に何ができるかを論じた本である。子どもたちの学力がどうなっているのかを筆者らは調査し,そのデータを分析する中で,筆者らは「がんばっている学校」を見つける。それは,家庭の文化的階層が高いとはいえないにも関わらず,子どもたちがきわめて高い基礎学力を示し,しかも点数のバラツキが小さな学校である。
それはどのようにして可能になったのか。筆者はそのような学校を1年にわたってフィールドワークし,その秘訣を明らかにしている。その秘訣を筆者は,次の6つにまとめている。「わからない時にわからないと言える学習集団づくり」,「授業と家庭学習との有機的なリンク」,「弾力的な指導体制と多様な授業形態」,「学力実態の綿密な把握」,「学習内容の定着をはかる補充学習」,「動機づけをはかる総合学習の推進」(p.131-136)。
これらは,なるほど確かにこのような取り組みをすれば学力は維持されるなと思わせるものである。と同時に,これだけのことをやるのは先生方大変だろうなという感じもある。といっても,すべての地域のすべての学校にこれらが必要というわけではないだろう。おそらくそれぞれの地域にあった処方箋があり,地域のどこかの学校ではそれを探り当てているのではないか。つまり,筆者がやったのと同じように,同じ文化階層環境の中でもがんばっている学校があれば,そこで行われていることに学ぶことが,学力向上の第一歩だろうと思うのである。いたずらに生活習慣だの文化階層だのに目を奪われることなく,あるいは他地域の派手な事例に振り回されるのではないく,身近な実践から学ぶ。本書を通して,そのような学力対策が浸透していくといいのに,と思った。
共通教育科目「人間関係論」で,社会心理学的な進化心理学を扱った。自己評価としては,悪くない授業になったのではないかと思っている。
過去4回,同調,傍観,権威への服従,役割の内面化を扱っている。どれも「集団」の負の側面についての話だ。受講生の反応としても,「人間の弱い面/悪い面を知った」みたいなものが少なからずある。
そこでこの回では,まず,「感情は人間の判断を誤らせるものであるかのように思われているが,人間の心が発達した野生環境においては,適応的なものであったのだ」という戸田正直氏の説を紹介し,これと同じような意味で,「同調,傍観,権威への服従,役割の内面化のプラス面を考えよ」と課題を出した。それについて,5分間一人で考え,前後の人たち(3〜5人)で考え,5分で結論を結論を出させ,10人に当てて結論を板書させた(約10分)。それにコメントしつつ,進化心理学の考えを紹介した。
さらに,「これは現代環境では不適合的な面もある。それを克服するにはどうしたらよいか」ということで,岡本浩一氏の考えを『無責任の構造』を元に紹介し(「認知的複雑性」を中心に),また,いじめ問題において傍観が起きる場合と起きない場合の話を,『社会的ジレンマ』(山岸俊男)にある「マイクロ−マクロ関係」の話を元に紹介した。
後半の話はこれまでもしたことがあったのだが,進化心理学と関連させることで,うまく説明の流れが作れたようだ。今回は最後10分ほど余ったので,次は,もう少し話を工夫するなり,話し合いの時間を長く取るなりできそうだ。
筆者は,韓国の日本大使館で外交官をしたことのある人である。日本と韓国がなかなか理解し合えないのは,両国それぞれに盲点があるからであり,両国がまったく異質の国であるという発想を出発点として,自分の尺度や価値観を無理に当てはめるのではなく相手国を理解することが必要,という考えで本書は作られている。
たとえば日本に対して誤解があれば,「韓国側に「もの申す」べきだ」(p.7)と筆者は述べる。これは一見当たり前のことであるが,筆者があえてそう述べるということは,現状はそうなっていないということである。そういうときに,「うつむいて黙る」か,「どうせあいつらには分からないと無視する」のどちらかの態度がとられることが少なくない。そうではなくて物申すべきという筆者の態度は,クリティカル・シンカー的な感じがした。
筆者がそういう場面で行うのは,単に物申すだけではない。筆者は次のように述べている。
これまで何度か触れたように,日本側の問題,韓国側の問題の双方がある。私は,双方を指摘した上で,まず日本が改めることが,韓国の前向きな姿勢を引き出す早道と考えている。(p.95)
日本側の問題にせよ,韓国側の問題にせよ,それは要するに,相手国に対して「弱い意味の批判的思考」を発揮しているという姿のようである。そこで第一に必要なのは,こちらの尺度を押しつけることなく相手を理解することであるが,しかしそれだけでは不十分だ。そうした上で,「まず日本が改める」というのは,双方の弱い意味の批判的思考を,当事者として克服する上で,大事な視点かもしれないと思った。