読書と日々の記録2008.2下

[←1年前]  [←まえ]  [つぎ→] /  [目次'08] [索引] [選書] // [ホーム] []
このページについて
■読書記録: 29日短評6冊 24日『 大仏破壊』 18日『カルロス・ゴーンに学ぶ改革の極意』
■日々記録: 24日子どもがしゃべり,子どもが進める 19日奈良 17日授業者として授業を楽しむ

■今月の読書生活

2008/02/29(金)

 もう2月も終わりか。授業期間は18日で終わったものの,採点をして成績をつけ,出張に行き,入試関連業務をやったら,もう2月末だ。3月こそじっくり腰を落ち着けてあんなことやこんなことをしたいものである。

 今月良かった本は『 大仏破壊』(なるほどそういうことだったのか)。9.11を深く理解できた気がする。

『やれば出来る!子どもによる授業』(小幡肇 2003 明治図書 ISBN: 4182161114 \2,100)

 再読。最初に読んだのは,筆者の教室に参観に行く前だった。そのせいか,本書を読んだだけでは,筆者の実践を十分にイメージすることはできなかった。しかし幸いなことに,1年前に筆者の教室にお邪魔することができた(また,筆者の次作である『そこが知りたい「子どもがつながる」学習指導』を読んだし,他にも,奈良女子大学附属小学校の実践について書かれた本を何冊か読んだ)。その目で改めて読み返してみると,最初に私がよく分からないと思っていたこと,知りたいと思っていたことの一部は,本書に実は書かれているということがわかった(だから前回よりも興味深く読めた)。今回読んで一つ目に留まったのは,「どうやら話題に関連する子どもの話というものは,教師が考えるよりももっと幅広くとらえる必要がある」(p.89)というくだり。子どもの話はあちらこちらに移っていくようにみえるが,実際はそれを受けて,当初の問題についての考えも深まっているのだ,というような話である。幅広く捉えるということはなかなか難しいことなのだろうと思うのだが,どうすればそう出来るのか,筆者にお会いしたときには聞いてみたいものである。

『まほろば』(谷岡義高 2005 奈良女子大学附属小学校学年だより (個人製本))

 個人で製本された本を筆者様にいただいたのだが,250ページもある上,なかなか興味深い内容だったので,読書記録に記録しておく。内容は,先生が週に1回出された学年だよりを6学年分(250号)つづられたものである。A4版1枚とはいえ,すごいことである。先生個人の出来事や考え,や学級,学年のことも書かれているが,この学校の教育に対する考えがわかり,興味深かった。また,今秋の予定などの欄もあるので,小学生がどの学年でどんなことをしているのかも垣間見え,そこもいがいに面白かった。

『会議で事件を起こせ 』(山田豊 2006 新潮新書 ISBN: 9784106101908 ¥714)

 生産的な会議のための「ちょっとした工夫」(p.13)について書かれた本。といっても,断片的なtips集ではなく,会議の流れを踏まえて,各ステップで重要なことが書かれている。たとえば会議改善の第一歩は,問題を認識することで,現状の会議のあり方に名前をつけるといいという。独演会現象,様子見現象,被告人現象,盛りだくさん現象,百家争鳴現象などである(p.41)。なかなかうまいネーミングで,思い当たるような節のあるものがいくつもあった。それからどうするのかについては,いくつもの提案があるのだが,私としては気に入ったのは,「プロセス発言をする」というもの。プロセス発言とは,会議の進め方や会議の状態を表現する発言である。具体的には,「今の論点を,箇条書きで整理してみませんか」「よりよい解決を見つけるために,どのような視点でこの議論を進めたらよいと思いますか」「今,議論が偏って進んでいるように感じるのですが,このまま議論を進めてもいいですか」(p.99-103)というようなものである。あるいはもっと端的に,「なんか違和感があるんだけど……」(p.106)という表現でもいい。こういう発言を「ちょっとするか否かで,会議の状態が変わります」(p.101)と筆者は述べる。基本的に本書はさらっとした内容ではあるものの,ほかにもいくつか,役立ちそうな考えや有用なtipsが載っており,まあ悪くない本だった。

『「不利益分配」社会─個人と政治の新しい関係』(高瀬淳一 2006 ちくま新書 ISBN: 9784480063168 \714)

 高度成長期の政治における問題は,利益をいかに分配するかであったが,現在のような財政赤字+少子高齢化社会では,その逆で,いかに痛み(=不利益)を国民に分担させるかが問題となる。それを筆者は「不利益分配社会」と呼び,その成立条件を分析している本である。筆者は,小泉元首相を不利益分配政治の先駆者と論じている。そのため,不利益分配政治はいかにあるべきかの議論の多くが,「小泉がやったこと」を通して論じられている。それは実際に彼が先駆者だったからという面はあるだろう。しかし本書全編に渡って,小泉を軸に不利益分配政治について論じられていると,本書の執筆動機が小泉礼賛にあるのではないか,と疑ってしまう。実際のところ,小泉氏の言動は,これからの政治を論じるに当たって参考になる部分は少なくないのだろうとは思うのだが。

『R.P.G.』(宮部みゆき 2001 集英社文庫 ISBN: 9784087473490 \500)

 文庫に書き下ろされたミステリー。300ページある長編なのだが,なんだか「中編」を読んでいるような感じだった。なんでだろう,と思ったのだが,解説を読んで納得した。「一幕ものの脚本」を意識して書かれたのだそうだ。なるほどそれで,場面の変化が少ない話になっているのか。あと,宮部作品は久しぶりに読んだのだが,私の宮部作品のイメージは,登場人物が生き生きと描かれている,というものであった。しかし本書は,どうしたわけか,最初のほうを読んでいるうちは,なかなか登場人物がイメージできず,読むのに苦労した。もっとも後半は,さすが,とうなさられるような内容だったのだけれど。

『日本の論点2008』(文藝春秋 (編) 2007 文藝春秋 ISBN: 9784165030706 \2,900)

 毎日昼休みにちょっとずつ読み始め、ようやく読み終わった。本書で知ったこととしては,安倍首相失脚の理由,昨今の医師不足の理由,あたりだろうか。「鈍感力」についても,それが何なのか,本書で初めて知ったのだが,これは大切だなと思った。

子どもがしゃべり,子どもが進める

2008/02/24(日)

 奈良女子大学附属小学校での授業は,「学習時間の半分以上,できれば8割ぐらいの時間を,子どもに話させる」「学級委員とかの一部の子どもに頼った学級経営ではなく,持ち回りの日直を育てる(授業の司会をさせる)」という。

 私の大学の授業では,1〜2個だけ,「学生8割,教師2割」の授業がある。これがうまくいくときは,授業をやっていて非常に楽しい。ところが,これがすんなりできる科目と,まったくできない科目がある。

 小学校の授業で8割が子どもがしゃべるということは,先生がしゃべるのは8〜9分。まとまって4分と,断片的な声かけが合計4分という感じだろうか。日直を育てると言ったとき,単に号令をかけたり先生との連絡調整役をするだけでなく,毎時の授業の司会運営をしたり,自由研究の発表をしたりしている(たぶん)。これらができるということは,単に時間の長さや仕事配分の問題だけではなく,学習観,授業観が大きく違うのではないかと思う。

 ということは,私の中でも,授業によって,異なる考えで授業をやっているということだろう。それが自分でもう少し自覚できると,いろいろと応用の範囲が広がっていいだろうになあ,と思っている。

■『 大仏破壊―ビンラディン、9・11へのプレリュード』 (高木徹 2004/2007 文春文庫 ISBN13: 9784167717216 \695)

2008/02/24(日)

 断片的な情報でしか理解していなかったビンラディン,アルカイダ,タリバン,オマルなどについて,非常に分かりやすく書かれた本である。分かりやすいというのは,その来歴が分かることで,今に至るまでのストーリーが分かるからであり,そこにいた一人ひとりの思いが見える(ような気がする)からである。

 ビンラディンとタリバンの関係は,大まかには以下のように書かれている。

ビンラディンは,タリバンの体内に巣食った危険な寄生虫である。最初は宿主タリバンの保護をうけ,利益を与えて「共生」していたが,やがてタリバンの体内を食い荒らし,腹を破って外に出てきて,残ったのは宿主タリバンの死体だった。(p.184)

 概略はこのとおりである。詳しくは,ぜひ本書を読んでみてほしい。

 私にとって本書は,いろんな意味で興味深いものであった。その第一は,上述のように,9.11にいたるストーリーを理解できた点である。それは上述のように,ビンラディンの巧みな手管によりタリバンの指導者オマルが変化して行っているのだが,これは,行動を説明するのに「性格」よりも「状況」のほうが説明力が高い,という例としても興味深い。

 というのはオマルたちタリバンは,最初は「無欲で何事もアラーと民衆のためにという姿勢」(p.38)で動いていた。オマル自身も,「注意深さと周到な計画性ももって」(p.55)おり,「状況さえ理解すれば論理的な交渉をし,外国人が相手でも,十分にコミュニケーションをとって話をまとめることもできた」(p.55)人物だった。ところが,「極めて優れた先見性と企画力,そして人を動かす力をもって」(p.62)いたオサマ・ビンラディンが,オマルの心をつかむため,「さまざまな布石を打って」(p.124)いった結果,彼は,周りの人間の「助言をいっさい聞かなくなり」(p.260),来世のことのみを考え,「現世のことを基準にして政策を考えることをやめて」(p.331)しまったという。ここで思うのは,無欲,注意深さ,論理性などがいかに脆いかということであり,先見性や企画力は,良いことだけに使われるわけではないということである。「能力」や「性質」を個人内部に溜め込むことの無意味さとでもいおうか。

 本書が興味深かった第三の点は,アメリカの多様な姿を見ることができた点である。一つは思考停止したアメリカの姿である。筆者は,「アメリカは,「テロは絶対に許せない」「ビンラディンは本質的に悪である」という単純な言い方をすべての議論の前提にして,そこで思考停止してしまっている」(p.78)と述べている。もちろんテロは許せないし,ビンラディンは悪である。しかしそこに至るまでのストーリーを理解することなしには,生産的な議論(アメリカはなぜ狙われているのか,これまでどうすればよかったのか,これからどうすればいいのか,など)も生まれてこない。筆者は,アメリカが太平洋戦争で日本のことを冷静に徹底的に研究したことと対比させ,「今アメリカが対テロ戦争の相手への冷静な視線を失っている」(p.78)ことを指摘しているのである。

 しかし,それだけではないのがアメリカのすごいところでもある。1990年代後半,アメリカ(おそらく情報機関)は,タリバンの高官を何人かアメリカに招いている。それは,「いきなりアメリカに連れてきて,先進ぶりと強大さを見せつけよう,というねらい」(p.159)もあったわけだが,それだけではない。「将来何かが起きたときに連絡がつけられる人物なのかをさぐる」(p.160)という長期的な戦略でもあるのである。このことについて,筆者は次のように述べている。

一方ではタリバン非難の言葉を極め,最後通牒をつきつけながら,もう片方の手では,タリバンの中で将来アメリカのために「使える」指導者を育成する。そこにアメリカの戦略的思考の強さがある。(p.161)

 これは一つの機関が意図して行ったものではない。さまざまな考えの人がさまざまに活動できる自由度を高めている結果,このようなことが「組織全体として自然にできるシステム」(p.162)になっているということのようである。もちろんその「良さ」だけが表面化するわけではないところに難しさはあるわけだが,しかし,さまざまなものを許容するということが「よさ」を生み出す第一歩なのだろうなとは思う。

奈良

2008/02/19(火)

 奈良に来ている。1年ぶり2度目である(奈良が,ではなく某小学校が)。

 1年前は公開研ということもあり,2日間で,2名の先生の授業4時間しか見ることができなかった。今回は,平日ということもあり,1年から6年まで,4名の先生の授業を5時間見ることができた(プラスなかよし)。1年だから,6年だから,選科の授業だから,と,いろいろと感じることがあり,非常に楽しかった。

 明日は小幡学級に4時間お邪魔してから帰る予定。こちらも公開研とは違う姿が見れそうで,非常に楽しみである。

■『カルロス・ゴーンに学ぶ改革の極意』(板垣英憲 2001 KKベストセラーズ ISBN: 9784584186275 \1,400)

2008/02/18(月)

 ゴーン関連の本は『ルネッサンス』に次いで3冊目だが,本書はとても面白いというわけではなかった。まあそれでも,今まで読んだ本は,クロスファンクショナル・チームのことを中心に読んだが,本書では,それ以外の部分を多少知ることはできたのだが。

 本書では少ししか触れられていなかったのだが,もう少し知りたかったものに,ゴーン赴任直後は,「ゴーンが描いているように計画が実現できるものかどうか,信じられないという空気が漂い,どことなく消極的な,「やる気のなさ」が社内を支配していた」(p.151)という部分がある。これはまあ当然だろうなあと思う。ゴーンが精力的に社員への聞き取りを行い,クロスファンクショナル・チームを作ったからと行って,全体がそうそう簡単に動くわけではないだろう。その意識変化がどのように起こり,内部の人たちが何をどのように感じたのかは,もっと知りたいと思った。

 あと本書でほほお,と思ったのは,日産では定期的に意識調査を行っている,というところ。そこで悪い評価が出た場合は,改善のためのプランを作らせるという。「誰に」作らせるかは書いていなかったが,プロジェクト・チームでも作るのだろう(クロスファンクショナルで?)。その結果として改善されたのは,社内コミュニケーション,意思決定のスピード,説明責任などがあるという。

 業績(販売台数,終始決算など)という外に現れるものだけでなく,社員の意識に影響を与える組織内部の問題に対してもきちんと取り組む。当たり前といえば当たり前だが,さすが抜かりがない。一般論としていうならば,内部の改善をすることなしに外部に現れる数字(業績など)だけでコトを進めようとすると,さまざまな歪みが生まれ改革なりがうまくいかないのかもしれない,と思った。

授業者として授業を楽しむ

2008/02/17(日)

 最近,授業の中で受講生同士に話し合わせたり発表させたり,という授業をやっている(受講生100人の共通教育から,教職必修科目,専門科目まで)。

 同じようにお題を出し,同じように話し合わせてはいるのだが,受講生の考えを授業者として「楽しめる」場合と,あまり楽しめない場合があるなあ,と感じている。

 楽しめる,というのは,なるほどそういう考え方もあるのか,と面白がることができる,ということである。

 楽しめない,というのは,こちらが教えたい一定の知識なり考え方があり,受講生の考えがそれと合致しているかどうかが気になるときである(教えたいことや教えたこととズレていると,なるほどそんなふうに捕らえられてしまうのか,と思ってしまい,その考えを面白がることは,私にはできない)。

 楽しめる授業の典型は,大学院の授業である。こういう考えもしてくれるといいなあ,と思いはするものの,それを受け取るかどうかは受講生次第だし,こちらとしては,受講前の考えから一歩でも広がったり深まったりしてくれればいいかな,という気持ちで臨んでいる。だから,私の考えとは異なることを学んでくれても,まったくOKなのである(もちろん私が教えたことを受講生が受け取って自分の考えの中に組み込んでくれればそれに越したことはないが)。

 そう考えると,楽しめるときというのは,受講生を,個人準拠の評価(縦断的個人内評価)をしているとき(それができるとき)であり,楽しめないのは,受講生を,目標準拠の評価をしているとき(それしかできないとき)なのかなあと思っている。採用試験に多少なりとも問題が出される「教育心理学」の授業は,それでやるしかないわけだが。


[←1年前]  [←まえ]  [つぎ→] /  [目次'08] [索引] [選書] // [ホーム] []

FastCounter by LinkExchange