読書と日々の記録2008.3下

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■読書記録: 31日短評4冊 24日『鈴木敏文 考える原則 』 18日『ネット時代の反論術』
■日々記録: 27日異種格闘技のラウンドテーブル 23日はじめての家族旅行 14日振り返りについて(メモ)

■今月の読書生活

2008/03/31(月)

 もう3月も終わりかあ... 今月は,家族旅行とか,初参加のフォーラムとかあって楽しかったわけだが,今週から新学期も始まるかと思うと,夢から現実に引き戻される感じである。といってもまだ実感はないわけだが。

 今月良かった本は,『エイズ犯罪』『ネット時代の反論術』あたりか。

『ぼくもいくさに征くのだけれど─竹内浩三の詩と死』(稲泉連 2004/2007 中公文庫 ISBN:9784122048867 \760)

 大宅壮一ノンフィクション賞受賞作。太平洋戦争で戦死した無名の詩人を対象とした,伝記系ノンフィクションである。私は伝記系ノンフィクションはあまり好きではないのだが,無名の彼が多少なりとも世に知られるようになった経緯はちょっと面白かった。本人は,同人誌に書いたり,ノートに詩を書いたりしていただけなのだが,彼と関わり魅了されたさまざまな人のさまざまな思いが,いつしか形となり,現在は全集が出版されるまでになっているのである。そこに見られる思いや人間模様には,私の好きなタイプのノンフィクション(フィールドワーク系ノンフィクション?)が感じられ,興味深かった。

『実証的教育研究の技法─これでできる教育研究(新版)』(西川純 2000 大学教育出版 ISBN: 9784887303744 \1,575)

 なるほどこれは,現職教員で院生になった人にはとてもいいかもしれない。通常の研究法の本とは違い,実証系教育研究をしようとする人を念頭に,先行研究の見つけ方のポイント,方法や分析,論文の書き方のごく基本,などが書かれている。なかでも,「指導教官との付き合い方」の記述は秀逸である。最低3ヶ月は集中して先行研究を見る,指導教官とは,文章化したものをもってこまめに相談,報告をする,報告前に,前回の内容を説明する,指導教官と雑談しよう,など,実に的確なアドバイスがなされている。

『集団的自衛権―論争のために』(佐瀬昌盛 2001 PHP新書 ISBN: 9784569616162 \756)

 年刊誌『日本の論点』で,ここ数年毎年,集団的自衛権の問題が論点として取り上げられているのだが,本書は,ここ数年毎年のように,「筆者が推薦する基本図書」として取り上げられている。『日本の論点』というと,対立する論者の議論が載せられていたりするのだが,本書は,どちらの立場の論者からも推薦されていたりして,どんな本なのだろう,とずっと思っていた。で買ってみたわけだが,私には難しくて,半分ぐらいしか理解できていないのではないかと思う。筆者は中立的に議論を整理しているわけではなく,筆者なりの立場はあるのだが,この議論にまつわるできごとがかなり網羅的に整理されており,それに対して筆者なりの議論が展開されており,なかなか丁寧にこの問題を扱おうとしていることは,中味がよく理解できていない私にも感じられた。理解できていないので,あくまでも「感じられた」レベルにしか過ぎないのだけれど。

『アメリカの歴史─テ−マで読む多文化社会の夢と現実』(有賀夏紀・油井大三郎(編) 2002 有斐閣アルマ ISBN: 9784641121621 \2,100)

 テーマ別に書かれたアメリカ史の本。テーマ別というところが教科書的で,あまり面白くなかった。教育史の話も,反知性主義もなかったし。民主主義の話も期待したのだが,私には今ひとつだった。

異種格闘技のラウンドテーブル

2008/03/27(木)

 今日は大学教育研究フォーラムのラウンドテーブル企画で司会をしてきた。発表なしで司会だけだから気楽なものである。

 それでも,心理学系の学会ではないので,いろいろな分野の先生がおり,思いも寄らぬところから質問というか意見が飛んできて,かなりびっくりしてしまった。異種格闘技というか,ルールのないストリートファイトっぽかったというと言いすぎだろうか。こちらが当初想定していた議論とは,まったく違う議論になってしまったのである。

 でもおかげで,心理学が外からどう見られているか,そういう人たちを相手にするときは,どのあたりから説明を始めないといけないのか,ちょっと分かったような気がする。

 次の機会には,発表でもしたいものである(ちょっと怖いけど)

■『鈴木敏文 考える原則 』(緒方知行(編著) 2005 日経ビジネス人文庫 ISBN: 9784532192921 \667)

2008/03/24(月)
〜習慣を否定し,仮説検証する〜

 セブン−イレブン会長鈴木氏の講演録。流通業界特有の話も多いが,それだけではない。繰り返し語られているのは,突っ込んで考えること,習慣的にやっていることを何回も否定してみること,データに頼るのではなく,まず仮設を立て,その仮説を検証するためにデータを用いること,などである。これまで鈴木氏のことは,本人以外が書いたものを読んでいたので,本人の言葉に触れられてよかった(といっても本書も,講演録を第三者が取捨選択したものではあるが)。

 本書で初めて知ったこととしては,アメリカのセブン−イレブンを再建したときのことがある。私はてっきり,POSとか小口配送とか,日本で開発された武器を使って再建したものだとばかり思っていたが,違ったようだ。そのことについては,次のように書かれている。

私たちの手による再建にあたっては,日本のシステムや政策をそのまま持って行ったのではありません。アメリカの社会で,セブン−イレブンが,どういう仕事をしたらいいかということを考え,いままでの仕方を反省し,企業構造改革を実施したのです。/その一つの方法として五五店の実験店をつくり,効果が出たのを突破口にして,全体の建て直しへと波及させていきました。(p.190)

 うーむ,さすが,突っ込んで考え,習慣を否定し,仮説検証を行う,ということを地で行っている。筋金入りだな,と思った。

はじめての家族旅行

2008/03/23(日)

 金曜日に年休を取り,木〜土と家族旅行に行ってきた。帰省以外で県外に家族で行くのははじめてである。

 行った先は東京。子どもたちが行きたがったのだ。東京に行きたがったのは,テレビを見たりお友だちの話を聞いたりした影響のようだ。

 はじめての東京ということで,朝一便でたって,初日は東京タワーとお台場,2,3日目はディズニーランドに行った。

 ディズニーランドは私も初めてである。ディズニーランドは,要領よく回るかどうかによってかなり結果が違ってくるようで,調べれば調べるほど,いろいろな情報が見つかる。

 情報が錯綜する中で,参考になりそうなページが多少見つかったりはしたのだが,「混雑予想」のページを見て,一気にモチベーションが下がってしまった。私たちが行く予定の2日間はどちらも,Sランクの混雑で「もの凄く混みます。アトラクションには並ばず雰囲気だけを楽しみましょう」なんて書かれているのだ。ガーン...

 ところが,幸か不幸か,金曜日は雨の予報が出ていたので,そこまで混んではいなかった(とても寒かったが,実際は雨は降らなかった)。おかげでけっこうアトラクションを回ることができた。おまけに,千葉在住の知人親子が合流してくれたので,ショーやパレードを効率よく見ることができた(私たちはショーやパレードを調べる余裕がなかった)。

 最終日は天気がよくなり,さすがにすごい混みようだった。それでも,1番人気のアトラクションには前日に乗れたので,最終日は,うちの子どもたちが希望するものいくつかと,前日見れなかったショーを見れたので,満足である。

 ということで,何とか子どもたちの数年来の希望を,それなりに満足行く形でかなえることができた。上の娘などはディズニーランドから出るときに,「楽しかった。沖縄に帰りたくない。東京に住みたい」と涙ぐんでいたほどだ。

■『ネット時代の反論術』(仲正昌樹 2006 文春新書 ISBN: 9784166605316 \767)

2008/03/18(火)
〜裏クリシンから本クリシンへ〜

 本書は,「何を考えているか分からない他人から"理不尽な言い掛かり"をつけられ」(p.9)たときにどうやって反論したらいいか,そのヒントが書かれた本である。タイトルには「ネット時代の」と書かれているが,これは別に,「ネット上での」という意味ではない。ネットがあることで,簡単に情報発信をしたり他人に意見したりすることができるようになった。そういう時代状況における,というような意味なので,本書で書かれていることは,ネット以外の,例えば日常の人間関係でも十分に適用可能な内容である。

 タイトルにはまた「反論術」と書かれているが,本書は反論を第一に推奨するものではない。「言い掛かり」をつけられたときの対処法として,「許す」「無視する」「報復する」と,反論以外にも対処法があることを述べた上で,本書では「反論する」ことについて論じているのである。

 「反論」というと,批判的思考的なものをイメージするかもしれないが,本書の射程はそこ(だけ)にはない。論争には「見せかけの論争」「論理詰めの論争」「とにかく相手を潰したい場合」の3種類がある。これらは目的が違うので「自分が「反論」したいと思っている,その目的が何なのかをはっきりさせること」(p.55)がまずは大事だという。

 自分に守るべきものがある場合や,自分をいい人に見せたい場合は,論理的に議論する必要はなく,「観客に自分の良さをアピール」(p.150)できればよいわけで,それは「見せかけの論争」になる。一方,守るべき立場がすごく小さく,自分のことをどう見られても構わないから,相手を倒すためならなんでもする,というのであれば,それは,「人格攻撃」をすればよいのである。

 では,論理詰めに,形式を整えた形の論争(本当の論争)をするのはどのような場合か。それは,「ある程度の"知識人"で,時間的にも体力的にも余裕があれば」(p.150)そうすれば良いのである。しかし筆者は,「私の感覚からすると,ほんとうに論争をしたいという動機を持っている人は,世の中,そんなに多くありません」(p.101)という。

 ということで筆者は,本書の多くの部分では,論理的な論争以外のことを論じるのに費やしている。論じられているのは,たとえば以下のようなことである。見せかけの論争の場合は,観客にアピールすることが目的だから,その成否は観客へのアピール度で決まるのであり,論理的な整合性は問題にはならないこと。論理的な議論の場合でも,答が一つに決まるわけではないので,論点をなるべく自分の有利になるように設定するべきであること。人格攻撃されたときはどう対処すればよいかということ(具体的には,相手の悪口から相手のコンプレックスを読み取る)。

 人格攻撃なんて,そもそも誤った論法なのだから,使わないように,批判的思考の本では書かれるのが常道である。相手が使ったときは,それが論理的な論法ではないことを指摘すべきである。それはごもっともなのだが,しかしそれは,自分だけでなく相手も「論理詰め」という土俵で議論しているときだけに通用することで,相手は確信犯的にこれを用いているかもしれないし,無意識的に「論理なんて糞食らえ」と思っているのかもしれない。そういうときに(お行儀のよい)批判的思考の議論はひとたまりもない。しかし現実問題として,このような「場外乱闘」(あるいはストリートファイト)に持ち込まれる議論は少なくない(そもそも,批判的思考を「場内」と考えることが間違いなのかもしれないが)。そういうことも知っていないと,あるいはそういうときの捌き方を知っていないと,せっかくのワザ(批判的思考)も使えないままに終わってしまうことになる。本書は,そうならないための「裏クリシン」の本(ストリートファイトに有用なケンカ殺法の本)ということができるのではないだろうか。

 なお,理詰めの議論がしたい場合は,「土俵」を明確にするのが最も重要と筆者はいう。ちゃんとテーマを設定し,ルールを決め,中立的な立会人を決め,きちんと時間をとり,必要なことを合意し合う,ということである。そうすることで「場外乱闘」を「場内での試合」に持ち込むことができる。批判的思考とは,そのときに初めて役に立つものである。そのようなことが論じられているという点で本書は,裏クリシンから本クリシンへの橋渡しの本といえるかもしれない。

振り返りについて(メモ)

2008/03/14(金)

 人が何かを学ぶ際,適宜「振り返り」をすることは大事な気はする(小学生であれ私たちであれ)。でもなぜ振り返りは大事なのだろう。そのことを考えてみた。

 振り返りには,何種類かあるのではないか。一つは,次にやるときのために今日のこと(うまく行ったこと,失敗したことなど)を振り返る,というもの。明日のための振り返りというか。認知カウンセリングでいう「教訓帰納」に近い振り返りである。

 それとは違うものとして,その日に学んだことなのだが,何が学べたのか,もやもやとしてはっきりしないときに,それを言語化し,あるいは整理することで,学んだこと(分かったこと,気づいたことなど)を明確にする,というタイプの振り返りがありそうである。整理のための振り返りというか。

 振り返りをさせることで,子どもの学びを先生が確認できる。そのことも,振り返りの大事な役目かもしれない。


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