12日『ルポ 貧困大国アメリカ』 6日『服従実験とは何だったのか』 | |
| 4日大学生に読んでほしい本 |
なんとまあ恐ろしい本であった。内容は,さまざまなものが民営化されているアメリカでどのようなことが起きているかについてのルポである。
たとえば国民健康保険制度がないため,虫垂炎の手術で1日入院しただけで医療費が132万かかるのだそうで,病気になったが医療費が払いきれずに自己破産する中流階級の人が多数いるのだという。この問題は教育にも及んでいる。政府の新自由主義政策の流れで教育予算が大幅に削減され,授業料が高騰しているものの,就職難のため,大学を出てもきちんとした就職口はなく,手元には借金の請求書だけが残った,なんて人のことが書かれている。しょうがなしに,学資ローンを肩代わりしてくれるという話で軍に入るものの,数年の入隊では満額は払われず,しかもイラクに派兵されてPTSDに悩まされる人もいる。
しかし政府はむしろ,中流・下流の人が困るような政策を行うことで入隊希望者を増やし,あるいは軍組織の一部を民営化し,徴兵制なしに,アメリカ軍を維持している,なんていう構図が本書には書かれている。その姿は,間接的で巧妙な徴兵制にも見えるし,あるいは,かつて奴隷制度のようにも見える。それはにわかには信じがたい姿である。これが,新自由主義的な政策を進めていくことで生まれる姿であるとすれば,対岸の火事とは言っていられない。
なおアメリカは,ある事態が生じたときに,必ずといっていいほど,それに対抗するものが生まれる国,というイメージがある。それに類するようなものは,本書にも紹介されている。それは,たとえば民営化された戦争を支えている会社の実態を知らせるということであり,行動を起こすためのノウハウをネット上で示すということである。上記の問題は,ある意味,「自由」(=無法地帯)にさらされたときの問題といえるかと思うが,しかしそれを克服するのも,ある種の「自由」(情報に自由にアクセスでき,それをもとに判断できること)なのかなあと思った。
服従実験で有名なミルグラムの伝記。タイトルには「服従実験とは何だったのか」とあるが,服従実験とは何だったのかを論じることを目的として書かれた本ではなく,あくまでも「スタンレー・ミルグラムの生涯と遺産」,すなわち,ミルグラムの伝記なのである(そもそも原題はこちらであり,原題に「服従実験とは何だったのか」という文句はない)。内容は,ミルグラムの生い立ちから死後までの話が,基本的に年を追って書かれている。したがって,「服従実験が何だったのか」という内容のみを期待して読むと,やや期待はずれかもしれない。
とはいえ,服従実験はミルグラムを一躍有名にした実験なので,それと関係する記述には少なからぬスペースが割かれている。たとえば,彼がどのような研究を経て服従実験にたどり着いたか,なんて話がある。あるいは服従実験で,実験者と被験者がどのようなやり取りを行っていたか,そのトランスクリプトが載せられていたりする。これは彼の本(『『服従の心理』)には載せられていないもので,実験の様子がわかり,興味深かった。
服従実験は,心理学概論の教科書には必ずといっていいほど載っている,きわめてポピュラーでインパクトの強い研究なのだが,発表当初はそうではなかったようで,学術雑誌に投稿しても,2回続けて不採択になっている。それだけではない。ミルグラムは,ニューヨーク市立大学に在職していたのだが,本人が望んでいたにもかかわらず,他の有名な大学から真剣な誘いはもらっていない。それだけこの実験が議論を呼ぶ研究だったのである。
ミルグラムが行った研究はもちろん,服従実験だけではない。ほかにも「小さな世界」研究,放置手紙調査法など,きわめて独創的な研究を行い,我々が暗黙に持っている行動規範や世界のあり方を見事にあぶりだしている。しかし彼のアプローチが理論ベースではなく現象志向であるためか,他の研究者のウケはよくなく,外部資金獲得にも彼は苦労していたようなのである。
とはいえ,彼の研究は(おそらく世界中の)心理学の教科書に載せられ続け,心理学を学ぶ多くの人々にインパクトを与え続けている。そういう意味ではミルグラムは,非常に強い光と影をもった研究者といえようか。そのような意味で本書は,心理学以外の分野の研究者にも,また,服従実験に興味を持った人にも,興味深く読める本かもしれない。
この12ヵ月の間に読んだ本(短評を除き56冊)の中から、大学生でも読めそうな、そして専門外でも面白いであろうと思われる本を8冊選んだ。なお,昨年のものはこちら。これまでの選書リストはこちらにある。
日本人の行為が残虐であって,この英軍軍曹の行為は残虐ではないといえるのあろうか。いわゆる残虐性のなかには習慣の相違,それも何千年もの間のまったく違った歴史的環境から生まれた,ものの考え方の根本的な相違が誤解を生んだということが多々あるように思われる。(p.57-58)
学生時代,黒田教授への反発から芽生えた黒への思いは,パリで自らの絵を模索するうちに,それを「日本人の生命」と見る画論にまで熟成されていた。/パリの評論家たちを驚かせたのは流麗な黒の輪郭線であった。その線を藤田は日本画の面相筆を使って描いた。油絵に日本画の技法を持ち込んだことが藤田の独創だった。(p.106)
遺族と遺体奪還の闘いとの関係を丹念に聴きとってくると,遺体の意味が文化や宗教によって違っているだけでなく,さらに人間の心理の根源に係る問題であることが分かってくる。遺族は遺体を取り戻すことによって,死者をゆっくりと死なせることができる。それは事故死,突然死に対する,せめてもの復讐であり,自分の胸に奪い還した死者に,死への時間を与えることである。(p.65)
タリバンは自分たちで物事を決めることができない集団になってしまった。外からやってきたよく知らないやつら,義勇兵のような勢力がまじってきて,その連中の影響ですべてが決められるようになってしまった。(p.100-101)
ファシリテーションとは何だろうか? 私は,「人と人とのインタラクション(相互作用)を活発にし,創造的なアウトプットを引き出すもの」と定義したい。チームが課題を共有し,効果的に考えを交流させ,創造的な答を導き出す。〔中略〕これが,優れたファシリテーションの効果である。(p.iii)
教育の見方,論じ方をつねに「反省的(リフレクティブ)」にとらえなおしていく姿勢,論拠を明確に提示しつつ,論じ方への(自己)評価を怠らない言説空間を生み出すことが,思考停止につながらない教育の議論を不毛にしない手だてである。(p.288-289)
相手が思いつきでいろいろなことを言ってくる場合は,第3章でお話したように「土俵=論争をする場所と媒体」がきちんと設定されていないか,何がテーマになっているかがはっきりしていないことが多いので,そういう時は,「じゃあ,もう1回,ちゃんと論争のテーマを設定し直そう」,「ルールを決めよう」,「どういう人に立ち会ってもらうかを決めよう」,「お互いにきちんと時間を取るようにしよう」,「次の時までに何を調べるか,お互いに合意し合おう」といった提案を客観的な態度でしてみましょう。(p.202)
わたしはこの章の冒頭で,知らない分野のクオリア(皮膚感覚)をすくい上げることこそが,その分野についてのマトリックスの第一歩であると書きました。〔中略〕見出しを並べ,その本文も拾い読みし,その行間にある雰囲気みたいなものをうまくすくい上げることが,実のところインターネット時代のクオリアの本質だと言っても良いと思います。(p.115)