31日短評5冊 24日『「わかり方」の探究』 18日『TOSS特別支援教育の指導 ML相談小事典』 | |
| 31日3時間で22学級 24日エキスパートと一緒に授業を見る 18日初回授業のトラブル |
今月は,冊数はまあまあだったが,半分近くは英語学習の本。こういうのがあまり多いのも,われながらいかがなものかと思ったりする。たいていは1日で読み終わってしまうものだし(いくつも読む中で発見もあったりするわけではあるが)。
今月よかったのは,なんといっても『「わかり方」の探究』だな。
今日の午前中,附属小学校で4時間(45分×4=180分=3時間)で22個の授業を見た。こういうことは初体験だった(先週は,45分で6授業みたのだが)。外部講師の先生(S大学のM先生)が来られたので,すべての先生が授業を公開されたのだ。
時間配分は私がやったのだが,非常に難しかった。もうちょっと待たないと盛り上がらないだろうなという場面もあったし(グループ学習だったり教科書の音読だったり子どもたちの歌を聞くだけで終わったり),もう少し展開を見たいなあと思いながらも予定数をこなさないといけないので泣く泣く教室を後にしたりもしたし。
もう一つ困ったのは,時間のことが気になって,ふだんの授業見学の半分ぐらいしか授業内容に集中できなかったこと。これはちょっともったいない感じがした。まあでも,何かしら見える部分はある(場合が多い)なあ,ということがわかったのは収穫かな。
筆者が過去に書いた文章をもとに編集された本。そういうタイプの本としては,すでに『「学び」を問いつづけて』があるので,まあ似たような本かな,一つ二つでも興味深い論考があればいいかな,ぐらいに思っていたのだが,これがなかなかどうして,全体的に興味深かった。それは一つには,本書の章構成が面白いからだろうか。本書はほとんどの章に,「〜とはどういうことか」というタイトルがつけられている。「〜」に入るのは,わかる/できる/考える/覚える/見える/読む/遊ぶ/話す/笑う,といったことである。
興味深かった第二の点は,これらの事柄について,筆者が非常に安定したスタンスで論じているということである。それは要するに,「文化的実践」や状況特殊的な現実世界との関連である。いくつか抜粋してみよう。
ここで対照されているのは,領域普遍・領域独立の抽象的な知識や技能の存在である。まあこのあたりまでは,私もこれまでに似たような考えに触れてきたり考えてきたことではある。しかし本書が面白かったのは,直接にはこういう言葉は出てこないけれども,きわめて同根の考えが他の箇所でもされている部分であった。
たとえば「内側から見る」という章では,他人(特に子ども)を外側から見ることと内側から見ることを対比させ,「子どもを「外側から見ている」という場合,私たちは,子どもを「見ている」ようなフリをしながら,実は子どもを「見ないように」していることがわかる」(p.184)のに対して,子どもを「内側から見る」場合,「まず何といっても,その子どもの存在そのものを,おのれの存在と重ねて,じっくりと感じてみることからはじめるべきだろう」(p.185),と述べられている。
あるいは「「話す」とはどういうことか」という章では,「相手の眼の中を考えないでしゃべる「スピーク」」(p.235)ではなく,「誤解し,誤解されながら,思い直し,思い直されていく心の柔軟さをもって,話しあっていく,ということが本来の「話し」である」(p.234)と述べている。
また,「「うちとける」とはどういうことか」という章では,うちとける(たとえば新任教師が子どもとうちとける)ためには,「ごくありふれた「定常的な」作業では,「意外性の発見」と希望(未知への期待)が生じない。やはり,どこまでも深く探究できるような素材をもとに,ともに熱中していくのがよい」(p.249)と述べている。
これらを通して語られていることを,私の言葉で的確にまとめることはできないのだが,抽象的な存在としてではなく具体的な存在として相手を捉え,相互作用の中で相手も自分も変わっていくことを許容する,という感じのことだろうか。前半で引用した部分は,状況的学習論的な考え方だと思うのだが,後半で引用したことは,主観的他者理解の重要性,対話の重要性,協同作業の重要性,というような感じで,私がここ数年,読書しながら(読書記録を書きながら),あるいは教育や研究をしながら考えてきたことが,「実践」というような観点で本書にはうまくまとめられているように感じた。ここでは引用しなかったが,本書ではフォーダーの考えなども論じられており,どうもそれは,このような議論と関係ありそうなのである(私には十分理解はできなかったが)。機会があれば本書を読み返したりフォーダーを読んだりしながら,今後の自分の進むべき道について考えてみたい。本書はそう思うような本だった。
昨日から,うちの附属小学校にJ大学のN先生が来られている。授業研究会というか勉強会のためにお呼びしたのだ。私も附属小学校の共同研究者ということで声をかけてもらい,一緒に1時間(6クラス)授業を見学し,その後に先生の感想や意見を伺った。
附属小の共同研究者となって4年が経つものの,授業を見ることに関しては,私もここ5,6年ぐらいのキャリアしかない。見る眼を高めるには,見る力のある人と一緒に授業を見,話を聞くのがいい,と言われたことがある。そんなこと,沖縄にいてはめったにできないのではないかと思っていた。附属小の共同研究者になってからは,ありがたいことにそういう機会が何度も得られている(近日中にもまたある予定)。
N先生の話を聞くと,スパッと意見がいえていいなあと思う。それだけいろいろな授業を知っており(あるいは自身も作ることに参加しており),その上で見ているからなのだろう。私もいつの日か,スパッと意見の言える授業研究者になりたいものである。
小児科の医師に対してメーリングリスト上で教師が行った質問と答がまとめられた本。第一部は一問一答だが,第二部は一人の教師とのやり取りが継続して納められている。
第二部の相談は,ADHDと診断された子(というよりも反抗挑戦性障害の問題が大きい)を初めて担任する教師が,始業式前から始業式後8日目までに行ったことがリアルタイムに報告され,それに対する医師のアドバイスがあり,それを実施した教師の報告がある,という内容である。本書はこういう構成なので,対話的だし,臨場感もあり,ある面おもしろい。
しかし一方で,内容が応答のみに偏る,という欠点はある。たとえば主著者である医師の経験談をある程度の長さでもって語る,というようなことも聞きたい気がするが,メールという性質上,あまり長い文章は語られない。構成上それはしょうがないのだろうが,ちょっと物足りなくもある。
ちなみに,タイトルには「小事典」とあるが,一般にイメージされる事典という感じではない。
先週後半から後期の授業が始まった。先週がオリエンテーション,今週後半からが実質第一回という感じである。
木,金にある中〜大人数クラスの授業は,琉大に来てからほとんどずっともっている科目なので,いい加減慣れていそうなものだが,全然そんなことはない。どちらでも,1年ぶりにやることなので,段取りを間違えたりして,あたふたしてしまった。
木曜日の授業は,例年やっていた段取りには意味があったのに,何を思ったのか順番を変えてしまい,その後の展開に差し支えたのだ。まあこの回は時間に余裕がある内容だったので,やり直しができたのだが,ちょっとあせった。その上,DVDの音声が出ず,さらにあせった(後から見てみると,天井に液晶プロジェクタがすえつけられていたので,それを使えばよかったのだろうが,そんなものがあるとは知らなかった)。
金曜日の授業は,もって行くべきもの(カメラ,毎回使うOHPシート)を忘れてしまったのでちょっとあせった。授業の流れ自体は,昨年撮っていた授業のビデオであらかじめざっと確認していたので,問題はなかったのだけれど。その上,OHPがいつもと違うヤツで,うまく投影できずにかなりあせった。
やっぱり授業の実質初回には,何かと予想外のことが起こるものだ。