31日短評2冊 24日『学習のエスノグラフィー』 18日『質問会議』 | |
| 31日そば打やら授業見学やら 24日3年ぶりの英会話 18日公開研究授業 |
ありゃりゃ,また本を読むのが減っている。昨年の最低記録(6冊)と一緒だ。というか,「夜,寝る前に本を読まない」のが日課になりつつある。いかんなあ。
今月よかったのは,『見えないアメリカ』。やっぱり見えていなかったものが見えるようになるというのは快感だ。
24日(土)。サン食品というところに,手打ちそば体験をしにいってきた(そばといっても沖縄そば)。たまたま入ったそば屋にチラシが置いてあったのである。時間は10時から1時まで。時間もちょうどいいし,作ったそばを食べれるだろうから,昼飯いらずでいいかなあ,という軽い気持ちだった。
ところがこれが言ってみると,予想外によかった。それはまあ,自分が作ったそばがうまかったというのもある。そばを手打ちでつくる大変さもわかった。また,そばについてのいろいろな薀蓄を知ることができたというのもある。それに加えて,サン食品という会社がいかにこだわってそばを作っているかがよく分かったのである。というのは,小麦粉を練って寝かせている間,工場見学をさせてもらえたし,社員の人たちの話を聞く中で,随所にこだわりがみえたし。あまり期待していなかっただけに,非常にいい体験だった。
27日(火)〜28日(水)。奈良女子大学附属小学校に授業見学に行ってきた。約1年ぶり,3度目の奈良女附小である。今回も昨年と同じく,2日間で10時間の授業・活動を見せてもらった。
見せていただいたのは,初めての先生3人,2度目の方2人,3度目の方2人であった。学年も教科も附属在職年数も違うので,本当にいろいろな授業を見ることができた。
火曜日の夜には先生3人とお酒を飲みながらの懇談。こちらも,いろいろな話が聞けて楽しかった。また1年後に来れるといいなあ。
筆者がいろいろなところでフィールドワークを行い,そこで見られた学習というか実践的活動を,状況論的に論じた本。学校場面が扱われているところはやや興味深いが,しかし,状況論的な説明というのはいつまでたっても私にはわかるようなわからないような感じである。
テストなり実験なり何なりで正答を出すことに失敗しているものについて,「双方が構成しようとし,理解しようとしたコンテキストのズレであり,むしろ,コンテキストを協同的に構成することに失敗し,しかも,なんら修復もされなかったということ」(p.24)とあるのはまあなんとなくわかるような気はするのだが,では,何らかの実験なり測定なりをしようと思っているときに,どうすればいいのか,というところまでは論じられてないので,どうすればいいのかわからない。
一応,類似の箇所を引用しておくと,「子どもが保存課題に正答するためには,「課題」や「質問」が埋め込まれている談話のコンテキスト,言い換えれば,「言語ゲーム」を理解し,その活動に参加することを通してその言語ゲームの一員になることが必要」(p.48)などという記述もある。「授業」に関していうならば,「どうすればよいか」については,「"優れた授業"を生み出す社会的なネットワークやその種と仕掛けを,生徒にもアクセス可能なように社会・技術的な関係を再構築することこそ求められているのではないだろうか」(p.319)という記述がある。
次は筆者には,こういった記述を膨らませるような論考を出してほしいものである。
今,ニュージーランドからとある心理学者が沖縄に来られている。来られたのは3年ぶり2回目である。
3年前は,全然しゃべれなかった記憶がある。ちなみにそのときに事前学習で用いたのは,アマゾンで売れ筋だったソレイシィ本(『ネイティブなら子どものときに身につける 英会話なるほどフレーズ100』とか『英会話ペラペラビジネス100』)。まったく使えなかったわけではないが,すごく役に立った記憶はない。
今回の事前学習で用いたのは,瞬間英作文(『どんどん話すための瞬間英作文トレーニング 』)。これは,日本語の文を聞いて,文字通り瞬間で英文を作って言ってみて,その後に吹き込まれている英文を聞く,というくり返しである。通勤中に聞きながら練習していると,新しい文を作る練習というかちょっとしたシミュレーションになるし,中学レベルの文法の復習にもなるので悪くない。時間があれば比較的簡単に作れるような文章ばかりなのだが,いかに自分がそういう文章をパッと作れないかがよくわかる。
とはいえ,実際に英語で話す場面では,適切な単語がパッと出てこないので,この練習で「どんどん」話せているわけではないのだが,しかし少なくとも,何か文章らしきものを言ってみる,というハードルは確実に下がっているようだ。そういう意味では,前回よりははるかにましになっている。
次の機会には,単語力を高める必要がありそうだ(これは音読とかがいいのかな?)。あと,リスニングも今ひとつなので,そちらも高めなければ。
「発言は,必ず『質問』か,その『答え』でなければなりません。つまり,自発的に意見を言うことは禁止です」(p.4)という会議について書かれた本。「ただ質問を繰り返していくことで,みるみるうちに問題がひもとかれ,輪郭が明確になっていく」(p.22)のだという。といっても,いきなり質問−応答の無制限一本勝負が始まるわけではない。大まかな流れは構造化されている。
その流れの中心部分を書くと,(1)問題の提示,(2)質問で問題を明確にする,(3)途中の振り返り,(4)問題を再定義,(5)再定義された問題に同意できるかどうか(同意できなければ(2)に戻る),というような感じである。まず最初に問題を提起する人がおり,それに対する質問が中心となって進むという意味ではこれは,『フリートークで読みを深める文学の授業』のフリートークに似ているように感じた。あるいは,「質問と応答のみ」という感じで進めかたに制約のあるワークショップという感じか。
質問だけといっても,(4)問題の再定義で,ファシリテータの「本当の問題は何か?」という問いかけに対してメンバー全員が,自分の考える問題について意見を表明する場面があり,それは問題提起者が問題に対する理解を深める上で大きな役割を果たしているように見える。
本書を読んだ感じとして,ワタシ的にはあまりうまくいきそうなイメージは湧かなかった(もちろんそれは,問題や参加者によるのだろうが)。「質問」の効能として,「自分の思考の枠組みを変化させていく働きがある」(p.54)と書かれているのだが,それはあらゆる質問に共通する特性ではなく,ある種の質問がもっている効果のように感じたのだが,そのあたりがはっきり解き明かされていなかった点が,イマイチのように感じた理由か。まあ,実際に体験しないことには何とも言えない気はするが。
本書で一つ興味深かったのは,「問題をテーブルの真ん中に置く」という表現。それは要するに,「メンバーそれぞれが問題に対して等しくコミット」(p.114)している状態であり,他人事になっていないということである。これははなかなかうまい表現だなと思った。
先日,共通教育科目として開講している授業を公開した。といっても来たのは,大学教育センターの教員2名と,私が案内を差し上げた某先生と,たまたまこちらに来られていた海外の心理学者ぐらいだったのだが。
授業後,某先生の意見を聞き,大学教育センターの2名からインタビューを受けつつ意見を聞き,海外の先生と昼食を取りながらご意見を伺った。
人数は少なかったが,それぞれ,私が気づいていない点を指摘してくれたりして,なかなか有意義だった。
こういう機会って,やっぱり貴重だなあ。