24日『ウェブ時代をゆく』 18日『予想どおりに不合理』 | |
| 24日パソコンの異常 18日仕事が進まない |
ううむ,もう2月も終わりか。今月は先月よりも冊数的には増えているが,1冊は3ヶ月前からちょっとずつ読んでいた本だし(『日本の論点2009』),1冊はマンガだし。あまり威張れる数ではない。
今月よかったのは,『「みんなの意見」は案外正しい』(なるほどそうだったのか),『予想どおりに不合理』(実験が秀逸)だが,長評した残りの2冊も悪くなかった。
のどが痛い。ちょっと咳も出る。
熱は微熱の一歩手前ぐらいなのだが。
毎週,土日にも自主出勤して仕事しているのがいけないのだろうか(だってそうしないと追いつかないし...)
ああ,たまにはゆっくり休まないとねえ。
『ウェブ進化論』の著者による次作。「『ウェブ進化論』ではほんのわずかしか触れることができなかったより大きなテーマ」(p.241)を扱っているようである。実はBOOK OFFで,本書と『ウェブ進化論』の両方が並んでおり,どちらを買おうか悩んだのだが,本書にしてみたことは悪くなかったようだ(サブタイトルを見て,一種の説教本かと思ってちょっと躊躇したのだが)。
『ウェブ進化論』は読んだことがないのでなんともいえないのだが,本書でも,グーグルの位置づけや思想,オープンソースがなぜ成功したのか,Webを活用して地方にいること不利を補いつつ,「高速道路」や「けものみち」を行く生き方,などが書かれている。おそらく『ウェブ進化論』に書かれているであろうWeb2.0の姿が多少はわかったような感じがした。
オープンソースやそれに近いようなWeb上の試み(たとえばウィキペディア)に関しては,「リアル世界の有限性を超え「不特定多数無限大」と対峙できるネット空間があらわれ,関心を同じくする真の仲間を発見することができるようになった」(p.78)という「喜び」がオープンソースの不思議を解く鍵であるという。それは「経済のゲーム」ではなう「知と情報のゲーム」だというのだ。なるほど。さらにオープンソースプロジェクトに関しては,「その中核に「不特定多数を信頼する」心を持ち「人生をうずめる」ように「好き」な対象に没頭するリーダーが現れたときに,そのリーダーが作り出すコミュニティは公共性・利他性を帯び始める」と述べている。
そのようなリーダーの存在が大事であることは,『「みんなの意見」は案外正しい』でも「集約性」として論じられていたが,本書ではリーダーが単に意見を集約,選択するというだけでなく,「没頭する」という情意的な側面を指摘していたり,リーダーと一般参加者の間の第三層として「「没頭の度合い」が強い右腕たち」(p.70)がいるという構造の重要を指摘している。おかげでこのような分散タイプのプロジェクトの理解が一段と進んだように感じた。
あと,筆者が「けものみち」を行くために,読書などを通して「自分と波長の合う信号を探す」(p.137)ことを続けた,という話も非常に興味深かった。それは自分が生きていくためのロールモデルを探し,考えることでもある。その信号を歴史上の人物から得て現代に当てはめたり,他分野の人物から得て自分の分野に応用してきたという。そして「重要な決断をするときには必ず,それぞれの本がどんな信号を私に発したのかを考えながらたくさんの本たちに改めて向き合い,それによって人生を切り拓いてきた」(p.141)のだという。このような読書を筆者は「生きるために水を飲むような読書」「パーソナル・カミオカンデ」と呼んでいる。
私の読書記録も,そろそろ10年になろうとしている。そして特にはじめのころの(というか数年前までの)読書は,これと同じく,自分の研究テーマを考えるために,いろいろな時代のいろいろな分野の人の思考を信号として探す読書だったなあと思う。そしてここ数年感じるのは,読書およびその記録に対する私自身の勢いが明らかに弱くなってきていることである。それはひょっとしたら「生きるために飲むべき水」は十分に飲んだということなのかもしれない。もしそうであるならば,冊数を減らすなり別の目標を定めるなりして,これからの自分にとって必要な読書へのスタンスを作り出していくべき時期なのかもしれない(というか,それを探すための読書が必要なのかな?)。本書はそういうことを考える上でも有益な本であった。
毎朝,パソコンがおかしい。
起動後数分すると,必ず再起動してしまう。おまけに「深刻なエラーから回復しました」というメッセージは毎回,複数出るし。
このパソコン,某社のBTOなのだが,買ってちょうど5年半である(減価償却の期間をちょうど過ぎたというところか)。
実はあまり頻繁なので,新しいパソコンを買ってある。だけど,箱から出す余裕がないんだよなあ(特に精神的余裕が)。
行動経済学のいろいろな実験を紹介し,そこから日常の教訓を引き出している感じの本。行動経済学の本というとこれまで,ギロビッチらの『賢いはずのあなたが、なぜお金で失敗するのか』のほか,『行動ファイナンス』(ここの6冊目)と『行動経済学─経済は「感情」で動いている』(ここの3冊目)を読んできた。その中でも本書は一番面白い本のような気がする。
本書は全部で13章あり,各章のサブタイトルが疑問形になっており,その疑問を解くためのユニークな実験が紹介されている。そのサブタイトルを一部紹介すると,次のようなものである。
ちなみに一番最後のものは,値段が高い(と使用者が思っている)薬ほどプラシボ効果が強くなる,というものである(筆者はこの研究でイグ・ノーベル賞を受賞したそうだ)。
どの章も興味深い内容が扱われているのだが,なかでも私にとって興味深かったのは,第4章である。第4章のサブタイトルは「なぜ楽しみでやっていたことが,報酬をもらったとたん楽しくなくなるのか」というものである。この問いは心理学では古典的な問いで,実験としては,楽しいことに報酬を払ってしまうと,自由時間にその「楽しいこと」をやらなくなる,という形で実証されており,内発的動機とか自律性という言葉で説明されている(『人を伸ばす力─内発と自律のすすめ』)。
筆者の実験はもっと単純で,ある単純作業をさせるのに,50セント払う場合と,5ドル払う場合と,お金を払わずに「お願いして」やってもらう場合の作業量を比べている。その結果,作業量は無報酬≒5ドル>50セントであった。しかし筆者はさらに続けて,無報酬の場合,50セント相当のプレゼントを挙げた場合,5ドル相当のプレゼントを挙げた場合でも比較している。その結果は,無報酬=5ドル=50セントという結果になっている(このほかにもフィールド実験も行なっている)。
これらの結果を筆者は,社会規範vs市場規範という観点から考察している。お金をもらうと,その状況は「市場規範」の場と理解される。したがって,報酬の多寡に応じて努力量が変わる。それに対して無報酬,あるいはプレゼントがあると,その場は「社会規範」を適用する場と理解される。そこでは市場原理では考えないので,無報酬でもがんばるし,プレゼントの金額と努力量は比例しないのである。我々が市場規範と社会規範という二つの世界に住んでおり,状況に応じて使い分けているということは,実に納得のいく説明であった。
この場合,タイトルに言う「不合理」とは,無報酬と5ドルの頑張りが同程度であることであり,プレゼントなら5ドルでも50セントでも同程度にがんばる点が不合理ということであろう(いずれも,市場規範から考えると不合理)。またこうした傾向が複数の場面で一貫していることを指して「予想どおりに」と言っているわけである。しかし前の段落で説明したようにその不合理には理由があり,「社会規範」という概念を導入すれば,逆に合理的といえるのである。そういう意味では本書に書かれていることは,「人間は予想どおりに不合理であるが,観点を変えるならばそれは合理的である」ということになるように思う。
なお本書は,どの章も,このような人間の不合理性を回避する方略について提案されている。それは4章でいうなら,「教師や親や子どもの関心を試験の点数や給料や競争に向けさせるかわりに,教育の目的や任務や誇りの感覚を吹き込むほうがいいかもしれない」(p.126)という感じである(市場原理主義よりも社会民主主義を,という対比に似ていると思った)。あるいは他の章でいうなら,「何をするにつけても,自分が繰り返ししている行動に疑問を持つよう訓練すべきだ」(p.76)と「批判的思考のススメ」のようなことが書かれている。まあ,実験室実験やフィールド実験からそこまでの教訓を導き出すのは,場合によってはビミョーなこともあるとは思うが,しかし日常を振り返るきっかけにはなるし,場合によっては役立つこともあるだろう。そういう意味で非常に興味深い本であった。
仕事が進まない。春休み(授業はない)というのに。
今日は会議が12時から5時ぐらいまであったし。
明日も午後から会議だし。あさっても午後から会議だし。
来週は入試(監督&採点)があるし。
このまま気がついたら4月,なんてことにならないように祈るのみである。