読書と日々の記録2009.03上

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■読書記録: 12日『よくわかる臨床心理学』 6日『フーコー入門』
■日々記録: 12日授業評価・人間関係論 6日8歳児のネーミング

■『よくわかる臨床心理学』(下山晴彦編 2003 ミネルヴァ書房 ISBN: 9784623037094 \2,940)

2009/03/12(木)

 学生に借りて読んでみた。半分はナナメ読みしたが,非常に興味深い記述がなされているところも何箇所かあった。そういうところを抜書きしておく。

 「精神医学が客観的な疾患としての病理(disease)を扱うのに対して臨床心理学は,患者の病理経験としての病い(illness)を扱います」(p.2)。この違い,なかなか分かりにくかったのだが(精神医学は,医師免許を持っている人ができることで,診断をして薬が出せるのだけが違い?なんて思ってた),この記述は端的かつ違いが明確でわかりやすい。

 「英米では実践的有効性を実証的に示すのに適したモデルとして認知行動療法が重視され,それを中心に臨床心理学の統合がなされてきています」(p.17)。認知行動療法が重視されているということは聞いたことがあったが,その鍵は実証性にあったのか(そしてその背後には医療保険の問題があるようだ)。ふーん。

 (心理的エンパワーメントは)「最終的な状態として,「自分の生活に対する統制の感覚,社会や政治などの環境が自分の生活に与える影響についての批判的検討能力」の獲得が特徴とされています」(p.26-27)。エンパワーメントは初めて聞いたが,なるほどこれはクリティカルシンカー養成ともいえるな。

 「質問紙は意識に現れたものしか測定できないという考えへの見事な反証」(p.39)となる研究があるらしい。これもヘエ〜〜である。それから,行動療法は「異物」を除去して解決するという立場であるのに対して,箱庭療法は「「異物」であったものを取り入れて,世界が新たな秩序を持つものとして刷新」(p.167)することを手助けする療法だという記述もあった。「除去」と「取り入れ+刷新」の対比が興味深い。

 まあほかにもあったが,これぐらいにしておこう。こういうところは,単に「よくわかる」というだけではなく,「より深くわかる/考える」という感じだな。

授業評価・人間関係論

2009/03/12(木)

 今年度の学生による授業評価の結果が送られてきた。いつものように,結果をまとめて別ページにアップした。

 ちなみにこの授業,昨年からやり方を変えて,授業中に学生同士の話し合いの時間を入れているのだが,どうやらその効果が顕著に現れたようだ。

 学生による授業評価は5段階評価で何十項目かにマルをつけてもらうのだが,毎年やっても,さして数値に変動はない。変動幅(絶対値)は,平均で0.1,もっとも大きく変化するものでも0.3ぐらいである。

 ところが今回のデータを,改変前の2006年のデータと比べてみると,大きく変化していることがわかった(なぜか2007年のデータは見当たらないので,間を飛ばしているが)。

 変動の平均値が0.28。これは絶対値ではない。すべての項目が上昇しており,下がっている項目はないのだ。27項目中,0.3以上上昇した項目が12個もある。平均でいうと,平均が4.0未満の項目が,2006年では10個あったのだが,今年度は3個しかない(3個とは,「基礎知識は十分であった」「シラバスは受講決定や事前学習に役立った」「達成目標に到達できた」の3つで,直接授業内容の評価とは関係しない部分である)。

 変動幅が大きいものとしては,「授業はシラバス通りに進められた」が+0.50,「シラバスは受講決定や事前学習に役立った」が+0.55,「この授業を他の学生にも薦めたい」も+0.55の上昇であった。シラバスなんていつも同じように意識しているはずなのになあ。

 授業中に15分であれ話し合う時間を入れるということは(あるいは20分であれ考える時間を入れるということは),かくも効果が高いものなのか,と感心した次第である。

■『フーコー入門』(中山元 1996 ちくま新書 ISBN: 9784480056719 \740)

2009/03/06(金)

 フーコーのパノプティコンについて知りたくて,しかしフーコー本人の書いたものを読む元気はなくて,その解説書として読んでみた。後半はちょっと難しかったが,前半は,フーコーの考え方の変遷なども(なんとなく)わかり,ちょっと面白かった。

 なんでもフーコーは精神病院で研修をした経験があり,そこで医者と患者の間で,「精神病院の壁,規則,習慣,制約,強制,暴力などを介して,これらの人々の間でなにが起こっているのか」(p.39)について考えたのが出発点のようであり,それが後の権力論や学問論につながっているようである。

 で私が知りたかったパノプティコン(と学校)であるが,本書ではこれだ!といえるような明快な記述はなかった。たぶん,「近代社会に適合した人間を作り上げるための微細な技術」(p.141)として,空間配置を区切り,時間配置を細かに割り振り,身体を部品化し,「試験」によって特権的な真理を作り出し,それらの装置によって「社会の意図に沿って自発的に行動してくれる人間」(p.143)を作り出した,という感じなのだと思う(誤読している箇所があるかもしれないが)。

 なるほど,と思う反面,ちょっと思ってたのと違うな,と思った。

8歳児のネーミング

2009/03/06(金)

 下の娘(8歳6ヶ月)はどちらかというと空想系・芸術系の子なのだが,なんだか彼女のネーミング・センスは面白い。

 ちょっと前に,テントウムシを拾ってきてしばらく箱に入れて飼っていた(何日かしてから,逃がしたそうだが)。その子には,「テト」と名前をつけていた。てんちゃんとか,私が思いつくような(安易な)ネーミングとは一味違う。

 最近,イルカのミニチュアを手に入れたのだが,それに「ルフィ」という名前をつけていた。「ドルフィン」の真ん中部分をとったようである。ちなみに検索してみると,アニメ「ワンピース」の登場人物にルフィというのがいるそうだが,たぶん彼女は(私も)ほとんど見たことはない。

 そういえば去年の夏休み,近所の公園で黒と白のネコを見つけたらしい。それには「クロッシー」という名前をつけていた(クロシロだから)。ちなみにこちらは泡盛の名前にあるようだが,私も(彼女も)飲んだことはない。


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