6日『知的好奇心』 | |
| 6日忙しい |
15年ぐらい前に買った本。読んだ記憶はない。もう35年も前の本になるが,あまり古さは感じなかった。つまり,なかなか興味深い本だった。
本書は,伝統的心理学における動機づけ理論に異を唱える形で,内発的な動機づけとしての知的好奇心について書かれている。当時一番有力だった動機づけの理論は,「ハルの行動主義的な学習理論と,その立場から解釈されたフロイトの精神分析理論」(p.6)だそうである。そういう時代だったのかあ。まあ私が大学生のころも,そういう授業は確かにあった気がするので,このころは相当有力だったのだろう。
内発的動機づけというと,「自己目的性」「自発性」を特徴とするが,筆者は,サルなどが内発的にパズル解きに熱中している姿を「自己目的性」「自発性」「楽しみ」と特徴づけ,「これは「遊び」の一種であるといってよい」(p.72)と述べている。この言い切りはすがすがしいというか意表を突かれたというか。確かに内発的に,知的好奇心でもって何かをやっている姿は,遊びそのものである。
なお,「知的好奇心」というタイトルの本は,今に至るまで,おそらく本書しかない。そのため,よく教育心理学の教科書に本書が引用されている。しかしその引用の仕方があまり適切な感じじゃないことに,本書を読んで気づいた。たとえば教育心理学の教科書には,「知的好奇心には,拡散的好奇心と,特殊的好奇心の二つがある」(波多野・稲垣, 1973)という感じの記述がある。こういう書き方だと,もう理論的に確定された事実のような感じを受けるが,本書を読む限り,たぶんそうではない。感覚遮断状態に置かれると,人は刺激を求める。そういう状態を筆者は「これを「拡散的好奇心」とよぶことにしよう」(p.58-59)と筆者が便宜的に名づけているだけなのである。それに対して「あること」が知りたいときに生じる好奇心があり,それに基づいて情報収集がなされる。それを筆者が便宜的に「特殊的好奇心」と読んでいるだけなのである。
同じようなことは,「知的好奇心を引き起こすため」の3つの方法(p.118-)についても同じで,筆者は3つの分類を提示したというよりも,「いかにして子どものうちに疑問を引き起こすか」(p.118)と考えたときに,いくつかの方法がありそうだ,ということを筆者は具体的な教育実践(たとえば仮説実験授業)を念頭に挙げているのである。こういう分類は,そういう具体と一緒に理解しないとほとんど意味がないと思うのだが,なかなか教育心理学の本ではそうはなっていない。
こんなことなどを確認できたし,知的好奇心について,筆者の豊富は学問的知識と実践的知識に基づいて書かれた良書である,と思った。
なんだか忙しい。
週末も仕事してるし。
毎年やっている「大学生に読んでほしい本」セレクションを行う暇がないし。
4月中はこの調子で行きそうな感じ...