31日短評4冊 24日『ファシリテーター養成講座』 18日『 日本社会の誕生』 | |
| 31日人を見る 24日教育心理学授業の変遷 18日忙しい |
今月はなんとか,8冊の本を読むことができた。先月少なく,どうなるかと思っていただけに,ヤレヤレである。
今月良かった本は『ファシリテーター養成講座』(この本で学べたことはどこかで活かさなければ)。それ以外には,『民主党のアメリカ共和党のアメリカ』もまあまあ興味深かった。
心理学を教えているということで,たまーに,専門家としての意見を求められることがある。しかもそういうのってたいてい,臨床心理学的な問題である。
そういうときは,臨床心理学の専門家じゃないからとか,せいぜい,一般論しか言えませんよ,ということにしている(というか,そうとしかいえない)。
しかし先日,近くに他の専門家もいない状況で,しかも急いで何らかの判断をしないといけない状況になった。非常に困ったのだが,とりあえずその子の様子を観察することした。そこで見取ったことや気づいたことを元に,いちおう判断を下した(その内容やタイミングが適当だったかどうかはさておき)。
そのときに思ったのだが,人の様子を観察することって,授業見学でやっていることと同じだなあと思った。今どういう様子なのか,何がきっかけで行動が変化するのか,そういったことを元に,その子が何を感じ何を考えているかを考えるのである。
そこで見取ったり考えたりしたことが適切かどうかはわからない。それでも,何も知らずに一般論だけを述べるよりはましだろうと思う。それにしても,もっと,人を見る力を持ちたいものである。
ファシリテーション関係の本はこれまでにも何冊か読んできた(『ファシリテーション入門』,『ファシリテ−ション・グラフィック』,本書の筆者による『ザ・ファシリテ−ター』,『「会議ファシリテ−ション」の基本がイチから身につく本』,『ファシリテーション革命』 (ここの4冊目))。その中で本書は,実践的である上に,ファシリテーションの本質がよくわかるように書かれていると思った。
ファシリテーションについて筆者は,「いわゆる会議術的な側面もあるが,それは皮相な理解で,本質は参加者を活性化し,人と人との相互作用を促すもの」(p. 210)と述べている。相互作用を促すことで,プロジェクトを適切に運営し,あるいは風土を改革し,あるいは人材を育成するのである。
人と人との相互作用を促すために,ファシリテータは議論の内容(コンテンツ)には立ち入らない。「自分自身のコンテンツに関する思考をできるだけ抑制し,チームがどう思考しているのかを詳細に観察し,どうすればより効果的にチーム力を引き出すことができるかを考え続けなければならない」(p. 17)のである。たとえていうなら,風を見極めて舵を取り,迷走することなく目的地に付く手助けをするという感じか。私にはまだできていない部分だが,大事な点であると感じた。
筆者は会議がうまくいかない理由をいくつか挙げているが,中でも「納得感」というのは重要であると思った。それには,議論の収束方法の納得性(p.46)というのもあるし,コンテクスト(背景)を共有するために,たとえば「たしかに理屈ではそうだが,実は現場では,こういうことが起こっている」(p.87)といったことも話し合い,コンテクストを共有することが必要と述べている(飲み会など,会議に比べて構造度が低い場を設定することも,コンテクスト共有の場となりうる)。
あと興味深かったのが,コンフリクトに対応するやり方を5つ挙げている点(競争的,回避的,協調的,受容的,妥協的)。このことについて筆者は,以下のように述べている。
当事者同士の議論では,いきおい競争的になったり,逆に受容的になる場合が少なくない。少し冷静になると妥協的な解決策を模索するようになる。ここに書いた協調的なモードは,自己主張をする一方で相手の主張をよく理解し,ウィン-ウィンな解を探すものだが,そういう心理状態や議論の枠組みを維持することは必ずしも容易ではない。レフリーのように中立的な立場でプロセス管理をしてくれるファシリテーターが,このモードを維持するためには重要な役割を演じる。(p.188)
まさにここに書かれているように,現実の議論では,競争になるか妥協(受容や回避も含め)になることが多い。そうでない道を行くというのは,イメージに言うならば,右にも左にもそれることなく細い山の尾根を行くようなものだと思う。それを可能にするためのさまざまな考え方や仕掛けが本書には詰まっていると感じた。
教育心理学の授業をある先生が受講に来られている。この授業,いろいろ工夫は凝らしているものの,学生がどう受け取っているのかは,授業評価アンケートぐらいでしか情報が得られない。ところが今回は,教員が受講しているということで,受講生の立場ではこの授業をどう感じるかについてや,周りの学生がどんな感じで受講しているのかを知ることができる格好の機会となっている。そこで,先日少し時間があったので,その先生に来ていただいて話を伺い,ちょっとした授業リフレクションを行った。
そこでは,指摘も受けたが,基本的には授業をとてもほめてくださり,「この授業のすごさは学生には分からない」なんてことも言っていただいた。なんとも元気の出る話である。
そういえばこの授業はいろいろな工夫を凝らしているわけだが,なんで,いつごろこういう形になったんだっけ,とふと思った。そこでちょっと過去日記を調べてみると...
担当学生グループが発表し,フロアの学生が質問する形をとり始めたのは,2005年だった。この年の4月の日記には,「初回に4〜6人グループを作ったものの,発表以外にどう活用したものか,と思っていたが,せっかくだから,授業中,ちょっとした話し合いなどをはさむことにして,毎回グループ毎に座ってもらうことにした」なんて書いている。発表時間は2分だが,グループによっては3分以上発表したりしていたようだ。またこの年,質問は挙手制だったようだが,初回,質問が少なかったので,次の回から「立って質問を考える」形に変えている。質問を考える時間は2分だったようだ(今は10分程度)。
2006年からは,「質問を紙に書かせる」方式を行っている。これは,挙手制で質問すると,「発表グループが即答が難しい場合があったようなので」始めたようだ。ただしこのとき,質問を書いたのは「8グループ(全体の半分強)」だったようだ。おそらく,全体スケジュールの関係で,時間(10分強)で切ったのだろう。もっとも2007年からは,全グループに質問を書かせても10分程度で収まっているのだが(今年はまだそこまでは行っていないが)。
この後も,次回発表グループに今回発表グループを評価させたり,といった小改定は行っているのだが,およその形は2007年でできている。ということで,3年ほどかけて,あれこれとセルフリフレクションをしながら,この授業を改定していったことが分かる。そういえば,これでだいたいの形はできてきたということで,2007年度から授業前後のデータを取り始めたんだっけ。過去の日記を見返すことで,当時の模索とか思いとかをすこーし思い出せたような。
日本の歴史シリーズ全9巻の1冊目。ジュニア新書ではあるが,単なる「やさしい歴史概説」ではなく,いい本だった。
何がいいかというと,「本書では,その結論だけを提示するのではなく,今日に至るまでのプロセスをできるかぎり説明するように心がけ」(p.181)ているのである。「今日に至る」というのは,学問自体の紆余曲折の歴史の話である。したがって,ある説がどのような根拠で論じられているかといった,歴史研究のロジックがわかって興味深いのである。
たとえば,「日本人が中国に朝貢していたのは紀元前一世紀ごろから」と本書にあるが,それは,(1)中国の歴史書に記述があること,(2)いくつかの遺跡から,前漢時代の鏡が出土していること,(3)この時期から青銅器の原材料が朝鮮半島産のものから中国産のものに変化していること,といった根拠があるのである(p.83)。こんな話が本書にはいくつかみられた。
あと,私は常々,政治が何のためにあるのか(政治家が何のためにいるのか)がよくわからないでいるのだが,古代史を学ぶと,その原初の形が見られるため,少しその意味が分かるような気がする。それは,「灌漑施設の整った水田を維持するためには,集落内部の共同体成員の管理が重要となる」からであり,「河川から水を引く利水問題では集落どうしのおたがいの利害が衝突して,紛争の種となりやすい」(p.81)からである。このレベルなら分かるような気がする。それが天皇になり,貴族になり,武士になり,大名になっていくわけで,そこのところについては,本シリーズの続きを読まないといけないかな(本シリーズは執筆者が全部違うので,本書のような面白さが他の本にあるかどうかはチト心配ではあるが)。
毎年前期は,なぜだか忙しい。
本来勤務時間内に終わらせたい授業準備が終わらなくて,土曜日に出てきたりしているありさまである。
こういうときって,なんだか大事なものを置き忘れているままに駆り立てられて前に進んでいるような状態である。
不幸中の幸いは,半期の半分程度で終わる授業があること(今期は2つある)。しかも一つ(教育心理学実験)は,前回で概説が終わり,今週から個別実験なので,少し気が楽である(さらに3週間すると実験が終わるのでもっと楽)。ああ,はやくあと3週間経たないかなあ...