読書と日々の記録2009.06上

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■読書記録: 12日『教師授業から生徒授業へ』 6日『よくわかる授業論』
■日々記録: 12日日常雑記 6日パソコンの入れ替え

■『教師授業から生徒授業へ―社会科授業技術をどう活かすか』(加藤好一 1997 地歴社 ISBN: 9784885271441 \1,900)

2009/06/12(金)

 著者さまからいただいた本。筆者の中学校での実践について書いた本である。筆者は,始業時に生徒の過半数が席についていない中学校に,社会科教師として赴任した。それをまずは「チャイムテスト」というものを始めることで子どもたちを学習に向かわせ,「創作年号早覚え」で,子どもたちの考えを授業に生かすようにしている。さらには,「逆転・対立・作業・補完・イメージ」という5つの授業技術を用いて授業を構成することで,「たのしくわかる」社会科の授業を作っている。

 そのような「手練手管」については,教育雑誌や教師が書いた本に散見される。しかし本書がすばらしいと思ったのは,一つには,これらの技術が相互に位置づけられており,相対化されている点である。たとえば「逆転」について筆者は次のように書いている。

いつもいつも逆転では生徒があきる。常に客体として,「驚かされる側」に立っているのでは,生徒は強い刺激にも次第に驚かなくなっていく。相互の発想のちがいは顕在化せず,論争や葛藤も起こりにくい。そこで,だれをも同じ方向に「ともにびっくり」させていくのではない授業技術が求められる。それが対立なのだ。(p.30)

 特に社会科の場合,教材のインパクトで授業を進めようという実践は少なからず見られる。しかしこのように,びっくり教材の限界を指摘した上で,そこに他の授業技術を関連づけた記述は,私はあまり見たことがないような気がする。

 また本書ですばらしいと思った点として,このような授業技術が通用しなかった実践例も紹介している点がある。たとえば,万全に準備した「逆転」が通用しなかった実践を紹介し,それを教師がどのように修正したかという実践や,教師の予想外の子どもの発言が出て,冷や汗をかきながらそれにどう対応したか,という実践が紹介されている。授業って(特に社会科の場合は)ネタをどう仕込むかという点に力点がおかれることが多いように思うが,そのネタをどう扱い,子どもの反応に応じてどう修正していくかについて書かれたものも,私は読んだことがなかったので興味深かった。

 しかし本書が興味深いのはさらにここから先である。筆者は,「さまざまな技術を駆使すればするほどいっそう方法としての「教師授業の限界」とでもいうべきものを感じるようになった」(p.117)というのである。それは,「わからせてくれたり楽しくさせたりしてくれた主体は教師」(p.216)であり,生徒自身が主体となっていないことに対する疑問である。

 そこで筆者は,試行錯誤の末,いくつかの授業の授業者を生徒に任せることにしている。そのための布石はきちんと打った上でだが。そして生徒授業は,生徒と生徒という対等者どうしの学び合いが基本なので,教師授業では失敗しそうな流れでもうまく失敗が乗り越えられることなどを発見していく。このあたりのくだりも,単に生徒授業を完成したものとして提示するのではなく(そういう教育書は多い),筆者が何を感じ,どのように試行錯誤した末にそのような授業にたどり着いたのかが書かれていて興味深い。

日常雑記

2009/06/12(金)
 書きたいことが複数あるので、ひさびさに日常雑記形式で。
2009/06/10(水) ゆったり?
ふと気づくと今日は、1限は定例の会議がなく(議題がないため)、2限はゼミがなく(附属小に観察実習のため)、お昼も会議がなく、午後も会議がないことがわかった(6限は授業だったけど)。前期が始まって初めての出来事に、時間をどう使って良いのか、戸惑ってしまった。次にこういうことがあるときは、もっと時間を有効に使わねば。
2009/06/10(水) 現場の話を聞く
6限は、大学院の必修の授業。現職の先生で、昼間は通常勤務されている方が6名受講されている(それ以外にストレートマスターが5人)。現職の先生には、現場の話を毎回1人の方にやってもらっているのだが、これがとても興味深い話ばかりである。今日も、ある先生の教師史(子どもとの関わりの移り変わり)を聞いたのだが、これがまた実に興味深かった。授業後半がそれで、次回前半に私がそれと関連した心理学の話をしているのだが、現場の話を聞くたびに、心理学って無力だよなあと感じる。まあそれでも何か話をしないといけないので、リーダーシップ研究を紹介しようと思っているのだが。
2009/06/12(金) あせった
今日、ふと過去日記を見たところ、2009年5月後半分が一部消えていることに気づいた。前回更新したときに、間違って必要な部分を消してしまっていたようだ。慌ててあちこち探したところ、古いパソコンのバックアップフォルダの中に消した部分が残っていたので、なんとか復旧させることができた。ファイルは何カ所かに置いているのだが、それ以外の所には削除済みのものしか残っていなかったので、ひっじょーに焦った(なんとかなって良かったけど)。

■『よくわかる授業論 (やわらかアカデミズム)』(田中耕治(編) 2007 ミネルヴァ書房 ISBN: 9784623043323 \2,730)

2009/06/06(土)

 かつて,ある先生に「授業を見る目を高めるにはどうしたらいいですか」と聞いたところ,いろいろなアドバイスがあったのだが,その中の一つに「教師の読むような雑誌を読むといい」というのがあった。で,多少はそういうことをしていたのだが,それでは何か体系的な知識が身につかないなあと思っていた。私は,教育方法学などについてもきちんと学んだことがなかったし。そういう意味で本書は,私にとってはよかった。

 知識といっても,ほんのちょっとしたものも含めてである。たとえば義務教育で,学業の出来不出来に関わらず進級する「学年制」(年齢主義)ってどうなんだろう,と思っていたのだが,かつては「課程主義」に基づく「等級制」だったのだそうだ。それでは「進級のための個人主義的な競争が常態化」(p.14)したことや,「生活経験がかなり異なる異年齢の生徒によって編成されることから,協力共同して学習することはますます困難」(p.14)だったそうだ。そういうことで学年制に変わったようだ。ということは逆にいうならば,学年制のメリットを生かし,いかに同年齢に共通した生活経験を活かすかということや,競争ではなく協同を生かした学習を行なうかということが重要といえそうである。

 もちろんこういうことだけではなく,この世界で評価されてきている先人の実践や理論,考え方などの代表的なものを知ることができた。あるいは本書には,「各領域における授業づくり」という章があり,各教科について2ページずつで,その教科における授業作りの歴史や代表的な考えの一端なども紹介されているので,そういう俯瞰図的なものも得ることができた。そのほかにも,指導案の細案と略案はどう違うのか,なんていう,日常よく使われているけれどあまりきちんと説明してくれない知識も得ることができ,そういう意味では私にとっては悪くない本だった。

パソコンの入れ替え

2009/06/06(土)

 職場のデスクトップパソコンは,数年前からときどき調子が悪かった。それが昨年ぐらいから頻繁になってきた。今年に入って減価償却期間も何とかすぎたので,2月に新しいパソコンを買った。しかし忙しいのと,新しいパソコンのセッティングをするのが面倒くさいのと,古いパソコンの不調の頻度が下がったので,そのまま古いパソコンを使い続けていた。

 しかしまた最近,不調度が上がってきた。突然電源が切れたり。マウスが思うとおりに動かなかったり。果てはウィルス対策ソフトのアップデートに失敗したりしたので,ついに新しいパソコンに全面移行することにした。

 新しいパソコンは,いちおう,たまーに使っていたし,古いパソコンからできるだけそのまま移行できるよう,ドライブ構成も同じにしていた。そこでまず,古いパソコンのファイルを外付けHDDにコピーし,それを新しいパソコンにコピーした。いくつかのソフトは,設定の保存/復元機能を持っていたので,それも使って。

 新しいパソコンに移行して最初にやったことは,大学の情報処理センターのページにつなぎ,ウィルス対策ソフトをインストールすること。それを済ませると,バックグラウンドでウィンドウズのアップデートも行なわれていたらしく,再起動して,とりあえず安心して使える形にはなった。それからメールソフトを起動したりした。

 今でも使いながら,あ,そういえば印刷しなければ,と思ってあわててプリンタドライバをインストールしたりしている(たぶんまだまだあるに違いない)。でも移行は,思ったよりもスムーズに進んでよかった。まあそれも,今日までに少しずつ整備していたからだろうし,それでも,アレをするにはどうしたらよかったんだっけ,というのがいくつかある(たとえばウィンドウを移動するときに描画しないやり方が見つからない)。


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