30日短評6冊 24日『20代でプロの教師になれる』 18日『アイデアのちから』 | |
| 30日不整脈 24日行動を変えさせる 18日ダムの水 |
今月読んだのは10冊。9ヶ月ぶりの10冊越えである。といってもあまり長い本は読んでいないのだが。
今月よかったのは,何が何といっても『アイデアのちから』(あ,そういえばこの本は360ページあった)である。こういう本(から得られた知見)は,読むだけでなく,どこかで使わないとなあ。
1週間ほど前から不整脈らしき症状が出ている。脈が1拍分飛ぶのである。そのときは心臓から血が送られていないような感じだ。そしてその分,次の脈がドキンと強くなる。
何だろう。あっているかどうかは分からないが,感じとしては,弁が開いていないという感じである。しかも数えてみると,こういうことが1分間に10回はある。
考えてみたら,今までもこういうことはあった。しかしそんなにしょっちゅうなるのは初めてではないかと思う。規則正しく動いていたはずの心臓が,頻繁に「不整」になるなんて,そのうちに止まりそうでちょっとコワい。
とりあえず,小学校の養護の先生に相談し,他にも経験者やら,身内に不整脈持ちがいる,という人の話を聞いたりした。それですごく不安になったり,逆に安心できたりしたわけではないが,まあしかし何も分からないときよりも,だいぶ安心できた。
それにしても,そのうち病院に行かないとなあとは思っているのだが。
読み始めてから気づいたのだが,本書の筆者は『若い教師の成功術』を書いた人だった(同じエピソードが紹介されていたのだ)。しかし基本的には前著は「教室で起きた数々のドラマ」を書いているのに対し,本書は「20代の修業記録」(p.3)を中心に書いているという(重なりはあるが)。その修業にはさまざまなものがあるが,授業を録音または録画することは何度か出てくる。それをテープ起こしして分析したり,あるいはまず先に,そらで授業をノートに再現して思い出せなかったところを確認したり,授業者の目線を確認したりしているようである。
ワタシ的に興味深かったのは,「授業に子どもを熱中」させるために,「子どもが思考する場面」や「子ども同士の意見の食い違いが生まれる場面」を作ろうとした部分(p.60)。食い違いを生むためには,「子どもの意見を確認する作業を重視」したという。そのことについて筆者は次のように書いている。
全部が全部,意図的に意見の食い違いを生ませるようにするというのではなく,子どもの意見を確かめていくうちに,ふとした瞬間に,意見の食い違いは生まれることが多かった。/だから,発問後に,子どもの意見を確かめる時間を確保するようになった。/子どもの意見を確かめるための方法は,例えば,ノートに自分の考えを書かせることだった。〔中略〕/子どもの意見を確認するだけで,意外と簡単に意見の食い違いは見つけることができた。/授業後には,発問に対する子どもの反応を書いていった。また,意見の食い違いはどのような場面で生じたのかを記録していった。(pp.61-62)
確かにこういう修業をまじめに何年も続けていると,腕は上がるだろうなと思った。もちろんこういうやり方だけでなく,先行実践に当たったりもしている。しかし筆者の場合,「子どもを知る」ということを徹底しており,それが大きな力になっているように思う。
先日、附属小学校の研究授業を参観し、協議会に参加して思ったこと。その授業は「健康教育」で、栄養教諭が小学校3年生を相手に、朝食の大切さを理解してもらう、という授業だった。具体的には、赤・黄・緑のバランスが大事だという。
先生のロジックはおそらくこうだ。朝食の効用には3つある。脳を元気にすること、体温を上げること、排便を促進すること。それらが、黄・赤・緑の食品に対応している。だからバランスの良い朝食を食べることは重要だ。
さて、この授業が子どもたちの日常をどの程度、どのように変えるか。もちろんそれは子どもによって様々だろうが、1回の授業で多くの子どもを変えるのはなかなか難しいのではないかと思った。
というか、人はどういうときに行動を変えるのだろうか。一つ明らかなのは、「行動の結果が望ましいものであるとき」、つまりオペラント条件づけ的な行動変容である。何かをすることがすぐに結果に表れて、その良さが実感できるのであれば、行動は変わりやすい。しかし朝食の良さは、1・2回で実感できるものではないだろう。というのは、上に上げた3つの効用(元気、体温、排便)には、朝食以外のいろいろな要因が影響していそうだからだ。朝食を食べても体温が低い人はいるだろうし、食べなくても元気な子もいるだろう(食べないことに慣れてしまった場合は特にそうだろうし)。
となると、「朝食の大事さを意識した行動がとれるようになる」ためには、別の戦略が必要になる。それはたとえば、「文化」的なものなのかなと思った。たとえばご飯粒を残すとなんだか気持ち悪い、というような。ご飯粒を残しても、直接だれかに迷惑をかけるような「明らかな結果」が随伴するわけではない。しかし、親や教師などに何度も言われるうちに(「農家の人が一生懸命作ったお米を粗末にしたらバチがあたるよ」みたいなことを)、その価値が内在化されて、残すと「気持ち悪く」なるのではないか。そして、そういう文化的なものを内在化させるためには、教師や親や周りの人が折にふれて言う、というような気の長い関わりが必要ではないかと思うのだ。そういう意味で、「1回の授業で」変えるのはなかなか難しいのではないかと考えた。
それにしても、行動変容に至る要因が、「オペラント的な学習」「文化的な学習」の他にないかは、これから考えてみないといけない。
生み出されたアイデアが記憶に残るようなものにするにはどうしたらいいかについて論じた本。非常に面白かった。ここで言うアイデアはたとえば,「ポップコーンの油は体に悪い」というようなもので,むしろメッセージといったほうがいいような気がする。
本書では,筆者らがさまざまなアイデアをさまざまな観点から分析した結果として得られた,アイデアを記憶に焼きつくものにする6原則の順で論じられている。6原則とは,単純明快,意外性,具体的,信頼性,感情に訴える,物語性,の6つである。そしておそらく,本書の軸になっているのは,アイデアを記憶に残らないものにしてしまう最大の要因である「知の呪縛」への対処法のような気がする。知の呪縛とは,「いったん何かを知ってしまったら,それを知らない状態がどんなものか,うまく想像できなくなる」(p.31)ことである。それがあるゆえに,アイデアを複雑で平凡で抽象的で(ムダに正確すぎて役立たずのものになってしまう),信頼性や物語性のないものにしてしまうのである。知の呪縛は,特に専門家が陥りやすいものなので気をつけなければならない(講義などでも)。
本書から学んだことはたくさんあってここには書ききれないのだが,一つ,私の研究テーマとの関連でなるほどと思ったことがあるので書いておく。「感情に訴える」の章で紹介されている話なのだが,世界の子どもの福祉向上に取り組む慈善団体にどの程度寄付するか,という実験が行なわれている。その依頼文として,寄付金が送られるアフリカの少女の具体的な話が書かれていると寄付金が多くなり,アフリカの子どもの問題が統計で示されていると寄付金が小さくなっている。これは,前者が感情に訴え,後者が思考に訴えるからだろうと研究者は推測しており,その推測を別の実験で確かめている。その結果から筆者らは,「いったん「分析」という帽子をかぶった人は,感情に訴えられたときの反応が変わってしまう。感じる能力がそがれてしまうのだ」(p.229)と述べている。きちんと思考することで悪徳商法にひっかからないようにしましょう,というのは消費者教育の基本だと思うが,思考や感情を呼び覚ますことが,行動に別の結果をもたらすことを実証的に示しており,興味深かった。
もう一つ興味深かった点として,知の呪縛のために伝えるべきメッセージを伝え損ねてしまった人が,そこから抜け出した話が紹介されていた。それは,聞き手に「なぜそれが重要なのか?」としつこく問われたからである。そのことについて筆者は次のように書いている。
マーレー・ドラノフの代表者が「知の呪縛」から抜け出せたのは,会場中の人々がしつこく「なぜ?」と尋ねたからだ。三度目の「なぜ?」で初めて彼らは,自分たちが何をしているかという話題から,自分たちはなぜそれをしているのかという話題に写った。つまり,(ピアノ二重奏を既に知っている人以外には)何の効果もない関連づけから,部外者と気持ちの通じ合える具体的で深い関連づけへと移ったのだ。/〔中略〕「なぜ?」という問いかけは,アイデアの根底にある核となる価値,つまり核となる原則を思い出させてくれる。(p.274)
まとめるならこういえるだろうか。われわれは知識を持っているために「知の呪縛」に陥る。そこから抜け出すためには,原則や事例を知ることに加えて,自分にとって自明の前提も含めて根本的に問うことや考えることが役に立つのだと。
1ヶ月前から梅雨に入ったのにあまり雨が降らず、水は大丈夫かと心配する日が続いていた。
ところがここ数日、ちょっと多めの雨が降った。
ダムの貯水率が45%ぐらいだったのが、1日で54%に増えたりして、今は63%になっているようである。
こういうのがあると、ちょっとぐらい困った事態になっても、「なんとかなるさぁ」って考えになっちゃうのかも、と思った。良きにつけ悪しきにつけ。