読書と日々の記録2009.08下

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■読書記録: 31日短評4冊 30日『発達障害のある子の困り感に寄り添う支援』 24日『学級崩壊に学ぶ』 18日『教師の使えるカウンセリング』
■日々記録: 30日学会出張 24日学校現場の課題 18日免許更新講習(必修)

■今月の読書生活

2009/08/31(月)

 8月は,上旬が期末試験と評価,中旬が教員免許更新講習と帰省,下旬が免許更新講習の評価と学会で,あまり落ち着かないままに終わってしまったなあ。9月はじっくり仕事ができるといいんだけど...

 今月よかったのは... 実は今月,定期更新であげた本は,どれもよかった。こんなことは読書記録はじめて以来なのではないだろうか。しかし全部というと今後再読したりするときに大変なので,涙を飲んで絞るなら,『教師のためのカウンセリングゼミナール』『学級崩壊に学ぶ』だろうか。でもホント,ほかの本もとてもいい本だったのだが。

『ビジネススクールで身につける思考力と対人力―ポケットMBA〈1〉』(船川淳志 2002 日経ビジネス人文庫 ISBN: 9784532191481 \800)

 思考力だけでなく,対人力も同時に扱っており,両者を「ビジネス人のコアスキル」と位置づけているのはなるほどという感じの本だった。また筆者は,4分割表的に考えるのが得意なようで,たとえばクリティカル思考を,論理にも心理にも厳しい思考,などと位置づけており,その是非はともかく,面白いなあと思った。あと筆者は,思考力と対人力の統合スキルとして「ファシリテーター・スキル」を位置づけており,これもなるほどと思った。しかしそれ以外に関しては,基本的にはどこかで目にしたような技法なり考え方が中心で,私にとってはこれといって得るもののある,面白いものではなかった。まあ,実用的には十分な本だろうし,こういう考えに初めて触れる人にとってはとても有用だろうと思うけど。

『超一流じゃなくても「成功」できる』(長谷川滋利 2006 新潮社 ISBN: 9784103016311 \1,400)

 元メジャーリーガーの長谷川投手が引退後に書いた本。以前に読んだ本と重なる部分もあったが,そうでない部分もあった。本書では,長谷川氏が「考える人」であることを再認識した。たとえば「自分で一度考えることで,無駄なことは多いけれど,本質的なことを知りたいと思う」(p.64)なんて書いている。あるいは「自分には「分かりにくい才能」に恵まれていた」(p.180)として,計画性,情報分析力,自分の力を正しく把握すること,を挙げている。また筆者が適応力を高めることに重視したのは「書くこと」(日記をつけること)をあげている。きわめて反省的思考的な人である。

『吉田松陰―吟遊詩人のグラフィティ (時代を動かした人々)』(古川薫・ 岡田嘉夫 2002 小峰書店 ISBN: 9784338171052 \1,600)

 吉田松陰という人がどういう人かほとんど知らないので,図書館の子どもの本のコーナーで見つけて借りてみた(その割には子ども向けというよりはヤングアダルトという感じだった)。ワタシ的に興味深かったのは,長州藩の改革のための意見として彼が,「独善ではなく多くの意見をあつめ,そして身分を問わぬ人材登用の必要を説いた」(p.57)という点と,古典を講釈するにあたって,「いかに聖人の言葉といっても,うのみにしてはいけない。しっかりと,自分の考え方に立ってあじわい,学ぶことが大切だ」(p.86)と教えている点である。何かでチラッと読んだときには,松下村塾がなかなかに面白そうなところだという印象があったのだが,本書ではそこまでは書かれていなかった。

『危うし!小学校英語』(鳥飼玖美子 2006 文春新書 ISBN: 9784166605095 \766)

 日本の英語教育について論じている本。どういう経緯で小学校英語が提言されたりしたのかが分かったし,第二言語に関して「臨界期」を考えることの不適切さも分かった。そういう得る部分はあったものの,若干筆者の論じ方が雑で,気になる点もあった。たとえば一部の事例だけで臨界期を論じるなといっておきながら,臨界期以降でも高い語学力を身につけられることについて,一部の事例だけで論じていたり。いろいろなところで出されている統計的データの解釈が適当とはいえない部分があったり。そういう点に気をつけて読むことができれば(要するに著者の主張をすべて鵜呑みにするのでなければ),悪くない本かもしれない。

■『発達障害のある子の困り感に寄り添う支援』(佐藤曉 2004 学習研究社 ISBN: 9784054025035 \1,800)

2009/08/30(日)

 学校現場での具体的な支援がたくさん書かれている本。筆者は,数年で800あまりの学校や保育園・幼稚園にかかわってきているようで,そのような豊富な経験を元に,具体的な支援や考え方が書かれている。

 本書の特徴は,「多くの先生方や保護者の方々が投げかけてくれた疑問や課題に対して,できるだけ「端的に」答え」(p.2)ようとしていること,「支援の対象とする子どもを,発達障害のある子どもに限定しない」(p.3)こと,「保育園・幼稚園や学校では子どもの「障害」そのものを扱うのではなしに,「障害」によって引き起こされる子どもの「困り感」に対応した支援が行われなくてはならない」(p.11)という考えの下,「発達障害があることで,子どもがどういった「困り感」を抱いているのかを,教師はよく知っておく必要がある」(p.11)と考えていること,などである。

 本書の中で私が特に興味深いと思ったのは,「生活を支える個別支援」を行うために最初にすべきことは,「子どもに何を身につけさせるのか」を明らかにすること,という指摘。というのは筆者は,「これができないし,あれも問題だから,どのようにしたらいいか」という質問をする教師に,「「では,先生はこの子に何をみにつけさせたいのですか」と問うと,「そう言われると困るのですが…」と口ごもってしまうことがある」(p.86)のだそうだ。教師は,問題は感じていてもそれを具体的に捉えていないことがあるようだ。それを明らかにするためには,「まずは,一日の学校生活を,時間を追ってチェック」(p.86)すべきだという。問題行動の引き金となっている問題や,問題行動以前の部分に潜んでいる問題を知ることが必要ということのようだ。しごくもっともなことだと思う。

学会出張

2009/08/30(日)

 昨日,学会出張から戻ってきた。

 行きは神戸便で行ったのだが,そのついでに,神戸在住の大学時代の友人とランチ&お茶した。20年ぶりぐらいだろうか。違う業種の話はなかなか面白かった。

 学会では,いつもなら主にシンポジウムやワークショップに参加するのだが,見たところこれといって触手をそそるものがなく,小講演を中心に参加することになったが,結果的にどれも非常に興味深い内容だった。ということでとても勉強になった2日間だった。

 出張から戻った昨日の夕方は,友人宅でのバーベキューに呼ばれた。久々で楽しかった。ホストが素潜りで取ってきたサザエをたくさんいただいたりして。

■『学級崩壊に学ぶ―崩壊のメカニズムを絶つ教師の知識と技術』(河村茂雄 1999 誠信書房 ISBN: 9784414202083 \1,800)

2009/08/24(月)
〜自己確立を支援する〜

 「学級経営や教育実践に悩んでいる先生方に,本書を通してカウンセリングとコンサルテーションができたら」(p.iii)という思いで書かれている本。筆者は学級崩壊クラスについて,調査研究も聞き取り研究も介入実践も豊富に行っているらしく,実に体系的かつ実践的に述べられており,非常に興味深かった。

 崩壊への道筋については,教師の学級経営観とリーダーシップ,集団形成の仕方を大きく2つに分けて述べている。学級崩壊しにくいのは「自己の確立重視型教師」で,指導と援助を統合して発揮するタイプのリーダーシップを発揮し,子どもの居場所となる学級を作る。それに対するのが「学習・生徒指導重視型」で,さらにそれを「指導に偏って発揮するタイプ」「援助に偏って発揮するタイプ」「指導も援助も乏しいタイプ」と分け,それぞれについて次のように述べている。

指導に偏って発揮するタイプの教師の学級では,子どもたちの人間関係が崩れ,その影響で教師の定めた学級のルールが崩れてきます。援助に偏って発揮するタイプの教師の学級は,なれあいから学級のルールが崩れ,その影響で子ども同士の人間関係も崩れてきます。指導も援助も乏しいタイプの教師の学級は,学級のルール,ふれあいのある人間関係の両方が育たず,ほぼ同時に早い段階で崩れてきます。学習・生徒指導重視型教師の学級は,徐々に学級は崩壊の道をたどっていくことになるわけです。(pp.42-43)

 この分け方は,PM理論を思わせるものだが,さまざまなタイプの学級崩壊について理路整然と説明されており(一方で,ステレオタイプ的な平板な理解になる,という問題はありうるだろうが)学級崩壊の現状を理解するのに役立ちそうである。ただ本書がすばらしいのは,学級の現状にしても,学級や子どもへの対応にしても,さまざまな場合を想定してきめ細かい具体的な対応が述べられている点であり,こういうところは実にすごいな(筆者は現状をよく知っているな)と感じた。

 また上の記述からすると,学習や生徒指導などを通して「自己の確立」を目指されることが重要のようである。では自己の確立とは何か。どのような場面設定や援助がありうるのか,それがないことがどのように問題なのか。本書の記述からいくつかを抜粋してみる。

  1. 自己を確立するために試行錯誤する場面を意識的に設定しなければ,子どもたちは管理された,押さえられた,常に評価されている気分になり,ストレスがたまっていくものと思われます。(p.5)
  2. 例えば授業でも,知識の伝達や学習する態度を強く求めるだけではなく,そこに自分の考えを発表する場があり,お互いの考えや思いを分かち合う場が必要なのです。それが満たされたとき,学校での学習が,自分にとって意味のある学びになっていくのです。/国語や社会,芸術科目は自己の確立を援助する要素がふんだんにあります。例えば,作文や感想文を発表する,自己の思いを作品にするなどです。(p.7)
  3. 自己の確立重視型教師は,自己の確立の援助が促進される形でルールを形成しようとします。例えば,話の聞き方や話し方,互いの人権を尊重することなど,人が社会生活を送るうえで必要な基本的なマナーです。このマナーがあって初めて,子どもたちは自分の話を聞いてもらえる,人からバカにされないと感じ,自ら他の子どもたちとかかわろうとするようになるのです。(p.40)
  4. 一つの集団に同じメンバーで一定期間をともに生活すると,他の人たちのことを少しずつ理解していくことができます。そして,人間関係が深まってくると,他の人と自分との違いがわかってくるのです。その結果,お互いに違いのある一人の人間同士なのだという意識が芽生えます。そのうえで,お互いの存在を受容し合うことで,自分は自分であるという意識,つまり,自己が確立していくのです。(p.63)
  5. 人の対人関係は,より多くの人と深く関わる方向に成長することが,個人の自己の確立に望ましいのです。それを支えるのが所属する集団であると言えます。したがって,自分が関わる集団も初めは一対一の二人組から徐々に拡大していくことが抵抗が少ないのです。(p.86)
  6. 学習の定着や規律ある態度の育成も大事ですが,子どもたちが「おもしろそうだ」「やってみたい」と思うこと,疑問などを本音で表現できることがより大事です。そのための,計画的な授業の展開が求められるのです。/例えば,授業のまとめの最後に,小集団で,子どもたちが自分の考えや感じたことを話し合う時間を設定するのです。子どもが自己の確立を試行錯誤する場面を設定することで,しなければならない勉強から,自ら取り組みたい学習へと子どもの見方が変わっていくのです。(p.104)

 こうやってみてみると,自己の確立には,ルールの設定,集団作り,授業での表現のあり方などが重要のようだ(これらは関係してくるだろうけど)。また,これらの記述をみると,考え方がなんだかロジャーズっぽい感じがする。しかし,学習指導や生徒指導,支援だけでなく,自己の確立(そのための関係作り)という観点から教育活動を見直すことは(私の授業も含めて)とても大事なことだと感じた。

学校現場の課題

2009/08/24(月)

 先日やった,教員免許更新講習(必修領域)では,4クラスで合計220人強の先生方に講義を行った。

 最終課題では,学校現場における課題とその対処について,2つのテーマの下で論じてもらった。先日,ようやくそれを読み終わり,評価をつけた。ということは,さまざまな校種における課題について,約440枚読んだことになる。

 もっとも,すべてが赤裸々な課題を論じているわけではなく,かなり一般論に近いものや,私の講義内容を単に要約したようなものもある。それにしても,数百の先生が感じている課題について聞かせてもらったことになる。

 私はこれまで,附属小の先生を中心に学校の課題について見聞してきた。そこにはあまり見られないような課題も含め,学校現場の現状が,おかげで多少理解できたような気がする(とはいえ,ここで得られた知見を今後にどう活かしていくかは,私自身の課題となるわけだが)。

■『教師の使えるカウンセリング』(國分康孝 1997 金子書房 ISBN: 9784760822829 \1,995)

2009/08/18(火)
〜相手の身になり,足しになり,自分を打ち出す〜

 まえがきには「学級担任や教科担任の役に立つカウンセリングを提唱したい」(p.i)とある。といってもいわゆる狭義の「カウンセリング」だけにとどまるのではなく,それも含めた幅広い提言がなされている本である。そういう意味で本書は,非常にいい本だった(以前読んだ同じ筆者の『授業に生かすカウンセリング』はほとんど印象に残らなかったのだが)。

 では筆者のいう「学級担任や教科担任の役に立つカウンセリング」とは何か。あとがきで筆者は,次のように述べている。

日常の教育指導にカウンセリングを生かしている教師とは,(1)相手の身になる(2)相手のたしになることをする(3)必要なら自分を打ち出す勇気がある,というこの三拍子の揃っている教師のことである(p.232)

 いわゆるカウンセリング・マインドという言葉で想起されるのは,(1)の「相手の身になる」という受容・共感的な態度であろう。しかしそのような考えを筆者は否定する。筆者の考えるカウンセリング・マインドとは,「カウンセリングの哲学にかなった態度・人柄」(p.9)のことのようであり(といっても明確にそう述べているわけではない),「カウンセリング理論がちがえばカウンセリング・マインドの中身は人さまざま」(p.12)だからである。カウンセリング・マインド=受容・共感という考え方はあくまでも,ロジャーズの来談者中心療法のマインドである(筆者の言葉ではそれは「人を斬るのでなく,人の気持ちをともに味わってあげろ!」(p.13)ということである)。

 そして「折衷派」を標榜する筆者は,上記引用のように,教師が「出る」ことも重視している(指示したり主張したり)。おそらくその部分を指しているのであろうと思うのだが,ロジャーズ的な考えを「母性原理」と呼び,そのような非審判的・許容的な接し方だけでなく,「父性原理」的な接し方を重視しているのである。そして,「一人の人間が母性原理と父性原理の二つを上手に使いこなすとき,これが心の教育者である」(p.54)とか,「一人の教師が生徒指導的(父性原理)に生徒にアプローチすることもあれば,教育相談的(母性原理)に生徒に対応したほうがよいこともある」(p.59)と述べている。そこで教師が学習すべきスキルとして,「.ウンセリングのスキル(生徒・父母を理解し援助するスキル),▲蝓璽澄璽轡奪廚離好ル(グループをまとめ・動かし,一人ひとりを育てる,という三大任務を果たすためのスキル),パブリックスピーチのスキル(人前で自分を表現し自分を伝えるコミュニケーションのスキル),ぅ螢機璽舛離好ル(資料を収集して状況を判断するスキル)である」と4つをあげている。

 私なりに解釈するなら,上にブロック引用した(1)の「相手の身になる」のに必要なのが.ウンセリングのスキル(=母性原理),(2)の「相手のたしになる」ことの一部として重要なのが▲蝓璽澄璽轡奪廚離好ル(父性原理),(3)の「自分を打ち出す」ことの一部がスピーチのスキルという感じだろうか。完全に対応しているわけではないが(たとえば(2)「相手の足しになる」ためには,たとえば「教える」「考えさせる」などの技術も入ってくるだろうが,それはここには含まれていない)。そして,残ったぁ淵螢機璽舛離好ル)は,交流分析でいうなら「アダルト」の部分であり,我田引水的にいうならば,批判的思考のスキルといえるのではないかと思う(,砲皚△砲皚にも批判的思考は関係しているだろうが)。

 なお私なりに補足をするなら,,如屮ウンセリング」のスキルといっているが,これは狭義の(おそらくロジャーズ的な)カウンセリングであり,本書全体で述べている「カウンセリング」は,上記(1)〜(3)や 銑い魎泙瓩拭いなり広い意味のカウンセリングを指しているのではないかと思う(というのは,本書のすべての章タイトルに「カウンセリング」という語は含まれているし,筆者自身,そういったものすべてを含んだような「カウンセリング心理学」を標榜しているので)。

 ということで本書は,きわめて幅広い角度から,学校に生かせるカウンセリングについて考えることのできる良書であった。

免許更新講習(必修)

2009/08/18(火)

 先週末,教員免許更新講習の講師を勤めてきた。昨年は選択講習だったので比較的気楽に,自由にできたのだが,今年は必修講習だったので,扱うべき内容は決まっているし,時間は3時間(テストを含む)しかないし,3時間の講習を2日間で4回やらないといけないし,受講生は多いし(全部で220人強),大変だった。前日はいつもの半分ぐらいしか眠れない始末。

 しかも,先週末に骨子を作って,妻に説明してみたら,強烈なダメ出しをくらってしまったので,先週末にあわてて内容を組み立てなおした。

 で結局は,ふだん,一般教養の大講義でやっているような考えさせて教える授業の形にした。要するに,最初にテーマを提示し,それと関連するような資料を提示して少人数で考えさせ,全体で発表してもらった上で,私が講義をするというスタイルである。今回はトータル3時間で2テーマを扱わなければいけなかったのだが,私の講義時間はそれぞれ30分として,それ以外はその準備的な位置づけとした。

 受講生には,「もし時間的・空間的余裕があったら,余白にこの講義への意見を書いて」とお願いしたところ,何人かの人が書いてくれた。たとえば以下のようなものである。

 受講生の反応は上記のような感想を見て思ったのは,「考えさせて教える」講義の威力は予想以上にすごい,というものである。中でも,短い時間でもいいから話し合う時間を導入することの意味は大きいと感じた(話し合う適切な題材が用意されていれば)。

 なお,こういう講義をやろうと考えたときに,講義前はいろいろと難点がありそうな気がした。しかし実際にやりながらいろいろとアイディアを思いついたことがあるので,メモ代わりに記しておこう。

 とりあえずはこんなところか。大学の授業以外の場で今回のような経験を何回か積めば,講義スタイルとしてもう少し洗練されてくるように思った。そういう意味では今回は非常にいい経験だった。


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