道田泰司 2001.09 批判的思考−よりよい思考を求めて− 森敏昭(編) おもしろ思考のラボラトリー−認知心理学を語る3− 北大路書房, Pp.99-120.

批判的思考

−よりよい思考を求めて−

 批判的思考(critical thinking)という概念があります。批判的思考は,アメリカでは教育界を中心に五十年以上前から言及されてきましたが,日本でもここ数年,よく聞かれるようになりました。また近年,学校教育で「自ら学び,自ら考え,主体的に判断する力」や「課題に対して幅広い視野から柔軟かつ総合的な判断を下す力」の必要性がいわれていますが,批判的思考とは,いわばこれらの思考力をより具体的に示したものです。つまり,これからの教育を考えるうえで必要な思考力なのです。しかし現在,批判的思考という言葉が,何をさしているのか曖昧なまま使われていたり,人によってさしている内容に多少幅があるように思えます。そこで本章では,批判的思考とは何なのか,認知心理学のなかでどういう位置づけにあるのか,そしてどのような研究がなされているのかなどを通して,批判的思考について語ってみたいと思います。そしてできれば,批判的思考を考えることのおもしろさについて,伝えることができるとよいのですが−−。

■1.批判的思考とは何か

 批判的思考とは何でしょうか。この問いに答えるのは,簡単なことではありません。研究者によって批判的思考の定義がさまざまだからです。ですからここでは,少しずつ話を進めていくことにしましょう。研究者たちの定義は,表面的に言葉として現れる部分に違いはあっても,それらの底には共通する何かがあるように思われます。そこでまず,批判的思考のニュアンスを感じとってもらうために,何人かの研究者の定義をあげてみましょう。

 もっとほかにもたくさんありますが,これぐらいにしておきましょう。いかがでしょうか。定義はさまざまですが,誤解を恐れずに大きくまとめてしまえば,批判的思考とは「よい思考」(あるいはよりよい思考)といってよいと思います。ものごとを無批判的に鵜呑みにしたり,飛躍した論理に基づいて結論を出すような思考とは反対の思考です。また,さきほどの定義のなかには現れていませんが,多くの研究者は批判的思考に,態度と能力の少なくとも2成分があると考えているようです。そのほかにも,批判的思考が基本的には合理的な思考であること,そこには論理だけではなく,創造的で柔軟な思考も必要であること,これらの思考を支えるものとして,知識が一定の役割を果たしていることなども何人かの研究者が指摘しています。

 なお,よい思考だなんて,ひと言で大雑把にまとめすぎだと思われるかもしれません。しかし私は,このようにとらえることは重要なことだと思っています。世の中にはよい思考がさまざまな形態で存在していますが,ふだんそれらの関係について意識されることはあまりありません。それを「批判的思考」という旗印の下で一つにくくるということは,領域横断的によい思考を考えることになり,大きな意味があると思います。この点については,最後にまたふれます。

■2.批判的思考と認知心理学の関係

 もう少し詳しい話にいく前に,批判的思考が認知心理学のなかでどのような位置を占めるのかを論じておきましょう。批判的思考は,認知心理学の一領域ではありません。たとえば,たんに思考のバイアスや問題解決を研究しても,それは認知(思考)心理学の研究であって,批判的思考の研究とはいえません。批判的思考は,認知心理学の一つの研究領域というよりも,むしろ,さきほどのHalpernの定義にあるようなとらえ方をしたほうがよさそうです。つまり批判的思考は,認知心理学研究の成果を,技能あるいはリソースとして「利用」する立場にあるのです。

 利用するという意味では,批判的思考は認知心理学のほとんどすべてをカバーしています。批判的に思考するということは,自分で問いをたて,その答えを探究するという,一種の「問題解決過程」です。批判的思考はとくに,「意思決定」をする場面や,自分の考えを「表現」するような場面で重要になってきます。批判的に思考するということは,「帰納的推論」や「演繹的推論」を駆使して合理的に考えることです。批判的思考をするうえでは,私たちが陥りやすい思考のバイアスを知っておくことが重要になります。批判的思考には,柔軟に考えるという「創造的思考」も必要ですし,自分の思考過程をモニタリングするという「メタ認知」の要素も入ってきます。おわかりのように,本書に出てくるほとんどすべての認知技能を上手に利用することがすなわち,批判的に思考することになるのです。もちろん本シリーズのほかの巻に出てくるような,記憶や文章理解などについて知り,人間の誤りやすさを知ることも,批判的思考の助けになります。

 批判的思考と認知心理学の関係については,次のように考えてみるとわかりやすいかもしれません。中島(1995)によると,思考の理論には,規範理論,記述理論,処方理論の三種類があるといいます。規範理論とは,思考の規範原理に関する理論,すなわち,人はどのように考えるべきかという理論です。論理学はこの立場にたつものです。記述理論は,人間の特性を記述することによって明らかにするもので,認知心理学や思考心理学がこの立場にたっています。この場合,人の思考様式を単純に記述する研究もありますが,思考の規範原理と,記述理論によって明らかになった人の思考の現状のズレ(バイアス)に焦点をあてる研究もあります。

 そして,このようなズレを是正するために,どのように対処すべきかを考えるのが処方理論です。批判的思考研究のおもな目的はここにあるといえるでしょう。すなわち,どうしたら思考の落とし穴を避け,よりよい思考ができるようになるか,その処方箋を考えることです。もっとも,直接の処方がなくても,規範となる思考原則や人間の現状(記述理論)を知るだけでも,ある程度の思考の改善(=よい思考)に寄与します。ですから,既存の規範理論や記述理論を私たちの日常と関連させながらわかりやすく解説することも,批判的思考研究・教育の守備範囲になります。道田・宮元(1999)は,この方向性をめざしたものです。

■3.ふたたび,批判的思考とは何か

 このような批判的思考と認知心理学の関係も念頭に置き,また,これまでの批判的思考研究でいわれていることをもとに,私なりに批判的思考を次のように定義してみました。「批判的な態度(懐疑)によって解発(リリース)され,創造的思考や領域固有の知識によってサポートされる論理的・合理的な思考」(道田, 1999)。つまり,批判的思考をスタートさせモニターするものとしての「態度」,中核に位置するものとしての論理的・合理的思考,そして,それらをサポートする知識や技能からなる複合体であると考えるわけです。ただ,この表現は長くて複雑なので,授業などのときには簡単に,「見かけに惑わされず,多面的にとらえて,本質を見抜くこと」と表現しています。これは三宮(1999)を参考に作ったもので,順に,さきの定義でいう批判的態度,創造的思考,合理的思考に対応しています。これを図式化したのが図5−1です。なお図中右上の「認識の枠組みとしての対話主義・可謬主義」は,批判的思考態度を背後から支えるものとして非常に重要だと私は考えているのですが,ここでは十分にふれるスペースがありませんので,道田(2000)をご参照ください。

図5−1 批判的思考とは何か

 日本語の「批判」という言葉が,他人を非難したり難くせをつけるようなネガティブなニュアンスがあるとして,「批判的思考」ではなく「クリティカル」という語をもっぱら使う人もいます(私も最初はそうでした)。どちらを使うかは,まあ,好みの問題だと思ってよいでしょう。ただ,英語のcriticalにも,中立的な意味での「批判,批評」だけでなく,ネガティブな「酷評,難くせ」という意味もあります。日本語の批判にも,両方のニュアンスがあります。また私は,批判的思考がたんに,じっくり考えるという省察的な意味だけではなく,「批判」という語そのものが重要だと思うので,もっぱら批判的思考という語を用いています。それは,見かけに惑わされないという懐疑的(批判的)な態度が批判的思考のなかで最も重要な位置を占めると思うからです。

 それだけではありません。修辞学者の香西は,「意見を述べることは,反論すること」といっています(香西, 1995)。つまり,すでにある意見に対して異論(異見)があるからこそ意見が生まれるのです。それと同じように,何かをじっくり考えるということは,そこには,表には現れていなくても,反論や批判があるといえます。思考の対象となっている「何か」に対する反論もありますが,それだけではありません。じっくり考えを深めるということは,いま現在の自分の考え自体をそこで終わらせるのではなく,批判という形でさらに深めているのだということができます。つまり,批判的思考において,「批判」は重要なポイントになっているのです。

 批判という側面に焦点をあてて,批判的思考を別の角度から見るなら,批判的思考とは「批判と改善の往復運動」ということもできます。つまり,ある対象なり自分の考えなりを批判や評価の網にかけ,別の見方がないか,筋道が適当かどうかなどのようにさらにじっくり考える。そうして,妥当と思われる答えが得られるまで,新たな考えをさらに深めるという形で思考を改善して「よりよい思考」を達成する。批判的思考はたいてい,このようなプロセスをたどります。

 そして,この観点からするなら,いま,時代は批判的思考社会へと向かっているように感じられます。しばらく前から,経済構造改革や教育改革をはじめとして,いろいろな改革があちこちで行われ(ようとし)ています。それらに共通するキーワードは規制緩和や競争であり,自己責任,自己開示,自己点検です。つまり,規制や認可によってではなく自己責任によって自らのあり方を決め,情報を開示してだれからの批判(評価)も受けられるようにし,その評価や自己点検の結果をもとに改善を重ねることによって,競争のなかでよりよいものが生き残るという発想です。大学でもそうです。ちょっと前までは考えられなかった「学生による授業評価アンケート」や「大学自身による自己点検・評価報告書」が,あたりまえのように行われるようになりました。これらが,たんなる評価のための評価に終わるのではなく,改善に結びつくのであれば,そこで行われているのは批判的思考のプロセスといえますし,そのなかで大学のあり様は大きく変化するはずです。

 以上まとめると,批判的思考とは,ひと言でいうと「よい思考」,三言でいうと「見かけに惑わされず,多面的にとらえて,本質を見抜く」思考,そしてそのポイントは「批判」となります。

■4.批判的思考と心理学の関係

 次は批判的思考と心理学との関係です。簡単にいうと心理学は,内容と方法という二つの形で批判的思考のためのリソースになっています。「内容」に関しては,基本的にはさきほどの認知心理学と同じです。多くの心理学研究では,人の行動を理解することをめざしています。したがって,心理学研究の成果を知ることは,人間のことを理解することにつながり,それがひいては,自分をうまくコントロールし,他人とうまくやっていくためのヒントを得ることにつながります。

 批判的思考のリソースになる「方法」とは,実験法や調査法に代表される心理学の研究法です。心理学だけに限った話ではないのですが,研究とは一般に,かたよりなくデータを集め,対立仮説と比較しながら,整合的に結論を導き出すという合理的な思考の過程です。ですから多くの学問分野における研究活動は,仮説を批判的に検討する批判的思考になっています。とくに心理学は,人間行動やそれと関連した私たちの日常の出来事がおもな研究対象になっていますから,その方法論は,私たちが日常的に批判的思考を行ううえでも応用しやすいものです。

 また,これらと少し毛色の違った心理学的な知識として臨床心理学があります。臨床心理学は,人間を主観的に理解するための記述理論として役に立ちますし,また,心理療法は「自分のものの見方や考え方の特性に気づき,それを修正する」という,いわば処方理論の形で批判的思考のリソースになります。このような思考や信念の修正を行う心理療法としては,認知療法や論理情動療法が有名ですが,論理情動療法家のエリス(Ellis, A.)によると,それ以外の心理療法も,基本的には「不合理な信念の修正」を行なっていると考えることができるようです。不合理な信念を修正するということは,自分や他人について,思い込みに惑わされず,別の面からとらえて本質を見抜くことといえます。つまり心理療法自体も,ある意味で批判的思考となっているのです。

 このように,心理学を知ることは,いろいろな形で批判的思考のためのリソースになります。しかし,ただ心理学を学べば,それだけで批判的に思考できるようになるわけではないのです。これについても,最後のほうでまたふれます。

■5.批判的思考の研究

 では批判的思考は,どのように研究されるのでしょうか。批判的思考は少なくとも1930年代から,アメリカを中心に言及されており,たくさんの研究があります。それらのごく一部をここでは,さきほどの規範理論,記述理論,処方理論という枠組みを利用して,規範研究,記述研究,処方研究の三つに分けて簡単に紹介しましょう。

 批判的思考の規範研究は,よい思考や望ましい思考とはどのようなものなのかについての理論的な研究です。具体的には,批判的思考の定義や概念,批判的思考の種類,批判的思考のなかには何が含まれるのか,批判的思考における態度や知識の役割などの問題があります。そのほかに,批判的思考に類似した概念である非形式的論理,省察的思考,省察的判断などと批判的思考との関係について論じられたりしています。

 規範研究の一例として,Paul(1995)の,弱い意味での批判的思考と強い意味での批判的思考の区別を取り上げましょう。弱い意味での批判的思考とは,自己中心的な思考で,自分の信念を正当化するために批判的思考が使われます。他人の考えの欠点は探し出して論駁しますが,自分自身の偏見やバイアス,思い違いは理由をつけて守るのです。それに対して強い意味での批判的思考とは,公正な思考で,自分の思考の枠組みこそが疑われます。このような思考は,弁証法的あるいは対話的な思考をすることによって行うことができます。もちろんこちらの方が本当の意味での批判的思考です。このことからわかることは,批判的思考とは,非常に強力な,そして同時に非常に危険な武器であるということです。振り回す(理屈をつけて批判する)のは簡単でも,適切に使うのはそう簡単ではありません。この点を自覚することは,批判的思考を教育したり実践したりするうえで重要でしょう。

 次に,記述研究はちょっとあと回しにして,処方研究です。これには,批判的思考の教育はどのようにされるべきかについての理論的な研究もありますし,授業のなかで批判的思考を身につけさせる工夫などを紹介した実践報告もあります。たとえばKing(1995)は,学生に質問のモデルを教え,それを授業や個人学習でどのように適用するかを教えることによって批判的思考が促進されるという報告をしています。また,批判的思考の本ではないのですが,スタンバーグ(2000)では,著名な心理学の教科書を書いているアメリカの心理学者たちが大学で心理学入門を教える目標として批判的思考の育成をあげており,心理学の授業のなかで批判的思考を育成するための工夫を紹介しています。

 最後に記述研究です。これは,人々が批判的思考をどのように行っている/いないかについての実態を実証的に調べる研究です。といっても,批判的思考のなかに含まれる個々の認知技能を取り出して調べるのでは,たんなる認知心理学研究になってしまいますので,批判的思考の記述研究はもう少し別の形をとります。いちばん多いのはおそらく,一般的な批判的思考テストを使った研究でしょう。代表的なテストは,ワトソン−グレーザー批判的思考テストや,コーネル批判的思考テストという集団で行える質問紙です。これらを使って,たとえば授業前後の変化であるとか,大学四年間の変化,専攻や性,大学の種類,勉強量などの変数とテスト得点の関係などが調べられています。

 たとえばPascarella(1989)は,大学に入学することが批判的思考力に影響を与えているかどうかを検討するために,高校生で大学に入学したものとしなかったものについて,ワトソン−グレーザー批判的思考テストを使って一年間の縦断研究を行いました。その結果,大学に行かなかった学生に比べて,大学に一年間通った学生は,五つの下位テストのうちの二つで,17%向上していました。このことから,たんなる成熟などではなく,大学に入学して一年通うという経験によって,批判的思考力の向上がもたらされていることが示されました。最近では,このような大学生の批判的思考力を明らかにする研究はより大きな規模になり(数千人のデータが用いられることもある),さまざまな変数との関係が明らかにされています。それらの研究によると,大学生は在学中にある程度批判的思考力が向上するけれども,どうやら大学教育そのものの影響は思ったほど大きくはなく,友人関係など,大学でのさまざまな体験が全体として影響しているようです。

■6.大学生における批判的思考態度と能力

 このようなテストを使った研究では,テストで測定可能な批判的思考能力に関しては,一度に多量のデータが得られ,さまざまな変数との関係を知ることができ,また,同じテストを使った研究間で結果の比較ができるという利点があります。しかしこれらの研究では,そのような能力がふだんからどれほど利用可能な状態にあるのか,つまり批判的に思考しようとする構えである,批判的思考態度についてはまったくわかりません。というのは,これらのテストは,問題に対して批判しましょうという要請が最初からなされているからです。しかし,日常に出会う問題のなかでいちばんむずかしいのは,「問題の存在を認識する」ことです。批判的思考でいうならば,自分がもっている批判的思考能力を解発すべく批判的な態度をもってものごとを眺め,必要なものをその批判の網にかけるという構えをもつことです。そして,そのような態度があるかどうかは,このようなテストを用いるかぎりは,けっしてわからないのです。

 そこで私は,大学1年生と4年生を対象として次のような実験を行ってみました(道田,2001)。まず,論理的に問題のある文章を3つ用意しました。文章は,一般的に市販されている本や雑誌から抜粋したものです。「この文章に対して,あなたが思ったこと,感じたことなどを自由に書いてください」とだけ教示して文章を読んでもらい,自由記述をしてもらいました。学生が日常的に,批判的な構えをもって情報に接しているかどうかを知ることが目的です。もちろんここで求められているのは,あくまでも自由な感想や意見で,必ずしも批判しなければならないわけではありません。しかし,文章に論理的な問題があるのであれば,結論に対する好みや信念とは別個に,その問題点を指摘するのは大学生であれば当然のことではないだろうかと考えました。

 自由記述だけでは,学生が批判しなかったときに,それが批判的思考態度と能力のどちらが足りないせいかがわかりません。要するに,できるのにしようとしていないのか,もともとできないのか,ということです。それで,自由記述が終わったあとに,「これらの文章は論理的に正しいとはいえない」というヒントを出して,どこがどのように問題だと思うかを回答してもらいました。このヒントに対して,一定水準以上の批判的思考ができれば,その人はその文章題材に対して批判的思考を行う能力があるといえそうです。

 実験の結果,ヒントに対して一定水準以上の批判的な意見が出されたものは三分の一強でした。そして,そのなかで批判的思考が要求されていない場面でも批判的思考態度を発揮していたものは約23%でした。これは,批判的思考能力があると思われる回答のなかだけでのパーセンテージです。一貫した学年差はありませんでした。つまり,このような課題に関しては,大学生の批判的思考能力はあまり高いとはいえないし,批判できるような力があったとしても,それが自由記述の段階で「態度」として表れるものはけっして多くはないという結果でした。

  また,文系の学生と理系の学生の結果を比較してみました。というのは,今回用いた「論理的に正しいとはいえない文章」とは,因果関係に関する主張がある文章であり,これを「実験」という観点で見ると明らかに不十分な実験になるからです。ということは,実験や科学的推論に慣れているはずの理系学生(とくに4年生)のほうが,文系学生よりも問題点を指摘しやすいのではないかと実験前は考えていました。しかし,文系学生と理系学生の成績に差はなく,どちらも低い値しか示しませんでした。出てきた回答をいろいろと検討してみると,被験者たちは,論理以外の観点,おそらく結論に対する自分の好みや信念などに基づいて文章を読み,その結論を受け入れたり拒否したりしているようでした。認知心理学でいう信念バイアスが生じたということでしょう。

■7.批判的思考力の育成

 この実験から,少なくとも今回の課題の範囲に関しては,大学生が批判的な思考態度をもって情報に接したり,自分の信念とは独立に論理的思考を行うのがあまり得意ではないことがわかりました。それにしても,ふだんから実験や科学的推論に慣れ親しんでいるはずの理系学生の成績があまり高くないという結果は,予想外でした。実験終了後に話を聞いていると,理系の四年生の多くは卒業研究を行っている最中でしたが,私が聞くかぎりそれらの多くは,きちんとした条件統制のなされた,立派な自然科学的研究のようでした。とするとどうやら,科学の研究法を学ぶことがそのまま,良質な思考のためのトレーニングにはならないのかもしれません。

 そういえば,プロの研究者でも不合理な推論を行うことがあることが,『人間の測りまちがい』(グールド, 1998)という本にでてきます。たとえばロンドン大学教授にシリル・バートという心理学者がいたのですが,彼は深い学識を持ち,微妙で複雑な推論を駆使し,巧みに鋭くすばらしい洞察力で結論を下すことができる合理的思考の持ち主だったそうです。ところがその彼も,知能について論じるときには,知能が生得的であるというア・プリオリな信念を守るべく,少ないデータをもとに,論理的に欠陥がある論法を用い,一貫性がなく自己矛盾に陥っていたようです(弱い意味での批判的思考ですね)。このような例はほかにもたくさんあるのですが,この本では,いかに科学に先入観や偏見が作用し,しかもそのことを科学者が意識しないことが多いかを知ることができます。

 この話や,私の実験の被験者からわかることは,ある領域で合理的思考ができたとしても,他の領域でもできるとは限らないということです。おそらく合理的思考や批判的思考は,領域に限定されやすいのでしょう。逆にいうならば,多くの人は,領域を限定すれば批判的思考ができるのではないでしょうか。そうであれば,批判的思考力を育成するということは,ゼロから何かを築いていくことではなさそうです。また,ある領域で批判的に思考できるからといって,それで十分ともいえなさそうです。批判的思考力を育成するためには,すでに何らかの領域に関して持ちあわせている批判的思考力を,いかにして他の領域にまで般化させていくかを考える必要がありそうです。

 そこで,批判的思考の対象となりそうな領域を複数考えてみましょう。まずはさきほど「批判的思考と心理学の関係」のところでふれた,「科学的推論」や「臨床心理学的な人間理解」をあげましょう。それから,「日常生活のなかで行われる,推理・判断・診断など」もあげられるでしょう(図5−2)。実際には,批判的思考が行われるべき対象はもっとたくさんあるのでしょうが,ここではこの3つで考えてみましょう。これらには,図のように,重なりとズレがあります。「科学的推論」と「日常の推理・判断・診断など」は,同じような論理的思考が要求されますが,前者の方が,厳密な方法論を用いてより決定的な結論を出すことが可能です。またこれら2者では,論理的説得性の高い「正解」がありえるのに対して,ある人のことをどう見るかという「臨床心理学的な人間理解」には,唯一の正解というものは想定できない,という違いがあります。

図5−2 複数領域における批判的思考

 このようなズレの部分(図中の円が重なっていないところ)にあるのは,その領域固有の考え方や手続きです。つまりここにその領域の特徴が現れますし,また,手続きなどいちばん目につきやすい部分になります。ですから,ここはふだんからよく意識されています。というより,ある領域を通して思考を学ぶということは,基本的にはこの部分の知識や技能を身につけることでしょう。それに対して,図の中央にある共通部分(χ)は,いちばん底にある原理的な部分ですから,表からは見えにくいし,あまり意識もされることはありません。何よりも,直接ここの部分を学ぶことは,一般的にはあまりないでしょう。

 そうであれば,ある領域で適切な思考ができるようになっても,その思考力が他の領域にまで単純に般化しないでしょう。たとえば,厳密な科学的推論を学んだ人が,それを日常の判断にもそのまま持ち込んでしまうと,「統制された実験をしないかぎり何もいえない」となってしまうのではないでしょうか。しかし日常の出来事に対して,いちいち実験をするなんてことは普通しませんし,できない場合が多いでしょう。同じように,心理学を学ぶことが批判的思考のリソースになるといっても,心理学的知識をそのまま日常に持ち込むことがよい思考につながるとは必ずしもいえなさそうです。

 そこで大事になってくるのが中央にあるχです。さまざまにあるよい思考が共通に持っている部分,いわば「批判的思考の核」です。これによって,それぞれの思考がうまく関連づけられれば,ある領域におけるよい思考が他の領域でも応用しやすくなるのではないでしょうか。ではその核とは何か。現時点では私はやはり「見かけに惑わされず,多面的にとらえて,本質を見抜く」ことではないかと考えています。つまり,私たちは見かけに惑わされやすい,あるいは,全てのものは誤りうるという認識(可謬主義)をもつこと。そして,より妥当な解に到達するため,一つの見方だけではなく,常に別の見方がないかどうか,多面的に探索すること。そしてそこから,合理的に,あるいは自分たちが納得がいくように,本質を探ることです。ただ,本当にこれ(だけ)でいいのかどうかは自信がありませんが。

■8.批判的思考を考えることの面白さ

 私の経験では,このような核を意識することで,考えることや学ぶことが「むずかしいこと」「面倒くさいこと」というよりも,「面白いこと」になるような気がします。それは,いろいろな意味で見通しがよくなるからです。一つには,その領域で固有に使われている発想や手続きの意味が見えてきます。たとえば科学における実験であれば,なぜ仮説をたて,条件を統制し,対照群を設けるのか。もちろんこれにはちゃんとした意味があるのですが,意味や論理まで考えなくても,所定の手続きに従って実験を行うことは可能です。しかしその意味を意識的に考えながら使うことができれば,それはより確かなものになるはずです。

 また,批判的思考を意識することで,さまざまな領域に共通して存在する,よい/悪い思考を横断的・統一的に考えることができます。そうすれば,得意な領域で行っているよい思考を,あまり得意でない領域やよく知らない領域に応用することができるはずです。さらに,このように領域横断的にχ(図5−2)を考えることは,χ自身をより深く見通し,磨きをかけることにもつながると思います。

 このようなことを行うために、最近私がやっていることがあります。それは、「よりよい思考」について考えながら本を読むことです。それも、私の興味の範囲内ではありますが、幅広い分野の本を読むようにしています。前節で述べたように、よい思考のありかたは、分野によって違います。幅広い分野の本を読むことによって、その違いを楽しむことができます。それと同時に、その違いを超えて存在する核について考えています。さらには、その本の中で述べられていることが、他の分野の論理に照らし合わせると、疑問に思えることもあります。そのようなときには、それはなぜなのかについて、しばし吟味してみます。このような作業を通して、よりよい思考とは何かについて考えるのです。

 またそれだけではなく、読んで思ったことは、読書記録として文章化しています。書くためには、読んだ内容を自分なりに反芻しながら味わいなおし、流れを再構築してみたりポイントを考えたりする必要があります。著者の考えをまねしてみたり、自分なりの例を考えてみたり、反論してみたりすることもあります。このように、書くために読んだことを改めて吟味するという作業は、大変楽しいことなのです。

 書いたものは、インターネット上で公開しています。インターネットですから、いろいろな人が読んでくれます。読んでくれた人からコメントをいただくこともあり、自分の考えを深めるのに役立ちます。ときには、著者本人からメールをいただくこともあります。もちろん直接のフィードバックがなくても、他人の目を意識することは、より注意深く読んだり書いたりすることにつながります。このような作業を通して、たんなる読書が、よりよい思考とは何かを考えるための、知的でスリリングな「おもしろい」作業になるのです。

■引用文献

■脚注

■執筆者プロフィール

  1. 出身地:熊本県
  2. 最終学歴:広島大学大学院教育学研究科実験心理学専攻博士課程前期修了
  3. 現職:琉球大学教育学部学校教育講座(学校心理学コース)助教授
  4. 専門:思考心理学,教育心理学
  5. 今の研究に携わるようになったきっかけ:直接間接にいろいろなことがきっかけになっている(のでここには書ききれない)
  6. 今いちばん注目しているコト:育児,Web日記,沖縄(50音順)