道田泰司 2003.03 大学生の思考は何によって影響を受けるか? 琉球大学教育学部紀要, 62, 147-153.

大学生の思考は何によって影響を受けるか?

道田泰司

What affects the thinkings of univertisity students?

Yasushi MICHITA

要 約

 本研究では,大学1年時に読んだ文章と同じ文章を大学4年生に読ませ,読み方や考え方の変化およびその変化の原因が何だと本人たちは考えているかについて,インタビューを通して知ることを目的とした。考え方の変化に影響した事柄に関しては,次のことが言えるようであった。(1)卒論の影響をあげる人は多かったが,どういう点で影響を受けるかは人によって異なっていた。ただ,教員の批判的な言動の影響は全体的に大きいようであった。(2)友人関係も比較的多く言及された。(3)それ以外に,挙げられたものは多岐に渡っていた。(4)挙げられたものは,友人関係などの「日常的」体験と,論理的・批判的要素を含んだ「学校的」体験があり,両者の影響が排他的である可能性を示唆する発言があった。(5)学生の思考は,批判的かどうかは別にして,変化しないということはなく,本人が重視する方向にそれぞれ変化しているようであった。

問 題

 批判的思考を育成することが大学教育の重要な目標の一つであることは,多くの研究者によって指摘されている(たとえばBailin, Case, Coombs, & Daniels, 1999b; Daly, 2001; McMillan, 1987; Perry, Huss, Mcauliff, & Galas, 1996; Rane-szostak & Robertson, 1996)。大学在学中の批判的思考の変化を実証的に検討した研究が,アメリカを中心として行われている。それによると,1年以上大学に在籍することによって学生の批判的思考は向上しているが,しかし大学4年生の批判的思考レベルはあまり高くないことが示されている(レビューとしてはMcMillan, 1987; 道田, 2000; Pascarella & Terenzini, 1991)。また,大学のレベル(種別)や授業時間数、授業科目や教授変数など,いくつかの変数が批判的思考の向上と関係しているが,その関係はあまり大きな関係ではなく,特に授業がもつインパクトは,教師の期待・予想よりもはるかに小さいことが示されている。わが国でも,道田(2001)は横断的研究により,大学1年生と4年生の論理的思考力を,論理的誤謬の検出という観点から検討している。その結果,大学1年生と4年生の論理的思考力には,明確で一貫した違いはないことを示している。この研究を追試した中田(2002)では,大学1年生が大学院生よりも低かったものの,それ以外の学年(2年生,3年生,4年生)との間には差が見られていない。

 では,大学生のものの考え方は4年間で変化しないのだろうか。筆者の大学教員経験から考えても,そういうことはないように思われる。大学卒業時点で少なからぬ学生が,大学でさまざまな体験をして多くの刺激を受け,さまざまなことを考えて成長したと述懐する。学生本人だけではなく,教員の側から見ても学生の成長や思考の深まりを感じることが少なくない。あるいはもっと具体的に,特定の授業や教員,卒論体験などを通して,思考が深まったことを学生が語ることもある。

 それでは大学生の思考は,4年間でどのように変化しているのであろうか。またその変化は,どのようなことから影響を受けているのだろうか。授業などの学業体験やそれ以外の体験は,その思考の変化にどの程度,どのように貢献しているのであろうか。

 これらのことを知るために本研究では,大学4年生を対象としてインタビューによる調査を行った。インタビューに際しては,ちょっとした道具立てを用意した。それは,当該学生が大学1年生のときに読んだ文章と,そのときにその学生が文章に対して書いたコメントである。文章は,雑誌や本から抜粋した300字前後の文章である。その文章と自分が書いたコメントを再び読ませ,3年前に比べて文章に対する読み方が変化しているかどうか,自分のコメントを見てどう思うかを質問した。またその変化は,何が原因で生じたと思うかも聞いた。したがって,本研究で対象とする思考は,主に日常的な文章題材を読む際に行われる思考に限定されることになる。しかし,文章を読むということは,日常生活の中でも,学校生活でも行われることであり,特に,(学問的なものではなく)日常的な文章を読むということは,学生の日常生活と学校生活の間に位置する事柄として,学校教育や批判的思考を考える上では重要な位置にあると考える。

 なお本報告では,そこで語られた思考が批判的思考かどうかは問わず,4年間で考え方が変化したと述べたものはすべて扱った。というのは,教員が望むような方向の変化だけを見るのではなく,あらゆる思考の変化を知ることが,学生の思考経験をとらえる上では重要と考えたからである。その思考は,学生が環境の中で適応し,好んで用いたり学んだりし,あるいは自分で必要と考えて追求したことの積み重ねによって形作られたものと考えられる。それがたとえ批判的思考的なものではなかったとしても,そのようなものの存在やありようを無視しては,学生自身に受け入れられる批判的思考教育(のみならず,あらゆる教育活動)は成り立たないと考えるからである。

 調査前,筆者は次のような予測を持っていた。(1)考えが変化している人と,それほど変化していない人がいる。(2)考えが変化した人は,影響を受けたものとして,大人数の講義形式の授業ではなく,卒論やゼミ,少人数の授業,実験の授業などをあげるのではないか。(1)は主に先行研究から,(2)は日ごろ学生を観察したり話をしたりして得た感触から導き出された予想である。ただし面接中は,この仮説にとらわれることなく,被面接者の語りを聞くよう心がけた。

方 法

被面接者

 R大学教育学部で心理学を学んでいる4年生のうち,1年時の調査に参加した7名。

 1年時の調査(未発表)とは,300字前後の文章5つを読ませ,思ったことや考えたことを書かせたものである。5つの題材の内容については,ここでは詳細は記さないが,以下では「お茶長寿」「神秘石」「ビタミン」「環境天才」「氣圧療法」と表記する。これらの文章のうち3つは,道田(2001)で用いたものと同じである。なお1年時の調査は,1998年12月に行っている。

調査時期

 2002年2月に行われた。卒業論文提出及び卒論発表会の終了後であり,後期期末試験もほぼすべてが終了していた。1年時の調査から,3年強の時間が経っていることになる。

手続き

 半構造化面接を行った。まず,研究の目的を簡単に説明した。それから,3年前に本人が読んだ文章と本人のコメントが書かれた紙を1文章ずつ提示し,「この文章と自分が書いたコメントを読んで,いま思うことを自由に話してください」と導入した。被面接者の語りに応じて,話題を掘り下げる質問を行った。

 5つの文章すべてに対するコメントが終わった後に,3年前と意見が変わったものを確認し,その内容を面接者が要約し,その要約の適否を被面接者に確認しながら記録した。

 続いて,そのように変化した原因が何だと思うかについてたずねた。他の被面接者が言及したことで,その被面接者が言及しないことがあった場合には,「他の人はこういうことも言っているが,このことの影響はあなたの場合はどうだったか」という問いかけで,影響の有無や程度を確認した。

 インタビューの内容は,許可を得て録音した。

結果と考察

 本研究のテーマは「大学4年間での思考の変化」である。変化を語るためには,本来は,変化前の状況についての考察が必要であるが,本稿では変化前の思考の内容については,まったく検討していない。それは,どういう思考からどういう思考に変化するのが望ましいとか望ましくないという観点を本稿では取らないためである。変化のみに着目し,その変化に影響を与えた要因として被験者が語ることを通して,学生たちの大学生活の中での思考のあり方を見ることを目的としている。したがって本稿では,変化前の状態や変化後の状態には気にすることなく,変化とその要因のみに着目して以下の分析ならびに考察を行うこととする。

思考の変化について

 全被調査者の変化の有無と変化の方向性を,表1に示した。変化の方向性は,文章に書かれている事を素直に受け取る方向での変化を「肯定的」,疑問を呈する方向の変化を「批判的」と記した。批判的といっても,論理的な問題点の指摘を含むいわゆる批判的思考という意味で用いているのではなく,単に何らかの疑問を呈しているということである。肯定的な変化は1件のみであるが,それは以下のように語られていた(発話中,「このとき」とは,1年時の調査を指す。「自分は」以降では,現在の考えが述べられている)

このときには,この文章を読んで,お茶を飲むと長生きするというのが,単純すぎるっていうことを書いてるんですけど,自分は,あー長生きするんだろうなと,逆に純粋に,あーって,そうかもしれないなーって,思います。

 さて,表を見ると,1題材のみ変化した者が2名,3題材で変化した者が2名,全題材で変化した者が3名であった。調査前,「考えが変化している人と,それほど変化していない人がいる」と予測していたが,これは当たっているともはずれているともいえる。変化の度合いがさまざまという意味であれば当たっているが,大きく変化する人と,ほとんど変化しない人の2極分化するという意味であれば当たっていない。また,肯定的な方向への変化というのは当初考えていなかった。いずれにしても詳細は,発話の中身を検討した上で考察すべきものと思われる。

table1

思考の変化に影響したものについて

 1年のときから考え方が変化したものに対して,何が影響したと思うかという質問に対する回答を検討した結果,いくつかのことが示唆された。

(1)卒論の影響をあげる人は多かった たとえば次のような発言があった(冒頭及び文中のカッコ書きは,面接者による問いかけ)。

(この4年間の変化は,何が影響を与えた?)おっきいのは卒論じゃないですかね,やっぱり。文章書くたんびに直されてれば。(厳しかった?)厳しかったというか,日本語が日本語になってないらしいです。
卒論は,プレゼンテーションをすることも,見ることも役に立った。先生の発言を聞いて,その視点を身につけた。卒論を書くときも,先生に何を言われるかを意識しながら書いた。(録音不備のため筆者による要約)
一番大きいのはやっぱり,卒論やってるから,いろいろな先生の指摘受けると,すぐに結論出さずに,という考え方が... 一番大きいのは卒論。卒論というか,結果から考察に行くときの考え方で,先生たちからのね,教育というか,M先生の影響もありますよ。

 そのほかにも,実験や統計的な視点を挙げる人もいた。このように,このように同じ卒論でも,どういう点で影響を受けるかは人によって異なるようである。ただ,教員から文章を修正される,発表にコメントされる,他人がコメントされるのを見る,など教員の批判的な言動の影響は,全体的に大きいようであった。

(2)友人関係も比較的多く言及された たとえば次のような発言が,数名から述べられた。

なんか人間関係について一番学んだかなーと思う。
同じ学年でも年が違うから,誰かさんを筆頭に。なんか,その人たちの影響もあるかな。考え方が深い。自分の視点と,自分,なんかそのまま受け止めてしまう派なんだけど,なんかZとか,Yもけっこう。あとXとか,Wとかは,やっぱ見方が,違う,広いなって感じ。(発話中のW〜Zは同級生の名前)
大学なって初めていっこ下の子と同学年で,同じ机を並べて勉強するとか。なんかいっこ上の人・・・てゆう,なんか,それもちょっと刺激になったかなと。

(3)挙げられたものは多岐に渡っていた その他にも,4年間の体験,大人と接する体験,一人暮らし,学術論文を読んだこと,ゼミでの発表,教育実習やアルバイト先での反省会,採用試験の勉強,授業での討論,インターネットによる情報収集,テレビなどで得た情報,などが挙げられていた。

 それらのいくつかについて,被調査者が語ったものをあげてみよう。たとえば,教育実習での反省会に関しては,次のように語られた。

教育実習とかもですかね。授業の後の反省というか研究授業みたいな,反省会みたいなもので,まあ,あれだけ違う意見を言われれば。

大人と接する体験とは,次のようなものである。

今まで自分あまり,先生とかと,なんだろ,ちゃんと接するということをしなかったんですね。大学になって初めて,ゼミ生っていうので,ちゃんと先生と師弟関係を結んで授業を受ける,って言うのが今までなくて,のほほんと暮らしてたんすけど,なんか大学入って,もういやでも大人の人たちと,またその人たちに合わすように努力しなきゃいけなくて,たぶんそれも変わった原因かな,と。

授業での討論は,次のように語られた。

(ほかに授業の影響は?)やっぱりディスカッションする授業,たとえばS先生のカウンセリング演習のやつは,実際に話して,こういうときはこんなに感じたよとか,ま,これと関係するかわからないけれども,なんていうのかな,ああこんなこと思ってたんだとか,こんな風にも話できるねっていう,体験というかな,そういうのはディスカッションの授業ではあった。

 以上,(1)から(3)を通して見ると,卒論,友人関係,その他の影響が語られていたが,これらは,友人関係など論理の重視されない「日常的」体験と,論理的・批判的要素を含んだ「学校的」体験に二分されるように思われる。

影響因間の関係

 このように影響因を,日常的体験と学校的体験に分けて考えたとき,この両者が排他的であるかのように語る語りが見られた。

(実験の知識は,このような文章を読む上で般化しない?)そうですねー,自分も今やってて思いましたね。なんかやっぱり別のものな感じがして,あっちはあっちで,こういうやり方がある,だけどなんかこっちには,そこまでは頭が回らないなーっていう,今聞いてたらそんな感じがしましたね。〔中略〕
(大学で受けた授業は,その中にはあまりない?)授業ですか? でも,あると思いますよ。あるんですけど,でもー何て言うんですかね,今たまたまここで出てきていないだけで。やっぱり大学の授業てのは限られた時間じゃないですか。で,限られた分野でしか習わなかったりするじゃないですか。教育だと特に,教育関係の,・・・というのが多いから,そうするとそうじゃない分野に広げようとしてもやっぱりちょっと難しいですよね。授業の内容っていうのがリンクする可能性がなんか低いので,たまたま出てきてないだけだとは思うんですけど。
(卒論の話は出てこなかったけど,卒論の研究をしたことは,他の視点からみることに役立ってはいないのか?)卒論。あー,なんか研究は研究であって,自分の私生活は私生活で。[中略]それってだって4年間のほんとに,ちょっとじゃないですか。だから,それよりも,うーん,(人間関係)とかのほうが大きいかなとは思います。なんか,長さとか。[中略]卒論は一応4年のうちの,うーん,3割ぐらいかな。

 このようにここでは,学校体験と日常体験が「別のもの」と語られ,卒論や授業が「限られた時間で限られた分野」「4年間のほんのちょっと」と語られている。逆に,文章を読む上での考え方の変化の理由として卒論を第一に挙げていたある学生は,同級生の影響は「ちょっとかな」と述べている。

 ただし,文章を読む上で日常的体験と学校的体験の影響が完全に排他的かどうかは不明である。ある学生は,「お茶長寿」の文章に関しては卒論の影響をあげていたが,それ以外の文章に関しては同級生の影響をあげていた。この学生は,卒論の影響を挙げてはいるものの,卒論についてそれほど多く,また第一に語っているわけではない。卒論は「別にそこまで苦労は」しなかった,と述べている。

 思考における学校体験と日常体験の影響が排他的ではないかという本研究の示唆に似たものは,質問紙調査を用いた先行研究に見ることができる。Terenzini, Springer, Pascarella, & Nora(1995)は,数学,自然科学,芸術・人文科学の登録時間数,週の学習時間,図書館経験,友人関係,課題外で読んだ本の数などの諸要因と批判的思考の関係を明らかにするために,210人の学生に対して1年間の縦断研究を行っている。友人関係に関しては,「競争的,関与しない,遠ざける」人間関係の学生の方が,「友好的,支えになる,所属の意識」の高い学生よりも,1年後の批判的思考得点が高いという結果が重回帰分析により得られている。Terenziniらはこの結果について,友好的で支持的な友人環境へ参加し所属の意識を持つことは,批判的思考の停止が必要とされるのではないか、と考察している。それに対して本研究は,批判的思考そのものを扱ったものではないが,この研究と照らし合わせて考えても,友人関係を重視する学生は,学校体験の中からよりももっぱら友人関係の中から学び,それに合った形で思考を変化させている,ということは大いにありうることであろう。

 さらにいうならば,文章を読む上で,あるいは大学生活を通して主に日常的体験から影響を受けるか,学校的体験から影響を受けるかという違いは,個人主義と集団主義という枠組みで理解することも可能かもしれない。集団主義者は,達成動機が社会志向的,個人主義者は,達成動機が個人志向的と言われている(トリアンディス, 2002, p.77)ことから考えると,この推測は悪くないもののように思われる。この点については,今後の検討が必要であろう。

影響因の選択

 今回は対象者の人数が少ないために,これが一般的な傾向かどうかは不明であるが,今回の対象者に関して言うと,どういう点を主な変化の原因として語るかは,その人の将来設計や重視するものによって違うように思われた。具体的には,大学院志望者は卒論体験を第一に語り,教員になることを非常に重視していた学生は,教育実習や試験勉強を挙げていた。また先の,学校体験と日常体験が排他的ではないかという示唆は,学校体験を重視する人は学校体験から学んでそれを第一に語り,友人関係などの日常体験を重視する人は日常体験から学んでそれを第一に語っているということだと考えることができよう。このように学生の思考は,それが批判的思考かどうかは別にして,変化しないということはなく,本人が重視する方向にそれぞれ変化しているようである。

 授業のインパクトに関しては,冒頭で述べたように先行研究によると,大学生の思考に対して授業のインパクトは弱いといわれている。しかし本研究の被験者の語りから見ると,授業のインパクトはどの学生にとっても弱いわけではなく,学生差がかなり大きいようである。次の学生は,ある講義主体の授業の影響を述べている。

先生の前の授業で批判・・・思考の技法で,文章は疑って読めみたいなメッセージを受け取って。で,今はけっこう普段からそういうのを,少し心がけてるんですね。

 この講義の講義者は筆者自身であるが,講義当時,この学生の印象はさほど強いものではなく,あえて言うならば「分かっているか分かっていないか分からない感じ」を受けていた。この講義は,この面接の約2年前に行われたものであるが,2年経った時点でも授業のインパクトが語られていることに,驚きを感じた。このことは,ひょっとしたら面接者が授業者である筆者自身であったということが関係しているかもしれない。しかし文章を疑って読むことを「今,気をつけた」ではなく「普段から心がけている」ということであり,また,今回の文章に対する意見も,適切なものであったことから考えると,普段から行っているということを,特に疑う必要はないように思われる。

 今回は7名の調査であったが,授業の影響をあげていたもの,卒論を主にあげたもの,友人関係その他の日常的体験をあげたものがいた。このように,学生は大学4年間で,授業だけではなく,さまざまな方面からさまざまな影響を受けている。したがって全体を平均としてみるならば,授業のインパクトは弱いように見えるのかもしれない。しかしそれは,学生が大学生活の中からあまり学んでいないということではないようである。

 このことは,アイデンティティ形成のプロセスの一環として考えることも可能かもしれない。青年期のアイデンティティは,人生の選択やイデオロギーの生成が中心となる。しかしその底にあるのは,「一方で自分の独自な視点に気づき,これを大切にしながら,他方で他者の視点を内在化するプロセス」(杉村, 1999)といえる。自他の視点への気づきと選択的内在化なのである。本研究で扱った,文章を読むという課題は,そのようにして形成され内在化された視点を通して行われることであろう。とするならば,文章をどう読むか,それが3年前とどう変化するか,それが何によって影響されているかは,その人のアイデンティティ形成と深く関わっている可能性は大いにある。本研究の被面接者によって,変化の影響因として語られた授業,卒論,友人は,どれも被面接者にとっての「他者」である。自分が影響を受け取り込む視点として選択されたものは,その被面接者にとっての重要な他者であり,その内在化は,アイデンティティ形成のプロセスの一部として行われていると理解することが可能なのではないかと思われる。

今後の課題

 本研究は,教育学部において心理学を主に学んだ7名の学生に対するインタビューが元となっている。今後は,幅広い専攻の学生を対象として研究を行う必要があるであろう。

 本研究では,学校的体験と日常体験の排他性という可能性が指摘された。今後は,この考察が適切であるかどうか,またそうであるとするならば両者の関係はどういう関係で,どちらが文章読解の枠組みとして用いられるかはどのように決まるのか,などの点を明確にするために,被調査者にとっての両者の位置づけや関係を,明示的に聞いていく必要があるであろう。

 また,思考の変化に影響を与えたものについては,面接者の聞き方のせいか,今回は「友人関係」などが一般的に語られることが多かった。場面や相手は特定されることもあるのだが,たとえばどういうときに,どういう相互作用がなされたのかについてまでは,突っ込んで聞いていない。今後は,具体的なエピソードを例としてあげてもらうことも必要であろう。それは,学生の体験をより具体的に理解するためであるし,また,学生にとってその体験がどう覚えられ,意味づけられたのかを知るためでもある。

 また,影響因の選択が将来設計や重視する方向性,重要な他者との関連でなされることが今回の面接では示唆されたが,この点についても,明確に聞いておくことが必要であろう。

引用文献