道田泰司 2006.09 学校文化の中での教師の適応 日本教育心理学会第48回総会論文集, 312.(岡山大学)

学校文化の中での教師の適応

道田泰司

 小中高校の教員は一般に,数年で勤務校を移動する。たいていは同一県の同一校種であり勤務環境は類似しているが,それでも学校の違い,すなわち学校文化の差は存在しており,教師は新しい環境にそれなりに適応する必要がある。

 本研究では,附属小学校を対象として教師が学校文化に適応していく様相を検討した。附属学校を対象としたのは,研究が組織的かつ精力的に行われているなど,他校との文化差が大きいと考えられるからである。

方 法

調査対象者 ある附属小学校から転出することになっている教員全員(7名)。年齢は30代〜40代,男性4名,女性3名,勤務年数は5〜8年であった。調査時期は転出する年度末の2月から転出後の4月であった。

手続き 調査は個別に,半構造化面接形式で2回行った。1回目は,附属小学校に来た年から年度ごとに,どのような経験をし,何を感じたり考えたりしたのかについて,自由に語ってもらい,対象者の語りに応じて,掘り下げる質問を行った。また,附属学校在職中に教員自身がどのように変化したのかも聞いた。

 2回目は,1回目の面接がほぼ全員終了した後に,1回目の内容を元にいくつかの点に焦点化する形で行った(ただし1名は時間の都合上,1回しか行えなかった)。2回とも,面接時間は50分〜2時間程度であった。インタビューの内容は許可を得て録音した。

結 果

 配属初年度,どの教員も驚きや違和感を表明していた。大きく分けると,一つは研究に関することであり,「何を言っているのか,何をしようとしているのかというのが見えなくて,見えるまでに1年ぐらいかかりました」「1年目は自己の改革というか,自分を見失いがちでしたね。かなりきつかったですね。やればやるほど認められない。」などと表現されていた。もう一つは,行事など全体の流れに関するもので,「1年目は,附属のリズムや,他の公立と違う行事とかね,行事の持ち方の比重のかけ具合が違うから,慣れるのが大変だったね」などと語られていた。それ以外には,児童や保護者の違いなどが語られていた。

 しかしたいていの場合,教員は1〜2年のうちに適応するようになる。その変化に関係しているものは,研究に関しては,研究の諸活動に能動的に参加し試行錯誤していくことであり,話ができる相手を見つけることであり,また,いろいろな場面で先輩教員からかけられる言葉や,先輩教員の行動を見ることであった。なお,先輩教員のどのような言葉を想起するかは,人によってかなり異なっていた。

 年次が上がると,適応するだけでなく,文化の継承も行われる。先輩教員の言動の継承を示す発言としてはたとえば,「身をもって,実践している姿で示す,ということをされている方がいらっしゃったので,そういうやり方をしている」「なんでこんなことするの?というものも4年目5年目になると楽しんでいる」というものがあった。

 しかし同じ継承するにしても,その人なりの改変が加えられているものの方が多いようであった。たとえば,厳しい意見を言う際に,ある教員は「相手を見て(選んで)言っているつもり」,別の教員は「私はそういうことは直接しない。しないで,質問をします。」と述べていた。

 それ以外には,今までにない新たな試みを行うケースや,それまでに行われてきたことを継承しないようにしているケースも見受けられた。

 附属在職中の教員自身の変化として語られたものにはさまざまなものがあったが,研究に参加してきたことに伴う変化が複数の教員から挙げられていた。それ以外には,児童の父兄,自分の家庭の変化,大学院など他の文化の影響などが挙げられていた。

考 察

 公立学校教員にとって附属学校は,異文化といってもおかしくない存在といえる。そこへの赴任を「実践コミュニティへの参加」という観点でみるならば,それは,固定された世界に入ることでも,過去の実践を単に継承することでもなく,参加者たちが相互に対立・交渉・協調などを行いながら,自分にとってよりよい位置取りを確保しようとする営み(田辺, 2003『生き方の人類学』講談社)といえそうである。それは,多様な考えや動機を持つ参加者が,文化に適応する過程において多様な解釈や振る舞いを行うことで,参加者の方がそれまでの実践を継承し適応するだけでなく,実践コミュニティ自体にも新たな変動をもたらすものになっている。また,参加者の変化に実践コミュニティの外(家庭や大学院など)からの影響があることも,実践コミュニティに変動をもたらす可能性が考えられる。