心理学研究を通して批判的思考を身につける

道田泰司　2000.11　心理学研究を通して批判的思考を身につける　後藤宗理・大野木裕明・中澤　潤（編）　心理学マニュアル　要因計画法　北大路書房, Pp.105-106.

■心理学研究を通して批判的思考を身につける

（道田泰司）

　アメリカの教育界で重要な教育目標と考えられているものの一つに「批判的思考」(critical thinking)がある。これは一言でいうと良質の思考，あるいは注意深い的確な思考のことである。批判的思考を「証拠を集め，代替案を慎重に評価して結論に達することにより，先入観を排除する，論理的で合理的な過程」(Smith, 1995)と定義する研究者もおり，科学的な研究のプロセスは，批判的思考によって結論を得るプロセスと言っても過言ではないくらい，批判的思考と科学的探究は親和性の高い概念である。

　では，実験法に代表される科学的研究法のトレーニングを受けると，日常的にも批判的に思考することができるようになるだろうか。筆者の接した学生などを見る限り，どうやらそうとも言えなさそうである。それは，実験法があまりにも強力な「自動的批判的思考装置」だからだと筆者は考えている。すなわち，実験法の手続きに従って要因を計画し，マニュアル通りに被験者を割り振って実験し，その結果を統計的に検定すれば，その意味は全くわからなくても，あるいは何も考えなくても，自動的に，注意深い的確な思考の「結果」を得ることができる。実験法の論理はこの手続きの中に埋め込まれてしまっていて，使う人は何も意識する必要はない。そのためにここで学んだことが，応用の利かない，研究専用の特殊な思考に成り下がってしまうのである。しかし実験を手続きとして行うだけでなく，その意味を考えることで，心理学研究を通して，汎用性のある，日常にも役に立つ批判的思考力を身につけることができると思われる。

　実験法が批判的思考になっている一番のポイントは，スミス(Smith, 1995)の定義で言うと「代替案を慎重に評価」している点である。単に研究仮説と対立仮説のことだけではない。実験法に必要とされる手続きはすべて，他の仮説を排除することが目的だといっても過言ではない。このような表現ではないにしても，心理学研究法の本にはたいてい，そのことが書かれている。しかしさまざまな概念や複雑な手続きに埋もれてしまって，ポイントがわかりづらくなっている。では，論理的思考という観点から実験法の手続きを考えてみよう。

　まずは，実験法も含んだ科学的研究法一般の話から。科学的研究でよく使われる仮説演繹法では，「①ＡならばＢ，②Ｂ，③ゆえにＡ」という論理が用いられている。ここで，Ａは「仮説Ｈが真である」，Ｂは「テスト命題Ｔが真である」であり，①を前提にして，②を実験や観察によって確かめることにより，③が導き出される。しかしこの推論形式は「後件肯定の誤謬」と言われるものであり，論理的には妥当ではない。なぜならば，テスト命題Ｔが真となるような仮説が他にも存在するかもしれないのに，その可能性は排除されていないからである。そのような代替仮説が存在する限り，単純にテスト命題Ｔが真であったとしても，そこから仮説命題Ｈが真であることを主張するのは「誤謬」になる（後件の肯定と批判的思考に関しては道田・宮元(1999)を参照）。

　そこで登場するのが，「独立変数の設定」や「剰余変数の統制」という実験法の道具立てである。本書第２章(p.21)に出てきた「薬を飲んだら病気が治った」という例でいうと，自然治癒や暗示の効果という仮説を排除するために，統制群や偽薬群が必要になる。個人差や偶然という仮説を排除するために，ランダム割り当てやマッチングによる，一定数以上の被験者が必要になる。他にも実験結果に影響を与えそうな要因があれば，それらはコントロールされる必要がある。そうすることによって，研究者が意図した推論以外の推論が成り立つ余地を一つずつシャットアウトする。それが実験法における要因統制の意味なのである。

　マニュアルに従ったり先行研究に準じれば，それなりの実験を計画することはできる。しかしその気になれば，心理学研究を通して思考力を養うこともできる。あることを考えるのに，代替案はないかをも考えながら総合的に判断する，批判的思考力である。そのためには，自分で実験を計画するときも，他人の論文を読むときも，「この独立変数を設定することで，どんな仮説が排除できるか」「何のためにこの剰余変数を統制しているのか」を考えることである。さらに，「この研究法で排除できていない仮説はないか」「この研究結果を，別の仮説で説明できないか」が考えられるようになると，実験法や批判的思考のセンスがいっそう磨かれるはずである。このような思考を常日頃から行うことで，研究上はもちろんのこと，日常生活の中で合理的にものごとを見たり考えたりすることができる，汎用性の高い批判的思考力を身につけることができるはずである。

■引用文献■

道田泰司・宮元博章　1999　クリティカル進化論－OL進化論で学ぶ思考の技法－　北大路書房
Smith, R. A. 1995 Challenging your preconceptions: Thinking critically about psychology. CA: Brooks/Cole.