道田泰司 2000.10 大学生における批判的思考態度測定の試み 琉球大学教育学部紀要, 57, 241-249.

大学生における批判的思考態度測定の試み

道田泰司*

An Attempt to Measure Critical Thinking Attitudes of College Students

Yasushi MICHITA

要 約

 本研究では、論理構造が等しい日常的な題材を複数用い、文章を読む際に、批判を要求しない場面を設定し、大学生がどの程度批判的態度を発揮して批判を生成するか、また、その批判にはどのような思考が含まれているのかについて検討することを目的とした。さらに、これらの結果を元に、日常的な批判的思考態度を捉えるための、よりよい方法について検討した。調査の結果、受容/不受容分布の題材間変動、および不受容内容の分析から、学生の態度や思考の内容が、与えられた題材に左右されることが明らかにされた。 また、本調査の反省をもとに、批判的思考態度を測定する際には、以下の点に留意すべきであることが考察された。(1) 文章題材に対する被調査者の基本的な態度がややもすると不明確になる点を明確にするために、個別面接や追加教示などの工夫が必要であること、(2)批判的思考態度と同時に批判的思考能力が測定される必要があること。このようにして、現実場面で一般化可能な形で学生の思考の特質を知ることによってはじめて、大学教育の中で、学生の特質に合わせて、適切に思考力の育成を図ることが可能になると結論づけられた。

問 題

 今日の大学教育では、「幅広い視野から柔軟かつ総合的な判断を下すことのできる力」や「様々な角度から物事を見ることができる能力や,自主的・総合的に考え,的確に判断する能力」の育成が必要となっている。では、大学生はどの程度考える力を持っているのであろうか。大学生に欠けているのはどのような能力であろうか。

 本研究では、批判的思考(critical thinking)という観点からこの問題について検討する。大学生の持つ一般的認知技能についての研究の中では、批判的思考という観点で研究されているものが多くあり、これまでの研究知見を利用しやすいと考えるからである。批判的思考の定義にはさまざまなものがあるが、ここでは、道田(1999)の定義「批判的な態度(懐疑)によって解発され、創造的思考や領域固有の知識によってサポートされる論理的・合理的な思考」をもって批判的思考と考える。

 大学生の批判的思考については、多くの研究がなされている(レビューとしてはMcMillan, 1987; 道田, 2000; Pascarella and Terenzini, 1991)。それらの研究の多くは大学生の批判的思考を、多肢選択形式の質問紙を用いて測定している。しかしKing, Wood, and Mines(1990)も指摘するように、多肢選択式の批判的思考テストは再認課題でしかない。すなわち、ある課題に対してどのような批判的思考をするかについて、被調査者が「生成」するのではなく、すでに与えられている選択肢の中から「再認」しているに過ぎない。これでは、仮にある人がこのような批判的思考テストで好成績を収めたからといって、本当にその人が、通常選択肢が与えられない日常場面で、適切に批判的思考を生成できるかどうかは明らかではない。そこで本研究では、批判を生成させることにより、より日常場面に即した批判的思考を測定することを目的とした。

 ではこれまでに、批判を生成するタイプの批判的思考測定としては、どのようなものが行われてきているだろうか。Keeley, Browne, and Kreutzer (1982)は、批判的思考を生成法によって測定することで、日常生活に一般化可能な能力の指標を得ることができると考え、大学1年生と4年生に、論説文を批評させた。使われた論説文は、論理的な誤りや、あいまいさ、問題のある仮定をたくさん含んだものであった。いずれの学年も学生を2群に分け、一方には一般的な教示のみを与えた。具体的な教示内容は次の通り。「次の文章を批判的に評価しなさい。評価には、文章の価値の判断と、目的を達成する方法の評価を含みます。文章が基準を満たしているかどうかを、量的質的に評価しなさい。評価には、一定の基準を使います。この実験でのあなたの目的は、著者が結論をどの程度証拠立てているかを決めることです」。もう1群には、具体的な8つの質問に答える形で文章を批判させた。使われた質問は次の通り。「1.論じられている問題または結論は何か? 2.前提や理由を4つ以上挙げなさい。3.著者が行っている仮定を5つ以上挙げなさい。4.曖昧さや、著者の論点を弱めているような仮定を上げ、なぜそれが不適切なのかを説明しなさい。5.前提において、誤った推論を3つ以上挙げ、説明しなさい。6.著者の前提に不適切な、あるいは誤誘導する証拠を3つ以上挙げ、説明しなさい。7.判断を下す前に必要な情報を3つ以上挙げなさい。8.著者があげた証拠と一致している、別の結論を挙げなさい。」  学生の記述をカテゴリー化して得点化し、ACTの得点を統制変数として分析を行った結果、どちらの条件でも、4年生の方が適切な批判をより多く行っていた。と言っても、具体的な質問条件では、8質問中の2質問でしか学年の効果が見られなかったり、多くの質問で1ポイントも取れない学生が多く、1年生でも4年生でも、批判のレベルがあまり高くないことが示された。一般的な質問条件では、学年の主効果は見られたものの、多くの学生が、指摘されるべき多くの仮定や論理的欠点、あいまいさ、間違ったデータの使用を指摘できていない。このことから筆者らは、教育において、もっとダイレクトに批判的思考をトレーニングすべきであると結論づけている。

 確かにこの方法によって、学生が批判的思考をどの程度「生成」できるかを明らかにすることは可能であろう。この測定は、批判を「再認」させるタイプの測定に比べて、より日常生活に近い状況であり、ここで明らかになった能力は、日常に一般化できる可能性は高いと考えられる。しかし、彼らの研究における教示を見れば分かるように、ここでは「批判」すること自体が調査者によって最初から要請されている。ところが、日常生活において、我々が情報に接する場合には、必ずしも「批判」を前提にしながら情報に接しているわけではない。むしろ、情報を無批判に受け入れてしまう場合も多々あるかもしれない。だからこそ、メディア・リテラシー教育(例えば鈴木, 1997; トロント市教育委員会, 1998)が必要とされ、また、消費者教育(たとえば花城, 1994; 中原, 1995)において批判的思考を育成する必要性が指摘されるのであろう。そうであるならば、批判的思考を測定する際にも、単に批判的思考を再認できたり生成できるかどうかを測定するだけではなく、批判が要請されない状況で、どの程度批判的な構え、すなわち批判的思考の「態度」をもって情報に接しているか、という点が測定されるべきではないだろうか。

 態度の測定は、心理学では一般的に、質問紙を用いて自己報告によって態度を測定するのが一般的である。批判的思考についても、たとえば廣岡・小川・元吉(2000)は、「ふつうの人が気にもかけないようなことに疑問をもつ」「何事も、少しも疑わずに信じ込んだりはしない」などの質問項目30個を用いて、大学生の批判的思考態度を測定している。また、Tsui(1999)は大学4年生に、「大学入学時点と比べて、自分がどれだけ批判的に考えることができるようになったか」について、5段階(かなり弱くなった〜かなり強くなった)で自己評定させている。これは、「批判的に考える能力」という語が日常的に使われたときには、共通のものが認識される、ということを前提に行われた調査である。

 これらのような自己報告によって、批判的思考態度のうち、本人が自覚的に意識している部分については測定することが可能であろう。しかし、自分で「できる」(疑問をもつ、など)と思っていることと、現実場面で実際にそれを行っているかどうかは、完全には一致しないのではないだろうか。それは、自己評価の過大視・過小視という問題があるからである。したがって、日常的に批判的な態度をもって情報に接しているかどうかを知るためには、このような自己報告法とは違う形で批判的思考態度を測定する必要があると思われる。そして、そのような形で大学生のもつ思考態度をきちんと明らかにしてはじめて、本論冒頭で述べたような思考力の育成を行うための具体的な方策を、学生の実態に即して計画し、実行することが可能になるのではないかと考えられる。

 そこで本研究では、日常における学生の情報取得場面と似せるために、文章を読む際に、明示的には批判を要求しない場面を設定し、大学生が批判的な態度で情報に接しているかどうか、また、その批判にはどのような思考が含まれているのかについて検討することを目的とした。さらに、これらの結果をふまえて、日常的な批判的思考態度を捉えるための、よりよい方法について検討し提案することも、本研究の目的とした。

方 法

被調査者

 筆者の講義を受講する大学1年生67名(男性37名、女性30名)が被調査者であった。講義は、筆者が後期に開講している共通教育科目「人間関係論」であった。本調査では、この時期における大学1年生の実態に焦点を絞るために、2年生以上の学生および、21歳以上の学生の回答は除外した結果、上記の人数となった。

材料

 雑誌や本から抜粋した、論理的に正しいとは言えない文章2つを文章題材として用いた。いずれも、少数事例に基づく「前後論法」(before-after argument)という、同じ論理構造を持つ文章であった。前後論法とは、出来事Xの後に出来事Yが生じたことを根拠にXをYの原因とみなすことである(Zechmeister and Johnson, 1992)。この論法は、論理学の分野ではポストホックの虚偽とも言われる(齋藤・中村, 1999)。本研究で用いた題材の概要は、「神秘石に願望や夢をインプットすると、秘霊石の強力な波動パワーにより、願望が実現する(2名の体験談あり)」(以下「神秘石」と略)というものと、「モーツァルトやミルは、幼少期に父親が厳しい教育を施したという環境のせいで天才になった」(以下「環境天才」と略)というものであった。この2つは、多くの学生が結論を受け入れやすいと思われるもの(環境天才)と、受け入れがたいと思われるもの(神秘石)という基準で選ばれた。

手続き

 調査は、筆者の講義時間中に集団で行われた。「大学生の文章読解についての調査」と題した小冊子に、1ページに1つずつ文章を提示し、題材ごとに「文章の要点」および「文章に対して思ったこと、感じたこと」の2点を自由記述させた。講義の後半約40分を本調査の説明および記入の時間にあてた。多くの学生が、講義終了時間の10分前には質問紙を終わらせていた。講義終了時間を越えて回答しているものはいなかった。なお、この講義では、前後論法はもとより、実験法などの心理学的研究法の話は、この調査時点までには行っていない。

結果と考察

 題材ごとに被験者の反応を、「文章の結論を受け入れているか否か」によって受容/不受容に分類した(TABLE 1)。両題材ともに受容しているものは、67名中1名しかいなかった。このことより、多くの学生は基本的に何でも無批判に受容するわけではなく、与えられたものを何らかの形で批判する構えは有していると言えそうである。しかし、67名中38名(56.7%)の学生は題材によって受容/不受容が変化していた。マクニマーの検定(対応がある2条件の比率の比較)を行った結果、論理構造が同じ文章でも題材が変わると、受容/不受容の反応分布が有意に変化していることが示された(z=5.35, p<.05)。このことから、多くの学生が示している不受容の態度は、いわゆる批判的思考態度とは違うと考えられる。というのは、同じ論理構造をもつ文章であるにもかかわらず、不受容が両題材に対して同様に生じてはいないからである。もしこれが批判的思考であれば、同じ論理構造の文章ならば、結論の是非や好き嫌いとは関係なしに、論理に注目することにより、同様の批判がなされるはずだと考えられる。しかし、学生の不受容がかなり題材に左右されているということは、論理に基づく「批判」ではなく、批判的思考の一歩手前の段階とでも言うべき、「非無批判的(無批判的ではない)な態度」ということができよう。

 では結論を受け入れていないときに学生は、どのような思考を行っているのであろうか。このことを明らかにするために、学生の回答を、「単なる自分の意見」「懐疑・質問」「別の解釈」「他の人の存在を言及」の4カテゴリーに分類した(TABLE 2)。本来なら「論理構造の問題点に対する指摘」というカテゴリーもあるべきであるが、今回の回答の中には、そのような指摘は見られなかったため、このカテゴリーは設けていない。

 TABLE 3に、題材別に各カテゴリーの回答数を示した。2題材ともに、「単なる自分の意見」が48〜60%と最も多い。これは、文章の論理とは関係なく単に自分の意見を主張しただけのものであり、批判的思考と言うことはできない。これに対して残りの3カテゴリーは、単純に自分の考えを主張しているのではなく、疑問を呈していたり、他の可能性を考慮しているという意味で、批判的思考態度から出ている可能性が考えられる。そしてここにも題材差が見られる。「別の解釈」が、「神秘石」においては23/64(35.9%)と多数挙がっているのに対して、「環境天才」では2/30(6.7%)と少数である。このように、どのタイプの批判を行うかが題材によって大きく変動するということは、「別の解釈を考える」という批判的思考技能・態度を持っていても、その技能が発揮できるかどうかは題材に依存するということである。たとえば、「神秘石」に対して「単なる偶然」と考えられるのであれば、「環境天才」に対しても「単なる偶然」である可能性を考えてもよさそうであるが、そのような回答は見られない。おそらく、その題材内容に対して自分がどのような信念を抱いているかによって、別の解釈に対してアクセスしやすくなったりしにくくなったりするのではないだろうか。つまり大学生の思考は、論理を中心とした、安定的にいつでも利用可能な応用範囲の広い批判的思考ではなく、題材の領域や自分の信念に強く規定され、不安定的に利用されたりされなかったりする、応用範囲の狭いものである可能性が考えられる。

 以上の考察から、本論冒頭に述べたような大学教育を今後展開していくためには、次のようなことが示唆できよう。大学生の「考える力」を育成する際には、ある議論のもつ論理的な側面と内容的な側面を、意識的に切り離して考えるようにさせるべきである。たとえ自分の信念と一致する結論、あるいは自分の信念と正反対の結論であっても、何を根拠に主張されているのか、その根拠は適切なのかなど、論証の妥当性や健全性といった論理的な側面は、結論に対する好みとは別問題として検討できなければいけない。そうでないと、「好きな主張は正しい、嫌いな主張は間違い」という、自分の好みの枠組みの範囲内のみで情報に接してしまうことになり、知識の成長が望めなくなってしまう恐れがあるからである。

 ただし、自分の持つ信念とあまりに合致する題材であれば、その内容や論理を批判し疑問を持てと言われても、批判することに対する心理的なバリアが高く、拒否反応が強くなってしまう可能性がある。同様に、自分のもつ信念とあまりにかけ離れている題材に対しては、いくら論理的に正しい議論が展開されていても、やはり心理的なバリアから、その主張が容易に受け入れられないことが考えられる。したがって、思考力育成のための教材を選ぶに当たって、特に学習の初期段階では、学生が中立的な意見を持っている題材や、学生が意見や好みを持たない題材を選ぶべきだろう。そのような中立的教材を通して、自分の好みや信念とは切り離して文章の持つ論理を検討する方法を十分学んだあとで、自分の信念と合致する題材や、逆にまったく合致しない題材を通して、単純に好きだから受け入れるとか嫌いだから信じないというレベルではなく、論理に着目しながら、必要であれば受け入れ、必要であれば否定し、また必要であれば判断を保留して更なる情報を探索する、という批判的な思考態度を育成する必要があると考えられる。

まとめと提案

 以上まとめると本研究では、論理構造が共通している日常的な題材を複数用い、明示的に批判を要請することなく、自由記述をさせることによって、学生の批判的思考態度を明らかにすることを目的とした。調査の結果、受容/不受容分布の題材間変動、および不受容内容の分析から、学生の思考態度や思考の内容が、論理よりも与えられた題材内容に左右されることが明らかにされ、その点を考慮しながら、学生の思考力を育成する必要があることが示唆された。では本研究で用いた方法は、大学生の批判的思考態度を測定するという観点から考えると、どのような問題点があるであろうか。

 全体的に言うと、今回の方法では十分に個々の学生の批判的思考態度が測定できたとは言いがたい。今回の分析では、70人弱の学生が全体として、2題材に対してどのような反応を示したか、その違いを中心に見たため、ある程度の知見を得ることができた。しかし、もし個々の学生がどの程度批判的思考態度を有しているのか、と問われるならば、この方法でははっきりしたことを言うのは難しい。以下に、今回の方法で不十分だった点を具体的に考察しながら、今後、批判的思考態度をより明確に測定するためにはどうしたらいいか、改善のための試案を提出することとする。

 まず、今回の方法の一番の問題点は、自由記述の内容からは、学生の態度がはっきりとは読み取れないケースがあった点である。たとえば、「疑問・質問」というカテゴリーを設けて分類したが、疑問形で書かれた記述は、必ずしも単に疑問に思ったことを示しているとは限らない。もちろんそのような場合もあるだろうが、中には、反語としての疑問形も混じっているかもしれない。すなわち、「そんなはずはない」と思っていることを「こんなことがあるのだろうか?」と表現するケースである。今回のように、集団方式、無記名で自由に記述させると、その区別をつけることは不可能である。

 それではこの問題点を回避するにはどうしたらいいであろうか。一つには、集団ではなく、個別に面接方式で調査を行うことであろう。そうすれば、直接被調査者に、自由記述の内容の中であいまいな点について、どういうつもりで書いたのか、また、要するにその題材に対してどう思っているのかについて聞くことが可能になる。ただしその場合に注意しなければならないのは、調査者側が「批判的思考態度の有無」を知りたがっていることを悟られないことである。また、誘導尋問的に「不受容の内容」を、調査者誘導で掘り下げていってしまわないことである。

 集団実施よりも個別面接をするにこしたことはないが、次善の策としては次の方法が考えられる。集団調査実施時に、被調査者が全題材に対する回答を終えたあとで、「各題材の主張をどのように受け取ったのかについて端的に知りたい」と、口頭または質問紙で追加教示し、「要するにあなたは、受容したのか、否定したのか、疑問に思っているのか、受容した部分と受容しない部分があるのか」とカテゴリーを提示し、被調査者自身に分類させるのである。そのあとで、自分の分類について補足説明があればそれも書かせることもできる。こうすることによって、各被調査者の回答があいまいで分類に困る、という問題はかなり避けられるであろう。 この場合、分類をさせるのは、全ての題材に対して回答し終わった後がいいだろう。なぜなら、複数の題材があるにもかかわらず、1題材ごとに自由記述の直後に分類させてしまうと、そのことが次の題材の回答に影響を与えないとも限らないからである。中には、最初は否定や不受容ということは考えもしなかったのに、そのような教示があったために次から、問題点を探すような読み方に変わる被調査者も出てくるかもしれない。そのような事態は極力避けられなければならない。したがって、追加教示とカテゴリー分けは、全ての題材に対する回答が終わった後に行うのが無難であろう。

 ただこの方法の問題点は、口頭で追加教示する場合、全被調査者が全題材に対して自由記述をし終わった時点を見極めることが困難な点である。この手の記述式調査では、回答者が数十名以上いれば、所要時間にはそうとうのばらつきが生じるのが普通である。したがって追加教示を全員に対して行うのであれば、ある程度調査者側で回答ペースを統制せざるをえなくなり、そのことによって被調査者の自由な回答が一部妨害されてしまう恐れが生じる。

 もうひとつの方策としては、各題材の直後で、その結論が受け入れ可能かどうかを、先に質問することも考えられる。そのあとで、なぜそう思うのかの理由を自由に記述させるわけである。この場合は追加教示は口頭ではなく、質問紙上に印刷していてもさほど影響はないだろう。実際、Dreyfus and Jungwirth(1980)は、そのようなやり方で学生が論理構造を知覚する様相について明らかにしている。彼らは、高校1年生を対象に、論理的誤謬を含む、結論のない文章を読ませ、ここから何が言えるかについて、結論を選択肢で選ばせ、そのように考えた理由を自由記述させた。自由記述された理由の分析を行った結果、論理構造よりも内容や結論に基づいてなされた推論が多いことや、問題領域が変わると推論のタイプが変化するという、本研究と同様な結果を得ている。このことから彼らは、批判的思考能力が、ある領域から別の領域に転移することは難しいと結論づけた。 ただしこの方法を採用した場合は、被調査者がある答えを選択(再認)したからといって、日常的にそのような判断を「生成」できるかどうかは分からない。また、問題という形で批判対象が提示されるわけではない日常の場面でも、そのような「態度」をもって情報に接するかどうかも分からない、などの問題は残る。しかしその点に留意し、結果を過度に一般化しなければ、一度に大量のデータを得るためのひとつの手段としては、ある程度の有効性のある調査法であろう。 以上、本研究の方法の問題点として、文章題材に対する被調査者の基本的な態度がややもすると不明確になる点があること、この点を改善するために、個別面接や追加教示などの工夫が必要であることが指摘された。

 本研究で用いた方法の問題点としては、もう1点指摘できる。それは、被調査者がある文章を受容したときに、それが「批判的思考能力を持たないために」受容したのか、それとも「批判的思考能力は有しているのだが、批判的な態度で文章に接していないために」受容してしまったのか、区別がつかない点である。そもそも、批判的思考態度を有しているということは、「何事も、少しも疑わずに信じ込んだりはしない」ような姿勢で情報に接している、という側面もあるが、それだけではない。Ennis(1985)の批判的思考態度のリストの中にあるように、「自分が持っている批判的思考技能を使おうとする」、という意味での態度の側面がある。その意味では態度は、批判的思考技能を持っていることが前提となる。能力がないのに態度がある、すなわち、できないのに使おうとしている、という状態は意味がないのである。 もし、ある被調査者の受容回答が、「能力がないから」態度を示すことができない、ということからくるものであれば、その学生は、批判的思考態度を育成される前に、批判的に思考する能力・技能をまず身につける必要がある。しかし「能力があるのに」態度として示していないのであれば、持っている技能をいかに利用可能な状態に準備しておくか、という態度育成に焦点が当てられるべきである。このように、批判的思考態度がないと一言で言っても、2種類の異なる状態が考えられ、それに応じてその後の教育の方向性も異なってくる。したがって、批判的思考態度は、能力と同時に測定されなければならない。

 今回のような日常の題材を用いてこのことを行うためには、次のような方法が考えられる。まず最初は、本研究のように、批判を明示的に要求することなく「文章を読んで思ったこと」について自由に意見を記述させる。その後、その文章に対して今度は明示的に批判を要請する。この場合、前者が態度測定、後者が能力の測定にあたる。態度測定に使用した題材を用いて、能力を測定するのである。能力測定を行う際の具体的な教示としては、Keeley, et al.(1982)のように「次の文章を批判的に評価しなさい」という教示や、「次の文章の論理的な問題点を指摘しなさい」という教示が考えられる。こうすることで、Keeley, et al.(1982)と同様に、被調査者が、どのような批判的思考を生成できるか、その能力を検討することが可能になるであろう。

 ただこの教示は、日常的な情報取得場面に則しているとは言いがたい。というのは、上記の教示は、「必ず批判せよ」という強制批判であり、提示された情報が間違っていること、問題があることが前提となっているからである。しかしわれわれは、情報が最初から間違っていることを前提として接することは少ないであろう。優れた批判的思考者は、問題のある情報は適切に批判するが、それだけではなく、「結論をくだすべきときには躊躇せず」「他の人が出した優れた主張や解決案を受け入れる」(Zechmeister and Johnson, 1992)態度や特性を持っているはずである。したがって、情報に接するに際して適切な批判的思考態度とは、「問題があるかもしれない」という任意批判の姿勢ではないだろうか。そう考えるなら、先ほどの教示の前段階として、文章の中に問題点がある場合がある、という教示も必要になってくると思われる。具体的には、「実は先ほど読んでもらった文章の中には、論理的という観点から言うと適切とは言えない文章があるかもしれない」と教示し、どの文章がそれにあたると思うか、また、どのような点が論理的に問題があると思われるかについて記述させるわけである。ただしこのようなやり方をするのであれば、問題がある文章も、問題がない文章もある可能性がある、という状況を作る必要がある。そのためには、読ませる題材は2つでは少なすぎるであろう。3つ以上の題材を用意することで、「どの文章が論理的に正しいとは言えないか」と聞くことに現実味が出てくると思われる。ただしその場合でも、問題がある文章とない文章を混在させる必要は必ずしもない。日常場面でもそうであるが、すべての文章に問題があっても、全ての文章に問題がなくても、当初の目的は十分に達成できる。

 以上まとめると、本調査の反省をもとに、批判的思考態度および能力を測定する方法として、次のようなものが提案できる。まず実施形態としては、個別面接がベストであるが、集団実施も不可能ではない。読ませる文章題材は、日常的に学生が接するような文章とし、3つ以上用意する。その場合、文章で扱われる領域はバリエーションがある方がいいであろう。批判的思考を必要とするような論理的誤謬のある文章が分析の中心になるが、すべての文章題材に論理的誤謬があってもいいし、問題のない文章が混じっていてもいい。被調査者に要求することは、次のようになる。

ただし、Dreyfus and Jungwirth(1980)のように、1「自由な意見の記述」を行わず、いきなり2「受け取り方の表明とその説明」を行うやり方もあり、そのいずれを取るかは、調査目的や実施形態によって決められるべきであろう。

 以上のような方法を用いることによって、日常の情報取得・選択場面に即した形で、学生の批判的思考態度および能力を測定することが可能になると思われる。そして、このように、現実場面で一般化可能な形で学生の思考態度や能力の特質を知ることによってはじめて、大学教育の中で、学生の特質に合わせて、適切に思考力の育成を図ることが可能になるのではないだろうか。

引用文献

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1ページ目脚注

*学校心理学教室(E-mail: michita@edu.u-ryukyu.ac.jp)