批判的思考におけるsoft heartの重要性

道田泰司　2002.03　批判的思考におけるsoft heartの重要性　琉球大学教育学部紀要, 60, 161-170.

批判的思考におけるsoft heartの重要性

道田泰司

Importance of Soft Heart in Critical Thinking

Yasushi MICHITA

要　約

　批判的思考を行うためには，「共感」や「相手の尊重」のような，soft heartが必要になることが論じられた。それは第一に，批判を行う前提として「理解」が重要だからであり，相手のことをきちんと理解するためには「好意の原則」に支えられた共感的理解が必要だからである。このことは，一聴して容易に意味が取れると思われる場合でも，論理主義的な批判的思考を想定している場合でも同じである。共感的理解には，自分の理解の前提や枠組みをこそ批判的に検討する必要がある。そのことが，臨床心理学における共感のとらえられ方を元に考察された。また，批判を行うためには理解の足場が必要であること，それを自分と相手に繰り返し行うことによって理解が深まっていくことが論じられた。最後に，このような「批判」を伴うコミュニケーションにおいては，「相手の尊重」というもう１つのsoft heartも重要であることが，アサーティブネスの概念を引用しながら論じられた。

１．はじめに

　「批判的思考」を適切に行うためには，批判という行為と一見相容れないかのように見える「共感」「相手の尊重」のような，soft heart（優しい，思いやりに満ちた心）が必要になる。そのことを示すのが本稿の目的である。本稿では，筆者の考えを展開する手助けとして，批判的思考とは直接関係のない文章を引用する。それらは，明示的には批判的思考について言及していないけれども，批判的思考を考えるうえでヒントになるような文章である。そのような文章を参考にすることによって，批判的思考の本質により近づくことができるのではないかと考えるからである。

　批判的思考が何かについては，批判的思考研究者はもとより，一般的にも，明確な合意があるとは思えない。そこで本来なら，本題に入る前に批判的思考とは何かについて明らかにしておくべきであろう。しかし批判的思考の定義には諸説あり，それを論じはじめると，本稿が目的とする議論にまでとてもではないがたどり着かない。そこで本稿では，批判的思考を文字通り「批判のある思考」と位置づける。批判という行為に基づいて深められていく思考である。批判という語が聞こえが悪ければ，吟味，省察，反省，探究などとおきかえても構わない。無批判に受け取ることなしに，いったん立ち止まって考える。このようなイメージである。なお，批判的思考を行う（べき）ケースはいくつかあるが，本稿でおもに扱われているのはそのなかで，入ってくる情報のフィルター（関門）としての批判的思考や，他人と意見を交しあう上での批判的思考という，情報の発信源としての他者が存在する状況での批判的思考である。

２．批判的思考の前提としての好意的理解

　批判的思考を行うための前提として，もっとも重要と筆者が考えていることがある。それは，あることについて批判（あるいは吟味，省察，などなど）を行うためには，まずはそのことをきちんと理解していなければならない，ということである。理解してはじめて批判が可能になる。十分な理解（の努力）なしに行われる批判は，たんなる誤解でしかなかったり，あげ足とりなど本質をはずした議論にしかならない。このように，批判的思考においてまず重要なのは，「理解すること」なのである（図１）。そしてさらには，批判を通していっそう理解が深まる。そのことによって，また新たなる批判が生まれてくる。つまり批判的思考とは，理解と批判の往復運動を通して，次第に理解が深まっていくことと言える。図２にはこのことを直線上に並べて表しているが，どちらかというとらせん状に循環しながら上昇していく（あるいは深まっていく）イメージの方が適切かもしれない。もちろん，それぞれの批判と理解の間には，相手や自分の理解の修正なり変更なりが挟まっている。

　それでは，「理解」とはどういうことだろうか。そのことを考えるヒントとして，まずは次の文章を読んでほしい。これは，全く知らない言葉を話す現地人とコミュニケートするときに，フィールド言語学者がどのようにして相手の言うことを理解できるようになるかを説明した文章である。

現地人が正しくない発言ばかりしていると想定すれば，現地人の言っていることを理解することはできません。ということは，好意の原理に従って，現地人の言っていることは基本的に正しいと考えて，研究を進めるわけですよね。（中略）そして，結構相手の言うことがわかるようになる。その過程で，相手の言っていることの多くは正しいのに，ときに変な発言をしているように見えるものが出てくる。そうすると，その場合に，もしかしたら相手は，なにか思い違いをしているんじゃないか，あるいは，言葉を誤用しているんじゃないか，という疑問が出てくることになります。そして，どう考え直してみても，自分の研究成果としての辞書や文法書に問題があるんじゃなくて，相手に問題があるとしか思えないとき，相手が正しくない発言をしていると結論することになる。(冨田, 1998, p.18-19)

要するに，最初から「相手が言っていることが正しくないかもしれない」と想定してしまうと，「相手の言っていることが正しくない」と結論することさえできなくなってしまうのである。そこで必要になってくるのが，「好意の原則」(あるいは善意解釈の原理：principle of charity)である。これは，「人の発言を理解しようとするときには，その人の言っていること，考えていることは，基本的に正しいとせよ」(冨田, 1998, p.15)という原理，あるいは，「未知の言語の翻訳に際しては，相手の言い分ができるだけつじつまが合うように，また相手に不合理な主張を押しつけないように解釈すべし」(野家, 1998, p.115)という原理である。

　有名な例であるが，現地人がウサギを指して「ガヴァガイ」と言ったときに，現地語で「ウサギ」と言ったのではなく，ウソあるいは間違ったことを言ったかもしれない，と考えてしまうと，理解することさえできない。したがって，批判的思考を行うためには，「好意に基づく理解」，つまり，相手を正しいとみなし，相手の言うことをつじつまが合うように解釈しなければいけないのである。「共感的理解」とも言うことができる。それは結局，相手を批判する前に自分の理解自体を批判の対象にする，ということである。そのことを元の図式に付け加えるならば，図３のようになるだろう。

３．既知の言語を異文化として理解する

　もっともこのフィールド言語学者の話は，ひと言も聞いたことがなく，解釈の手がかりが何もない未知の言語に対したときのことであって，母国語どうしでコミュニケートする場合は違う，と思われるかもしれない。しかしこれは，母国語の場合（もっと一般的に言うならば，一聴して意味が取れると思われる言語）の場合も，まったく同じである。というのは，理解には必ず，その人自身の経験や考え方，ものの見方の好みなどが貼りついているからである。したがって，同じ話を聞いても，話者や他の聞き手と同じやり方でその話を理解しているとは限らないのである。

　このことに関しては，科学史家（科学哲学者）であるクーンが，アリストテレスのテクストを解釈したときの話が参考になる（野家, 1998）。アリストテレスの運動論は，ニュートン力学に照らし合わせて理解しようとすると，理解不能なことだらである。しかし，生物学でも論理学でも倫理学や政治学でも鋭い観察眼や洞察を示したアリストテレスが，なぜ物理学に限ってはとんでもない間違いを犯したのか。アリストテレスの才能を考えると，単なる間違いと考えるにはあまりにも不思議である。そこでクーンは，好意の原則にのっとってアリストテレスを読み，その結果，アリストテレスの研究テーマが，「質的変化」というニュートン力学とはまったく違うものであることに気がついた。そのように読めば，アリストテレスの運動論は十分に整合的であり，けっして「物理学に限って間違いを犯した」わけではなかったのである。

　クーンのこのような体験を，野家(1998)は「クーンの内面におけるパラダイム転換とも言うべき出来事」と呼んでおり，以下のように解説している。

彼はこの決定的体験を通じて科学史におけるテクストの読み方を体得する。それは第一に，テクストには多様な読み方が可能であるが，現代人の眼からする読み方は往々にして不適切であること，第二に任意の読み方がすべて平等であるわけではなく，そこには説得性と整合性をもつ少数の読み方が存在する，ということであった。クーンはこの体験を機に，その後科学史を学ぶ学生たちに対して「重要な思想家の著作を読むときには，まずテクストの中に一見馬鹿げていると思われる箇所を捜しなさい。そして，良識ある人がそのようなことを書くことがいったいなぜありえたのかと自問しなさい」という指針を与えているという。まさに，過去のテクストを「異文化」として扱えということであろう。(野家, 1998, p.113-114)

　もちろんこれは，「重要な思想家」に限った話ではないはずである。このように，相手の発言を「異文化」として，好意の原則に基づいて共感的に相手本意に理解することは，理解できないときやおかしいと思う時に相手を批判するのではなく，こちらの理解不足だと考えるところから始まる批判的思考である。好意的な理解といっても，無批判に受け入れるわけではない。その話を受け取る自分の理解に対して批判の目を向けるという意味で，まさに批判的思考そのものなのである。

４．暗黙の前提の検討

　このような考え方に対して，「批判的思考といっても，そんなことまでする必要があるのか。論理に照らし合わせて整合的か，という基本的な規準を満たしているかどうかをチェックすることこそ重要なのではないか」と思われる方もおられるかもしれない。論理主義的な立場に立つ批判的思考である。批判的思考を論理のような狭いところだけに限定することがいいか悪いかは，ここでは置いておく。しかし，たとえ論理主義であっても，やはり好意の原則に基づく理解という過程は必要になる。そのことを以下に示す。

　きわめて論理主義的に批判的思考をとらえている研究として，Ennis(1962)がある。ここでは批判的思考は，「命題を正しく評価すること」と定義されている。ほとんど，（形式的）論理学の定義といっても差し支えないほどに，論理主義的な定義である。この定義に続いて，批判的思考がどのような側面をもつかのリストがあげられている。そのなかには，「何かが仮定されていないか判断する」 ( Judging whether something is an assumption. ) というものが入っている。隠れた前提がないかどうかを判断せよ，ということである。上記の問題は，この点と関わっている。

　そもそも形式的論理学では，大雑把にいえば，前提がすべて明らかにされた上で，その前提からどのような結論が必然的に導き出せるか，あるいはすでに導き出されている結論が妥当かどうかが問われる。それに対して，日常行われる思考や推論は，前提や結論がすべて明示されているとは限らない。むしろ，表に出ていない前提や結論があるのが常である。

　そこで形式的論理学を日常的な推論にまで拡張して適用する際には，それら（とくに隠れた前提）がないかどうかを検討することが重要な作業となるのである。そのような論理学は非形式的論理学(informal logic)と呼ばれる。そのおもな課題は，隠れた前提と，それに由来する誤謬推論を明らかにすることによって，ある議論の強さや弱さを評価することいっても過言ではない。というのは，暗黙の前提が明らかにできれば，あとは目の前に示されている前提から結論を導き出すという，形式的論理学と同じ作業になるからである。

　このような暗黙の前提を検討する必要があるのは，批判的思考も同じである。多くの批判的思考の本や論文で，「述べられていない前提（仮定）を明らかにする」ことが，批判的思考技能の一つとして数えられている（たとえばBeyer, 1985; Browne & Keeley,　1998; Dressel & Mayhew, 1954; Ennis, 1996; Glaser, 1941; Paul, 1995; Smith, 1995; Wade, 1997）。

　非形式的論理学の本は，日本ではほとんど見かけないが，その範疇に入れることが可能だと思われる本から，隠れた前提に関する記述を拾っておこう。

多数の人々が共有する偏見や常識に依拠した議論では，前提を省略してしまうことが多い。「女の子だから，はしたないことをしてはいけません」という主張には，女性を特別扱いしようとする偏見が隠されているのがわかるだろう。
　これらの例が示しているように，省略された前提を意識的に探し出して，それを議論の中に書き入れることが必要な場合もある。省略された前提をはっきり表現することによって，自分が無意識に信じている偏見や独断を自覚し，それから逃れることができるかも知れないからである。これは，論理学学習の効用の１つである。（齋藤・中村, 1999)

　ここにあるように，暗黙の前提を検討することは，結果的に，「自分が無意識に信じている偏見や独断を自覚」するという作業になることも多い。もちろんそうではなく，「相手」が無意識的に信じている偏見や独断を明るみに出す場合も多いだろう。しかしそのときも，相手の前提を明るみに出すということは，自分が持ち合わせている前提との違いを明らかにするという比較の作業になる。そこでもやはり，自分の前提が浮き彫りにされるのである。好意の原則に基づく理解とは，「暗黙の前提」という言い方でいうならば，自分にとって都合のいい前提を，相手にとって都合のいい，相手に好意的な前提におきかえることといえるであろう。

　このような暗黙の前提の検討は，論理主義であろうとなかろうと，「非」形式的論理とか（日常における）批判的思考，といい始めたとたん，逃れられないポイントなのである。

５．共感とは何か

　これまでの話は要するに，「おかしいと思うときこそ，相手を批判する前に共感的・好意的理解を」ということだった。このことを，最も日常的に行っているのは，受容と共感を中心技法の一つにすえている心理療法家（カウンセラー）であろう。そこで，臨床心理士によって書かれた本に基づいて，共感に対する理解を深めることとしよう。

　次のものは，ある臨床心理学者が共感をどう解釈しているかを書いたものである。

　著者は共感的理解を次のように解釈している。「共感的理解とは，悩みゆえに穴の底まで落ち込んでいるクライエントへセラピストが手をさしのべ，その穴の深さではなく，底から見た穴の高さを実感としてクライエントと共に体験することである」。
　日常生活を順調に過ごしている人にとって，穴を見るのに，その深さは見えても，その高さはその底に潜んでいる人でなければ実感として知ることは困難である。セラピストがクライエントと同じ穴の底で，その高い穴からどのように地上へはい上がるかを共に考え，助力するところに，共感が生まれる。ただ地上より，穴から早く出てくるようにとセラピストが大声で激励しても，共感を伴うことが少なく，意気消沈したクライエントは救われない。（上地, 1990, p.68）

比喩的な話が中心なので，適切に理解できているかどうかはわからないが，「底から見た穴の高さの実感」「クライエントと共に体験」というところからみると，相手の「感覚」や「感情」を自らの体験として実感することが重視されているように思える。このような態度は，カウンセリングをするうえでは重要なことであろう。しかし本稿で扱うような意味での相手の理解，という点では，かならずしも感情の実感が必要とは思われない。むしろ，上記引用の後段にあるように「同じ穴の底で，共に考え，助力する」ために必要な，認知的な共感の方が，まず第一には必要であるように思われる。角田(1998)によると，昨今ではこの二つのアプローチ（感情的アプローチと認知的アプローチ）を包括しようとする立場が主流になっており，「他者のパースペクティブや役割を取るといった認知面に感情反応が伴って共感が成立する」(p.158)と考えられているようである。

　その角田は，共感を鍵概念として心理療法をとらえることを提唱しているが，コフートを引用して，共感には性質の違う２つのものがあると述べている（p.43)。自他が未分化で受身的なもの（一次的共感）と，自他の個別性の認識に支えられた，能動的・意識的なもの（二次的共感）である。赤ちゃんが示すような生得的な感受性は一次的共感である。あるいは，情動伝染も自他の境界が失われたなかでの一体感であり，一次的共感といえる。しかし一体のままでは，相手の理解には至らない。距離が近すぎると見えないのと同じである。二次的共感が生じるためには，自他の個別性を認識する必要がある。二次的共感について説明しているのが，以下のくだりである。

日常レベルにおいて見られる共感（二次的共感）は，主に自我親和的な体験に基づいたものといえ，共感＝他者理解となりやすい。しかし，自我違和的な体験が日常レベルで生じた場合は，体験している主体は怒りなどの否定的な感情を抱いたり，理想化されることで自我肥大した状態となったり，あるいは話を聞いていても退屈したりと，体験を再検討する以前に他者理解を行おうという志向性そのものが弱まってしまうだろう。（角田, 1998, p.101)

　ここには，自我親和的な体験と自我違和的な体験という言葉が出てくる。一次的・二次的共感と似ているようにも感じられるが，本書のなかではあまり詳しく説明されていない。前後の文脈や言葉の使われ方からすると，おそらくこういうことではないかと思われる。自他の個別性の認識に基づくのが二次的共感であるのは，先に述べたとおりである。その，二次的共感につながりうる体験として，自我親和的体験と自我違和的体験の２種類がある。どちらも，自他の個別性は認識されているが，そのなかでも理解できる体験が自我親和的体験，理解できない体験が自我違和的体験であろう。日常でも臨床場面でも同じだろうが，前者は共感につながりやすく，後者は共感につながりにくい。

　自我違和的な体験とは前節でいうと，クーンが最初にアリストテレスを読んで理解できなかった体験と同じであろう。上にあるように，通常はそういうときは，不快感や退屈のため，他者理解を行おうとしなくなる。しかしそこで，あえて意識的に自分の内面を見つめ，その違和感が何に由来するのかを吟味し，相手に応答を試みるという作業（とらえ直し）を行う。これは先ほどの，「隠れた前提の検討」と似ているように思われる。このような作業を通して，自我違和的な体験が共感的な理解へと結びつくのである。「わからないからこそ，わかったときに，より共感できる」といえるかもしれない。

　一方，容易に共感できるかに思われる自己親和的体験は，本当には理解できていなくてもわかったつもりになってしまう場合がある。わかるわかる，と思うとそれ以上考えるのをやめてしまうこともあるであろう。したがって自我親和的体験の場合も，本当の，あるいはより深い共感的理解にいたるためには，意識的なとらえ直しが必要なのである。私と相手とは，まったく同じ経験をする同じ人間ではありえないからである。

　こうして見てみると，カウンセリングにおいて必要とされている共感（のうちの認知的な側面）は，本稿で検討しているような，批判的思考において意識的に行われるべき共感的，好意的理解と非常に似たものであることがわかる。

６．共感と批判の兼ねあい

　前節でみたように，カウンセリングにおける共感は，批判的思考に必要な理解と似たものである（ありうる）。しかし，カウンセリングにおける共感と，本稿の目的である「批判的思考における共感」とは，もちろんすべてが同じではない。カウンセリングでは，少なくとも初期段階においては，批判などなしに，相手に対する共感を追及するという作業が行われる。もちろんそこでは，カウンセラーは自分を殺すわけではなく，自分の感じ方（とくに自我違和的体験）を足がかりに，共感的理解をめざす。それに対して，批判的思考を足がかりにして，より深い理解をめざす場合には，いずれかの時点で，相手に対する批判や吟味という作業が必要になってくる。

　しかし前節で見てきたように，徹底的に共感的に理解をしようとすれば，自我違和的な体験だけではなく，自我親和的な体験をも対象にする必要がある。自分と相手が別の人間である以上，この作業には本来的に終わりがない。しかしそれでは，どこまでいっても「批判」にはたどり着かない。いったいどこまで理解すればそれでよしとするのか。なんらかの規準を設けたとしても，そこで理解の努力を止めてしまうことはいいことなのか。あるいは逆に，完全に共感的に，相手の立場がもっともであると理解してしまったら，そもそも批判などできないのではないか。

　これは，批判的思考において「共感」とか「好意の原則」ということを言い出したとたんに生じる，けっこう難問であると思われる。適当なところで折り合いをつけなければいけないのであろうが，それが具体的にどういうところで，どうしたらいいのか，などということに対して，筆者は明快な答えはもちあわせていない。この点に関して，野矢(2001a)の次の言葉は参考になるように思われる。

　疑うことも含めて，何かをしようと思ったら，きちんと足を下ろして，足場を確保しなくちゃいけない。常識はそのためにいちばんふつうに使われる足場になる。
　だけど，ときには自分の立っているそこを疑わなくちゃいけないこともある。
　でも，それは何もない真空地帯に飛び上がることじゃない。右足で立って左足のところを点検する。そして左足で立って右足のところを点検する。両足いっぺんに上げたら，ころぶのがおちだ。
　常識を疑うということは，だから，常識を投げ捨てるということではない。かならずなんらかの常識を踏まえていないと，論理の神様よろしく身動きがとれなくなってしまう。常識を踏まえつつ，自分の立っているそこを絶対視しないこと。（野矢, 2001a, p.146)

「疑うためには足場を確保しなくちゃいけない」というのは，ここでは詳細な説明は行わないが，簡単にいうと「ぜんぶをいっぺんに疑うなんて，できることじゃない」(p.143)からである。それは本稿冒頭のフィールド言語学者の話にある，「最初から相手が正しくないかもしれないと想定してしまうと，相手が正しくないと結論づけることさえできない」という話と似ている。また，上記引用にある「論理の神様」とは，「それがどんなに荒唐無稽でも，論理的に可能ならぜんぶ平等に受け入れてしまう」(p.121)存在のことである。それは，人が普通に常識的に行っている，ありそうな可能性となさそうな可能性の選り分けなどはしないため，すべてを受け入れて「身動きがとれなくなってしまう」のである。

　そこで，疑うためには確固たる足場，つまり疑わない部分が必要なのである。上の文章では「常識がよく使われる」とあるが，本稿でのこれまでの話でいうと，何らかの「理解」が足場になる。相手に対する共感的，好意的理解を足場にして，自分自身の理解の枠組みや前提を疑う。あるいは，自分自身の理解や前提や常識を足場にして，相手の意見や，理解の枠組みを疑うことも可能である。この両方の作業を偏りなく行うことが，一定方向からの見方を「踏まえつつ，自分の立っているそこを絶対視しない」ことにつながる。これを図式的に表すならば，図４のようになる。

７．批判と理解の循環構造

　図４は，２種類の「理解→批判」が無関係に並置されているだけで，両者の関係は明示されていない。本稿冒頭では「理解と批判の往復運動を通して，次第に理解が深まっていく」と簡単に述べたが，野矢氏は先ほどの本とは別の本で，もう少し明快に「批判を通して理解する」ことについて述べられている。

いっそう重要な，強調したい批判のあり方は，理解するために，あるいは受け入れるために為される批判である。それゆえ，結論には共感しつつも，なおその論証に対して「これはおかしい」と声をあげるということが起こる。
　反対することは対立することでもあるだろうが，批判することは対立することではない。それは問題を共有する者たちによってなされる共同作業にほかならない。いわば，あえて波風を立たせて，それによって足場を固めるのである。
　この感覚がないと，対立するか馴れ合うかのどちらかしか選べなくなる。自分を批判する相手を，ただ敵対する者としてしかとらえられなくなる。その結果，自分自身に対する批判的なまなざしも失われる。（野矢, 2001b, p.131)

そのほかにも野矢氏は，「疑問をもつことによって理解が深まる」(p.135)とか，「より深く理解するためにはいったんわからなくならなければならない」(p.137)と述べている。このように，批判によって理解の「足場を固める」ことができるのである。というよりも，批判は理解のためにあるのである。

　もし「理解のための批判」ではなく，理解を目的としない「批判のための批判」しか行わないのであれば，上にあるように「対立」しか生まない。逆に，賛同するのみで，そこに批判が入らなければ，それは「馴れ合い」となってしまう。理解と批判の両者がどちらも必要であり，それらがそろってはじめて「より深い理解」に至るのである。

　これを先ほどの図式の中に組み込んでみる（図５）。組み込もうと思って気づいたことだが，これは，理解→批判→理解→批判→理解で一巡するような単純な話ではない。まず，「相手の理解」と「自分の理解への批判」の間に，双方向の矢印をつける必要がある。自分の理解を批判することによって，相手のことを理解する。最初に論じた「好意の原則に基づく共感的理解」である。同じことは，「自分の理解」と「相手への批判」の間でも起きる。こちらは，自分の理解を足場とした相手への批判であり，それを通して自分の足場を固めることである。通常イメージされるような，いわゆる批判（的思考）である。この２つの円環だけでは，図４のように「相手への共感的理解」と「自分の理解」が平行線のままである。そこで，一方の円環を足場にして他方に働きかける，という方向性が必要である。それは，自分への批判を通して自分の理解を深める（図の左側の矢印），あるいは，相手への批判を通して相手の理解を深める（図の右側の矢印）という形をとる。上記引用で野矢氏が述べているようなことである。

　さて，こうしてできあがった図をよく見ると，図３と似ているところがあるのがわかる。下半分は基本的に同じである。しかし上半分が違う。図３では，共感的理解から批判へと至る矢印が描かれているが，前節で述べたように「共感的理解をしている間は，相手への批判は生まれようがない」ことを考えれば，不適切であることがわかる。図３は，下半分全体がイコール「共感的理解」と考えた方がいいであろう。図３の左上にあるべきものは，共感的理解ではなく，（相手の理解をベースにした）自分の立場の理解であるべきであろう。その足場を確保してはじめて，相手への批判が可能になるのである。

８．アサーティブネス：相手を大切にしながら自己表現する

　以上，相手や自分に対する共感と批判を繰り返すことで，理解が深まっていく批判的思考を論じた。次は，soft heartのもう一つの側面である，「相手を尊重」することの重要性について，アサーティブネス（アサーティブ，アサーション）という概念を通して検討しよう。アサーティブネスとは次のようなものである。

　<アサーティブ>とは，自分も相手も大切にした自己表現です。自分の人権である言論の自由のためには自ら立ち上がろうとしますが，同時に相手の言論の自由も尊重しようとする態度があります。（中略）
　その結果としては，お互いの意見が葛藤を起こすこともあり得ると考えます。つまり，お互いに率直に話をすれば，自分の意見に相手が同意しないこともあるし，また，相手の意見に自分が賛同できるとは限らないことを知っています。むしろ，率直に話して意見や考えが一致すれば，それはラッキーだと思うのです。だから，葛藤が起こったときは，すぐさま折れて相手に譲ったり，相手が自分に同意してくれることを期待するのではなく，面倒がらずにお互いの意見を出し合って，譲ったり，譲られたりしながら，双方にとって納得のいく結論を出そうとするのです。(平木, 1993, p.24-25)

意見の異なる２者がいたときに，お互いに意見を主張しながら，よりよい理解や認識を追求しようとする姿勢は，批判的思考のプロセスと呼んでもまったく差し支えのないものである。しかも，前節と同じようにここでも，馴れ合いや対立（相手に譲ったり，相手が自分に同意してくれることを期待）を避けることを強調されている点も興味深い。

　しかしアサーションと批判的思考は，私が知る限り，それぞれの本や論文で相互に参照されることはほとんどないようである。それはおそらく，両者がまったく異なる出自をもっているからであろう。平木(1993)によると，アサーションの考え方と技法は，1950年代に行動療法のなかで開発され，1960年代の人種差別撤廃の運動（公民権運動）や1970年代のウーマン・リブ運動のなかで広まっていったという。一方批判的思考は，西洋哲学や論理学の伝統を受け，アメリカの学校教育で1930年代ごろから提唱されるようになった概念であるといわれている（井上, 1985）。

　さて，上の引用からもわかるように，アサーションにおいては「相手の尊重」が重視されている。相手の言い分や気持ちを無視，または軽視して，結果的に，相手に自分を押し付ける言動は「攻撃的自己表現」と呼ばれ，アサーティブな自己表現とは異なるものなのである（平木, 1993, p.23)。もちろん相手の尊重だけではなく，「自分の尊重」も重視されている。自分を尊重してない自己表現は，「非主張的（受身的）自己表現」と呼ばれる。

　攻撃的に自己表現するよりも，アサーティブに自己表現するのがいいことは，直感的にはよくわかる。しかし，なぜ攻撃よりもアサーションがいいのかについて，アサーティブネスの人たちはどう考えているのか。アサーティブネス・トレーニングのバイブルと呼ばれている『自己主張トレーニング』（アルベルティ & エモンズ, 1994）には，アサーティブネスの定義として次のものが出てくる（丸数字は道田による）。

アサーティブ行動は，①平等な人間関係を促進する。これにより，②自分が自分のために行動し，③びくびくせずに自分の権利を守るために立ち向かえるようになる。さらには，④自分の感情を無理なく素直に表現し，⑤人の権利を侵害することなしに，⑥自分の権利を行使できるようになる。(p.32)

丸数字からわかるように，ここには６つのことが表現されている。そしてそれらは，「攻撃的自己表現」にならないようにするためのものと，「非主張的自己表現」にならないようにするためのものの２つに大別できる。①は両方と関係するが，それ以外は，②③④⑥が非主張的自己表現にならないためのもの，⑤が攻撃的自己表現にならないためのものであろう。

　つまりこの定義からみるかぎり，攻撃的自己表現が問題なのは，平等な人間関係を妨害し，人（相手）の権利を侵害するからであるということができる。さらには，このように相手を傷つけ，信頼を損なってしまえば，主張や表現をおこなっても，それが心から相手には受け入れられない，という問題もあるであろう。このような，相手の権利や平等な人間関係という観点は，批判的思考にとっても重要であろう。

　なおこの本では，夫婦や恋人間のトラブルについて，心理学者ラザラスの『結婚の神話』という本に触れながら，次のように述べている。

親密な関係で特に危険なのは「恋人どうしならおたがいの気持ちや考えは当然わかる」という神話です。ラザラスのアドバイスによると，相手が自分の気持ちを当然わかってくれていると決めてかかるのは間違いです。こうした誤った前提を捨て，コミュニケーションを試みることが非常に大切です。(p.225)

この「誤った前提を捨てる」という話はまさに，先ほど論じた「隠れた前提」を明らかにし，好意の原則に基づいて相手を理解するという話である。このことからも，アサーションという考えが，批判的思考と親和性が高いことがわかるであろう。アサーションに関する最初の引用をまねていうならば，「批判的思考とは，相手も自分も大切にした思考」（であるべき）と言えるのではないだろうか。

９．まとめ

　以上をまとめると，次のようになる。批判的思考において，soft heartが必要になるのは，少なくとも次の二つがある。一つは，相手に共感的に理解することである。そうすることによって，批判の前提として，自分や相手の理解を深めることができる。そうする必要があるのは，相手を批判的なまなざしだけで眺めていると，バイアスや自分の思考の枠組みや偏見などの影響を受けやすいからである。二つ目は，相手に配慮することである。そうしないと，平等な人間関係にならないという問題もあるし，信頼関係に基づかない批判は受け入れられないというコミュニケーション上の問題も生じる。

　本論文のタイトルに用いたsoft heartとは，「論理的な頭脳と思いやりに満ちた心」（ハード・ヘッドとソフト・ハート）（佐和, 2000)という表現から借用したものである。似た表現として，「冷静な頭脳と暖かい心情」（クール・ヘッドとウォーム・ハート）というものもある。このようなウォーム&ソフトな心が，クール&ハードな頭になぜ，どのように必要なのかを示し，また，それらがどのように折り合わせることが可能なのかについて，本稿で多少なりとも論じることができたのではないかと思う。

　しかし，批判的思考における共感や配慮の問題は，本稿で論じ尽くしたわけではない。考察が不十分な点は多々あるであろう。そのほかにも，認知的な共感性としての役割取得（視点取得）の問題，批判における信頼の役割，批判的思考教育のなかにどのようにこれらを導入するかの問題など，考えるべき課題はまだまだ残されているのである。

引用文献

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角田　豊　1998　カウンセリングと共感体験－共感できない体験をどうとらえ直すか－　福村出版
野家啓一　1998　クーン－パラダイム－　講談社
野矢茂樹　2001a　はじめて考えるときのように－「わかる」ための哲学的道案内－　ＰＨＰ出版
野矢茂樹　2001b　論理トレーニング101題　産業図書
Paul, R. 1995 Critical thinking: How to prepare students for a rapidly changing world. CA: Foundation for Critical Thinking.
齋藤了文・中村光世　1999　「正しく」考える方法　晃洋書房
佐和隆光　2000　市場主義の終焉－日本経済をどうするのか－　岩波新書
Smith, R. A. 1995 Challenging your preconceptions: Thinking critically about psychology. CA: Brooks/Cole.
冨田恭彦　1998　哲学の最前線－ハーバードより愛をこめて－　講談社現代新書
上地安昭　1990　学校教師のカウンセリング基本訓練：先生と生徒のコミュニケーション入門　北大路書房
Wade, C. E. 1997 On thinking critically about introductory psychology. In R. J. Sternberg(Ed.) Teaching introductory psychology: Survival tips from the experts. American Psychological Association: Washington, DC, Pp.151-162.（宮元博章・道田泰司（編訳）　2000　アメリカの心理学者　心理学教育を語る－授業実践と教科書執筆のためのTIPS－　北大路書房）