覚書き | |||||
カミに供える牛 辻 雄 二
沖縄には牛一頭をカミに供え、共食する祭祀儀礼がある。沖縄本島南部の知念村志喜屋で、毎年旧暦二月十日か ら十五日までのいずれか一日におこなわれるハマエーグトゥ〔浜御祝事〕では「龍宮の神」に牛を供える祭祀がおこな われている。平成十四年は旧暦二月十一日におこなわれ、見学する機会を得た。早朝より志喜屋漁港に区長をはじ めムートゥヤー〔元屋〕、カミー〔御願係〕、クダガシラにあたる人々が集まり、祭祀の準備が始められた。ここでいうク ダガシラとは、志喜屋ではシマを四つのクダに分けており、それぞれのクダの頭を務める人をいう。 準備は始めにテ ントが一張りされ、その中に牛を捌くための台が拵えられ、外には肉を煮るための大鍋二つが用意された。 かつては朝まだ暗いうちに、牛を牽いてシマのムートゥヤーである親川・大前・前・大屋四家のヒンプンを左回りに 廻り、後に漁港の船揚げ場で屠殺し解体していたという。現在では、前日までに屠殺場で処理がおこなわれた牛一 頭分の肉が用意されるが、この日も十数個の段ボール箱に詰められた肉が運び込まれた。そして、海に舳先を向け て並べられた三艘の船に、板を渡して祭壇が作られ、そこにウハチ〔御初〕として牛の左前足部の肉が丸ごとに、シ バキ〔藪肉桂〕と共に供えられた。この左前足の置き方は、必ず蹄が艫側にくるようにし、肉の部分を海に向けてお くやり方は昔と変わらない。その前では、残りの肉が集まった男達によって手際よく切り分けられていき、前もって受 けた注文に応えるべく個別の袋に詰められていった。作業は昼までには終わり、その頃には脇で料理されていた肉 汁も出来上がりみなでそれを食す。例年は生血を使ったチイリチー〔血炒め煮〕も作られるというが、今年は生憎とB SEの影響を考慮して用意されなかった。 そして午後三時頃、ムートゥヤー三人と区長・副区長、そしてカミーが御願に廻った。はじめに親川の根屋、続いて 大前・前の順に廻り、それぞれ七つの香炉に線香をあげて御願をおこない、あわせて仏壇にも拝んで廻る。そしてトゥ ン〔殿〕でヒヌカン〔火の神〕を拝み、次いでアガリ〔東〕の方角を拝んだ。その後現在は不在となった大屋で拝みをし、 前城ガー・前城山・チチンジャー・親川ガー・産ガー・上前田ガー・チジンモーと井戸や川といった水に由来する拝所を 順に御願して廻った。 そして最後にシードーガーを御願するが、そこでは餅を供え、祈願後ウサンデー〔お下がり〕として供えた九個の餅 をすべて食べ尽くして浜に戻った。この餅ももとは十五個用意されたが、決して餅を残して浜に戻ってはならないとさ れ、今では九個にしたという。 そして船の上に拵えられた祭壇に供えられていた牛の左前足を下げ、それに替えて九種類の料理が九皿供えら れた。これは米九合のウパナの飾り、ヌジ御盆、サシミ、ダーグ、クリ肉、ウンサク、浮茶、アレンパナ、チリ肉の九 種類である。 祭壇の準備が調うと、海に向かって御願する三人のムートゥヤーの前にティンジカビ〔天使紙〕三飾りが置かれ、龍 宮のカミにシマの安寧祈願がおこなわれる。祈願はムートゥヤーの三人が祭壇の前に一列に座り、その後ろに区長 とカミーが並ぶ。祈願後ティンジカビは燃やされ、ムートゥヤーの三人は献餞の品々をウサンデーとして食べる。その 終わりを待って浜に集まった人々が牛汁を食べ、にぎやかに共食がおこなわれた。 この祭祀はハマウガン〔浜御願〕ともリューグー祭り〔龍宮祭り〕とも呼ばれ、その呼称からも分かるように「龍宮の 神をまつり、今年の豊漁を感謝し祝い、新たなる年の航海安全祈願、豊漁祈願、旅にいる家族の無事を祈願、あわ せてムラの繁栄を祈願するものである」とされる。そして伝承では、この季節に急変する天気をニングワチカジマー イ〔二月風巻〕と称し、このハマエーグトゥの祈願が終わると、船の舳先から沖合に浮かぶアドゥチ島の右横から沖へ と竜巻のような風がたち、その様をみて人々は龍宮の神様が帰っていくことを感じたという。この日もシマを御願して 廻るうちに降り出した雨と強く吹いていた風が、ハマエーグトゥの祈願の終わりとともに穏やかになった。 午後七時すぎ、浜での祭祀を終えた人々はそれぞれ牛肉を手にして家路へとつく。ムートゥヤーと区長・副区長、そ してカミーたちは、親川の根屋に集まり後御願をおこなった。根屋ではハマエーグトゥで供えられたクリ肉とご飯が香 炉の前に供えられ、無事祭祀の終わったことが報告される。そして各戸に分配された肉の精算をおこない、ハマエー グトゥは終わりとなる。 この志喜屋のハマエーグトゥは、今でこそクダごとにカミーとクダ頭を選出し、区長によって執り仕切られる祭祀とな っているが、戦前まではムートゥヤー四家による祭祀であったという。シマの特定の一門と結びついた祭祀儀礼に見 られる牛の供犠については精確にとらえ、今後検討を加えてみたい課題である。 ※ムートゥヤーの親川久子さんと大嶺小学校教諭太田徳盛さんからの聞き取りを、親川正雄氏が『ハマエーグトゥ 〈浜御祝事〉』(一九九三 私家版)という冊子にまとめられている。 〈2002/8/30〉
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