なぜ、「絵教材」なのか?

人によっては、「日常生活場面の動作なんて、その場で言葉で教えてあげればいいじゃない。絵なんて必要ないでしょ?」と思うかもしれません。しかし、よく考えてみてください。子どものそばに始終ついてまわり、子どもの動作にあわせて、「○○」と親が教えることが可能かどうか。特別支援学級の先生が複数の子どもの動作を常に見ていて、子どもの動作にあわせて「○○」と教えることが可能かどうか。動作を行っている時、我々はその行為そのものに集中していますから、教える側にとっても子どもにとっても、(「出来ない」とは言いませんが)そうしたことは現実には難しいと思います。
言葉には、理解語彙と使用語彙があります。「動詞は現実の場面で教えられる」「自然に覚える」と言う人がいますが、その場合、多くは理解語彙をイメージしているのではないでしょうか?知的障害を持っている子どもの問題点は、「言われたことはわかっ」ても、「自分の言葉を発することができない」「相手に自分の気持ちや意思を伝えられない」ということにあると私は思っています。確かに、現実の場面で何度も繰り返 し教えることによって、その言葉が理解できるようにはなるでしょう。が、アウトプットはどうなのでしょうか?「理解できれば話せる」ようになるのなら、知的障害を持っている子どもはもっとすらすら言葉を発することができるようになる筈です。

<絵教材を使えば、言葉が覚えられる?>

もちろん、絵教材を使えばすぐに言葉が覚えられるようになるとは、私たちも思ってはいません。が、現実の日常生活場面の動作を、絵教材を使って反芻することによって、「自分が行っていることは『ことば』であらわすことができるのだ」「自分が行っていることは、『○○』と言うのだ」あるいは「何かをしたい時は、このような手順で行えばいいのだ」という認識を子どもに与えること、言い換えると、物事を認知する力を育て、意識化するきっかけを与えることは可能だと思いますし、現実の場面ではやりにくいアウトプットの練習に利用することはできると思います。

<子どもたちの学びをサポートするリソース教材>

「知的障害児」と言うと、ひとくくりに考えられがちですが、障害の程度はさまざまであり、「障害児」ではない子どもたち同様、一人一人が個性をもっています。そうした子どもたちに教えるためには、目の前の子どもが「どこまでわかっていて、どこからわからないのか」を療育する側が意識し、「ちょっとした工夫」をする必要があります。が、その「ちょっとした工夫」をするための基本的な道具立てが、現時点では残念ながら不足しているように思います。この「ちょっとした工夫」をするための素材を提供することを、私たちは目的に、この絵教材を開発しています。
「教材」と言うと、どうしても、その教材を使って何かを教える、またはその教材をそのまま使うというイメージを持ってしまうかもしません。が、私たちはこの絵教材をそのようなものとして考えてはいません。利用する人が目の前の子どもの認知能力や言語発達状況を考え、利用方法に応じて、適宜加工を加えるリソース教材と捉えています。