読書と日々の記録2006.11下

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■読書記録: 30日短評6冊 25日『21世紀を拓く教育の方法・技術』 20日『社会科授業が対話型になっていますか』
■日々記録: 28日当日ブリーフレポート(5) 22日せっかくの 16日化石騒動

■今月の読書生活

2006/11/30(木)

 明日から2泊3日で出張。来週も土日は仕事が入っている。先週も土日は仕事みたいなものだったし。なかなか一息つけないなあ。

 今月良かった本は、『大本営参謀の情報戦記』(なるほど情報の交叉点を求めるね)だろうか。『子どもが減って何が悪いか!』も悪くなかった。

『川崎和男 ドリームデザイナー』(NHK「課外授業ようこそ先輩」制作グループ編 2002 KTC中央出版 ISBN: 4877582568 \1,470)

 デザイナーによる「課外授業ようこそ先輩」。一日目はデザインの話をし、デザインをしてみせ、「自分」のマークをデザインさせる。宿題として、携帯電話か刃物のデザインをさせ、2日目にプレゼンをさせ、審査する、という授業である。面白かったのは、携帯と刃物のうち、自分でデザインしたいほうではないほうをデザインさせたこと。そのことで、人のためにデザインすることを考えさせるのと同時に、自分が興味あるほうについて審査の側に回ることで、客観的にみることを意図しているようである。あと2日目は、数名のプレゼンにダメ出しをして、再プレゼンをさせている。困難さの壁を見せることで、それを乗り越える力を出させようということである。同シリーズの見城氏も同じようなことをしているが、1日目に信頼関係ができていたら有効な手段だと思う。

『野中広務 差別と権力』(魚住昭 2004/2006 講談社文庫 ISBN: 4062753901 \730)

 地盤も資産も学歴もない被差別部落出身の野中氏が政界の頂点にまでたどり着いたのはなぜか、という疑問に答えようとしたノンフィクション。講談社ノンフィクション賞受賞作である。私の苦手な政治の話だったので、十分には理解できていないとは思うが、冒頭の問いに対しては、ある程度納得のいく答えが提示されているようには思った。それと同時に、彼がやってきたことを理解することが、今の日本の政治状況のみならず、沖縄の状況を理解するのにも役に立つことがわかった。政治というのが実に恐ろしい世界だということも。

『教師たちの挑戦─授業を創る学びが変わる』(佐藤学 2003 小学館 ISBN: 4098373610 \1,470)

 再読。今回注目したくだり。「成功するにせよ、失敗するにせよ、子どもの学びが、教師の指導以上に子ども相互の学び合いの影響を強く受けていることに気づいている教師は少ない」(p.105) 激しく同意である。(声を合わせて斉読するのではなく)「一人ひとりが自分の読みを自分のペースで表現する中でしか、テキストの言葉と出会い身体のイメージを喚起することはできない」(p.213) そうだろうと思うが、斉読でも「テキストの言葉に出会っている」と主張することは可能である。出会いになりうるものと、出会いのようだけれども出会いになりえないもの、対話と、対話のようだけれども対話になりえないものの違いを、実際の場面に即して明確に分けておく必要があるのではないだろうか。でなければ、あらゆるものを「出会いと対話」であるとレトリック的に主張できてしまうと思うので。「「同僚性」の構築において重要なことは、それぞれの教師の教育観や授業の方式の耐用性を尊重しあうことである」(p.237) これも激しく同意である(が、そうなっていないことが少なくないのではないだろうか)。

『子どもの自立をたすける学習法〈第6学年〉』(奈良女子大学文学部附属小学校学習研究会 (編) 1993 明治図書出版 ISBN: ISBN: 4182966023 ¥1,580)

 奈良女子大学附属小学校での6年生の実践を集めた本か。奈良女子大附属小というと、しごと・けいこ・なかよしであるが、そういう特色は、残念ながら私には読み取れなかった。「おたずね」というのも日常的に行われているのかと思っていたが、本書にはそういう姿は描かれていなかった。

『がちゃがちゃクラスをガラーッと変える―子どもとの対話に強くなる』(篠崎純子・溝部清彦 2006 高文研 ISBN: 4874983634 \1,365)

 全国生活指導研究協議会に所属する著者2名による、学級経営についての本。大きく4つのパートに分かれており、出会いの1ヶ月の過ごし方、クラスにトラブルメーカーがいるときの対処法、保護者のハートをつかむ方法、遊びやイベントの企画、について書かれている。それらに通低する基本的な方策は、一つは、子どもや父兄の持っている思いやパワーを、学級経営にそのまま生かす、という方策だろう。問題のある子に対しては、その子なりの理由や背景を理解しようとする、というやり方が共通しているようである。さらには、先生自身が考え方を変えることで、トラブルにめげないようにもしている。こう書くと簡単なのだが、これらの方策を実際の形にするのは、とても大変なことだと思う。そのヒントとして、有効な本であると思った。

『夢をかなえる人の手帳術』(藤沢優月 2003 ディスカヴァー21 ISBN: 4887592493\1,260)

 手帳術的な本を読むのは、これが3冊目だろうか(昔読んだ『超整理法』を含めると、もう少しあるか)。その中でこの本は、私にとってはイマイチだった。タイトルには「夢をかなえる人の」とあり、夢を持っているけれどもそれがかなえられない人のための本のように見えるが、しかし本書には「夢や目標をはっきりさせよう」という章があり、それは要するに夢や目標がはっきりしない人のための章なのである。これだけではないのだが、このように、全体的に本書で目指されていることが非常にアイマイな感じがした。もちろんこういう本が向く人もいるのだろうけれども。

当日ブリーフレポート(5)−評価基準づくり

2006/11/28(火)

 これまでに5回レポートを書かせる機会があったが,書くのに苦労している学生がかなりいるようにみえる。終業のチャイムがなった時点で,1/4〜1/2の学生が書き終えていないのだ。

 そこで今日は,レポートの書き方についての授業をすることにした。「人間関係論」という授業内容とは直接関係ないのだが,このままでは,レポートの書き方のみならず,授業の聞き方も改善されないだろうと思い,あえて行うことにした。

 といっても,レポートの書き方を私が講釈するのではなく,過去に出された良いレポート4例を印刷配布し,良いレポートとは何かについて考えてもらったのだ。補助資料は,レポートの書き方的な本3冊から2ページずつ抜粋したものを用意した。

 単に「良いレポートとは」という問いでは抽象的になると思ったので,「レポートの評価基準を作る」ことを目的に考えてもらった。最初は隣近所と相談しながら考えさせた。それでは,思考傾向の似ている人同士になってしまいそうなので,授業開始35分ぐらいの時点で,座席を(誕生月で)入れ替えた。そこで3〜5人グループを作らせ,他人と話し合いながら,最も重要と思われる評価基準を考えてもらった。

 20分ほどその作業をしたところで10名を指名し,考えたことを板書させた。さまざまなものが出たが,私が評価基準として使いやすいもの6つを選びながら内容にコメントし,来週以降のレポートの評価基準とすることにした。

 最終的には自分が使いやすいものを選んだわけで,評価基準自体は,私が作ったとしても大差ないものになった。評価基準を考えるプロセスで,良いレポートとは何かについて,実際のレポートに即して考えてもらえれば,というのが授業の目的である。授業後の一言カードを見る限り,多くの人はその目的を(それなりに)達成したように見えた。

 来週以降出されるレポートが楽しみである(あまり過度に期待しないほうがいいのかもしれないけれど...)。

■『21世紀を拓く教育の方法・技術』(森敏昭編著 2001 協同出版 ISBN :4319002180 \3,150)

2006/11/25(土)

 タイトルどおり、教育の方法・技術の本。教職科目の教科書という位置づけだろうか。心理学者が中心になって書いているので、教育学者が書いた「教育方法」の本とは、おそらくかなり内容が異なってる。かといって、教育心理学系の教科書とも違い、本書は構成が面白い。

 「学習とは・教育とは」という第一章に続く4章は、知識・理解、思考・判断、表現・技能、関心・意欲と、新しい評価の観点に沿った章立てがされている。こういう本は初めて見た気がする(ただし内容の多くは、おなじみの教育心理学的な知見を、これらのテーマに沿って配列しなおしたようなものが多かったのだが)。

 次に、「学習指導の類型」の章をはさんで、続く7章は、国語、算数、理科、社会、外国語、総合学習、情報教育の方法と技術に一章ずつ割かれている。こういう構成の本も私ははじめてで、ここの部分は、なかなか有用に感じた。各教科の事情も紹介しつつ、その特質に応じた指導の話が、その教科に詳しい研究者によって語られているからである。私のように、いろいろな教科で指導・助言に呼ばれる人間にとっては、事前の予習にちょうどいい。最後に評価の章があって終わりである。

 本書のもう一つの特徴は、教育心理学の世界の中ではレベルの高い、実践にも詳しい先生が多数執筆されているところである(特に本書後半は)。敬称略で述べるなら、秋田、栗山、湯澤、奈須、三宮、鹿毛の諸先生である。このラインナップだけでもすばらしい。

 ただ残念なことは、内容的には極めて教科書臭が強く、読んでいて面白いとかワクワクする、という内容ではない、という点である。まあ役に立ちそうだからいいんだけど。

せっかくの

2006/11/22(水)

 誕生日、近所のこじゃれた居酒屋に家族で行ったのですが...

 帰ってきてみたら、窓ガラスが割れていました。空き巣に入られたようです。いくつかの引き出しを開け、箱を開け、多少ものを動かした形跡がありました。

 幸い、金目のものはおいていなかったので、被害は窓ガラスの破損ぐらいだったようですが。ほんの1時間ほどうちを空けた間の犯行だったようです。

 今、警察の人が来て、指紋を調べたりしています。けっこうな人数来ています。子どもたちはお友達のうちに預けました。せっかく買ってあるケーキもまだ食べれていません。

 私、明日は仕事なんだけど、いつになったら寝られるのかなあ。

■『社会科授業が対話型になっていますか』(安野功 2005 明治図書 ISBN: 4184140130 \2,058)

2006/11/20(月)

 筆者は、こちらの附属小学校にもう5年も来られている先生である。ようやく読んだのだが、対話型授業に対する筆者の考えをいろいろと知ることができてよかった。

 筆者は対話型授業を一言で、「対話型とは、みんなで考えあう授業の方法論なのです」(p.50)と述べている。簡潔な定義である。また筆者は対話型授業のことを「一往復半+α」とも呼んでいるが、それが何なのかが分かった。他者間対話(=一往復)+自己内対話(=半)+それによって触発された更なる問いや対話(=+α)、ということのようである。なるほどね。

 それから、対話型授業と一言で言っても、いろいろな種類がある。それを筆者は、7つのタイプとして示している。これもよかった。メモ書きしておくと、問いを作る「共感型」、聞く力を育てる「付け足し型」、社会的事象の本質を捉える「共通点発見・接続型」、筋道立てて考える「連結・リレー型」、建設的に考える「建設的批判型」、多面的に捉える「立場転換型・視点スライド型」、社会的な判断力を育成する「意思決定型」の7つである。対話で学びあう授業を研究テーマとして標榜している学校は、対話とは何かとか、対話の良し悪しを議論するのではなく、さまざまな対話型授業のよさを認め、このような類型にしていくといいのに、と思う。

 あと、対話の捉えには多分さまざまなものがあるのだろうが、挙げられている事例を見る限り、筆者はペアや小集団での話し合いを重視しているようである。たとえば「日ごろから、ペアで対話的に話し合う場面や自分の言葉でまとめる活動を意図的に取り入れることも、社会科を対話型にしていく日常的な手立ての一つ」(p.144)などと述べられている。この場合、どういう場面で、どういうペア活動を組み込んでいくかが大事なのだろうと思った。

化石騒動

2006/11/16(木)

 今日は附属小で授業を2時間見てきた。5年生と4年生を。そのうちの5年生のクラスで,男の子に「これ何かわかる?」と,石のようなものを見せられた。校庭を掘ったら出てきたらしいのだが,理科専科の先生も分からないという。私が預かって,大学の理科の先生に聞いてみることにした。

 私の見た感じでは,植物っぽい気がしたので,植物学のTt先生のところに言った。Tt先生が言うには,「これは石ではないか。少なくとも,最近まで生きていた植物ではない」とのことだった。

 Tt先生もそれが何か知りたかったらしく,さっそく,M先生の研究室に連れて行ってくれた(専門は藻類学らしい)。M先生が言うには,「直感だけど,エイかサメの歯の化石ではないか」とのこと。理由は,かつて見たことのあるサメの歯の化石に光沢などが似ているからだそうだ。エイかどうかは確信はないとのことだが,動物の硬組織には間違いないでしょう,とのことだった。

 次に,古生物学が専門のTb先生のところに行った。Tb先生が言うには,「これはサメではなくエイだろう。それが数百年前のものか,数百万年前のものかはわからないけど」とのことだった。ちなみに化石とは,1万年以上前のものを指すらしい。それ以前だと単なる「遺骸」だそうだ。ただ,化石になると重くなる。この重さの感じは,化石かもしない,とのことだった。歯の化石なら専門的な図鑑に載っているでしょう,ということで見てくれたのだが,残念ながらサメの歯の化石しか図鑑には載っていなかった。エイの歯の化石は珍しいみたいだ。

 なんでも明日,もう少しこういう方面に詳しい方が来られるのだそうで,Tb先生に預けてきた。

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 という顛末で,騒動というほどでもないのだが,同じ一つの物体でも,素人(私)と他領域の専門家(Tt先生)と近い領域の専門家では見えるものが違うなあ,というのがとても面白かった。

 それに,専門家が一つの化石を前にあれこれと推測しているさまは,探偵のようで,ちょっとカッコよかった。心理学者がこういうカッコよさを発揮することはないだろうなあ,なんて思いながら見ていた。


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