読書と日々の記録2003.05下

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■読書記録: 31日短評8冊 25日『反駁ゲームが楽しいディベート授業』 20日『ストロボ』
■日々記録: 17日ドラマを見る娘たち

■5月の読書生活

2003/05/31(土)

 多忙感は相変わらずではあるものの、読書冊数はやや持ち直した。それでも1年前ほどではないのがちょっと悲しい。しかもちょっと打率低い感じだし。

 今月よかったものとして『ストロボ』が第一に挙がるところにもそれが表れている。いや、この他者理解の物語は、質的研究的な視点からも十分に面白くはあるのだが。あとは、前半しか理解できなかった『デモクラシー』か。あと、『反駁ゲームが楽しいディベート授業』は、読み物としてはすごく面白かったわけではないのだが、反論を中心に組み立てるという発想はいずれ役に立ちそう。なおこの本は、私が気づいただけでも、2件の反応があったようである。この本に興味をもたれた方には、『反論の技術』もいいのではないかと思う。もうご存知かも知れないけれど。

『癒える力』(竹内敏晴 1999 晶文社 ISBN: 479496398X \1,500)

 看護関係の雑誌に連載された小文を集めたものだそうで、内容的には、これまでに読んだ筆者の本を大きく超える話はなかった。ただ一箇所、筆者のレッスンの意味について書かれた箇所は付箋をつけた。「今までの生育歴、学校、社会教育の過程でいつのまにかつくり上げられてきた慣習としてのからだに、アレ? と気づいて立ち止まって、自分を見なおし始めること。これをソクラテスにならって「ドクサ(思い込み・偏見)の吟味」と言ってみる。自分一個の感受性と思考によって行動すること、言いかえれば疑うことへの出発だ。」(p.160)というくだりである。そうやって自分を問い返し、新しい自分に出会っていくのである。こういう発想が根底にあることが、私が筆者のレッスンに惹かれる理由であろうと思った。それは「自分一個」というよりは、新しい文化実践への参加だろうとは思うのだが。

『教育心理学ハンドブック』(日本教育心理学会(編) 2003 有斐閣)

 教育心理学を理解し研究する上で知っておくと役に立つようなことが一通り網羅されている,幕の内弁当的お得感のある本。具体的には,教育心理学の理念,歴史,社会的役割,研究動向,研究法,倫理,投稿のヒント,学び方などが書かれている。私は教育心理学の勉強や研究を始めてから数年なので,全体を概観する上で,非常に役に立った。私にとって興味深かったのは,妥当性について論じられた部分であった。あと,「著者が,1960年代半ばに学生時代に使っていた教育心理学のテキストに見られる内容のほとんどが,今日の教育心理学の本では紹介されることがなくなった」(p.17)という記述には驚いた。今から30年後の教育心理学はどうなっていることだろう,なんてちょっと思ったりして。

『日本語は生き残れるか─経済言語学の視点から─』(井上史雄 2001 PHP新書 ISBN: 4569617271 \660)

 日本語の国際化(日本国内で外国語が使われることと,日本語が外国で使われること)を中心として,諸言語の地位や格差,コストなどの言語の経済的な面を考察した本。世界の他言語のすみわけに関しては,現在「英語帝国主義」とでもいうべき勢力が拡大しつつあるようだ。それは,アメリカの国力や経済力のほかに,英語の易しさや,破格表現への寛容さが主な理由のようだ。あとタイトルの問いに対しては結局,生き残れるだろうということのようだ。それは,話し手が多いこと,新しい事柄も表現する力があること,英語との違いが大きいために,英語にのっとられるには時間がかかりそうなことなどが挙げられている。まあ全体としては,特定のテーマに向かって力強く進むというよりは,日本語の国際化や言語経済について,雑学的なものも含めて幅広く論じている本で,面白さもそこそこだったが,興味深い記述も少なからずあった。

『批判と挑戦─ポパー哲学の継承と発展にむけて─』(小河原誠編 2000 未來社 ISBN: 4624011538 \2,200)

 再読。1年ぶりだが、やはり良書であった。つい誤解して受け取ってしまいそうなポパーの理論の適切な理解を示してくれるので。それに加えて、タイトルにある「批判と挑戦」の肯定的な意義を再確認できる。とはいっても、まだ十分にわかったとは言いがたい。また機会を見て再読する必要がありそうである。

『入門環境経済学─環境問題解決へのアプローチ─』(日引聡・有村俊秀 2002 中公新書 SBN: 4121016483 \780)

 環境問題を解決するには、市場を利用することが有効であることを論じた本。対象は、ごみ処理、廃棄物問題、大気汚染、地球温暖化などである。経済の基本がよくわかっていないので、本書の内容も表面的な部分しか理解していないが、本書によると、ごみを従量制にしたり、炭素税を導入したりと、市場をフルに活用すればかなり環境問題が解決するようである。その当否も私には判断できないのだが、そう簡単なものではないのでは、という気がしないでもない。あくまでも素人の意見なのだが。

『理由はいらない』(藤田宜永 1996/1999 新潮文庫 ISBN: 4101197148 438円)

 連作短編推理小説。うーん,そこそこおもしろいんだけど,推理小説的部分に関しては,イマイチだったなあ。短編なので,話がご都合主義的に(トントン拍子に)進むし。その辺が気になったので,評価としては○どまりか。ただし本書は,事件を解決するという意味だけでの推理小説ではないのは確か。もう少し奥深いものまで扱おうとしている。しかし,普通の謎解きに加えて,プラスアルファまで扱おうとすると,40ページ程度の短編では荷が重いのではないだろうか。同じような趣向のものを,中篇以上のもので読みたいものである。

『システム・シンキング』(バージニア・アンダーソン 1997/2001 日本能率協会マネジメントセンター ISBN: 4820740156 \2,300)

 「時系列変化グラフ」「因果ループ図」という2つのツールを中心として、(主にビジネスにおける)システム思考なるものを説明した本。システム思考とは、ある目的のために(木ではなく)森という全体像を捉えることであり、時間軸の中で、短期的・長期的なフィードバックループで物事の因果関係を把握することである。ただしその描き方に、終わりや正解はない(p.135)。それは、自分が物事をどう捉えているかをあらわすものでしかないのである。その発想は悪くないのだが、本書はほんの入り口という感じである。因果を考えるのであれば、第三変数による擬似相関などの影響を考えることは必須だと思われるが、そのような点についての記述はない。

『算数の究極奥義教えます─子どもに語りたい秘法─』(木村俊一 2003 講談社 ISBN: 4062110849 \1,400)

 なんだか魅力的なタイトルだが、少なくとも私にとっては、タイトルから期待したような内容ではなかった。基本的には数学パズル的な本であり、しかも対象はあくまでも、ある程度算数や数学ができる人であろう。

■『反駁ゲームが楽しいディベート授業』(近藤聡 1997 学事出版 ISBN: 4761905271 \1,700)

2003/05/25(日)
〜反論を中心に組み立てる〜

 高校の国語(機砲如■源間のディベート授業を行った、その実践報告になっている本。私はディベートを見たこともやったこともなく、本で読んだことがあるだけなのだが、これぐらいの時間をかけてこういう順序でこういうことをやれば、ディベートをまったく知らない生徒に、ある程度のディベートを身につけてもらうことができそうだということが、本書でわかった。

 8時間の概要は以下のとおり。(1)ビデオを通してディベートの特徴とルールを知る。(2)各自で反駁を作る。(3)チームで反駁を練り準備する。(4)反駁エンドレスゲームで反駁を深める。(5)その体験を基にして、立論を書き直す。(6)(7)マイクロディベートの準備をする。(8)マイクロディベートをする。

 一般的にはどのようなディベート指導が行われるのかは知らないが、この本の実践の特徴は、反駁を重視しているところであろう。2時間目、3時間目、4時間目と3時間かけて反駁が学ばれる。ディベートの第一歩(2時間目)も反駁作成からである。2時間目から4時間目までは、全員が共通の立論(肯定側、否定側ともに)を用いるのである。そうすることで、第一反駁を作り上げることに専念することができる。本書の中では明確に書かれているわけではないのだが、おそらく、ゼロから自分の意見を作る(つまり立論からはじめる)よりも、誰かの意見に触発されて意見を作る(反駁からはじめる)方が、とっつきやすいのだろう。なかなかうまいやり方である。

 それだけではなく、筆者によると、「かつては立論を作るのがやっと」で、せいぜい「第一反駁を紹介し合うだけで終わって」(p.49)しまう、というのが教室ディベートの現状であったという。それを、本書のやり方では、反駁からはじめ、反駁を深める方向で授業を進めていくことで、もう一歩先に進んだという。

 その中心にあるのが、4時間目の反駁エンドレスゲームである。肯定側と否定側それぞれが立論したあとは、相手の立論に対して、交互に反駁合戦を繰り返すのだという。エンドレスとはいっても、50分の授業では第三反駁までが限度なのだそうだが。あと、ただゲームを行うだけでなく、一試合を取り上げて議論の展開を分析する(p.62)ことが重要のようだ。4時間目の最後と5時間目の前半をそれに当てるのである。

 この体験を生かして、5時間目には各自が立論を作る。そこではもちろん、反駁体験が役に立っているのである。確かにこの順序でこれぐらいの準備をさせれば、ある程度のレベルのディベートができそうである。

 最後に行われるマイクロディベートは、肯定側1名、否定側1名、審判1名の3人一組で、一試合13分で行われるディベートである。これを3試合行うことで、全員が全部の役割を体験できる。

 また本書の最後には、定期テストの中でディベート能力を確かめるやり方も紹介されている。2つあり、ひとつは議論に対して反論を書かせるもの、もうひとつは、反論を呼んで、どういう反論なのかを分類させるものである。つまりここでも反駁(反論)が使われているわけである。このように本書の実践では、徹底して反論が中心にすえられて授業が組み立てられている。ディベートや議論における反論の重要性とともに、反論を中心にすえることで筋の通る授業が組み立てられることを学ぶことのできる本であった。

■『ストロボ』(真保裕一 2000 新潮社 ISBN:4106026473 \1400)

2003/05/20(火)
〜他者理解の物語〜

 一人のカメラマンを主人公にした連作短編。非常に面白かった。評価としては、◎◎◎つけてもいいくらい。最初の章からとりこになったといっていい。ツボにはまったというか。そして期待を裏切られないままに最後まで読めた。ということで、2年以上ぶりにこのページで小説を取り上げる。

 本書は5章編成で、「遺影」(50歳)から始まり、「暗室」(42歳)、「ストロボ」(37歳)、「一瞬」(31歳)、「卒業写真」(22歳)と、過去に向かって逆順に章構成されている。各章で語られているのは、作中の表現でいうならば「必然の轍」とでもいえるのではないかと思う。それは次のくだりである。

偶然のように見えても、人の歩んできた道には必然の轍(わだち)が続いていると感じられてならない時がある。少なくとも彼女と出会わなければ、今の喜多川はなかった。(p.156)

 各章で語られているのは、それがなければ今の(そして今後の)主人公はない、といえるような出会いであり出来事である。私は最近、(本人が語る)人生の物語を通して人を理解することに興味をもっている。本書もそのような物語になっており、その点が私の興味を引いたひとつのポイントである。もちろん小説とは基本的にそういうものなのだろうが、本書は短編なので、その出来事が鋭く鮮やかに切り取られ、本書全体を通して必然の轍となるさまが、見事に描かれている。

 また、筆者は推理小説作家らしく、どの章にもちょっとした謎が提示される。謎といっても、探偵小説的な謎ではない。写真の依頼主はかつて主人公に会ったことがあるようなのだがいつどこで会ったのか、とか、彼女が自分のもとを去っていったのはなぜか、みたいな謎である。いずれも章の最後で主人公はその謎を解決する。それを通して、それまで誤解していたその人の言動の意味が捉えなおされ、主人公が相手を理解しなおす。いや,解決といっても,それが「誤解」であったことが別の形で示されるわけではない。あくまでも主人公が自分なりに,新たに解釈しなおすだけだ。しかしそうやって解釈しなおすことで,過去の意味が変わってくる。人を見る目も変わってくる。このように、解釈によって変容する過去や他者理解という点も,非常に興味深かった。

 ところで、本書のテーマである「写真」であるが、何枚かの写真を組み合わせてある一つのまとまった作品にしたものを「組写真」というのだそうである。本書の5章は、主人公の人生を5枚の写真に切り取った組写真ということができそうである。写真とは一瞬を切り取るものである。しかし本書にもあるように、「その一瞬が永遠につながる」(p.185)。一瞬のなかに、「その人の歩んできた人生」(p.23)や「その人物が背負ったもの」(p.54)が現れる。それだけではなく、被写体の「決意や無念」(p.31)といった心の動きも表現されるという。被写体だけではない。撮影者の技量や計算も、情熱も、「モデルへの思い」(p.47)も表現される(一瞬に露呈する過去って、まるで、『<意識>とは何だろうか』にあった「来歴」みたいだ)。その意味で本書は、一瞬が切り取られた5枚の組写真を通して、主人公の来歴や行く末や思いを表現した、組写真的短編といえそうである。その組み合わせの妙を、そして一瞬に表現された時間や思いや人生や他者理解の変化を楽しむことのできる本であった。

■ドラマを見る娘たち

2003/05/17(土)

 最近、うちでドラマを見るのが大変になってきた。といっても昨日の話なのだが。

 下の娘(2歳8ヶ月)は、ドラマは見ていないのだが、「せんせい」(磁石で絵を描くやつ)をもって、妻の横に座っている。で、自分では書かずに、「マル書いて」だの「カエル書いて」だの注文三昧なのである。妻がドラマに熱中して相手しないと、どんどん声が大きくなって、ドラマのセリフが聞こえやしない。。結局、絵を描かざるをえないのである。描いたら描いたで、注文は途切れないのだが。

 上の娘(4歳11ヶ月)は、昔からなぜかドラマが好きで、筋もわからないような頃から、テレビでドラマをやっていると、じーっと見ていた。だから1時間ぐらいのドラマをみるのは平気である。昨日も、私のひざの上に座って一緒にドラマを見ていた。しかし昨日は、ただ見るだけではなかった。思ったことを全部口に出すのである。とくに疑問を。「なんで寝てるの?」とか「あの人誰?」とか。私が答えると「なんでわかるの?」、わからないと答えると「なんでわからないの?」 始終しゃべっているのでセリフは聞こえない。しかもあんまり始終しゃべっているものだから、「おばさんみたいだ」と妻に言うと、早速それを聞きとがめて、スネて隣の部屋に行ってしまった。私はあわててフォローに。

 そういえば上の娘、「なんで」がブームになりつつある。疑問を親に問うだけではない。自分で理由を思いつくと、「なんでか教える?」と、答え(らしきもの)を教えてくれる。最近の口癖といってもよさそうである。

 実は私、娘が「なんで期」(この表現であっているかどうかはわからないが)に突入するのを恐れていた。返答が面倒くさそうで。いかに「なんで?」をかわすか、策をねっておかなくちゃ。


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