31日短評4冊 25日『教えて考えさせる授業(小学校)』 20日『物語 アメリカの歴史』 | |
| 27日学び 20日空飛ぶ娘たち 17日メタボ? |
もう10月も終わりか。はやいなあ。今学期は,昨年の同学期に比べて授業が2つ増えているせいか,なんだかやけに忙しく感じる。どの時間にも大福帳みたいなものを書かせていることも,こちらに多忙感につながっているのかもしれないが,それはまあしょうがない。
今月良かった本は,強いてあげれば『ホンダ神話』かな。やけに分厚くて万人向けではないと思うが。
金曜日、久々に中学校で授業見学をした。授業見学は1ヶ月ぶりぐらいか。
子どもたちはその時間、あまり学びが充実していないように見えた。もっと何回も試行錯誤をするなかで、自分なりに学んでいけるといいのに、と見ながら思った。あるいは、友だちのやり方を見ながら。友だちに見てもらいながら。
でも機材の数が十分にないため、そして他人との交流についても先生がそういう場を意識的に作っていなかったため、そんなふうに学べた子どもはごく一部だったのではないだろうか。少なくとも私にはそう見えた。
自由に試行錯誤できる環境(と興味深い課題)があれば、人はそこから自然に学んでいけるのだと思う。他人と見せ合ったり話し合ったりできれば、そこからも学べるだろう。
そういうものがない場合、人はどこから学べるのだろう。(学べない、と行っているわけではない。それ以外に何があるのか、私自身、きちんとした考えをもっていないので、上記の授業についても、結局のところは、パキッとしたことをうまく言うことができないのだ)(授業を見て考える力がちょっと落ちているのかな? ひょっとして)
出版社の編集の方にいただいた本。「教えて考えさせる授業」について、指導プランだけでなく、授業の作り方・すすめ方のコツや、実際に実践されている先生方の座談会などが載っている。
指導プランは、算数、理科、国語、社会のそれぞれについて、複数学年の4つの指導プランが載せられている。そこでも、この単元は今までの授業はこのようなやり方でこのような問題があったのでこのように変えるのだ、という記述があったり、本時の急所、展開のポイント、子どもの感想などが載せられており、なかなか丁寧に作られている印象である。
なお前書きには、「「教えて考えさせる授業」の特徴が表れやすいことから、慣例的な教科の配列とは異なり、「算数、理科、国語、社会」の順とし」(p.3)と書かれている。実際指導プランを見ても、算数と理科はよくできている授業が多いが、国語と社会は、教えて考えさせる授業の特徴がちょっとよく分かりにくい感じがする。
本書を読みながら(また編集の方と多少のメールのやり取りをしながら)考えたのだが、教えて考えさせる授業の形にしやすいのは、要するに「ルール学習」的なものなのではないだろうか。従来型ではルールを自力発見させていたところを、基本ルールはあらかじめ教えてしまい(理解確認を丁寧にやりながら)、ルールの定着が不十分であるために引っかかってしまうような応用・発展問題を、考えさせる対象にする、というのが「教えて考えさせる授業」の基本ということなのではないだろうか(本書には「ルール学習」というような表現は出てこないが)。となると、たとえば社会科でも、ルール学習的な要素のあるもの(仮説実験授業や極地方式で扱われているような)なら、このスタイルに乗りやすいのではないかと思うがどうだろうか。
うちの二人の娘たちを見ていると、下の娘(小1)がきわめて空想的であるのに対して、上の娘(小3)はきわめて現実的で面白い。おそらくこの対比は、年齢的なものに加えて、彼女らの持っている傾向が関係しているのだろうと思う。ただし小3といっても、完全に大人と同じような現実判断をするわけではないようである。
−−−
さっき、ショッピングセンターに家族で行って、私は娘たちと売り場をウロウロしていた。ふと見ると、竹ボウキが置いてあった。へえこんなものスーパーで売ってるんだ、そういえば初めて見たような気がするなあ、なんて思いながら眺めていたら、娘たちがやってきた。
竹ボウキを下の娘が見て一言。
「あ、これに乗ったら飛べるかもよ!」(そういえばちょっと前にDVDで魔女の宅急便を見ていた)
それを聞いて上の娘が一言。
「たぶんね。乗ってみようか」
−−−
ふだんの娘たちの会話なら、上の娘は「そんなはずないじゃん」とか、「そんなすごいものがスーパーで売ってるわけないじゃん」といいそうである。それをあっさりと「たぶんね」と言ったのは、ちょっと驚いてしまった。
アメリカ史の本はこれまでに、『憲法で読むアメリカ史(上)(下)』、『アメリカ外交』などを読んできた(ほかに、一時代のみを扱った本を何冊か読んでいる)。本書は上記の本のように憲法や外交という一側面で見るのではなく、アメリカの歴史を全般的に扱っている。とはいっても、筆者の個人的な体験や興味という観点は比較的色濃く出されているようではあるが。
本書で特に認識を新たにしたのは、次のようなことだろうか。
本書で再確認したのは、アメリカでは、「建前として掲げられる理想」(建国の理想のような)と、「現実」に大きなギャップが見られることがあることである。たとえば18世紀に行われた対インディアン政策もそうだし、その後の黒人の処遇に関しても同じである。健全な批判精神と反知性主義もしかり。そういう二面性のある国として捉えないと見えてこないものはあるなあと思った。
先日、娘がどこからか「メタボメジャー」みたいなものを持ってきた。単なる紙製のメジャーで、85cmのところに「危険」とか書いてあるやつだ(ウロ覚え)。
私はズボンのサイズが85cmなので、ということはウェストの実寸は85cm未満ということだろうとずっと思っていたのだが、これで計ってみると、そうではなかった。要するに「危険」ということのようだった。
おかげで、今まで他人事だと思っていたメタボが、急に身近なものになってきた。もう少し体重を落とさんといかんのかなあ、なんて漠然と考えた(といっても何をしたわけでもないのだが)。
なんて思っていたところ、「ウエスト男85cmは「メタボ」 診断基準に厳しい批判」なんていうニュースがあった。
男性の腹囲85センチという日本の基準は、中高年の平均値とほぼ同じで「半数を患者に仕立てるために初めから結論ありきだったのでは」と疑っており、「患者が増えれば専門医と製薬業界が潤います」と「背景」を「解説」した。
...なんていう医学部教授のコメントも紹介されている。
なーんだ平均値なのか。なんて、ちょっと安心したりして(それでいいのかどうかはさておき)。