読書と日々の記録2007.01下

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■読書記録: 31日短評6冊 30日『学校の挑戦』 25日『御直披』 20日『「学習力」を育てる秘訣』
■日々記録: 30日減量宣言 21日あっという間にまちがいさがし 17日残念!

■今月の読書生活

2007/01/31(水)

 ありゃりゃ、もう月末ですか。

 今月よかった本は、『「学習力」を育てる秘訣』(奈良の学習がちょっとわかってきた)と『学校の挑戦』(以前の著作より具体的だし同意できる部分が多い)か。なんか教育書が増えてきたなあ。

『世界の創造性教育』(弓野憲一編 2005 ナカニシヤ出版 ISBN: 488848936X \2,520)

 日本、中国、台湾、アメリカ、カナダ、イギリス、ドイツ、フィンランドの創造性教育を紹介している本なのだが、章によって筆者が異なるため、統一的な観点で国による違いを知る、という形にはなっていない。そのため、さほど興味深い本ではなかった。しいて言うならば、アメリカ、カナダ、イギリスでクリティカル思考という語が出てきた、というところぐらいか。あと日本では「1960年代後半から70年代後半にかけて、国立大学付属小学校・中学校を中心に、全国規模で創造性教育が行われ、膨大な量の報告書が発行されている」(p.3)そうだ。ちっとも知らなかった。しかし、本書にちょっと載せられている実践例をみるかぎり、要するにいろいろ考えてみよう、と問いかけていることをさして創造性教育と呼んでいるようで、それならよく見られる実践とそんなに大きくは違わないように感じた(あくまでも本書に少しだけ載せられている例だけからの判断であるが)。日本に関しては、大学から高専で行われているロボコンの経緯が書かれており、そちらのほうが、創造性教育という意味ではとても興味深かった。

『日本語は年速一キロで動く』(井上史雄 2003 講談社現代新書 ISBN: 4061496727 \735)

 帰省先のブックオフで見つけた。この著者の『日本語ウォッチング』と同じく、新方言のがどのように広まるかについて論じた本。新方言とは、「ウザッタイ」「チガカッタ」「ムカツク」のように、今も変化しつつある、しかし単なる一過性流行ではない言葉のことである。本書ではタイトルにあるように、それが具体的にどのぐらいのスピードで伝播しているのかを、実証的に論じている。方言を、今も生まれ、変化しつつあるものとして描き、また、地方から東京へも伝わるものとして描いている点は、前著と同じく興味深いものだったが、本書では「年速」という観点を実証的に強調するために、地味なデータがたくさん載せられており、そういう意味ではマニアックな印象の本だった。本書最後の方で、筆者が新方言に目をつけ、研究の形にしていくいきさつが少し書かれているが、ワタシ的にはそこが一番おもしろかった。

『フォーカスな人たち』(井田真木子 2001 新潮文庫 ISBN: 4101259313 \667)

 黒木香、村西とおる、太地喜和子、尾上縫、細川護煕についてのルポ。彼らは筆者にとっては、バブルとバブルの崩壊の象徴のような存在で、そのような観点からの人選であり、ルポであった。彼らについて筆者は、次のように述べている。「80年代バブルは、金融緩和政策のもと、AVという装置や銀行、証券会社の狂乱としかいいようのない経営ぶり、連立政権という構造を生み、その代表者として、黒木、村西、尾上、太地、細川といった人物を世に出し、90年代初頭で終息した」(p.442)。ただしそれで終わり(終息)ではなく、その後にまた次のバブルが続くこともあるし、逆に、バブル前は、バブル時にはとても想像がつかない姿だったりする。それらが描かれているのが本書の魅力か。おかげで私も、黒木や細川など、名前やその活躍は多少知っているが詳しくは知らない人物を、立体的に知ることができた。それは良いのだが、しかし、筆者の基本的な筆致は、私には少し肌が合わなかった。筆者なりの意味づけを当該人物にも周辺人物にも時代にも強くにじませるような筆致である。私はそれよりも、淡々とした事実や、周りの人物の捉えや、本人の想いが知りたいと思う。単なる好みの違いだろうが。

『ティーム・ティーチング成功のマニュアル(授業への挑戦124)』(向山行雄 1995 明治図書 ISBN: 4181190005 1,701円)

 ティーム・ティーチングのことが知りたくて、アマゾンのマケプレで買った。内容は、ティーム・ティーチングに直接関わることだけでなく、筆者がティーム・ティーチングと間接的にせよ関係ある、と思ったことが雑多に書かれている。たとえば筆者の校内研体験とか、研究授業に対する筆者の考えなどである。逆に、ティーム・ティーチングの実践事例的なものは、3つしか載っていなかった。そういう意味では、残念ながら期待はずれの本だった。少なくとも、タイトルにあるような「成功のマニュアル」に絞られた内容ではないと思う。

『教室の定番ゲーム─たのしい・お手軽・い〜フンイキ』(『たのしい授業』編集委員会編 1995 仮説社 ISBN: 4773501227 \1,305)

 気分転換のためのゲームだけでなく、習熟のためのゲーム(教科書ビンゴなど)、体育の時間のゲーム、手品や大道芸まで載っている。ゲームを紹介しているのは、仮説実験授業のサークルに参加している教員。そのためか、仮説実験授業と同じく、多くのゲームで、子どもたちに、楽しかったかどうかのアンケート(5件法)をとっている。仮説実験授業っぽい。「そのゲームをするかどうかは、子どもの主権に属すること」なんて、板倉氏ならいいそうである。本書には楽しいゲームがたくさん載っているわけだが、ある教員は「仮説を知り、キミ子方式を知り、「たのしい授業」を知ってしまった今、楽しくないことを承知でできますか」(p.189)と書いている。それを読むまでは、楽しいゲームは仮説実験授業とは直接は関係ないよな、と思っていのだが、間接的には大いに関係しているのであった。あと、以前NHKの「わくわく授業」で「パス券」を使った授業が紹介されていたのだが、本書にもそれは載っていた。ルーツはここにあったのか、それとも偶然の一致かは分からないが。

『喪失と獲得─進化心理学から見た心と体』(N. ハンフリー 2002/2004 紀伊国屋書店 ISBN: 4314009683 \2,625)

 再読。なんだか今回は、ぜんぜん気合を入れて読めなかった。うまく入っていけないと、本書は非常にややこしくて読みにくい本である。しいて言うなら今回の収穫は、「科学がまさにその本性において参加型の過程であるのに対して、非科学はそうではない」(p.364)という指摘である。まったくそのとおりであると思う。ということは逆に言うと、科学を参加型の過程ではないものとして扱ってしまうと、それは非科学と同じものになってしまう、ということである。世の中、そういうものは少なくないように思う。

■『学校の挑戦─学びの共同体を創る』(佐藤学 2006 小学館 ISBN: 409837370X \1,575)

2007/01/30(火)
〜グループで学ぶ〜

 今まで、佐藤学氏の本はほとんど読んできたと思うが、この本は、今までの本と少し違う部分があるのと感じた。それは、使っている言葉や考え方である。以下、私が気づいたことを、羅列的にではあるが記しておこう。

 まず「学び」についてだが、これまでは「対話」という語が多用されていたと思う。しかし本書では、「対話」よりも「協同的な学び」という語が頻出する。現在の佐藤氏にとって、学びでもっとも重要なのは「協同」であるようだ。

 本書における「協同的な学び」とは、基本的に「グループ活動」のようだ(たとえば「協同的な学び(グループ活動)」(p.45)と、注釈なしに同義で扱われている)。ここは、これまでとの大きな違いだと思う。たとえば『教師たちの挑戦』では、「一人ひとりのつぶやきや沈黙に耳を傾けることこそが,授業の立脚点」と書かれているように、そこで想定されているのは、グループではなく全体での話し合いである。本書では、グループは男女混合で4人がいい、低学年ではグループ活動はしないほうがいい、など、グループ活動について、かなり具体的に述べられており、子どもの学びの中心はグループ活動にある、というような位置づけに見える(逆に、モノとの対話、自己との対話、という話はほとんど出てきていないのではないだろうか)。

 本書では、「教室で一人残らず学びが成立する授業」(p.37など)が重視されている。これまではそこまで強調されていなかったのではなかろうか。そのための方策は、グループ活動による協同的な学びである。

 さらに、グループ活動がうまく機能するためには、「学ぶ内容のレベルを通常の授業レベルよりも高いレベルに設定」(p.37-38)すると「同時に「下」の層の子どもの問いを積極的に取り込んでいかないと」(p.38)いけないという。このうち、後半の主張は今まで見たことがあったが、前半の主張は、私が覚えている限りでははじめて見た。言っていることはそのとおりだと思うのだが、これまでの私の佐藤氏のイメージは、すぐれた授業ではなく日常のいとなみとしての教育実践、というものだった(たとえば『学びその死と再生』にそのようなことが書かれている)。しかし、適切な高さの内容を設定するということは、教師の力量(教材、発問など)が必要とされることなわけで、この意見は、私にとっては佐藤イメージの大転換であった(言っていることはその通りのことだと思うが)

 高いレベルの課題で一人残らず学びが成立するためには、「わからない子どもが「ねえ、ここどうするの?」と仲間に問いかける指導の徹底」(p.39)だそうである。これももっともなことだが、これまでの本では、「わからないときに「わからない」と言える教室は決して多くない」(『教師たちの挑戦』p.54)みたいな書き方しかされていなかったので、この記述は、要するに教師の指導でそうするんだということがわかった。一般的にはこれも当たり前のことなのだろうけれども。

 このような、小グループでの学び重視の姿勢は、とても共感できるものである(私がよく授業を見せてもらう学校では、全体での対話を作ろうとして教師が四苦八苦しているような気がするが、それを見ながら私はいつも、小グループでやればいいのに、と思っていた)。ほかにも本書には、共感できるような記述が見られたので、それも記しておこう。

 ある授業で、子どもが発言するたびに教師が板書することが、「発言の「つながり」を切ることになっていた」(p.160)ことが書かれている。教師はそれよりも、子どもの話(のつながり)を聴くことに専念すべきだというのである。私も授業をみながら、ときどきそういうことを感じている。また、「ジャンプ」の前に(ということは要するに、課題のレベルが高いときに、ということだと思うのだが)、「グループによる協同学習に「もどす」指導を入れることの必要性」(p.160-161)も併せて指摘されている。これもときどき感じることである。

 学校改革に関しては、「何よりも大切なことは、同じ課題を何年も何年も繰り返し挑戦し続けること」(p.179)という指摘がある。同じ課題であっても、その中で螺旋的に発展するからである。これも同感である。研究というと新しい、オリジナルなこと、前年と違うことをやるべき、という捉え方もあるようだが、学校における研究は、佐藤氏の指摘どおりだと私は思う。

 そのこととも関係すると思うのだが、「研究テーマは個々人が設定すべきであり、校内の統一的なテーマは設定しないか最小限にとどめるべき」(p.280)という指摘もあり、これもその通りだと思う。そうでないと、「させられる研究」(p.249)になってしまうからである。さらに言うならば、統一テーマを設定するのであれば、それは個々人のテーマの共通項を持ってくればいいと私は思っている。

 最後に、よくわからなかったことを一つ書いておこう。授業後の検討会では、「授業の巧拙や発問の技術や教材の検討よりも、教室の事実にもとづいて、どこで子ども(生徒)が学び、どこで学びが閉ざされたのかを中心に議論」(p.16)すべきだと佐藤氏は述べる。しかし、どこで学びが成立しているかを知るためには、何に着目すればよいのか。そのことは具体的には書かれていなかったように思う(グループ学習に関しては、「生徒の様子をみて、学びあいに没頭していれば学び合いが成立している」(p.56)という記述ぐらいはあるのだが)。このことがわからないと、佐藤氏の考えるあるべき検討会の姿が私にはイメージできない。

 あとついでにもう一つ言うならば、グループ学習はなかなか難しい、と私は大学の授業で感じている(附属中学校の授業を見てもそう感じる)。佐藤氏は、男女混合にすることと、やさし過ぎる課題を設定しないことぐらいしか、グループ学習成功の秘訣は述べていない。これらの条件を満たしてもなおグループ学習がうまくいかない場合も多々あると思う。ではさらにどうすればいいのか。そのことが具体的に知りたかった(誰かがそういう研究をしてくれればいいんだけどなあ)。

減量宣言

2007/01/30(火)

 今朝,1ヶ月以上ぶりに体重計に乗った。3kgほど増えていた。思わず「うゎっ!」と叫んでしまった。

 昨年後半は,いつも以上に食べてもちっとも体重がちっとも増えなかったので,油断しまくっていたのだ。ということで今日から減量しようと思っている。

 第一弾は,食後にお菓子をつまむのをやめることと,通勤時,近所の公園の階段を通って行くことである。後者は,数年前に買ったダイエット本で「1日5分でいいからドキドキするような運動をするのがいい」と書かれていたので,やることにした。

 これで,1週間で1kgぐらい落ちるといいなあ(落ちなかったら運動強度を上げねば)。

■『御直披─レイプ被害者が闘った、勇気の記録』(板谷利加子 1998/2000 角川文庫 ISBN: 4043536011 \459)

2007/01/25(木)
〜さまざまなメッセージのある本〜

 筆者は神奈川県警で「性犯罪被害110番」を担当している婦人警官(警部補)。この部署が開設された時期に、性犯罪被害者から手紙が送られてきた。その彼女と筆者の往復書簡を中心に構成されているのが本書である。

 本書の被害者が被害を受けた事件については、もう言葉もない。そして、そのような性犯罪が、年間2千件も検挙されているそうである(平成8年時。犯罪の性質上、表に出にくいものなので、実数はその十倍ほどあるのではないかといわれているそうである)。

 そういう状況下、本書は、さまざまなメッセージが含まれている。第一は、性犯罪被害者へのメッセージである。それは、同じような体験をした人がいるというメッセージであり、被害者は悪くないというメッセージであり、警察(性犯罪110番)ではこのように対応しますよ、というメッセージである。第二は、性犯罪に遭遇しうる人(要するにすべての女性)に対して、このように自衛しないといけませんよというメッセージである。

 それに加えて本書では、この仕事についている筆者の思い、来歴、私生活の一部が描かれている。それは、性被害にあった彼女に対して、手紙の中で行われる自己開示の形をとっているのだが、筆者のような立場の婦人警官のことを知る、良質のノンフィクションになっている。

 その中で興味深かった話として、筆者が私生活の中でも、つい「刑事」的に思考してしまう話がある。友人から恋愛相談をされ、「こんな可能性もあるから、用心するに越したことはない」と、疑うようなアドバイスして「ちょっと考えすぎじゃない」「そういうのを刑事の考え方というんじゃないかな」「人を好きになるって気持ちはそう簡単に割り切れるものじゃないから」(p.105)と相手に言われているのである。あるいは母親から「そんなにすぐ裏をとろうとしないでよ」(p.106)と言われたり。このあたりのことは、クリティカル・シンカーを目指す人も、日常生活の人間関係の中では自戒すべき点だろう。

あっという間にまちがいさがし

2007/01/21(日)

 上の娘(8歳7ヶ月)が、「まちがいさがしパーク」という雑誌を買ってきた。2枚の絵の違うところを探すという、間違い探しばかりが載っている雑誌である。

 子ども向けなので、簡単な間違いが多いが、それでも8歳児には難しい間違いが、各問とも1つぐらいはある。

 そこで私があっという間に間違いを見つけてあげている。おかげで上の娘には大尊敬されている。

 実は私はウラ技を使っているのだ。2つの絵を両眼視するのだ。両眼視とは、ランダムドットステレオグラムを見るときに使うやつだ(平行法が疲れなくていいのだが、ものによって絵と絵の幅が違うので、主に交差法を使う)。

 すると、違っている部分が融合せず、視野闘争を起こすので、すぐにわかるのだ。

 こればっかりやってると、目が疲れるけどね。

■『「学習力」を育てる秘訣─学びの基礎・基本』(奈良女子大学附属小学校学習研究会編 2003 明治図書 ISBN: 4182651189 \2,730)

2007/01/20(土)
〜主体的な学習者になる〜

 奈良女子大学附属小学校関連の本を読むのは、『やれば出来る!子どもによる授業』『子どもの自立をたすける学習法〈第6学年〉』に次いで3冊目である。本書は、「通常の参観や公開授業では見えていないところに光を当て、各教師たちの秘訣としている部分を開陳してもらおうと意図」(p.19)した本らしく、タイトルどおり、「秘訣」が書かれている。

 「学習力」を育てる秘訣には、授業関連のもの5つと、それ以外のもの5つの計10個が挙げられている。授業関連としては、子どもが行う「司会」、発表などに対してなされる「おたずね」、子ども自身が設定して個人研究を行う「独自テーマ」、相互学習を広げるための「板書」、授業最後5分の「先生の話」がある。これを見ても分かるように、授業は基本的に子どもたちが進めるようである(先生は最後に5分話すだけ?)。つまりここで育てようとしている力は、主体的な学習者になる力として「学習力」ということのようだ。それが、本書の記述で多少なりとも分かったような気がした。先日読んだ、「教えて考えさせる授業」とはかなり様子が違うなあ、というのが読みながら思ったことである(もっとも、先日読んだ本のタイトルは、『自ら学びを高める子を育てる教えて考えさせる授業』であり、目指されているのが自己学習力であることは同じようなのだが)。

 子どもが主体的に動くのは、授業だけではない。「朝の会」などは「日直」が進めるし、「日記」は毎日書かされるし、「自由研究」は朝の会を使って年中発表されている、という具合である。

 私が「奈良の学習」の中で一番知りたかったのは、「おたずね」なのであるが、その点についても、本書では何箇所かである程度知ることができた。中でもp.60からは、理科学習におけるおたずねを4つに分類しており(情意を引き出す、知識を求める、情報を補う、理解を深める)、それぞれがもつ機能が考察されており、興味深かった。

 なお、独自学習だの子どもによる授業だの、そういうやり方で知識習得的な学習はどうやるんだろう、と思っていたのだが、本書では、算数の授業例が載せられており、その点がわかった。それによると、まず単元の最初は、2時間ほどかけて、子どもたちが独自に、単元を概観し、新しい言葉を調べ、教科書の例題を解いてみるという。次に相互学習で、算数学習の司会進行役の子どものもとで、学習の目当てを確認し、誰かがとき方を発表し、他の子がおたずねをするという。なんとまあこれは、基本的には「教えて考えさせる授業」ではないか。目当ての確認も、教科書による学習も、子ども同士の相互の教えあいも(あと、理解のモニタリング課題があれば、完全に同じといえる)。本書前半(10の秘訣)を読んでいるときは、教えて考えさせる授業とは対極にある学習だなと思いながら読んでいたのだが、このくだりを見て、そうではないことがわかった。となると、いわゆる「奈良の学習」と「教えて考えさせる授業」の関係を、もう少しきちんと考えてみる必要があるかもしれない。

 そういう点も含め、奈良女子大学附属小学校の学習について、かなり見えてきたと思わせるような本であった。もっとも、いまだに私には、「しごと」と「けいこ」が何を指しているのかははっきりとはわかっていないのだが。本書にも明確に定義されてはいなかったように思う。そういう見えにくさ、分かりにくさは、相変わらず残っている。あとは、実際にこの学校の授業を見学するしかないかと思っている。

残念!

2007/01/17(火)

 プロフェッサー・オブ・ザ・イヤー受賞者(←自分で書いていて恥ずかしいが,事実なのでしょうがない)に配当されるインセンティブ経費は年度内に使わないといけないらしい。

 じゃあ普段なかなかできないことをしようということで,浜之郷小学校の授業研究協議会に参加することにした。調べたところ,2月の研究会は9日(金)(3月は,講師の秋田先生の日程が未定らしいので,研究会の日が確定していないらしい)。

 せっかく遠くに行くのだからほかにも見ようと思って,「教えて考えさせる授業」の横浜市立本町小学校(こちらに読書記録あり)にもお願いして,授業を見せてもらうことにした。

 ところが,今日行われた教室会議でわかったのだが,2月8日(木)は推薦入試があることをすっかり見落としていた。うちの専修でも選考を行う。

 授業見学のために推薦入試を休むわけにはいかないので,すべてキャンセルした。泣く泣く(ホテルパックの無料キャンセル期間は明日までだったので助かった)。

 ああ,残念無念である(とりあえず,ほかのところをあたってみてはいるのだが)。


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