読書と日々の記録2004.1下

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■読書記録: 31日短評7冊 30日『アメリカ海兵隊』 25日『不当逮捕』 20日『グラウンデッド・セオリー・アプローチ』
■日々記録: 27日正月太り 21日保育参観 17日5歳7ヵ月児に十余の質問

■今月の読書生活

2004/01/31(土)

 今月よかった本は,『キリスト教を問いなおす』(丁寧かつ誠実な姿勢)と『ジンメル・つながりの哲学』(関係的視点からの説明)ぐたいだろうか。『快読100万語!ペーパーバックへの道』は,本自体も興味深かったが,多読という方法が興味深く,現在ハマッているところ。そのうち途中経過を報告するかもしれない。

 最近,なんだか妙に本を読む時間が取りにくい。英文多読(今月は18冊+α)のせいもあるだろうが,上の娘とトランプする時間も必要だし,下の娘も,返事するまで相手させられるし。まあ、相手してくれているうちが華なのかもしれない。

『始祖鳥記』(飯嶋和一 2000/2002 小学館文庫 ISBN: 4094033114 695円)

 江戸時代、凧に乗って空を飛ぼうとした男の一代記。面白さは、瞬間最大風速が◎で、平均は○というところか。この筆者の本は始めて読んだのだが、一文に含められている情報量が多く、簡単に言えば読みにくい。そういうのが苦手でなければ悪くないかもしれないが、私は特に前半は、結構つらかった。ただ、一人の男の話だけではなく、いろいろな人生が錯綜する、大河的な小説で、面白い部分は面白い。

『臨床とことば─心理学と哲学のあわいに探る臨床の知─』(河合隼雄・鷲田清一 2003 ティービーエス・ブリタニカ ISBN: 4484032023 1,800円)

 臨床心理学者と臨床哲学者による対談。第二筆者は、最近、臨床哲学を提唱しているのだそうだ。どうやらそれは、日常の問題を、哲学者の名前や思想を出すことなしに論じよう(対話しよう)というものらしい。これは、ちょっと知る必要があるかもしれない。本書は対談なので系統的な話や深い話はないが、ところどころになるほどと思う部分がいくつかあった。たとえば、対人距離を論じる中で河合氏がいう「距離といえば、対人距離のみではなく、一人の個人内における、心と体、思考と感情などの関係とその距離などということも考えてみるべきだろう」(p.21)という言葉とか、心理療法において、最後には言語化するのだが、その必要がない場合もあり、場合によっては「言語化を焦ると流れが止まってしまう」(p.143)なんて発言されたり。あるいは、流行する前に耳にピアスをあけたり暴走族したり援助交際したりするのは、「命を懸けて」おり、一種の成人儀礼的儀式になっているとか(p.122あたり)。

『シャーロック・ホームズの推理学』(内井惣七 1988 講談社現代新書 ISBN: 4061489224 \650)

 再読。やっぱり読みにくい。前に書いたように、本書はホームズを枕(あるいはつまみ)にした科学論の本だと思う。ただし科学論の部分はやや難しく、ホームズの部分はやや面白い。両方が混ざっていることで、相乗効果が生まれそうなのだが、残念ながら本書はあまりそうではなかった。その辺が読みにくさの原因かもしれない。私としては、ホームズをネタにした論理学の本の方がよかったような気がする。もっとも、筆者の意図することはそこにはあまりないのだろうけれども。

『からだ・演劇・教育』(竹内敏晴 1989 岩波新書 ISBN: 4004300673 660円』)

 演出家である筆者が,高校で「演劇」の授業をした記録。これまで何冊か筆者の本を読んできたが,身体や言葉のレッスンが中心で,素人相手にどのような演劇指導をするのか出てこなかったので,本書でその一端が分かった。その学校はいわゆる荒れた学校で,その生徒たちを乗せるまでの筆者の工夫が書かれた前半が特に興味深かった。

『中国の旅』(本多勝一 1981 朝日文庫 ISBN: 4022608056 560円)

 「戦争中の中国における日本軍の行動を,中国側の視点から明らかに」(p.10)した本。聞き書きの本ということで買ってみたのだが,中国人が証言した体験はとにかくすさまじく,インタビューの技巧のようなものは基本的にはなかった。語られていることのすさまじさに,読み進めるのがなかなかにつらく,ページが進まなかったが,貴重な証言と思い無理して読み進めた。なお本書は「中国側の視点」の本であるが,筆者はあとがきに「事実に対する日本側関係者の資料あるいは反証があれば,できるだけ突き合わせてみたい」(p.300)と述べており好感が持てる。

『モリー先生との火曜日』(ミッチ・アルボム 1997/1998 日本放送出版協会 ISBN: 4140803835 1,600円)

 筋萎縮性側索硬化症にかかった筆者の恩師が、死の直前まで筆者と人生について語り合った、その言葉を記録した本。訳者あとがきによると、筆者はその後、余分の仕事をすべてやめ、生活をがらりと変えたという。その内容についてはとくにコメントしないが、ひとつ私の興味を引いたのは、筆者は大学在学時代も、同じような話を恩師から聞いている。しかしそのときの経験はこの本に書かれた経験とは違い、「いつもはるかかなたの別世界のような気がしていた」(p.24)と書いている。人生について語られることは、心に響くときや状況があるのだろうと思う。そしてそれは多分、人生に関する話に特別なことではないのだろう。

『「甘え」の構造─新装版』(土居健郎 1971/2001 ISBN: 4335651066 1,500円)

 「日本人」も「精神疾患」も「青年の反抗」も「西洋人」も、全て「甘え」で説明しようとした本。筆者は本書の中で「著者はなんでもかでも「甘え」で説明して得々としているのではない」(p.221)と書いているが、私にはそうとしか見えなかった。筆者自身も、「「甘え」は私にとってさしずめ打出の小槌のごときものであった」(p.ii)と書いているし。何でも説明できる概念は、何も説明できないのと同じだと思う。そうならないためには、甘えでは「ない」ものや甘えでは「説明できない」ものについて取り上げるべきではないのだろうか。

■『アメリカ海兵隊─非営利型組織の自己革新』(野中郁次郎 1995 中公新書 ISBN: 4121012720 720円)

2004/01/30(金)
〜危機と議論で自己革新〜

 海兵隊って沖縄にはたくさん基地があるが、一体何なのかが分からないので読んでみた(本書を読む前、私は海兵隊に何となく「切り込み隊長」的なイメージを持っていたが、どうやら、ちょっと(かなり?)違うようであった)。それにサブタイトルも何だかそそられるものであった。買ってみて分かったのだが、筆者は『失敗の本質─日本軍の組織論的研究─』の著者の一人であった。なるほど、それで「組織論」になっていたのか。

 内容は、読んでいる最中は、ひどく興味深い、というものではなかったが、まったく知らない海兵隊の世界を知ることができるという程度には興味深かった。しかし読み終わって全体を眺めなおしたときには、どのような条件の下に自己革新し続ける組織ができたのかが見えるという、あとから面白さがついてくる本であった。

 本書によると海兵隊とは、「戦略的機動力を駆使して侵攻作戦を速やかに実施するグローバルな軍事組織」であり、世界に類例がない「即応部隊」であり、「陸・海・空統合の機能をもつユニークな強襲遠征部隊」(p.ii)なのだという。しかも海兵隊は、「創設以来その存在が絶えず疑問視されてきた組織」(p.ii)であり、そのために自己革新を行い、変革しつつ「エリート集団」へと変貌している。具体的には、「艦上警察から前進基地防御部隊へ、前進基地防御部隊から水陸両用作戦能力を開発して前進基地奪取部隊へ、そして前進基地奪取部隊から即応部隊へ」(p.193)と、環境の変化を先取する形で主体的に使命を変革し続けてきたのである。それは、位置づけが明確でないために、常にその生存に対する危機が存在し、革新へと駆り立てられ続けてきた結果であった。危機があるからこそ革新が行われ、ユニークな存在意義を獲得している、というのは、今の改革の世の中では、希望のある話に見えるし、逆に言うならば、存在意義の見えやすい組織は、むしろ変革は難しいと言えそうである。もちろん、存在意義が見えにくい組織がすべて、そううまく自己革新できるわけではないのだろうけれども。

 そのような絶えざる変革を行うために、組織的に制度化された仕組みとして、海兵隊では、「海兵隊司令官が推薦図書を公表し、隊員全員に議論のきっかけを提供する伝統」(p.169)があることと、「海兵隊将校向けの月刊誌Marine Corps Gazetteは、「アイデアと争点」という自由投稿の紙面を中心に構成され、そこでは毎号10前後の論文が、〔中略〕海兵隊のあり方をさまざまな視点から絶えず見直している」(p.169)ことの2つがあるそうである。要は組織のあり方や機能が常に議論の俎上に上っている、ということが有効に作用している、ということのようである。それが上手く機能するためには、もちろんこれだけではだめで、人材育成であるとか、組織の人間関係、賞罰規定、文化など、さまざまな道具立てが必要なのだろうけれども。

 その他、本書で興味深かった点として、「1942年の夏になっても、まだ海兵隊と海軍は敵前強襲上陸に十分な自信があるとはいえなかった」(p.52)なんていう記述がある。『組織の不条理』なんて本を読むと、日本軍が、物量もなく、組織の柔軟性もなく、先見性もなく、負けるべくして負けたような書かれ方がされているので、逆に言うと米軍は、物量も柔軟性も先見性も備えており、当然のごとく勝ったかのように感じていたが、実はそうではなく、試行錯誤の末の戦術を、戦うたびに少しずつ洗練させていったことがわかる。

 あともうひとつ、これは以前から疑問に思っていたことだが、沖縄の米軍基地には、地名がついているもの(カデナ基地、普天間飛行場など)と、人名がついているもの(キャンプハンセン、キャンプキンザーなど)があるが、どういう使い分けなのだろう、と思っていた。それが本書によると、「沖縄の海兵隊キャンプの名前は、沖縄戦の戦功によって栄誉賞を受けた海兵隊員の名前をとって命名されている」(p.160)そうである。それは、海兵隊の「一家一族的あるいは小集団的な団結」(p.162)の表れのようでもある。このようなところも、絶えず自己変革する組織に必要な要素なのかもしれない。

■正月太り

2004/01/27(火)

 1年前同様、正月太りしている。しかも今回は、正月太りに加えて、先週末の小旅行でさらに太ったので、最近の平均よりも2kg増である。ちょっとピンチ。一応こちらに戻ってきてからは、以前の生活に戻っているはずなのだが、ちっとも減らないのである。

 しかしちょっと思ったのだが、正月太りって、帰省が原因なんだろうか。夏はそれほどでもない気もするし。ひょっとして、1月という時期(というか寒さ)が関係しているのかな、と思ったり。

 あともうひとつ思ったのは、『ダイエットを医学する』にあった、肥満遺伝子説って本当なんだろうか、ということ。もちろん遺伝的なセットポイントはあるだろう。しかし昨年考えたように、減量には「きっかけ」が必要なようである。それがないと、生活自体は同じでも、2kg増なら2kg像で均衡しているように思う。ということは、環境要因は結構大事だということだし、この本の筆者の主張とは違い、「ダイエットが成功するかどうかという点に関して,これまでにいわれてきたような「弱い意志」はやはり存在する」ということなのではないだろうか。

 #それが分かったらかといって、どうなるわけでもないのだけれど...

■『不当逮捕』(本田靖春 1983/2000 岩波現代文庫 ISBN: 400603010X 1,100円)

2004/01/25(日)
〜批判に弱い批判者〜

 「代議士が収賄容疑で召喚必至」という記事を書いた記者(立松和博)が、実際には召喚ならず、名誉毀損で「不当逮捕」されたという事件を中心に書かれたドキュメンタリー。筆者は、立松氏と親しくしていた、後輩新聞記者(元)である。

 この話自体は私は、『栄光なき天才たち』というマンガで知っていた(というか、おそらく本書を元にマンガが描かれたのだろう)。しかし本書では、事件そのものだけではなく、当時の社会情勢や、さまざまな関係者の来歴など、事件周辺のさまざまなことがとても詳しく描写されていた。そこには歴史的価値もあるのだろうが、事件や記者の人物そのものを知りたい人には詳しすぎるかもしれない。それでも、立松氏の特異な人柄や、時代的な背景は分かってよかったのだが。

 立松氏に関して言うと、彼が多数のスクープをモノにすることができたのは、私は本書を読む前は、よほど強力なコネがあるのかと漠然と考えていたのだが、そうではないようであった。一言で言うとそれは「人身掌握」に長けているということであり、筆者はそれを、「立松は魅力という域を超えて魔力と呼ぶに近いある種の力を、仕事の面ではニュース・ソースに対して、私生活においては友人、知己、さらには女性あまたに向かって発揮していた節がある」(p.279)とまとめている。そういう人物伝的な部分には、とても興味深いものがあった。

 ところで、立松氏のような社会部の記者は、スクープ競争が激しいらしい。そのことは本書でも分かるし、『ニュースの職人』にもそういう話は出てくる。しかしこれが、私にはとても不思議である。本書の場合で言うと、立松氏は検察内部から情報を得てスクープしているわけだが、「ニュース・ソースが検事だった場合、彼は守秘義務の違反で国家公務員法にひっかけられる」(p.254)という。社会部の、記者はどうしてそのように法に触れながらも(あるいはスレスレの行為を行いながらも)、まだ公にされていない事柄を特ダネとしてスクープしたがるのだろう。別に読者は(少なくとも私は)、そういう情報は求めていないと思うのだが。このケースで言うならば、実際に容疑者が召喚された時点でニュースにすればいいのに、と思う。これはとても謎である。

 なお、私は以前、『新聞記者の仕事』についての記録の中で、「新聞記者というものは,批判的思考者としての側面と,無批判的思考者としての側面の2側面をもっている」と書いた。それはニュースソースに対する批判/無批判の話だが、本書ではそれとは違う批判/無批判のことが出てくる。立松氏は、強いときは攻めに攻めて負けを知らなかったが(スクープを連発していたときのことだろう)、守りに回ったときは予想外に弱く脆かったという(逮捕前後のことであろう)。それについて筆者は、「他を批判しても自らを批判にさらす場面の少ない新聞記者は、えてしてそういうものであるのだろう。同じことが新聞社についてもいえる。」(p.383)と書いている。他を批判する者が自分に対する批判には弱い、という話はちょっと面白い。

■保育参観

2004/01/21(水)

 昨日は上の娘(5歳7ヶ月)の幼稚園の保育参観日だったので,午前中年休を取って行ってきた。考えてみたら今年度,保育参観は3回目。毎学期行なわれている。

 上の娘は今年度からこの幼稚園に入ったのだが,1学期のときと比べて,はるかに幼稚園になじんでおり,安心した。お外遊びの時間は,ほとんどの時間,お友達と手をつないで一緒に遊んでたし。ついでに言うと,いつも送迎している妻は,顔見知りのお母さんがけっこういるらしく,あちこちで社交していた。母子ともに幼稚園になじんでいるようである。

 授業は,「数遊び」ということで,すごろくで遊ぶ授業だった。グループごとに1枚のすごろくがあり,さいころを振って遊ぶという。確かにすごろくは,数字も使うし字も読む必要がある。友達との交流もある。でもこれって,授業でしなくてもうちでやってるよなー,と思った。まあでも配布された授業案には「かずあそび(導入)」と書かれていたので,その後の展開が後日あるのかもしれないけど。

 話は違うが、沖縄でも昨日あたりから寒い。保育参観の帰りに乗ったタクシーでそういう話をしていたら、運ちゃんいわく、「それは旧正月前だからだ」という。旧暦では、明日が正月である。運ちゃんが言うには、旧暦のほうが季節の変化に対応しているそうである。確かにこの寒さはそういう感じもする。本当に、いつもそうなのかどうか、今後注意してみてみようと思う。

■『グラウンデッド・セオリー・アプローチ─質的実証研究の再生』(木下康仁 1999 弘文堂 ISBN: 4335550790 2,300円 )

2004/01/20(火)
〜未完成のアプローチ?〜

 グラウンデッド・セオリー・アプローチ(GTA)について概説し、その変遷を論じ、具体的な方法論について述べた本。先に、同じ筆者がこのあとに書いた『グラウンデッド・セオリー・アプローチの実践』を読み、「理論的な話はまあ分かったし面白かったが、筆者が提唱する修正版(あるいはミニ版)GTAの手続きは分かりづらかった」と思った。そこで、その前の本である本書を読んだ。あとそれ以外に、筆者のWebページで見つけた、修正版GTAが使われた論文をいくつか読んだので、手続きはまあ分かったような気がする。逆に本書では、理論やその変遷についての話は今ひとつ分かりやすいとはいえなかった。

 本書でひとつ興味深かったのは、GTAが関心を集めていることについての筆者の考え。筆者は、「完成度という点ではグラウンデッド・セオリー・アプローチにはなおさまざまな課題が残されているのだが、それにもかかわらずこの研究アプローチが広く国際的な関心を集めることができたのは、その名称に依るところが大きいと私は考えている」(p.55)と書いている。すなわち、誇大理論(グラウンド・セオリー)に対するものとしてのグラウンデッド・セオリー(データ密着型理論)という位置づけのことである。確かにグラウンデッド・セオリー・アプローチという語はよく聞くにも関わらず、その実態や用語については、開発者自身の説明も含め、分かりにくいものが多いように感じていたので、これは、さもありなんと思わせる記述であった。

 同筆者の『実践』で分かりにくかった修正版GTAの手続きであるが、私の理解(自信なし)では、「最初に一人分のデータ全部にざっと目を通し」(p.230)たあとで、最初から一頁ずつぐらいを目途に、関連がある「「かもしれない」「らしきこと」で指示的部分に着目」(p.232)し、「着目した部分の意味をまず考え、それを適切に表現する言葉は何かという順序で検討」(p.236)し、「取り敢えず仮の言葉をおいて後に確定する」(p.236)という形でデータを、in-vivoな言葉で動的にかつ一般的すぎないように概念化していく。2人目以降のデータは、そこで生成された概念を中心に、「類似と相違で考える」(p.264)ことにより、概念を精緻化していく、ということのようである。

 なお本書中、GTAとKJ法の類似点と相違点を比較している節があり、興味深かった。それを私なりにまとめるならば、要するにGTAはKJ法的な部分を多く含むものであるが、KJ法と違いGTAはデータの収集と分析を「並行させていく点に独自性」(p.175)がある。また、KJ法が関連性を包括的にまとめていくのに大して、GTAは「分析を比較法において徹底している」(p.175)、すなわち「まとめる」のではなく「比較する」ということのようである。これで少し、GTAがイメージしやすくなったように思う。

 なお、先に書いたように、本書を読む前に、筆者の提唱する修正版GTA法を用いた(そして筆者が分析のスーパーバイズもしている)論文をいくつか読んでみた。そこで感じたことは、「概念や説明が恣意的ではないことを強く主張できるような分析にはあまり見えなかった」ということである。たとえば「特別養護老人ホーム新入居者の生活適応」についての研究がある。そこでは、適応者がどのようなプロセスで適応していくかが、修正版GTAにより理論化されている。しかしそこで対象とされているのは「適応者」だけであるために、そこで見られたプロセスが「適応者」に特有のものなのか、「すべての入居者」に共通のものかが不明である。私のみた多くの研究がそうであり、不適応者の研究や比較は今後の課題、というような締め方がされているが、それでは「適応者」の特徴が捉まえられているかどうかが明確ではなくなると思われる。修正版GTAは手軽そうで魅力的ではあるのだが、この点に対する配慮がないと、結果の魅力や説得力が半減するのではないかと思った。

■5歳7ヵ月児に十余の質問

2004/01/17(土)

 1年前にやった,発達検査(日本版デンバー式発達スクリーニング検査)の質問を,上の娘(5歳7ヶ月)にやってみた。これも3年前から4回目である(カッコ内は1年前の答え。太字は両者の答えの違う部分)。なお、昨年とほぼ同様の答えをしたものは省略している。

  1. じゃあね、あなたはお腹がすいたときはどうしますか?
    おうちに帰ってご飯食べる (ごはんとかたべればいいです)
  2. 疲れたときは?
    少し休んだほうがいい (んー,すこしきゅうけいしたらいい)
  3. 寒いときにはどうしたらいいですか?
    マフラーかけてセーター着て、セーターの帽子かぶってからおズボンはいてから靴はいてからお外に出る (んー,おようふくとかえりまきとかやったらいい)
  4. ボールって知ってますか? ボールってどんなものですか?
    んー、ぽんってなげるもの (んー,ボール,ぽんってするやつ)
  5. 湖ってどんなものですか?
    んー、白鳥がすんでいるところ (んー,スケートでぇ,しゅるーってするもの)
  6. 机ってどんなものですか?
    コップとかお皿やいろんなもの置くところ (ごはんとかのせるもの)
  7. 家ってどんなものですか?
    んー、みんなが住むところ (んー,みんながー,おうちにはいるの ドアがあってトイレとかあるところ)
  8. バナナってどんなものですか?
    皮むいて食べるもの (バナナはー,つるつるってするもの)
  9. カーテンってどんなもの?
    夜になったら閉めるもの (カーテンってー,いつもよるになったらしめるの 〔昨年は質問なし〕
  10. じゃ天井ってどんなものですか?
    雨が降ったらおうちにこないようにあるの (てんじょう? てんじょうってどんなの?)
  11. 垣根ってどんなもの?
    かきねってなに (かきねもしらない。なあに,かきねって?)
  12. 歩道ってどんなもの?
    わかんないなあ 〔昨年は質問なし〕
  13. スプーンって何でできていますか?
    ガラスで出来ている (うーんわからない。おしょくじとかでできている)
  14. 靴って何でできていますか?
     靴ってブルーの? わかんない (わからない。むずかしいこというなー
  15. ドアって何でできてる?
    で出来ている。うーん、わかんないなあ (...ぜんぶわからないどれでつくれらたか。ぎゅうにゅうならしってるよ! (何でできてる?) ぎゅうにゅうはね,うしでできてる
  16. ぎゅうにゅうは何で出来てる?
    牛のおっぱいでぎゅーってやってから飲むもの 〔質問項目にはない質問。昨年、自発的に答えたので今年も聞いてみた〕

 昨年はこれに関連させて、検査とは何かみたいなことを考えたが、今年はそういうのは抜きにして、ちょっと思ったことを。

 今年は、おとどしから昨年にかけての変化ほど面白いものはなかったけど、しかしこうやって同じ問いを毎年すると、確実に何かが変化している様子が見えて面白い。

 #今日の昼は私と上の娘で歯医者へ。上の娘の奥歯の奥に歯が生えているようなので聞いてみると、「6歳臼歯」ということだった。そういうのがあるんだあ。永久歯だそうだ。大人に一歩近づいたというところか。


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