本稿では,問いのある教育がどのようにありうるのかについて,いくつかの教育実践や実践研究を取り上げ,主に思考力育成という観点から考察した。質問書方式の実践では,大学生の8割以上が疑問を持ち考えるようになったことが示されている。質問の質を高める方法としては,質問語幹リスト法が挙げられ,これを用いた実践研究が検討された。また,わからないときだけでなくわかったつもりでいるときに質問を出すことの必要性も論じられた。最後に,小学校における質問力育成教育をいくつか概観し,質問力を育成するための示唆を得た。最後にこれらをいくつかの観点から整理し,今後の課題を検討した。
本稿では,思考力育成教育について考えるために,パーキンソン(2000)のいう自由で援助的な教育環境で与えられる応答(批判的フィードバック)について,いくつかの実践を取り上げて考察した。日本史討論授業の検討を通して,自由で援助的な環境で批判的フィードバックが壁として機能し,その壁と戦うことで生徒が深く思考することが確認された。見城徹氏の「編集者になる」授業からは,ときとして教師が壁として立ちふさがることが有効であることが確認された。仮説実験授業の検討を通して,自由で応答的で援助的な環境は,必ずしも思考力育成につながるわけではなく,知識習得のための環境にもなりうることが確認された。学習科学的な実践からは,自由で応答的な環境が活きるためには,考えが見えるようにすること,活動を繰り返すこと,中心的な問いがあることが重要であることが確認された。これらの検討を踏まえ,思考力を育成するための環境のあり方について議論を行った。
本稿は,批判的思考の中に含まれる重要な概念である「一面的ではないやり方で考えること」について,それがどのようにありうるのか,あるいはどのようにありえないのかについて考察することを目的とした。まず,人には枠組みが必要であり,それは疑いの対象とならないことと,他視点の取得が本来容易にできることを確認した。その上で,視点の切り替えが「内なる目」としての意識のなせる技であること,それを行わない場合や,我々の視点を権威者の視点に固定してしまう場合,無パースペクティブ的な表現を使ってしまう場合に他者不理解が生じることを見た。また,パースペクティブが身体から生まれることを確認した。最後に,パースペクティブという視点から批判的思考をどのように捉えることができるかについて考察し,批判的思考の中心にあるのが「視点」に関わる事柄であることを明らかにした。
批判的,論理的,合理的に考えることとは異なる思考について,主に文化という観点から検討された。検討は,主に「声の文化」との関連からなされた。最後に,声の文化的な思考と文字の文化的な思考との関連や,どのような教育的アプローチが考えられるかについて論じられた。
「考える」(思考する)とはどういうことかについて,国語学者,哲学者,認知科学者,発達心理学者の論考を参考に考察した。それらの議論を暫定的にまとめ,各概念の関連およびその教育上の示唆を考察した。最後に,本稿に欠けているものとして,問いに答えるのではなく問いを問う思考について検討した。
(要約なし)
強い意味の批判的思考(critical thinking in a strong sense)とは,批判的思考研究の第一人者の一人であるPaulが提唱している概念である。本稿では,Paulの言う強い意味の批判的思考や弱い意味の批判的思考の概念を概説し,それがどのような形で現れるのかを,いくつかの事例を通して検討する。最後に,強い意味の批判的思考的な態度を持つ思考者を育成するためのヒントとなりそうな事例を検討する。
本稿では,主に学校における学びの中で,批判的思考がどのように位置づきうるかを探索的に検討した。まず,批判的思考のない無批判的な学びとは,教育の無謬性という信念に基づく,ある意味で適応的な学びであることを論じ,その信念を支える信念には,権威者の特権性(その対概念としての学習者の未熟性),貼り付け型学習観,固定的知識観があることを指摘した。一方,批判的思考とは,対話的思考としての性質を持っており,そのような対話のある学びが,無批判的ではない本来の学びと考えられるが,それは「観」の転換を伴うものであることを論じた。「観」を変える第一歩としては,学習観の転換が有力候補であることを指摘し,最後に若干のまとめと補足を行った。
本稿では,批判的思考が良い思考であるのかどうかについて,意思決定と問題解決に焦点を当てて検討した。まず,すぐれた意思決定はきわめて批判的思考的であり,創造的な問題解決には,批判的思考的な技能が活かされていることが確認された。しかし,潜在的意思決定や暗黙の前提の存在を指摘することは,他者には受け入れられがたいことも多く,問題解決から離れる可能性のある,必ずしも良いとはいえないものであることが指摘された。これらは「解決・評価志向」と「探究志向」の批判的思考という枠組みで考察され,批判的思考の持つ「良さ」と「良くなさ」の2面性について論じられた。
このレビュー論文では,心理学関連分野における実証研究で,批判的思考の概念が適切に使われるよう,批判的思考概念を明らかにし,定義した。さまざまな定義の中で,社会科学の文献に最も多く引用される7研究者に焦点が当てられた。
これらの研究者の概念を概観した後,最も伝統的で狭い批判的思考の定義である論理主義者の視点との違いを強調することで,主な批判的思考概念の違いを明確化した。より広い概念には,創造性,共感とケア,領域特殊性,態度・過程・活動の強調が含まれていることが示された。本稿の後半では,批判的思考の4つの側面である対象,特徴,技能,態度について分析が行われ,批判的思考の根底イメージが明らかにされた。概観の結果は,心理学関連分野の実証研究によく見られる批判的思考概念の不一致に焦点を当てて論じられた。
キーワード:批判的思考,定義,技能,態度,論理主義,第二波
本稿では,論理学における論理(的)の意味の検討から出発し,日常的にも利用可能な論理(的)のイメージが検討された。論理を「一本道」「防衛力」と理解することが有用性であることが示された。また,論理的思考が,論理性という目標をもった批判的思考であることが論じられた。最後に,論理の不自然さや,相手にする他者の問題が検討され,それらを念頭において,論理的になるための方策が示唆された。
本研究では,大学1年時に読んだ文章と同じ文章を大学4年生に読ませ,読み方や考え方の変化およびその変化の原因が何だと本人たちは考えているかについて,インタビューを通して知ることを目的とした。考え方の変化に影響した事柄に関しては,次のことが言えるようであった。(1)卒論の影響をあげる人は多かったが,どういう点で影響を受けるかは人によって異なっていた。ただ,教員の批判的な言動の影響は全体的に大きいようであった。(2)友人関係も比較的多く言及された。(3)それ以外に,挙げられたものは多岐に渡っていた。(4)挙げられたものは,友人関係などの「日常的」体験と,論理的・批判的要素を含んだ「学校的」体験があり,両者の影響が排他的である可能性を示唆する発言があった。(5)学生の思考は,批判的かどうかは別にして,変化しないということはなく,本人が重視する方向にそれぞれ変化しているようであった。
本稿では,批判的思考がどのような意味で合理的思考であるのか,その意味を検討した。合理性とは,「道理にかなっている」ことであり,道理の違いによって,論理的・評価的な批判的思考と,理解を中心とした批判的思考があることが論じられた。前者は,Evansのいう合理2性が発揮された批判的思考である。後者は,一見非合理的に見えることにも道理(Evansのいう合理1性)が存在すると考えて,その道理を見いだす批判的思考である。この思考を支えている合理性は,合理3性と名づけられた。
批判的思考を行うためには,「共感」や「相手の尊重」のような,soft heartが必要になることが論じられた。それは第一に,批判を行う前提として「理解」が重要だからであり,相手のことをきちんと理解するためには「好意の原則」に支えられた共感的理解が必要だからである。このことは,一聴して容易に意味が取れると思われる場合でも,論理主義的な批判的思考を想定している場合でも同じである。共感的理解には,自分の理解の前提や枠組みをこそ批判的に検討する必要がある。そのことが,臨床心理学における共感のとらえられ方を元に考察された。また,批判を行うためには理解の足場が必要であること,それを自分と相手に繰り返し行うことによって理解が深まっていくことが論じられた。最後に,このような「批判」を伴うコミュニケーションにおいては,「相手の尊重」というもう1つのsoft heartも重要であることが,アサーティブネスの概念を引用しながら論じられた。
本論文では,さまざまな研究者が挙げている批判的思考の定義を列挙することにより,批判的思考の定義を考えるうえでの基礎資料を得ることを目的とした。諸研究は便宜的に,初期の研究,その後に出された定義に関する研究,心理学者の定義,日本人の定義,心理学以外の分野における定義,という観点によって分類した。中には筆者なりのコメントもつけているが,それは最小限とした。それらを大まかに踏まえ,現時点で筆者が,批判的思考の定義に関して,どのように考えているかを,最後に論じた。
(要約なし)
本研究では,日常的な題材に対して大学生が,批判的思考能力や態度をどの程度示すのか,それが学年(1年・4年)や専攻(文系・理系)によってどのように異なるかを明らかにすることを目的とした。大学生80名に対して,前後論法という論理的に問題のある文章3題材を読ませ,その文章に対する意見を自由に出させることで批判的思考態度を測定した。その後で,「論理的問題点を指摘せよ」というヒントに対してさらに意見を求めることにより,批判的思考能力を測定した。分析の結果,全240の回答のうち,批判的思考能力の現れと考えられる意見は88回答(36.7%),その中で批判的思考が要求されていない場面でも批判的思考態度を発揮していたものは20回答(22.7%)と少なかった。一貫した学年差や専攻差は見られなかった。多くの学生は,情報の持つ論理よりも内容のもっともらしさや自分の持っている信念の観点から文章を読んでおり,この点を踏まえて批判的思考が育成されるべきであることが示唆された。
キーワード:批判的思考,態度,大学生,日常的題材,前後論法
本稿では、批判的思考とは何かを概説し、「質問書」を用いて批判的思考態度を育成する実践を紹介した。学生の自己評価によると、おおむね授業や教科書の情報を批判的に吟味する態度を養うことはできた。しかし一方で、「教師の言うことは肯定しなければならない」という態度を持っていると考えられる学生もいた。このような認識の枠組みは変わりにくいものであることを念頭においた教育が必要であることが考察され、最後にメディアと批判的思考の関わりについて論じた。
キーワード:批判的思考、態度、質問書方式、認識の枠組み、メディアリテラシー
本研究では、論理構造が等しい日常的な題材を複数用い、文章を読む際に、批判を要求しない場面を設定し、大学生がどの程度批判的態度を発揮して批判を生成するか、また、その批判にはどのような思考が含まれているのかについて検討することを目的とした。さらに、これらの結果を元に、日常的な批判的思考態度を捉えるための、よりよい方法について検討した。調査の結果、受容/不受容分布の題材間変動、および不受容内容の分析から、学生の態度や思考の内容が、与えられた題材に左右されることが明らかにされた。 また、本調査の反省をもとに、批判的思考態度を測定する際には、以下の点に留意すべきであることが考察された。(1) 文章題材に対する被調査者の基本的な態度がややもすると不明確になる点を明確にするために、個別面接や追加教示などの工夫が必要であること、(2)批判的思考態度と同時に批判的思考能力が測定される必要があること。このようにして、現実場面で一般化可能な形で学生の思考の特質を知ることによってはじめて、大学教育の中で、学生の特質に合わせて、適切に思考力の育成を図ることが可能になると結論づけられた。
本研究では、今日の大学教育に必要とされている「思考力」の育成に、大学経験がどのように貢献しているかについて、米国における批判的思考研究を概観し、これまで明らかになっていることを整理し、今後の研究を展望することを目的とした。これまでの研究から、以下のことが明らかになっている。少なくとも1年以上の大学経験によって学生の批判的思考が向上していること。それは単なる成熟や年齢のせいではないこと。4年生の批判的思考のレベルはあまり高くないこと。最後に、方法論を中心に、今後の展望が論じられた。
(要約なし)
Numerous studies have demonstrated that orthographic knowledge is coded in an abstract format in English ( e.g., the perceptually dissimilar words READ/read map onto a common orthographic representation ). However, it is unclear at present whether this mapping occurs at the letter or word level. Two experiments investigated this issue in a language ( i.e., Japanese ) in which words can be written in perceptually unrelated scripts ( Kanji and Hiragana ) and, crucially, in which there are no letter correspondences between scripts. Using the long-term priming paradigm, robust priming was obtained when study-test words were depicted in Hiragana-Kanji, and vice versa. Furthermore, little priming was obtained following a study-test modality shift. The modality-specific nature of this priming suggests that corresponding words in the two scripts share common orthographic representations. A model is outlined that describes how abstract orthographic knowledge is acquired. (Journal abstract)
(要約なし)